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- » 2023 . 10
Category : コミケ

上が、メインの『瀛報』です。左下が最新号、その右が13年夏号という順番に並べています。
・『中国との戦争はどのようになるか?-将来の対中戦』(13冬)
・『中国は第二列島線に進出できるか?』(13夏)
・『いずれ行き詰まるLCS』(12冬)
・『長江鉄道橋-中国戦争経済の殺所』(12夏)
・『対日攻勢機雷戦』(11冬)
・『掃討しかない』(11夏)
瀛報で「ようほう」と振ってます。国立国会の『日本環瀛水路誌』で昔「かんよう」って振ってた(いまは「かんえい」とふりなおしてある)ので、「よう」だと思ってました。いまさら改める気もないし、どうせ普通の人が一生使う文字でもないので「ようほう」で構わないんじゃないかと。
『瀛報』は、神保町の書泉グランデに委託しておりますので、ご覧の上に購入頂けるとありがたいです。遠隔地の方には、通販対応します。コミケ直販で599円です。通販時の価格は、送料込みで書泉さんの値段と按配式します。委託よりも安くするのは商道徳上どうよと思いますので。

こちらは、非委託の本誌と、毎回出すようにしているパンフ類です。国後島云々は、北方領土は対日戦を行う根拠地となりえないという中身です。パンフ類は、だいたい1回もっていってなくなる程度ですが、下の3つは評判がいいので正月2日に増刷しました。
B5の北方領土本がコミケ直販で499円、A5のノックス・リアンダー本が299円、A6のパンフが199円です。こちらは委託していませんので、通販のみになります。切り上げて500、300、200円と送料手数料(まあ300円でしょう)ですかね。
支払手段は、前は定額小為替でしたが、最近使いにくくなったので別の方法もOKです。とりあえずはアマゾンギフト(手数料なしで使えます)と、ヤフオク出品-落札ですかねえ。希望される方は、q_montagne@pop02.odn.ne.jpまで。
あと、写真は深夜にGRD3で撮ったんで、アンダーがすぎるんで、今日明日の昼間にでも差し替えます
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Category : コミケ
コミケ会場ではありがとうございました。
コミケ明けると、虚脱状態になるものです。でも頒布数チェックとサークル勘定と私金勘定は当日中にならないといけない。それをやって、虚脱した後にシャワー浴びたとこです。
で、今回は2つほどお詫びをさせてください
1つ目は、値札の書き間違えです。潜水艦襲撃圏の値札を299円にしてしまいました。11時15分ころには気づいたので、正しい値段の199円に戻しました。その間に買った方はゴメンナサイでした。次回お見えになったときには、申し出いただければ何かつけようか考えております。
2つ目は、本誌の方の潜水艦襲撃圏の誤りです。製本後に間違った作図をしてしまったので、今回頒布分には訂正図を付しております。もし、訂正図の差し込み忘れがあるといけませんので、念のためにJPGですがこちらにアップしておきます。

…よく読むと「てにをは」がオカシイですね。まえがき本文あとがきは他人に校正を頼んだのですが、キャプションはやりませんでした。これもゴメンナサイですね
このたぐいの図面をLLSuA、日本語だとなんというかわかりませんが、潜水艦襲撃圏と仮置きしました。LLSuAの概念からいろいろ思いついて作ったのが、件の折り本です。

写真右側です。
ちなみに、本誌については、最近のものを神保町の書泉グランデさんに委託をお願いしております。遠隔地の方や、本誌以外の折り本については、通販対応します。支払い方法も定額小為替がアレになったので、アマゾンギフト券で対応した実績もあります。ヤフオクを介する方法も、できないことはないと思います。よろしければどうぞ。
