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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
→ 新刊・既刊等はこちら

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2014.03
14
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Category : アニメ評
謀略のズヴィズダー、原作のネタバレを含みますのでご注意。




 旧正月に首都で蜂起してからの展開が、まずは見逃せません。最初は老人と子供のポルカが頭に浮かんでしまった『謀略のズヴィズダー』ですが、やはり原作は読むものです。TVマンガ版のネタバレとなるので細かくは言えませんが、やはり終盤での追い込みは力強いものです。

 まずは、TVでの第12話に相当する『首都東京最後の日』でしょうか。題名からも伺えるように、明らかにレインボーマンでの悪魔部隊DACの蜂起がモチーフとなっておりますが、ズヴィスダは、それまでの人間関係がレインボーマン以上に密に構築されているため、見逃せないでしょう。

 物語の西ウド川市での地下活動に専念していたズヴィスダは、ついに旧正月に義起を起こします。『ロボ執事』放映が突然途絶し、ジャックされた放送によってゼネストが呼びかけられ、ズヴィズダ構成員が一斉に蜂起します。警察に潜む分子は警備状況を撹乱し、地方自治体の分子は警察の指示と勝手に契約土木会社を使い、拒馬や土のうで道路網を閉塞させ、ズヴィズダの行動を援護します。その情景はレインボーマン最終話のDAC蜂起そのものです。

 しかし、東京義起は失敗してしまいます。ホワイトライトや東京都は、義起参加者をテロリストとして即時に処刑する。13話相当の『死刑執行人もまた死す』ですが、組織内での地位向上を掛け、決死の覚悟でホワイトイーグレット刺殺に成功したヤスの見せ場となっています。

 TVクルーを引き継れて、白昼、公然にイーグレット刺殺に成功するヤスですが、因果はめぐるもので、同じく白昼にホワイトファルコンに軍事裁判抜きで、生中継で路上公開処刑されてしまう。杭に縛り付けられ、マスクを外されたヤス、ヤスはそこでの匂いから、ファルコンがかつて情を通じた香織姐さんであることに気づき、惨めにも命乞いを懇願するものの、怒りに震えるファルコンには通じない。そのコメカミにリボルバーを直付するファルコン。頭の位置を銃口から必死でそらそうとするヤス。そして発砲。読者はそこでロビンへの嫌悪感が充満しますが、原作・監督である岡村天斎の思うがままといったところでしょう。

 再び地下に潜るズヴィズダですが、文字通り地下に隠れます。14話相当の『地下水道』では、蜂起が失敗直後の、下水道を用いた都市ゲリラ戦を描いていますが、やはり戦況は芳しくなく、戦闘員は散り散りになる。ケイトにしても、もともと東京都の外からの援軍を期待して蜂起したものの、江戸川を挟んだ千葉は戦後のズヴィズダ影響力排除を狙い、静観するばかり。ごく一部の県外亡命者を部隊を差し向けるだけで、まともな援助がない状況では、八方ふさがりといったところでしょう。

 そこに、物理的な閉塞感もくわかります。下水道での戦いで、地上側から脱出口を尽く塞がれた絶望感は、尋常なものではありません。そこからのケイトと明日太の脱出行とその結末は、冷たいものでした。ネタバレに関わるので言えませんが、○○○を集めて閉塞部を破壊し、地上にでた二人の会話からはクライマックスでしょう。後続しているはずの戦闘員を呼べといった明日太と、それに対するケイトの「後続の戦闘員の話は嘘だ。オマエを私だけを助ければいいのだ」返事、そこで起きる☓☓のあと、仲間を呼ぶために再び下水道に入る明日太。その姿をどのように映像化されるかは見ものです。

 あとは戦後を描いた派生作品でしょうか。TV放映されるか、BDに入るかわかりませんが、『謀略のズヴィズダー 灰とダイヤモンド』は欠かせません。

 ズダズダに切り裂かれた社会。戦争に一つの家族が東京都という権力と、ズヴィズダといった反体制に別れ、かつての恋人も反政府組織と、傀儡軍の手先に分かれてしまった。引き裂かれたのは上流・中産階級だけではない。戦前は血の団結を誇ったマフィアも、体制と反体制に別れて殺し合いをした。その戦争の後、平和なはずの社会の修羅道を描いた傑作です。

 組織間の闘争は戦後になっても終わらない。たしかに、表面は平和になっている。そこで、一般市民としてかつての関係を取り戻そうとする平和な明日太と蓮華のキャフフもある。だが、実態としてはかつての敵や、あるいはかつては仲間であった組織内の敵対分子を始末する暗殺者であり、しかも互いに秘しておりそれをしらない。ズヴィズダ参加の経歴では仕事もなく、仕方なく闇の稼業に手を染める明日太と、明日太との関係を旧ズヴィズダ摘発として正当化した蓮華。そして「これを最後に」と、互いが組織を足抜きするために選んだ最後の暗殺対象の相手の皮肉……。

 やはり、かつての出身母体がそのまま政治的立場になり、暗殺や弾圧を含めた手段でヘゲモニーを競う姿を描いた『灰とダイヤモンド』は『謀略のズヴィズダ-』の締めくくりにふさわしい作品でしょう。




 いつものことだが、なんでこんなものを書くのかわからないのだけれどもね。
 買い物していたら『ストライクウィッチーズ劇場版 - ゆきゆきて神軍』というフレーズがでてから、割りと止まらない『ストライクウッチーズ - 真空地帯』とか『ストライクウィッチーズ - きけ、わだつみの声』とかね。
 そうとう前に酒席でした話だが、坂本大佐が武装解除しない宮藤に、戦争中の全員のC/Sで呼びかけるシーンで「みんな死にました」とだけ応答するイメージの前に、神軍平等兵として部隊関係者のところをブイブイ荒らしまわる宮藤の姿が追加されて駄目さが一気に増加していい感じだったよ。
 ちなみに、ストライクウィッチーズは一回も見ていないのだけれども。
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2013.12
25
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12:19
Category : アニメ評
 アニメ版だけでISをバカにするのは、あまりに失礼なはなしでした。

 弓弦イズルさんの原作読んだのですが、あれほど深い話とは思いませんでした。本編『インフィニット・ストラトス-六十四の瞳』は、ISという煌びやかな世界へのあこがれと、その現実にある落差を浮き彫りにした力作でしょう。

 オナゴ先生、巨乳先生と言われてすぐにキョドる初任教諭、山田真耶と生徒の成長を描いた明るい前編と、その10年後の後編の落差には引きこまれました。

 なんといっても後編です。「進路にISを目指す女の子は20万、IS専門学校に通う生徒は2万人、IS操縦者資格をもつ女の子は2000人いる。しかし、世界にあるISの数は200、ISで食べられるプロの椅子の数は200しかいない…」から始まる、「夢を現実」系の厳しさを情け容赦なく突きつけます。そして、進路先不明の卒業生調査。

 唯一、操縦者資格をとれたものの、仕事はない。操縦者としてのプライドと夢にしがみつきながら、食べるためにアキバの路上で絵画を売るシャルロットの姿は、IS、声優、プロ棋士、芸術学校といった夢を食い物にする教育産業への痛烈な皮肉です。

