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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2021.04
11
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16:09
Category : 未分類
 部屋の整理をしながら気づいたのだけれども。

 SFは嫌いだ。

 ただ作品自体は別段に嫌いではない。小説なりはなんとも思わない。面白いものは面白いしつまらないものはつまらないだけだ。

 まずはジャンルが嫌いなのだろう。構成員どもの振る舞いがいやらしい結果である。


■ 科学ハードコア

 一つは科学ハードコアか。

 科学に凝るのは構わない。その程度の没頭は他ジャンルにもある。

 だが、科学以外の要素を全部無視する。それをすべて科学の下部に置くのが見ていて頭が悪い。

 最近ならトリチウム海洋放出がそれ。社会で決めたルールを「科学的に正しくない」として「無視しろ」とするアレだ。

 地球中にありふれている。薄めれば害はない。だから海に捨てるべきだ。といったアレだ。

 それなら屎尿もそうだろう。地球中にありふれていて薄めれば害はない。だから海に捨てろとなる。

 さらには電力会社の都合であることを一切無視する。要は私企業が「有害廃棄物の保管場所が無くなったので海に捨てる」といっているわけだ。

 それを認めるのが科学的である。正しい選択であるという。

 そしてそのような態度が正しいとする。それにウットリしている様子が気持ち悪いものだ。


■ 批判しない

 二つ目は批判しないこと。正確に言えば科学的ほかの権威の言うことを丸呑みすることだ。

 今ならPCR抑制論やら『ワクチン批判「批判」』がそれ。

 理屈にあわないことでも科学サイドがお墨付きをつけると批判しない。

 そして紅衛兵に徹する。政府やら製薬会社のいうことが絶対に正しい。なぜなら科学的だから。といって批判を批判するアレだ。

 今回なら「尾身会長の言うことは常に正しい、その発言の裏を読み解くとよく分かる」か。航空技術ジャーナリストとやらのウットリ発言がすごかった。

 日本のワクチン接種が遅れているのを「反ワクチン」のせいにするのもそれか。日本政府の失敗の結果を非科学的な人たちのせいとして転嫁している。


■ ファンのヨイショ

 三つ目はファンのヨイショだね。

 作家連にファンが媚びるのが見ているだけで嫌悪感を引き起こす。

 そして作家との近さを自慢するようになる。

 「SF大会で話した」くらいはまだよい。

 「地元を案内した」「よい酒蔵を紹介した」「自慢の手打ちそばを毎年年末に送る」といった関係性誇示は見ているだけでね。奴隷根性というか、三下感が全開となっている。

 それが四十郎五十郎だとねえ。ほかになにもないんだろうねと。

 見ていて腹立たしくなる頭の悪さがね。

 まずはガルパンのアレと同じ。何がいいかを言語化できない程度の国語力は「ガルパンはいいぞ」といってアレな映画も毎回見に行く。一つの映画を何回見たかを競う。その回数でしかそのセクターの中での地位を示せない。その程度の間抜けと同じ臭いがしていやなものだ。



■ ジャンルとして知性がない

 突き詰めれば知性のなさかな。

 SFはジャンルとして頭が良くない。例えば構成員による論評や批評がなりたっていない。その程度の集団である。それが己が忌み嫌う理由なのかね。

 引っ括ればメカミリもそうなっている。鉄道、ヒコーキ、ロケット、自動車レース、カメラと同じ。アニメでも「女の子とメカと鉄砲」と同じ。

 抽象化ができるほどの頭がない。支持層の最頻値がその程度だから抽象化が進まず具体性の追求しかできない。だから「ゼロ戦のネジの数はいくつ」しかしていないわけだ。

 そしてそのまま歳をとっていく。過半は十代程度と変わらない抽象性の水準のままで五十、六十に上がっていく。それはまさに目の当たりとしている。連中はそのまま死ぬのだろうよ。

 作る方もそんなに頭もよくない。メルトダウンじゃないだす程度だからだ。

 そしてそれほど頭も良くないのがもっと頭の良くない支持層を養分として収奪している。その構造も嫌悪を呼び起こすものである。
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Comment

非公開コメント

No title

坂下と申します。
本棚にはSFの本がたくさんあります。

「SFは嫌いだ」について「例えば構成員による論評や批評がなりたっていない。」はそうなのかもと感じました。というのも、本棚にあるのだから、SFの集まりに参加するとかなぜ自分はしないのだろうと思うと、書かれていることを感じていたのかもしれません。

SF界隈だとオタキング岡田が、本物のSF者なら原著版で4桁は読んでて当然!とか言っててキショかったです。
で、そのSF者様はリアルでは信者ビジネスや愛人100人作り計画等と堕落してるというおまけ付きで。

あと、日本SF作家クラブは組織として健全に見えないです。

No title

とはいえ、科学技術信仰に冷や水を浴びせて、「人間の英知なんてものはたかが知れているから、過剰に持ち上げるべきではない」と批判的な視点を提供するのもSFの役目ではあります。
かつては星新一や筒井康隆などがそのあたりの役割を担っていたものですが。

>スクープ!住友重機械が機関銃生産から撤退へ

https://toyokeizai.net/articles/-/422914?display=b

また事業譲渡することもなく、ぶん投げorz。でも陸自の事だから、サンプルと称して少し輸入して国内メーカーに似たようなガラクタ、もとい類似品を作らせそうですよね。

昔、平成ガメラだったかの映画の批評で、特撮ジャンルへ同じような批判をしていた記事を読んだことを思い出しました
ファンがキモいというのはSFに限らず推理小説でもスポーツでも誰かが感じているハナシなのかなと

No title

元SF少年で理工系です。文谷さんのおっしゃりたいことはわかります。SFファンとか理工系は、哲学とか歴史とかに興味がなく、そういう教養とか一般常識がないことに開き直っている、愚かさがある人が多いので、キショイと思われるのだと思います。理工系の自分でさえ、感じることがあります。

かつてSF作家の平井和正氏が

お邪魔します。
 かつてどこかでSF作家の平井和正氏が所謂BNF(ビッグネームファン)について、「自身は創作活動等を行わないのに妙に尊大な連中」といった事を書いていたのを見た記憶があります。
 ああいったものは「劣等感の裏返しとしての尊大さ」ではないかと思ったりもします。
 SF作家の高千穂遥氏が「自分にとって重要なのはSFか否か」と言い、例えばガンダムとかを「あれはSFではない」と言っていました。後から思えばそれは高千穂遥氏が「西部劇の馬を宇宙船に、拳銃を光線銃に変えただけとも言われたスペースオペラ」の作家だったからかも知れません。

「太陽の牙ダグラム」(81年)

と言うアニメが当時のアニメファンから不当に批判されたのにも通じますな。
あのアニメで扱ってる題材(「中東・南米等の開発途上国特有の歴史・政治事情」)
は本当に洒落になりません。

「SFはファンが気持ち悪い」

とは正に「言い得て妙」!!