コミケ明けると、虚脱状態になるものです。でも頒布数チェックとサークル勘定と私金勘定は当日中にならないといけない。それをやって、虚脱した後にシャワー浴びたとこです。
で、今回は2つほどお詫びをさせてください
1つ目は、値札の書き間違えです。潜水艦襲撃圏の値札を299円にしてしまいました。11時15分ころには気づいたので、正しい値段の199円に戻しました。その間に買った方はゴメンナサイでした。次回お見えになったときには、申し出いただければ何かつけようか考えております。
2つ目は、本誌の方の潜水艦襲撃圏の誤りです。製本後に間違った作図をしてしまったので、今回頒布分には訂正図を付しております。もし、訂正図の差し込み忘れがあるといけませんので、念のためにJPGですがこちらにアップしておきます。

…よく読むと「てにをは」がオカシイですね。まえがき本文あとがきは他人に校正を頼んだのですが、キャプションはやりませんでした。これもゴメンナサイですね
このたぐいの図面をLLSuA、日本語だとなんというかわかりませんが、潜水艦襲撃圏と仮置きしました。LLSuAの概念からいろいろ思いついて作ったのが、件の折り本です。

写真右側です。
ちなみに、本誌については、最近のものを神保町の書泉グランデさんに委託をお願いしております。遠隔地の方や、本誌以外の折り本については、通販対応します。支払い方法も定額小為替がアレになったので、アマゾンギフト券で対応した実績もあります。ヤフオクを介する方法も、できないことはないと思います。よろしければどうぞ。
Category : コミケ
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宇多丸が実写版で喝破したとおりです。デザインをリファインさせると、ヤマトが古臭く見えてしまうというジレンマがあります。
『2199』を見ても、ヤマトそのものに古臭さが目立ちます。時代のせいか、ヤマトは円筒形の船体にデザインされている。上甲板を上部1/3 あたりに設定して兵装を集めたため、船体は下ぶくれして大航海時代の帆船のタンブルに見えてしまう。船体後尾末端にある尾翼部分も時代を感じるデザインになっている。トップにある艦長室、第一砲塔の前と船体側面の謎の膨らみもそうです。 そのあたりはリファインできません。リファインしてしまったら、ヤマトはヤマトでなくなる。20 年前のシド・ミードのアレとか、よくて大ヤマトになるので、できない話でしょう。
しかし『2199』のクレジット・タイトルに松本零士が記されていないのは怪訝です。ヤマトを始め、地球- ガミラスの艦艇も航空機もオリジナル・デザインは松本零士です。内装の計器類は松本メーターになっています。松本零士と無関係とは到底言えません。訴訟の関係にせよ、徹頭徹尾名を秘すのはあまりに不自然です。
松本零士の名前があれば、七色星団の戦いももっと面白くできたでしょう。ザルツの工作員を削岩弾に載せて、それをガルントに載せれば、あの傑作ができます。既にガミラスには物資がない。ガルントも、供出された鍋や釜を溶かして、女子供が作った機体。しかも操縦も全部老兵で、重い削岩弾を積んでいるのでエンジンが息をつく始末。急降下爆撃隊の攻撃に隠れて「イオン乱流に沿って飛べ」と言いながら接近するガルントですが、直掩機の山本に補足され攻撃を受ける。削岩弾のザルツ兵は「もういい、早く切り離して身軽になってくれ」と繰り返しまずが、機長のバレンは「まだまだ飛べるぜよ」と笑いながら答える止めだと叫びながら接近する山本機に、バレンが南無三と漏らした瞬間、出撃前にザルツ兵と喧嘩したゲットー機が体当たりします。関係修復? ノラン伍長と一緒に酒でも飲ませて肩組んだカット入れとけばいいですよ。