 現在日本にある、夢による搾取、やり甲斐があれば、感謝を貰えれば生きていけるという搾取構造を浮き彫りにした素晴らしいルポルタージュでしょう。

 それに比べて、ツンデレ、貧乳、お嬢様、ボーイッシュ、不思議系を集めることに汲々とし、ロボットモドキでドンパチをやらせることを山場と勘違いするアニメ版は、表層だけしかみない浅薄なもので、比較すら憚られます。

 あとは、最新刊ですね。中東代表候補生の物語『少女はISにのって』。世界には女の子が1人でISに乗れない社会がある。ISに乗りたいというだけで抑圧される社会。国家の代表候補生に選ばれても、一族の恥であると疎外される奇妙な社会体制を告発した名作といえるでしょう。おすすめです。






 あれだよね。「職安に行くから背広を買う」とシャルに金をねだった一夏が、「巨乳金髪お姉さん」って看板にフラフラいっちゃって最前列がぶりつきに並んだら、ラストで出てきたセシリアが、途端にうろたえ、羞恥心から最高のショーになったとかさ。そのセシリアは、持ち前の虚栄心からロンドンまで戻って巨乳先生のインタビューをうける。「わたくし、安くはないわ、仕事はいつもロンドン、貴顕のお相手をする最高の仕事よ」と言うけど、バイトで連れてかれた一夏が一言「でも、いつも上野広小路で夜立ってるじゃん」ってあたりもねえ。切ないよね
2013.08
09
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12:00
Category : アニメ評
 山口県の例の事件のせいで、8月13日放映予定だったバッド・エンド・ルート最終話「俺の桐乃を返せ」が放映されないようです。

 携帯の基地局に火を放ち、変電所にアルミニウムのチャフをばら撒き、LEDランプを頭に縛り付けて「桐野を返せ、俺の桐野を返せ」と叫びながら夜の街を徘徊する京介の姿が見られないのはナンですな。親爺との一騎打ちのはずが、真奈美の加勢で…といったあたりは、小説版をよんていない人にはネタバレですか。



 まあ、大概コミケの前は余計なことを考えるもので、まえがきとあとがきは大概寸前に思いつく話をそのまま書いているだけなんですよ。たとえばねえ、「映画版『牡丹灯籠』の主題歌が、かまやつひろしというのはどうだろうか。下駄を鳴らして奴が来る恐怖感は、全くのホラーだろうよ。」みたいなくだらない文章ね。

 今のところ、リアンダー級とノックス級の比較本が今日中に印刷・製本まで持っていけそうです。あわよくば、明日に、職場での神道祭祀のやり方参考資料の折本※ も狙おうかと考えております

※ …神酒は甕上高知甕腹満並て鰭の広物鰭の狭物奥津藻菜辺津藻…みたいなやつです
2013.05
26
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22:52
Category : アニメ評
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2期)第8話「俺が後輩とひと夏の思い出を作るわけがない」冒頭、高坂さんちの台所で奇妙な感覚を覚えたのだけれども。

高坂さんち
(『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2期)第8話「俺が後輩とひと夏の思い出を作るわけがない」冒頭部)

 パースが狂っているような、狂っていないような感覚なのだが、消失点を見るとキッチリ合っている。でもヘン。なにがヘンかと思ったら、壁の見切縁の高さが左右で違う。右の窓まぐさと扉まぐさの高さが違うあたりで違和感がある。

奇妙な見切り_矢印
(上図に、見切り縁の高さが一致していないことを示すため、文谷が赤い補助線と線と、同じ深度を示す白の半透明スクリーンを入れてた)

 本来なら、高さは揃えるもので、試しに扉側の背を高してみるとこうなるんだけどね。

高坂さんち修正済
(まぐさの位置を合わせたことにより違和感がなくなる点を指摘する目的で、上図を文谷が修正した)

 まあ、そういう家なら仕方がないが、最近建てられた住宅で、洋室に長押のような見切り縁があるものは、己の見た限りではない。壁紙貼るのも面倒なのでやらないのだろう。

 冒頭部の、絵としての違和感について、思いついたので書いた次第。

 もちろん、俺の妹…が、物語として面白いことは阻害しない。イイ歳こいて毎週楽しみにできるほどであり、オススメである。



 画像は、http://himado.in/147949をプリントスクリーンで取得したもの。俺の妹…8話の構図上にある違和感を批評するために引用したものである。
2013.05
22
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12:00
Category : アニメ評
 西武池袋の駅で『L♡DK』(wikipedia)の広告を見た。不勉強にして知らなかったが、大人気のマンガだという。要は、一人暮らしの女子高生のところに、イイ男が転がり込んでくるという話。

 男のところに都合のよい女が転がり込んでくる話はいくらでもある。その萌えマンガ・アニメの男と女を入れ替えるだけでもどうにかなる。なんせ商業的に成立しているわけだ。女性は女性で、女のところに都合の良いイイ男が転がり込んでくる話にワクワクするのだろう。

 男が消費するものを、女に売りつけるのは、時節柄である。

 例えばオートバイも男が消費するものを女に売りつけようとしている。オートバイなんて男しか喜ばないものかとおもいきや、女にも喜んで買う者もいる。免許を取りに行くと女性は珍しくないという。

 タバコもそう。昭和中期、響、エコー、新生、わかばの時代には女性は吸うものでもなかった。女性でタバコを吸うのは、それ者か、それに近い商売の女が吸うものであった。だが、昭和末期頃から女性向けのタバコが出ている。ピアニッシモなんていけ好かないデザインであるが、あれも女に吸わせようと仕向けたものだ。

 ソフトなものでは、鉄道も山もカメラもそうだ。男の趣味として男が消費していたものを、女向けに手直しするだけで女に消費させている。鉄道であれば鉄子、山であれば山ガール、カメラで言えばカメラ女子がそれだ。

 オートバイ、タバコ、鉄道以下まで女に売れるのであれば、萌えマンガ・萌えアニメも女に売れることに不思議はない。男に売る女同士のエロも、女に売る男同士のエロとして20年以上前から成立している。ならば、男の家に女が転がり込んでくる話も、女の家に男が転がり込んでくる話にすれば普通に受け入れられるだろう。

 少し考えてみれば、『フルーツバスケット』もそういった話だった。女の家にイイ男が転がり込んでくるわけではなく、女がイイ男の家に入り込む話だが、願望的には似た様なものだ。女1人にイイ男複数という逆ハーレムという構造である。ヒロインの本田透は、草摩由希草摩夾を自由に攻略できる立場にあった。

 ただし『L♡DK』は、最初から女に都合のいい、イイ男に萌えるだけの話で済ましている。ざっくり見る限りでは、物語を作る、作劇をするというのではなく、男モノでいう「萌え」だけを玩味するものである。何にしても、知恵者はいる。話に中身の無い「萌え」であっても、男女を入れ替えるだけで、女に売ることができると考えた。そして、そのたくらみは見事に成功したというわけだ。

