fc2ブログ

RSS
Admin
Archives

隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
→ 新刊・既刊等はこちら

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Powered by fc2 blog  |  Designed by sebek
2019.10
13
CM:4
TB:0
05:18
Category : 未分類
 入間川の水害シナリオで最悪の展開は多摩川の流路変遷だろうね。多摩川の流れが入間川に突っ込めば川沿いは大変となる。落合橋以南の荒川も無事ではすまないだろう。

 青梅のあたりは多摩川の扇状地となっている。頂点は宮の平駅付近だ。今の多摩川はその南端を通っている。

 そして、その多摩川扇状地の北端に霞川が流れている。これは入間川の支流だ。距離は1kmも離れていない。

 なにかの機会で川筋が入れ変わる。例えば台風の大雨の中で南岸側山地が崩れて川筋を埋める。そうなると多摩川上流の水は霞川に流れ込み入間基地のあたりでそのまま入間川に流れ込む。

 その場合には大洪水となるだろう。入間川の河川断面積、まずは堤外地(堤防の川側)間の面積では捌ききれない。まあ南北両岸が台地のあたりならあまり浸水域は広がらない。一段低いところが水をかぶるだけで済むだろう。ただ八瀬大橋以南は大変で落合橋以南は川島も川越低地も大変となりそのまま荒川もあふれさせるのではないかね。

 何を馬鹿なことをというかもしれない。

 でもねえ、今の入間川って多摩川の痕跡でもあるんだよね。武蔵野台地を大きくえぐられた現入間川流路は多摩川北流の名残なわけだ。小畔川と赤間川の間の低地は昔に多摩川が流れた結果できたわけだろうよ。そもそも多摩川扇状地ができたのも多摩川の流路変遷の結果だ。北方向に今の入間川流路に流れたリ南の現多摩川河道にながれたりの浮気の産物であの地形はできている。





 と書いていて気づいたのだけど、所沢三富の要因もそれだなと。狭山丘陵が盾になって多摩川の侵入を防いだから所沢から三富方向はは侵食をうけていない。また表流水は開析の結果低くなった入間川・多摩川の方向に去ってしまう。川から遠いから地下水も涵養されないしそれも入間川・多摩川方向に流れる。崖からドンドン流れ出る。

 だから所沢も三富も地下水位も深いところにある。「所沢には嫁にやるな」(水くみが大変)とか、近世に野火止用水ができるまでは水がないから三富が放置されたとか。古代東山道付近にある掘兼の地名とか、あのあたりの「まいまいず井戸」の原因もそれなんだろ。
スポンサーサイト



Comment

非公開コメント

No title

観艦式、中止のようです。

>河野防衛相、14日の観艦式中止を発表

http://www.sankei.com/smp/politics/news/191013/plt1910130005-s1.html

状況が状況だけに、仕方ないですよね。


>軽トラも載らない「オスプレイ」狭い機内に収まる「専用車」とは?

http://trafficnews.jp/post/90270#readmore

参考品としてポラリスの車体が掲載されていたので、てっきり川重が手直しして納入するのかと思いきや、自社製品ですか...。

上総掘りが普及するまではろくに掘れないし、掘れてもローム層は崩れるし、あの辺は苦労したでしょうね。

No title

狭山湖が「山の裾野が独立している」ような奇矯な地形になったのもそのせいですね
南側にあった川が侵食して河川争奪が起きたんでしょう

Re: No title

狭山湖は昭和10年くらいに作った人造湖で、湖の水際線が複雑で山脚が入り組んでるのは
もともとの狭山丘陵が若い地形で侵食初期だからじゃないですかねえ

なんとなくですけど「断層で常に盛り上がりつづけているから狭山丘陵は残っている」みたいな
大宮台地と同じ理由だとしたらのはなしですけど

> 狭山湖が「山の裾野が独立している」ような奇矯な地形になったのもそのせいですね
> 南側にあった川が侵食して河川争奪が起きたんでしょう