もちろん『2199』は、楽しみに見ています。映画館で見せてBD で売ってからテレビ放映する手練手管はよく考えたものです。逆をやるよりも、ヨリ大きな満足感を与えて、しかもお金もとれる。当節、最高のリバイバルでしょう。
ヤマトだけでもないですが、当節はリバイバルの類ばかりになりました。今年に入ってからは『這いよれ』、『はがない』と2 期続きですが、まあ酷いものです。いずれも何の新味も出せない。特に『はがない』は、必要性があるのかないのかのキャラを多数追加して終わり。もともと原作信者を満足させるためのアニメだから、そんなものでしょう。夏コミのカタログにも全然カットはありません。人気は推して知るべしです。
2 期で気を吐いたのは『俺妹』だけでした。基軸であった「兄- 妹」から離れましたが、視聴を楽しみにするものでした。黒猫の未来日記で「京介と別れる」と書いてあるところでは、いい歳こいてどうなるのかと。久々に「大切なモノが壊れてしまう」というスリルを与える展開でした。
黒猫ファンでもありませんが、8 話「俺が後輩とひと夏の思い出を作るわけがない」はやられました。イイコトが寸止めの話ですが、脳内では苦界の話に変わりました。貧しさのため、妹のために松戸に身売りが決まった黒猫が、売られる前に京介とイイコトをしようとしたが果たせない。そして玄人になり、堅気の学生さんに迷惑をかけてはならぬと「先輩と別れる」と一方的に通知する話です。しかも、その姉の気持も知らず自暴自棄になり、ドロップアウトをして青線に出入りするヒナタが、あの時代の雰囲気を活写するのです。もちろん二人とも儚くなって、一人残ったタマキを京介と桐乃が引き取る展開です。
最初は『プラズマ・イリア』の話でもしようかと思ったのです。『プリティ・サミー』との相似性、『CCさくら』との関係とか、『ナデシコ』からスピンオフした『ゲキガンガー』との関係ですかね。でも、比較しても面白く無いのでやめて、例によって書いていたら脳汁が出てきた『2199』と『俺妹』になったというわけです。
『風立ちぬ』でも良かったのですけどね。96艦戦で音速突破した話もそうですが、堀越さんが試作烈風の胴体内で戦ったシーンでの「どうだ自分の作ったヒコーキの乗り心地は」「あんまりよくない」「じゃあもっといいのを作れ」「分かった」とかねえ。アノあたりは最高でした。
こないだコミケで売った『瀛報』2013年夏号のあとがきです。ヤマトもTV放送が七色星団の戦いに追いついたみたいですし、俺妹もラスト3話が公開されたので、時期的に公開するのは今頃かと。
まあ、あれだ、地味子があと一日待っとけばよかったんじゃないかなと。
『2199』を見ても、ヤマトそのものに古臭さが目立ちます。時代のせいか、ヤマトは円筒形の船体にデザインされている。上甲板を上部1/3 あたりに設定して兵装を集めたため、船体は下ぶくれして大航海時代の帆船のタンブルに見えてしまう。船体後尾末端にある尾翼部分も時代を感じるデザインになっている。トップにある艦長室、第一砲塔の前と船体側面の謎の膨らみもそうです。 そのあたりはリファインできません。リファインしてしまったら、ヤマトはヤマトでなくなる。20 年前のシド・ミードのアレとか、よくて大ヤマトになるので、できない話でしょう。
しかし『2199』のクレジット・タイトルに松本零士が記されていないのは怪訝です。ヤマトを始め、地球- ガミラスの艦艇も航空機もオリジナル・デザインは松本零士です。内装の計器類は松本メーターになっています。松本零士と無関係とは到底言えません。訴訟の関係にせよ、徹頭徹尾名を秘すのはあまりに不自然です。