 いずれは中身のない、生徒会や部活モノも出てくる。『僕は友達が少ない』、『生徒会の一存』、『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』の類、生徒会か部活という箱だけ用意して、その中にできるハーレムでの雰囲気だけを鑑賞する。何の事件も試練もなく、どうしようもない話である。いずれはフォーマットをそのままに、男女を入れ替えただけの話も出てくる。すでに出ているかどうかは承知していないが、出ているのも、出てくるのも不思議はない。仮に今、小説で出ているならば、それが退屈なマンガになり、退屈なアニメにもなるだろう。

 女が複数のイイ男を自由にする、鬼蓄その他といようなエロゲームやエロマンガも出てくるのではないかな。男の征服欲を満たすため、男が女を自由にするエロゲームやエロマンガもいくらでもある。その男女を入れ替えて商売しようとする者も出てくるだろう。すでに女性の性欲を利用した物語は商業的に大成功している。性欲を刺戟するメカニズムとしての征服欲について、それは男にだけあって、女に無いということもない。アレだ、学校トップクラスのイイ男を、全て肉奴隷にできるようなゲームは売れるのではないかね。
2013.05
10
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06:53
Category : アニメ評
 昨日ある席で「女殺し油地獄」というつもりで「女教師油地獄」と言ってしまったよ。サテ、それからなんだが正解が出てこない。近松作品とか、油屋のおかみさんとかいった断片的な情報は出てくるが、肝心の「女殺し」の部分が出てこない。「いや、女教師だったんじゃないの」という錯覚もするのだが、そりゃ歴史のフライングだろうと焦るが、単語が出てこない。結局、携帯電話でグーグル先生に尋ねるはめになったよ。

 「女教師油地獄」とは、まあ、安永航一郎さんの「赤貝ティーチャー」※ なみに、どうしようもない題名だね。

 己のオリジナルだと思ってググってみたら、2月21日にその単語を使っているヒトを発見。https://twitter.com/hideakioeda/status/304862566864265216だが、これもまあ、女殺しが出て来なかったのだろうと思うよ。



※ オリジナルは言わずもがなのアレです
2013.01
18
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13:00
Category : アニメ評
 2012年冬コミの「まえがき」ですが、ナマモノなので開陳します。まず、ガルパンは駄目ですねえということです。



 虚構性が高いこと自体は問題ではありませんが、虚構性の強い世界でドラマを成立させるための工夫は必要でしょう。『ガールズ&パンツァー』ですが、世評に反してイマイチな内容です。結局「何のために競技をやっているのか」「勝たないとどうなるのか」にリアリティがないので、感情移入ができません。

 「勝てないと、学校が廃校になってしまう」だけでは、観客は勝負にハラハラできません。そもそも男を排除した学校・学園艦という虚構世界も「少女が戦車に乗って戦う戦車道」を作る理屈付けです。理屈付けの学校が廃校になる危機といっても、観客には危機感は共有できません。

 ガルパンは戦車が動くさまを見て喜ぶものでしょう。戦車を見て喜ぶ客層がいる。その人たちは「女の子とメカと鉄砲」が好きでもある。だから、登場人物に少女を配しただけの話です。キャラクターはオマケですし、作劇もオマケです。だから、物語を深化させることも無理でしょう。

 ガルパンの本質は「女の子とメカと鉄砲」なので『ちはやふる』みたいに展開できない。両作品とも虚構競技と、まず虚構同然の競技であり、ヒロインがその競技に向き合う話です。しかし『ちはやふる』では観客に主人公サイドに肩入れする感情が生まれる。負けそうになればそれなりにハラハラする。でもガルパンにはそれがない。見ていて全然ハラハラしません。

 キャラクターも、戦車の付属品か説明役にすぎません。その説明にしても、観客が戦車について数値的な性能といった理屈で理解している前提です。御座成りです。実際に、強敵であるはずのKV-85 やIS-2 が出てきても、プラモデル的に正しいCG と、装甲が厚いとか具体的に何ミリみたいな程度の説明セリフがあるだけ。絵や演出で説明しないから「勝てないよ感」とか全くない。モデラー的に正しいCG があっても、話を面白くする要素にはなりません。

 演出で「勝てないよ感」を出さないのは怪訝です。例えば対シャーマン戦なら、正確な弾着で一方的に撃ちまくられる。T-34 以降に対しては、必死になってキャタピラを狙いまくるしかないが、車体に当たった弾が跳ねまくるだけ。そういうカットで示せばいいのにそれもやらない。

 「勝てないよ感」がないのでは「自分たちより強い敵にチャレンジする」要素をドラマに生かせません。プラウダチームは大洗チームにとって格上の強敵であるわけですが、その説明を、戦車名だけで示しています。これは知識が必要な一見さまお断りアニメであることを示していますが、同時に工夫が足りないことも示す証拠です。

 もちろん「戦車と女の子」好き、あるいは「兵器と女の子」といったカテゴリーのファンだけを囲い込めればいいと考えた作品なら、物語も作劇もどうでもいいのでしょう。

 アニメ版見る前では、まえがきは白黒映画の『ガルパン 人間魚雷海龍』とか、実写TV 版の『ガルパン 最後の対外戦』にしようと考えていました。少女戦車兵の繰上げ卒業のあとに「日本にはもう鉄も戦車もないよ」とか、あんこうチームが大洗の海で味方の防雷網に引っかかる、やるせないエンディングとか。あるいは、最後の試合のあとバレーボール部のキャプテンが必死に飛行場まで走ってきて、体操服のまま飛行寸前の軍偵の後席に乗り込むとか、やたら寄ってくる海軍の先導機の機銃席で、ボールを持ったアタッカーが必死に手を振ってるとことかね。でもアニメ版がアレで、しかもキャラクターの顔と名前も覚えられないのでやめました。名前を覚えさせるキャラは7人超えたら駄目です。覚えきれません。

 何にせよ、シチュエーションや萌キャラに頼ったアニメが増えました。今季は不作で、毎週観ているものは『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』だけですが、これも物語が深化しない話で、後には顧みられないでしょう。最初からハーレムができているので、それに至るキャラクター同士の関係は変化も深化もしません。同じ所をグルグルまわるだけの話です。前段階に、離れ離れだった兄妹が一緒に暮らすまでをやればね。アレな関係でも深化させれば面白くなったと思うのです。まあ、それでは残り4 人のヒロインが影薄くなるので、ああなったのでしょう。

 志に欠けたTV マンガを作ってもしょうがないんじゃないですか。ガルパンも、おにあいもそうですが、物語もない絵だけ綺麗なアニメは、後世に残るものにはなりません。
2012.12
21
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13:00
Category : アニメ評
 国鉄の高田馬場駅で発車メロディーを聞いた時に、ふと「肉弾アトム」というフレーズが頭に浮かんだんだけど。どんな話かね。

 まず、アトムの時代だから、宇宙空間で核弾頭を抱いて敵を待つのでしょう。宇宙軍戦力が全滅したのに、地上決戦だ、戦車があるので負けないとかヘンなことをいう軍部に付き合わされた形。外惑星から援軍が来るまで陸上戦力で持ちこたえるのだとか言ってますけど、静止軌道あたりまで宇宙機雷まで撒かれて、月やらコロニーからの食料輸送も途絶えたので、地球人は餓死寸前だから意味は無い。