松本零士の名前があれば、七色星団の戦いももっと面白くできたでしょう。ザルツの工作員を削岩弾に載せて、それをガルントに載せれば、あの傑作ができます。既にガミラスには物資がない。ガルントも、供出された鍋や釜を溶かして、女子供が作った機体。しかも操縦も全部老兵で、重い削岩弾を積んでいるのでエンジンが息をつく始末。急降下爆撃隊の攻撃に隠れて「イオン乱流に沿って飛べ」と言いながら接近するガルントですが、直掩機の山本に補足され攻撃を受ける。削岩弾のザルツ兵は「もういい、早く切り離して身軽になってくれ」と繰り返しまずが、機長のバレンは「まだまだ飛べるぜよ」と笑いながら答える止めだと叫びながら接近する山本機に、バレンが南無三と漏らした瞬間、出撃前にザルツ兵と喧嘩したゲットー機が体当たりします。関係修復? ノラン伍長と一緒に酒でも飲ませて肩組んだカット入れとけばいいですよ。
もちろん『2199』は、楽しみに見ています。映画館で見せてBD で売ってからテレビ放映する手練手管はよく考えたものです。逆をやるよりも、ヨリ大きな満足感を与えて、しかもお金もとれる。当節、最高のリバイバルでしょう。
ヤマトだけでもないですが、当節はリバイバルの類ばかりになりました。今年に入ってからは『這いよれ』、『はがない』と2 期続きですが、まあ酷いものです。いずれも何の新味も出せない。特に『はがない』は、必要性があるのかないのかのキャラを多数追加して終わり。もともと原作信者を満足させるためのアニメだから、そんなものでしょう。夏コミのカタログにも全然カットはありません。人気は推して知るべしです。
2 期で気を吐いたのは『俺妹』だけでした。基軸であった「兄- 妹」から離れましたが、視聴を楽しみにするものでした。黒猫の未来日記で「京介と別れる」と書いてあるところでは、いい歳こいてどうなるのかと。久々に「大切なモノが壊れてしまう」というスリルを与える展開でした。
黒猫ファンでもありませんが、8 話「俺が後輩とひと夏の思い出を作るわけがない」はやられました。イイコトが寸止めの話ですが、脳内では苦界の話に変わりました。貧しさのため、妹のために松戸に身売りが決まった黒猫が、売られる前に京介とイイコトをしようとしたが果たせない。そして玄人になり、堅気の学生さんに迷惑をかけてはならぬと「先輩と別れる」と一方的に通知する話です。しかも、その姉の気持も知らず自暴自棄になり、ドロップアウトをして青線に出入りするヒナタが、あの時代の雰囲気を活写するのです。もちろん二人とも儚くなって、一人残ったタマキを京介と桐乃が引き取る展開です。
最初は『プラズマ・イリア』の話でもしようかと思ったのです。『プリティ・サミー』との相似性、『CCさくら』との関係とか、『ナデシコ』からスピンオフした『ゲキガンガー』との関係ですかね。でも、比較しても面白く無いのでやめて、例によって書いていたら脳汁が出てきた『2199』と『俺妹』になったというわけです。
『風立ちぬ』でも良かったのですけどね。96艦戦で音速突破した話もそうですが、堀越さんが試作烈風の胴体内で戦ったシーンでの「どうだ自分の作ったヒコーキの乗り心地は」「あんまりよくない」「じゃあもっといいのを作れ」「分かった」とかねえ。アノあたりは最高でした。
こないだコミケで売った『瀛報』2013年夏号のあとがきです。ヤマトもTV放送が七色星団の戦いに追いついたみたいですし、俺妹もラスト3話が公開されたので、時期的に公開するのは今頃かと。
まあ、あれだ、地味子があと一日待っとけばよかったんじゃないかなと。
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昨日、有明まで来ていただいて、どうもありがとうございました。連荘、三連荘で3日目に行く方はお疲れさまです。
アレほどクソ暑いのは、晴海以来なかったことです。20年くらいまえの、新館2階への行列並みの暑さでした。まあ、2-3年前の夏も、人が集まりすぎて暑くて、ぶつかる他人の汗でヌルヌルしたものですが、椅子に座っていても耐え難く茫とするのは晴海以来のことでした。
なんにしても、コミケ前に時間を作れたので新刊4種は作りすぎましたね。本誌とUSMが集中して作れたのですが、リアンダーと神棚本はどっちかに集中すればよかったと思います。ただねえ、寸前は精神的にオカしくなっているので、そのあたりの判断ができないのがアレですけど。