 多分最終回でアトムは敵艦隊迎撃のためドラム缶大の水爆にしがみつくようにして、宇宙に放置される。でもなかなか敵も来ない。3日も4日も漂流して、頼みの冷却水、一升瓶にいれた真水も流されてしまう。日差しを遮る唐傘も、戦争で生まれた砂粒大の極微小なジブリボロボロになる、そうして熱暴走したアトムは、混乱する意識の中で超巨大戦艦を発見するのです。「方向良し、距離良し、安全栓抜いた」みたいな感じで準備するのですけど、それは精神衰弱による勘違いで、実際には何の変哲もない流星に体当たりで犬死だったという。

 でも、その時、既に地球は既に終戦となっていて、みんなが街で大喜びをしている。ひときわ輝く流れ星みても「戦争が終わってみる星空は綺麗なもんだ」としか言われない。誰も宇宙に行って、戦って死んだアトムのことなんか思い出してもくれない…という救いようのない話じゃないかな。多分、ベトナム戦争の時代を反映しているのでしょう。

 いや、最近の萌えアニメしかしらない若い人には信じられないのでしょうけれども。昭和のアニメは結構、戦争体験が投影されてますから。

 『肉弾アトム』の最終回辺りだと、後に有名になるシーンがあるのですよ。アトムが敵前逃亡した兵隊に死刑を宣告し、銃殺するアレですけど、PTAからの抗議に手塚はキレるのです。

 アニメ版ではよくわかりにくいのですけど、漫画版では食糧不足の中、逃亡兵は食料を持ち出しているのです。それを理解しないと、手塚の「飢餓者が出る中で、中隊の乾麺包を一切合切盗まれた気持ちが分かるか!」という啖呵も理解出来ないのでしょう。比島での手塚の実体験が忍ばれるエピソードです。



2010年11月03日 MIXI日記より
2012.10
29
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13:00
Category : アニメ評
 「女の子とメカと鉄砲」の三幅対は定形なんだろうね。米国にもアメ車のボンネットで水着姿のネーちゃんがピストル持っているようなアホ写真もある。万国共通なのだろう。日本だと、アニメ・マンガで頻出している。無駄にスポーツカーや飛行機に鉄砲持った女の子を乗っけるようなイラストは昔からあるわけです。園田健一の『ガルフォース』は全くその組み合わせでしょう。アニメでも『マクロス』はそのもの、押井監督の『うる星やつら』にはその雰囲気は濃厚だった。

 今期の『ガールズ&パンツァー』は、その「女の子とメカと鉄砲」だけで勝負しようとしてる。3話まで見たところ、要素は本当に女の子・メカ・鉄砲だけ。女の子がキャフフする姿、メカの説明と動くさま、だれも傷つかない鉄砲撃ちしか出ていない。今のとこ、そういうアニメになってるわけです。

 結局、戦車が動いて、女の子が乗って、大砲をバンバン撃つだけの物語なんですかね。そうだとしたら残念な結果になってしまう。『けいおん』のようにキャフフだけでドラマがない話に堕するんじゃないか。仲良し同士が集まって、そこに成長も葛藤もない話だけとなると、BGM的にアニメが流れているだけになってしまう。

 何らかの試練を与えるべきじゃないのかな。物語的なリアリティや感情移入できる試練がいい。強大な敵がなんちゃらで、それに対抗するため戦車乗員を云々みたいなマヌケな世界を救う話はダメでしょう。チームがバラバラにされるとか、乗車がドナドナされるレベルの半径3m以内の話の方が現実味もある。ドラマツルギーも高まると思うのだけれども。

 まあ、なんだ。悪いライバルの陰謀で手法が不時発射、校長殺しを疑われ、チーム解散。車両への整備支援中止みたいなヤツでいいんじゃないの。戦車を整備する金が無いので、学園艦の搭載艇あたりで船饅頭(わからなければググれ)で金を作るあたりが試練かな。エロ方面の萌えも確保できて一石二鳥だろ。夜のチーム活動で理事長あたりに気に入られて、パトロンの下でチーム再結成が認められる。そして悪いライバルと最後の戦い。双方弾切れで体当たりを繰り返す。ハッチから上体出した戦車長同士もキャットファイトとかね。いや『ベン・ハー』なんて映画みたことないんだけどねえ。

 己としては卑怯行為を見てみたいんだよね。ライバルの支援車両が主人公サイドの戦車に並走してくる。審判の見えない車体下部から丸太棒やピアノ線かなにかを繰り出して戦車の履帯を切ったり、転輪をロックさせるような。メッサラの戦車とかボンドカーみたいなアレ。『爆裂弾交差点』みたいに、砲身に榴弾を逆さまに嵌めこんでおくでもいいけどね。尊敬できる敵とか障害もあるけど、憎しみを感じられる敵もいいんじゃないかな。

 機械や戦術の描写をやっても何にもならないでしょう。ドラマを語らない。メカ描写、戦闘描写だけを見せて、キャラクターを全く描かないのでは、そこでオシマイです。逆にメカ描写、戦闘描写を意図して消さないと、ドラマが振り回されちゃうのではないですかね。主客をハッキリさせないと、戦車が主人公になって、キャラは単なる説明役になってしまう。

 すでにウェブに挙げられた感想を見ても、メカ描写と戦闘描写ばかりであるのは、その予兆ではないかと。そこに物語への感嘆はない。それどころか「◯◯萌え」といった、例の感想よりもメカ・戦闘描写への感想が多いことは、視聴者が物語に没入できていない証拠と見ることもできる。

 なんにせよ、閉じられた世界が不健康ではないかと。物語を洋上の学園艦に閉じ込め、キャラクターをその世界で満足していては、戦車道で勝っても何にもならない。そこから出たい、あるいは出なければいけないような構造にしないといけないのではないかと。

 だいたい、学園艦という他者から隔絶された箱庭(なんせ男がいない)で、女の子が身内でキャフフして終わりだと、作品的にも商業的にも、劣化した『けいおん』で終わりになってしまいやすい。同じ戦車と女の子で、『ソラノヲト』みたいに、試練を乗り越えたあとに新しい世界がある。そういう話のほうが後に残ると思うよ。




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2012.09
28
CM:0
TB:0
13:00
Category : アニメ評
 放送終了後に口の端に上らなくなるアニメでした。冬コミでは『僕は友達が少ない』一色でしたが、放映後に人気は急落しました。夏コミのカタログをみても大きく減っています。今回は人気の『這いよれ』も、すでにネットでの言及は下火です。放映中には一番人気でありながら、終了後には直ぐに廃れ、凡作になる。この点で両者は共通しています。

 共通するのは、原作を機械的に消化する点です。そこに全体を通じたコントロールがない。本来ならアニメは最終話に向かって作劇します。仲間であれば親密にする。敵であれば対立を進める。よそ者であった主人公が集団に受け入れられる。そのあたりを調整して、クライマックス進むものです。しかしそれがなかった。

 『はがない』は、肉と夜空、小鳥とマリアが対立しながらも、徐々に存在を認めていることを明示すべきでした。机の上にあるものを取ってやる、お菓子を分けてあげるでいい。それを感謝させればいいのです。それがなかった。そしてクライマックスがない。彼らに共通する危機を作って、乗り越えさせる。肉のギャグゲー好きが教室でバレる。小鳩が引っ込みつかない状況になる。部活/部室がなくなる程度でいいのです。

 『這いよれ』も酷かった。ニャル子と真尋の親密さは全く進展しない。後半、キスにより真尋はニャル子を意識しますが、互いに助け合う関係にまでは進まない。最終話、ニャル子は真尋を助けますが、真尋はニャル子を助けない。一方的なレスキューです。クー子、ハス太が加わっても変わりません。本来なら、先行して真尋が3人を救うエピソードを入れ込むべきでした。大体、おッ母さんはともかく、たこ焼き屋のネーちゃんが救いに来たのは蛇足です。最終話の敵も唐突です。敵についても、シリーズ中でリンクさせるべきでした。

 原作完結する前にアニメにした弊害でしょう。でも、それならアニメ最終話にクライマックスを設定して、そこに向けて調整すべきでした。『俺妹』は、中途半端な部分で剪断されていますが、桐野の留学を一つのクライマックスに据えて全体を調整しています。実際には第二話で親爺に認めさせるところでのカタルシスが大きく、バランスはどうかですが、留学に向けて物語を進めている。しかし『はがない』『這いよれ』は全くやっていない。だからつまらなかったわけです。

 細部にも問題がありました。『はがない』では小鷹が集団から拒絶され続けますが、髪の色と容貌だけが理由ではリアリティがない。小鷹が夜空に気づかないこと、夜空も過去を秘する点もリアリティがない。妹の中二病と、マリアは存在そのものがご都合的であり、幸村、理科を含めて振る舞いは戯画的に過ぎます。『這いよれ』では、パロディが無駄です。家庭用ゲーム機事情を開陳する話や、ギャルゲー世界に入り込むTRON的物語では何も変化しません。ニャル子、クー子、ハス太の行動も終始ステロタイプなものでした。

 両作品とも、放映中に人気があったことが不思議です。宣伝先行や、コミュニケーションツールとしての消費でしょう。熱狂的なファンがいるわけでもなかった。オリンピック視聴と同じで「みんなが見るので見た」程度のものです。その場限りであって、見たあとに何も残らない。あとで見直すものでもありません。ですから人気も、その場限りで雲散霧消しました。ネットに残された観想を見ても「◯◯萌え」「◯◯神演技」や「元ネタは◯◯」程度です。

 伝統演劇のようなものかもしれません。俳優を見る道具としての演劇でしょう。俳優=キャラが出てきて、そのしぐさ、衣装に客が熱狂する消費です。絵師先行、声優先行のキャラが動くことが目当てである。ファンは贔屓のキャラを見て喜ぶ。物語や没入感は二の次にされる。そういうアニメです。

 もちろん、好きであることを否定すべきではありません。コミュニケーションツールとして消費されても、売れていることはいいことです。

 しかし、努力の余地はありました。声優先行気味であった『夏色キセキ』は、努力し、成果を挙げています。ヒロインたちがキャフフするだけの作品で、男は一切出てこない。女性だけの連帯関係を強調する、女版ホモソーシャリティ・アニメになっています。しかし最終話に向け、作劇を盛り上げている。大戸島編(仮称)以降は、子供からの決別、成長への受容によりドラマが盛り上がる。クライマックスもアイドルになることではなく、自分たちが前に進むことを決意する点に置いています。商業的なキャフフと、物語としての完成度を両立させることに成功しました。しかし『はがない』『這いよれ』はその努力をしませんでした。

 『はがない』『這いよれ』は衰退期の映画に似ています。惰性で作った、工夫のないクレイジー・シリーズや駅前シリーズです。『はがない』2期とはいいますが、似たようにダラダラやるのでしょう。


 2012年夏コミ、まえがきから。生モノなので公開。
2012.09
15
CM:0
TB:0
01:04
Category : アニメ評
 高岡書店で『狼の口』4巻(久慈光久)をフライング購入。好きなマンガなので、帰りの汽車で面白く読ませて貰ったのだけれども。

 ちょっと、大げさかなと。そもそも蜂起そのものが、あったのかね?って疑われているスイス建国神話に乗せまくったマンガなんだがね。描写としてのギリシア火とか、溶かした鉛の描写、指火式鉄砲の破裂力とか、弩で地崩れおこすとか、大げさだねえと。

 もちろん、物語内部でのリアリティを壊すようなものではない。その描写によって、『狼の口』が面白く読めなくなることもないけど。

 読後、そのような観想を抱いていたら、物語の構造が『風雲たけし城』と同じと思ったよ。『狼の口』は関所攻略と、そこで起きるイベント描写を見せるマンガなわけだ。代官ヴォルフラムがたけしで、唯一キャラが立っている門番の騎士がストロング金剛なのかね。マンガで、各回出てきて、まず惨たらしく死んでしまうキャラは、たけし城での攻略参加者にあたるのだろう。

 イベントが城の防御設備、ギミックで攻略で起きることも同じ。特に『狼の口』3巻4巻では、主に戦闘が描写の対象となっている。ドラマの多くも、戦闘というイベントで進行する。その戦闘は盟約者団に拠る攻略戦であるが、敵はハプスブルグ兵というよりも、防御側のギミックだね。超えることができない跳ね橋、鉄格子攻略立ちはだかっている。この点も、『狼の口』は『たけし城』と同じ。『たけし城』でのイベントも、ほとんどは「悪魔の館」や「竜神池」ギミック攻略であったわけだ。

 さらに大きく見れば…、なんだろうね。竜退治の物語なのかな。多くの血を流して竜を倒す。話の筋からすれば、ヴァルターは最後の犠牲者になるんだろうねえ。







 以下、ネタバレ。

 代官ヴォルフラムと、ヴァルターの一騎打ちのいいとこで終わり。マイニングで侵入した盟約者団とハプスブルクの戦いは、白色彗星帝国攻略戦そっくりです。ただ、そこで瀕死の、水を望むハプスブルグ兵もまた人間として描かれているのはよかったですよ。水を飲ませたヒルダが、その兵が最後の力を振り絞って放った弩で殺される無常感もなかなか。
2012.08
24
CM:3
TB:0
13:00
Category : アニメ評
 軍隊生活への勝手な思い入れと、その醇化への方向性が生理的な拒絶を呼び起こします。『トータル・イクリプス』を排したくなる気分の底にあるのはそれです。製作者とファンが想像した奇妙な軍隊イメージと、それをリアルであると勘違する。その姿は見ていられるものでもない。

 物語としても、設定での稠密性だけに執着していて、それ以外はスカスカ。登場人物がタイピシャルに過ぎる。そのセリフも、あまりにも抽象的で説明風が過ぎます。『FATE』と同じで内輪向けなんでしょう。ファン以外はお歯も当てないような内容です。