とりあえず、次は本土決戦用飛行場の本でも作ろうかと思います。とはいえ、半年も先の話なんかわかったものでもないのですけど。
アレほどクソ暑いのは、晴海以来なかったことです。20年くらいまえの、新館2階への行列並みの暑さでした。まあ、2-3年前の夏も、人が集まりすぎて暑くて、ぶつかる他人の汗でヌルヌルしたものですが、椅子に座っていても耐え難く茫とするのは晴海以来のことでした。
なんにしても、コミケ前に時間を作れたので新刊4種は作りすぎましたね。本誌とUSMが集中して作れたのですが、リアンダーと神棚本はどっちかに集中すればよかったと思います。ただねえ、寸前は精神的にオカしくなっているので、そのあたりの判断ができないのがアレですけど。
とりあえず、次は本土決戦用飛行場の本でも作ろうかと思います。とはいえ、半年も先の話なんかわかったものでもないのですけど。
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仮題『中国海軍は第二列島線に進出できない』
・ 海軍予算にある限界(コスト単価と海軍予算増額の限界)
・ 海軍力増強のパラドックス(建艦競争、軍事協調、経済的孤立)
みたいな内容です。表紙ほかはできていて、推敲の段階なんですけどね。
で、その中身



中国国防費中での中国海軍への傾斜配分についての説明部分の別表です。予算配分額は公表されていないのと、年度ごとで連続で推計していないから、ミリタリーバランスで人員と装備からこういう傾向にあるよということです。戦車と艦艇と戦闘機をならべたのは、表象としてであって、別になんでもいいのですけれども。
こんな感じで、中国は海に重点配分しているわけです。
しかし、その中国から海での挑戦を受けている日本が、陸海空配分比が硬直しているようじゃダメですね。どうでもいい戦車や野砲よりも、海軍力に金ブッこまないと海軍力でのアドバンテージを維持できないのですけどねえ。
・ 海軍予算にある限界(コスト単価と海軍予算増額の限界)
・ 海軍力増強のパラドックス(建艦競争、軍事協調、経済的孤立)
みたいな内容です。表紙ほかはできていて、推敲の段階なんですけどね。
で、その中身



中国国防費中での中国海軍への傾斜配分についての説明部分の別表です。予算配分額は公表されていないのと、年度ごとで連続で推計していないから、ミリタリーバランスで人員と装備からこういう傾向にあるよということです。戦車と艦艇と戦闘機をならべたのは、表象としてであって、別になんでもいいのですけれども。
こんな感じで、中国は海に重点配分しているわけです。
しかし、その中国から海での挑戦を受けている日本が、陸海空配分比が硬直しているようじゃダメですね。どうでもいい戦車や野砲よりも、海軍力に金ブッこまないと海軍力でのアドバンテージを維持できないのですけどねえ。
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書評で見つけた"The rise of China vs. The Logic of Strategy"だけれども、夏コミの主張にかぶる部分があるので、日曜日に頑張って読み終わった途端に、訳書がでるというのは腹立たしいものです。
まあ、中国が軍事力を増強すると、中国はそれ以上の軍事力増強が難しくなるという話。中国が強くなると、対中国同盟ができて、政治経済的な嫌がらせが始まり、中国経済の足を引っ張り、中国国防費を減らすことになるって構造があるよって話なんですけどね。
7月22日にルトバック著、奥山真司さん訳の 『自滅する中国: なぜ世界帝国になれないのか』として芙蓉書房出版から訳書が出るそうです。どこに怒りをぶつけてよいやらですが、オリジナルが悪文かつ、安易な単語を使っていないので、読みたいなら訳書の方をオススメです。