 メカや政治状況への稠密性への執着は、それを裏返せば理解しやすいでしょう。あの物語からメカと政治状況を抜いたらどうなるか。なにも残りません。『トータル・イクリプス』からロボットを抜いて、例えば、耐寒靴の開発物語まで原始化するとどうですかね。「意識の高い」開発者同士がぶつかり合うだけの話です。その喧嘩を延々と引っ張ってもね。黒沢の『天国と地獄』で、三船敏郎がナショナルシューズの靴のデザインで怒りまくるだけの話ではないですかね。ドラマは全然高まらない。政治状況云々にしても、冷戦時代に知っている国を並べる程度であって、人物描写と同じであまりにタイピシャルに過ぎます。

 登場人物が、安易に類型的につくっていてどうしようもない。典型的なのがソ連人のイメージです。ソ連が残っている点を面に出しますが、全員が官僚的、あるいは非人道的で、冷たい人物描写ってなんでしょうね。冷戦期でも、今でも、ソ連人、あるいはロシア人がミステリアスである部分はそこではありません。素朴で、適当で、利益にも人情にも人間臭い連中が、急に態度が変化するところがミステリアスと言われていたわけです。
 他にも、表と裏の使い分け、賄賂や闇経済、言い方を変えれば生きる知恵、助け合いの構造といったものも、ソ連イメージです。それを官僚的・非人道的・冷酷だけに集約するのは、『キン肉マン』のウォーズマンでみるソ連イメージ程度にすぎません。あまりにも皮相的な理解でしょう。
 『トータル・イクリプス』での、登場人物への性格付与は、『I.S』と同じで粗末なものです。各国人に、それぞれの表層的なイメージを付与しただけの粗雑なものです。『キン肉マン』のブロッケンjr、ロビンマスク、テリーマン、ラーメンマンへの初期イメージと変わるところはありません。

 セリフが抽象的であり、説明風が過ぎるところも、酷いものです。口語であるべきセリフで抽象的な漢語を連発するのは何事かと。「97式戦術歩行高等練習機」「殲滅速度を0.7% あげろ」「わがソ連軍の尋問技術は進んでいる」なんて4話のセリフ、誰が考えるんでしょうね。もともと少ない物語への没入感を引き下ろす効果しかない。視聴している物語が、キャラクターが突っ立って説明セリフを読んでいるようにしか聞こえません。物語の中でのリアルな流れは完全に失われます。逆に、あんな珍奇なセリフに喜ぶファンがいるといったあたり、『トータル・イクリプス』が内輪向けに作られた話である証拠でしょう。

 まず1・2話だってたいがいです。基本的に石原慎太郎が監督した特攻隊賛美映画と同じです。やたらキレイ事だけ。敗戦国の映画ドラマ小説なら「その日8月15日」みたいに、もっと深くできるだろうと思うのですけどね。このあたりも戦後70年が近くなった。景気のいい話だけしか見聞きしたがらない、そういう製作者とファンで消費される作品ということなのでしょう。

 『トータル・イクリプス』には積極的に嫌いたい感情が浮いてくるのです。面白くない、ツマラナイようなアニメは見ないだけです。しかし、それ以上の悪感情が生まれるのは、軍隊生活への勝手な思い入れが気持悪いからでしょう。製作者、そしてファンのイメージに合わせ、純化された軍隊像は拒絶したくなるものです。過度にガチガチで固められた組織、ナショナリティの過剰な強調して「リアリティでございます」とするやり方へは、悪感情が生まれます。

 今期、バトル物であれば『だから僕はHができない』『カンピオーネ』と『トータル・イクリプス』があります。『だから僕は』は案外、視聴に耐える。意外とキチンとできている。『カンピオーネ』になると、カン違い度が一気に増える。これが『トータル・イクリプス』になると、耐え難く腹立たしくなる。『カンピニオーニ』は見ないで済ませる。見て小馬鹿にすればいいのだけれども。これが『トータル・イクリプス』は積極的に、嫌いたい心持を表明したくなります。なんであんな話を作ったのかとね。

最新の8話みてもね。細部だけでも「ダッフルバック背負った将校」とか「身内のミーティングなのにスクリーンやマイク使う」とか「お世話になるのに向こうが挨拶に来る、しかも糞忙しい出撃前にトップが来る」とかね。あれ、なんだと思ったよ。そもそも構造事態がアホくさいのだけれども

『トータルイクリプス 死んだら神様』を本気にされると本意ではないので、直截的に書いてみました、ハイ
2012.06
02
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TB:1
12:59
Category : アニメ評
 神保町にある高岡書店はマンガを専門にした本屋である。現今のヲの字は、なんとなく秋葉に行くのだろうが、昔に何となしに行くのは高岡書店だった。どうということもないのだが、高岡では昔からマンガをフライング販売しており、いまでもやっている。ちなみに、雑誌は昔はどこでもやっていたが、今では販売日前に並べているのは十字屋だけになっている。

 結構、東京市内には出ているものだ。週末帰りしなは高岡書店を覗いていく。何を買いたいか極めているわけでもない。とりあえず新刊を眺めて買っていく。今日(6月1日)には渡会けいじさんの『O/A』6巻を発見した。ファンなので当然、購入。

 この歳になっても、好きなマンガを、しかもフライング購入できると嬉しいもの。この『O/A』、物語はラジオ局でアイドルと、声が同じ替玉芸人のストーリーということになっている。まあ、3巻以降は、実際にはラジオで放送することもなく声が同じことは脇にやられている。「ゆたか」と「はるみ」がワイワイやりますねという内容。「伊集院光の深夜放送企画を、キャラクター2人にやらせてみました」みたいな風が強くなったが、非常に面白い作品。

 この6巻には27話「Silent Service」という潜水艦ネタがある。米SSN艦長と副長が深夜ラジオ同時間帯でチャンネル争いする話なのだが。己も軍艦で中波受信ってやっていたことを思い出した。

 練習艦隊実習幹部の時、練習艦通信室でワッチがあるのだが、そこでAM放送聴いていた。アンテナも器材もいいので、ハワイくらいまでは容易に受波できるもの。もちろん通信室で正規のワッチについている海曹はいい顔をしない。

 通信室以外でも私物でBCLラジオを持ち込んでもいた。帰路、ハワイ出港から2日目あたりに、真昼間に旗甲板にでて聴いてみたら、毒蝮三太夫の声が聞こえる。帰ってきたと実感した時だった。居住区で「オイ毒蝮※が聞こえたよ」というと、関東者は喜んだが、それ以外はわからん顔をしていた。

 20年近く前を思い出す「Silent Service」だが、気になるのは、やはり用語。「副艦長」、「艦」の読みを「かん」というあたりが違和感。日本語であれば、「副長」あるいは「先任将校」「先任幹部」かな。「艦」にルビふるなら「ふね」か「ボート」になるのではないか。まず「艦」を「かん」と読むこともない。位相語として「ふね」と読む。※※

 あとは、セイルに窓がついている、ところも気になってしまう。艦橋との相似なので、中に部屋があるという感覚なのだろう。ロシアや中国の潜水艦には窓がついているが、西側にはない。あれはただの鉄塔で、梯子が通っているだけだ。中波で100kwあれば、露頂しないでも聞けるんじゃないの※※※とか、26話最後での予告「水深1000m」とかもね。ソーナーマンが将校で、帽子にカレーライス載っているところもそうか。

 もちろん、用語その他はどうでもいい部分で、物語そのものの面白さは阻害されない。想定読者層には充分物語の中でのリアリティは担保されている。ただ、そういう商売に関わる人には、気になってしまうもの。「Silent Service」では、宇多丸さんがよく言及される「リアリティ・レベル」での問題を感じてしまい、物語への没入感をそがれてしまった己が残念であった。



※ 「東食ミュージックプレゼント」(当時)、「大沢悠里の悠々ワイド」(TBSラジオ)内で10時半から約30分間放送される生中継。そのころは「蝮ちゃん」という呼び掛けはなかったと思う

※※ もちろん「艦」の読みは「かん」しかない。しかし、公文書でも「艦」一文字を「かん」と読ませないために工夫している。「艦」一文字が孤立することはまずない。そう読まないでいいように「艦艇」とか「自艦」とか「殿艦」みたいに書いてある。これは習慣、不文律だろう。

※※※ 中波は海中でも、極浅い深度であれば聞けるらしい。
2012.04
07
CM:1
TB:0
13:00
Category : アニメ評
 岩波ホールで『劇場版ストライクウィッチーズ 音速雷撃隊 ノーカット版』を観てきました。

 初回公開版ではオミットされた「本当は月に行くため」「キチガイだ」が原作通りになったノーカット版です。世評でも、予告編でも断片的に流された、芳佳がロケットを一気に全点火していくカット以降が賞賛、あるいは批判されております。しかし、初回公開版ではハサミが入れられた、男を買うエピソード復活も評価すべきでしょう。坂本少佐が帯同していた情夫をみんなに宛てがうエピソードですが、なんとも素晴らしい。

 第一回攻撃の失敗後、坂本少佐は、情夫を幼い部下に宛てがいます。TV版と同様に、坂本少佐は情夫である圭助を従兵に仕立てて戦地も連れて歩いています。それを男を知らない、幼い部下たちを気の毒がって抱かせます。抱かせることによって「生き抜けばいいことがある」と動機づける、中盤での山場のシーンです。

 話や筋ならエロですが、肝心のいくつかのカットには声だけです。演出としては、その場のカットを描くよりも声だけにとどめた点は評価すべきでしょう。絵を入れると、原作者である伊藤桂一が描きたかったものから離れてしまい、あるいは成年指定も絡んでしまう。BD版に期待するか、あるいは薄いマンガで補間するかといったあたりです。

 なによりも、シャーロットですね。男を抱く前に、シャーロットはが芳佳に自慢気に話します。「あたしはもう男を知っている」「あんなもんは何遍やったておんなじさ」「ものすごくつまらないもんだよ」と強がります。しかし、慰安所「第二ふさう楼」を開く、その直前に戦闘が始まる。そして、一躍、飛び上がったシャーロットが還ってこない…

 お弔いのあと後、みんなは順番に男を抱きます。順番待ちでそわそわする子、終わってニヤニヤしながら出てくる子、色々います。その中で、一番最初に男を抱いた芳佳が泣いている。

 坂本が「そんなに痛かったのか?」と訪ねますが、芳佳の鳴き声は大きくなるばかり。ようやく「シャーロットのことです」と。「『男を知っているのは私だけ』だと」「でも、◯◯◯は、そうなっていませんでした」「シャーロットはみんなを楽しませようと下手な芝居で」と小さく、声も切れ切れに訴えるのですが、最後に「あの子は何も知らずに死んじまった」と慟哭するのです。

 その後の、出撃前の宴会、無礼講。坂本は「シャーロットは幾つか、16だ、フランチェスカもまだ12だった、わずか20年も生きられなかった、悲しい弔いでは寂しすぎる」からの大宴会。

 そして、突然の爆撃。「偵察機が駄賃で落としていった」「100ポンドの取るに足らない爆弾」と宴会は続きますが、弾着地には、乗用車に燃料搭載していた圭助がいた。

 翌日の攻撃前、白服が汚れるのも厭わず、黒焦げの燃え残りを抱きかかえる坂本。「なんですがそのケシズミ」と芳佳が尋ねると「圭助だよ」「しばらく一人にしてくれ」と答える坂本。その表情は、喜怒哀楽何れでもなく、彫像のように感情が残っていない。

 TV版や予告編では、坂本少佐の行動にはやや突飛なものがありました。脚の短い紫電改でありながら、増槽を落としてからも帰らない。これは、普段の「生き抜け」「プロペラが回る間は何があっても飛べ」「プロペラが止まったら手で掻いても飛べ」と指導する坂本のポリシーと異なるからです。

 しかし、ケシズミを抱く坂本のカットが挿入されることにより、物語としてのリアリティは破綻なく処理されたと云うべきでしょう。坂本には帰るところがなくなったのです。その行動も、復讐のためではなく、芳佳と搭乗機を守るため、音速を超えること、そしていつか月に行くことを望んだシャーロット最後の「作品」を飛ばすためであることが明らかになっています。

 劇場版は、TV版で描ききれなかった部分、心情が明確になっており、素晴らしい作品に仕上がったと言えるでしょう。物語としてのリアリティで残念だった部分も、綺麗に詰められています。エロのシーンはありませんが、それはBD版を楽しみとして、いま見ておくべきでしょう。



 ま、欝展開ばかりでもないのですよ。男を抱くシーンでも、坂本の「このなかで、処女のものは挙手」で、アンナ・フェラーラが手を上げる。「なんだお前もか」で「いえ、自分はみんなが手を挙げたので、何かと…」とかね。「怖がることはない、親父さんの◯◯◯見たことあるだろ」で「自分の親爺は90でして、その、もう」は笑えるところです。

 初回公開版である『ストライクウィッチーズ 音速雷撃隊』で改悪された部分が全部復元した感じですね。意図的に抜かれた「いつかは月に行く」「味方もキチガイだ」を元に戻し、同じように製作総指揮による「非実在であっても許されない」とハサミが入った部分「第二ふさう楼」も原作通りとなりました。政治的なバイアスが取り払われたところで、原作(伊藤桂一『ストライクウィッチーズ 悲しき戦記』収録)の物語が本来の輝きを取り戻したところでしょうか。

 岩波ホールは骨太の作品が好きですからね。次回作『オレンジと太陽』も楽しみなものです。1970年代まで秘されたまま続いた、オーストラリアへの児童移民に光を当てる作品です。やはり見なければならないでしょう。

参考 岡本喜八監督『血と砂』(東宝、1965年)





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2011.11
25
CM:0
TB:0
01:55
Category : アニメ評
 アニメ『アイドルマスター』第21話「まるで花が散るように」について感想ですが、ネタバレを含みますので注意してください。