まあ、中国が軍事力を増強すると、中国はそれ以上の軍事力増強が難しくなるという話。中国が強くなると、対中国同盟ができて、政治経済的な嫌がらせが始まり、中国経済の足を引っ張り、中国国防費を減らすことになるって構造があるよって話なんですけどね。
7月22日にルトバック著、奥山真司さん訳の 『自滅する中国: なぜ世界帝国になれないのか』として芙蓉書房出版から訳書が出るそうです。どこに怒りをぶつけてよいやらですが、オリジナルが悪文かつ、安易な単語を使っていないので、読みたいなら訳書の方をオススメです。
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実写映画版島耕作、例の『原発・CIA・島耕作』の話でもしようかと思ったのですよ。
まあ『社長島耕作』『経団連会長 島耕作』から『政商島耕作』『フィクサー島耕作』と黒幕としも登りつめた。ようやくネタ切れかと思ったら、新しいシリーズですからね。米公文書公開で、島耕作情報がリリースされてCIAとの繋がりっていうのも面白い話でした。
島耕作って、いままではイザとなったら下半身でなんでも乗り切るスーパーマンってイメージがあったのですがね。個別のエピソードなんかでも、フィリピンだかビルマだかで有力者のハーレムを一回で満足させる「十五対一 比島の死闘」とか、あれが島耕作の実像ってイメージがあったのですけどね…まあ、モーニング本誌の連載で原発話やったというから、図書館行って閲覧してきたんだけれどもねえ。
でも、なに書こうとしても、3.11の以降に起きたことの前では力を失うわけですね。中でもリアリストの皆様の振る舞いがね。リアリズムってなんなのでしょうね。現実に原発が暴走し、放射能を撒き散らしている。その姿を眼の当たりにしながらも、リアリストたちは原発擁護論をブッたわけです。原発事故では「眼の前にあるリアルを無視するリアリズム」の姿があらわになりました。
前提条件である安全神話が崩壊して、従来の原発擁護論・推進論のロジックが倒れたにもかかわらず、いまだに「原発作るべし」なんていう姿はマヌケそのものです。
君子は豹変するものです。前提条件が変わったのです、発言が変わっても差し支えありません。
しかし、なぜかリアリストは方針転換されない方が多い。現実を見ながら崩れた理屈によっているのです。実態は教条主義者です。機械仕掛けの保守派といってもいいです。
「原発推進=リアリズム=保守派」と「反原発=理想主義=革新派」という2項対立から抜け出せない。革新に降ると勘違いして、執着しているだけですね。
ウン、彼らのリアリズムは、現実主義とは程遠いものだったということです。
リアリストが原発を推進したのも、反原発ムーブメントが革新サイドだったために過ぎません。80年代後半、チェルノブイリ以降に力を得た反原発運動は、現場だとかつての空想的平和主義にそっくりだった。それに拒否反応を示した一部保守派は、革新の主張を全否定しようと「原発は経済性が高いとか、安全だ」とか言い出した。それも原発建設サイドが出したお仕着せ資料を、無批判に肯定したものですよ。
そして「これがリアルだ」と言い切った。なんせ清濁合わせ飲むのがリアリズムです。リスクについて思考停止するのは簡単です。効用と副作用の利得を考えないで強い薬を飲んだわけですね。
結局は「原発推進=リアリズム=保守派」と「反原発=理想主義=革新派」って二項対立に自分から嵌り込んでいるだけだったわけです。
そして、原発推進以外の選択肢は「反原発につながる」と、否定してきた。「長期的に自然エネルギーを導入して、将来的に原発を削減する」といったオプションまで「敵」と考えて拒絶を示したわけです。
原発削減でリスクを減らす、平行して自然エネルギーで電力を確保する。それこそ現実主義なんですけれどもね。