 アイマス、響エピソードも神回でした。原作では洲崎パラダイスにあり、3月10日に空襲で焼かれた七六五楼が、吉原遊郭に移り、被災を5月25日に先延ばした理由が明らかになったといえるでしょう。予告編で示された響の情人の戦死から、いわゆる鬱展開であると覚悟したのですが、そうにはなりませんでした。

 戦争が終わったら借金を肩代わりして響を身請けする。そう響と誓った厚生官僚が沖縄県庁に転勤する。そこから物語は始まります。響の良人は沖縄を救うため、地方長官の引き抜きに喜んで応じて沖縄に向かうのです。すでに比島は陥落しています。次が沖縄であることは明らかでした。「ヤマトの人間がウチナーのために死ぬことはない」「一緒に逃げよう」と駆落を願う響に、持って行っても役に立たないだろうと、貯金通帳と印鑑を響に預ける男。
 そして、沖縄戦が始まります。士官級の客から寝物語に聞いた沖縄の戦況は、報道とは異なり絶望的でした。そして、頼まれたという内務省の同期から、男が知事と共に戦死したと知らされます。沖縄の戦況を心配されても、気丈に口癖の「なんくるないさ」を連発していた我那覇響は、作中で初めて慟哭します。

 物語がここで終われば鬱展開だったのでしょう。
 しかし、Bパートから展開も変わります。沖縄失陥後、故郷を喪った沖縄徴兵者達が、沖縄第一の芸者であった響のもとに集まり出します。男を喪った響は、客も取らずに見世前で三線を弾きます。東洋一とまで言われた芸妓、竜宮小町を擁する七六五楼の名妓である響が、路上で三線を引く。そこに行く先も持たない、金もない沖縄徴兵者が集まりだします。
 響は芸者です。路上での演奏や、手踊は鑑札違いの御法度です。でも、響の情婦の戦死や、沖縄の事情を知る皆は何も言えません。
 我那覇響は故郷喪失者のアイドルになったのです。外出日や上陸日には、東京はおろか横須賀からも兵隊や職工が集まります。海没と救助により東京に仮置きされた若い陸兵や、40を超えて徴兵され、第二艦隊で生き残った海軍老年兵、国民徴用令で造船所で働く職工たち。僅かな合成酒と干物を分け合う野外劇ですが、響が生育った那覇の辻町遊郭での遊びを見で、そしてその歌を聞いて皆が涙するのです。

 そしてある日、若い陸兵が、熨斗の効いた空中勤務者の姿で七六五楼に来る。「東京も楽しかったです。でも、明後日には沖縄に帰ります」と皆に挨拶します。すでに沖縄戦も終盤です。誰もが無言の中で兵隊は「響さまは自分の阿媽観音さまでありました」と別れを告げます。それを聞いた響は他の兵隊に今日は終わりだと告げて、久々に年下の兵隊を客に取ります。

 事情を知った竜宮小町のあずさから、馴染みの重臣※が来た時だけ使う特別室を譲られる二人。いつもは格式や支払いに口うるさい遣手の小鳥と律子も何も言わない。半ば闇社会に生きる女衒のプロデューサーPも蛇の道は蛇と闇の酒と御馳走を準備する。

 明かりが消えたあとで、本当は死にたくないと泣きじゃくる兵隊。どんなことをしても生きて帰って来いと、捕虜になっても死ぬなとたしなめる響。そして生きていればこんなにいいことがあるよと体で慰めます。

 翌日は生憎の小糠雨。響は七六五楼と大書した番傘を兵隊に差し渡します。巡邏していた憲兵曹長が傘を差す兵隊を大喝し、殴りとばそうとしますが、それを響が唐手で突き飛ばす。「兵隊さんは明日、飛行機で沖縄に帰るんです、ヤマトには、東京にはもう二度と来られないから最後に遊んでいったのです」というと、曹長も「そうか、頑張れ」と標準語で励ましたあとで、そのまま沖縄の島言葉で、おそらく曹長の本音であろう言葉を一言二言…あとは、EDのとおりです。

 永井荷風原作『アイドルマスター 日陰に咲く花』にはないエピソードで、左右両方から叩かれた回ですが、脚本を書いた野坂昭如の面目躍如と言えるでしょうね。
 今期『アイマス』はオリジナル回も素晴らしい物ばかりです。
 やよい回「大好きなもの、大切なもの」では、山本薩夫が高槻家に東京の貧民生活を描き、独占資本家に生まれた伊織との対比で戦前日本資本主義の格差を印象づけました。
 五木寛之脚本の雪歩回も、学徒出陣で戦死した異母兄への追憶、陽の目を見なかった兄との小さな命といったエピソードを挿入し、客を取っても体を許さない雪歩の「男嫌いか穴なしか」を上手に処理しています。いや、雪歩回は、キレイ事を並べた『ドリームクラブ 嬢王物語』での「ピュアな純愛」よりもよほど「純愛」ですねえ。

 なんにしてもアイマスは最終話まであと五話ですが、なかなか眼が離せません。オススメです



※ 「戦時下に自家用車を使った花柳界通い」ですので、風流で知られ、エノコ・ヌレマラと綽名された重臣(本名を秘す)がモデルなんでしょうね。
2010.08
07
CM:1
TB:0
00:17
Category : アニメ評
 いやね、映画版『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト 拝啓大公殿下様』を観てね、また『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』熱がぶり返して、TV版の録画分を第1話から12話まで見返しちゃったよ。
 やっぱり、第12話『蒼穹ニ響ケ』だね。昭和40年の芸術祭参加作品に選ばれただけのことはある。

 物語最終盤、戦車の上に立ち上がってアメイジング・グレースを吹いたカナタが吹き飛ばされるところからが圧巻ですね。重機の連射によって引きちぎられたカナタの上半身が、ラッパを握ったままの体がフィリシアの足許に落ちるところからがクライマックスでしょう。

 戦闘の恐怖から心神喪失状態であったフィリシアの眼つきが怯懦から凶気に変わり、ローマ軍から飛び出してきた一人のローマ兵に憎しみの視線が向けられます。
 「カメラード」と叫びながら、笑いながら走ってくるローマ兵アーイシャ…砦でかつて肌を合わせたこともある百合の中になった恋人、アーイシャをそれと知っていながらも、敵として憎しみのまなざしを向けるフィリシア。自動拳銃にストックを取り付け、全自動で狙い蜂の巣にする。アーイシャの手にはヘルベチア語で書かれた『昨日停戦になりました、戦いは終わりです』というビラ…。

 そして、ローマ軍から飛来した一発の弾丸でフィリシアも倒れる。

 直後、停戦命令を伝えるラッパと、クラウス少佐のサイドカーに乗った大公姫リカが到着するのですが、間に合わないのです。リカに対して「みんな死んじゃったよ」というユミナ。

 うーん、やはり、戦中派が作った作品だけのことはありますね。原作のParadoresも、神戸守監督も、脚本の吉野弘幸も学徒動員世代です。最近の戦争をしらない世代の作品とは違って、戦争の実相、リアルを作品に反映できたのは、彼らの大陸やフィリピン、シベリア抑留の経験に基づくものなのでしょうねえ。

  ああ、夏コミのあとがきが完成しましたので、抄訳をちょっとということです