…ま、原作マンガ読んだら、思ったよりも自然エネルギー擁護的なんで拍子抜けしたのです。資本主義の手先、島耕作ですから、会社大事に教条的発言するのかと思ったのですけど、キチンと風を読んでいますな。世間様から反感買ったら読者も離れる。だから当たり前なんですけどね。
例の悪フザケを書こうとしましたが、リアル擁護派の方が面白いので困るということです。ハイ
2011年夏コミで出した『掃討しかない-感応機雷と対機雷戦-』の「あとがき」を転載
まあ『社長島耕作』『経団連会長 島耕作』から『政商島耕作』『フィクサー島耕作』と黒幕としも登りつめた。ようやくネタ切れかと思ったら、新しいシリーズですからね。米公文書公開で、島耕作情報がリリースされてCIAとの繋がりっていうのも面白い話でした。
島耕作って、いままではイザとなったら下半身でなんでも乗り切るスーパーマンってイメージがあったのですがね。個別のエピソードなんかでも、フィリピンだかビルマだかで有力者のハーレムを一回で満足させる「十五対一 比島の死闘」とか、あれが島耕作の実像ってイメージがあったのですけどね…まあ、モーニング本誌の連載で原発話やったというから、図書館行って閲覧してきたんだけれどもねえ。
でも、なに書こうとしても、3.11の以降に起きたことの前では力を失うわけですね。中でもリアリストの皆様の振る舞いがね。リアリズムってなんなのでしょうね。現実に原発が暴走し、放射能を撒き散らしている。その姿を眼の当たりにしながらも、リアリストたちは原発擁護論をブッたわけです。原発事故では「眼の前にあるリアルを無視するリアリズム」の姿があらわになりました。
前提条件である安全神話が崩壊して、従来の原発擁護論・推進論のロジックが倒れたにもかかわらず、いまだに「原発作るべし」なんていう姿はマヌケそのものです。
君子は豹変するものです。前提条件が変わったのです、発言が変わっても差し支えありません。
しかし、なぜかリアリストは方針転換されない方が多い。現実を見ながら崩れた理屈によっているのです。実態は教条主義者です。機械仕掛けの保守派といってもいいです。
「原発推進=リアリズム=保守派」と「反原発=理想主義=革新派」という2項対立から抜け出せない。革新に降ると勘違いして、執着しているだけですね。
ウン、彼らのリアリズムは、現実主義とは程遠いものだったということです。
リアリストが原発を推進したのも、反原発ムーブメントが革新サイドだったために過ぎません。80年代後半、チェルノブイリ以降に力を得た反原発運動は、現場だとかつての空想的平和主義にそっくりだった。それに拒否反応を示した一部保守派は、革新の主張を全否定しようと「原発は経済性が高いとか、安全だ」とか言い出した。それも原発建設サイドが出したお仕着せ資料を、無批判に肯定したものですよ。
そして「これがリアルだ」と言い切った。なんせ清濁合わせ飲むのがリアリズムです。リスクについて思考停止するのは簡単です。効用と副作用の利得を考えないで強い薬を飲んだわけですね。
結局は「原発推進=リアリズム=保守派」と「反原発=理想主義=革新派」って二項対立に自分から嵌り込んでいるだけだったわけです。
そして、原発推進以外の選択肢は「反原発につながる」と、否定してきた。「長期的に自然エネルギーを導入して、将来的に原発を削減する」といったオプションまで「敵」と考えて拒絶を示したわけです。
原発削減でリスクを減らす、平行して自然エネルギーで電力を確保する。それこそ現実主義なんですけれどもね。
…ま、原作マンガ読んだら、思ったよりも自然エネルギー擁護的なんで拍子抜けしたのです。資本主義の手先、島耕作ですから、会社大事に教条的発言するのかと思ったのですけど、キチンと風を読んでいますな。世間様から反感買ったら読者も離れる。だから当たり前なんですけどね。
例の悪フザケを書こうとしましたが、リアル擁護派の方が面白いので困るということです。ハイ
2011年夏コミで出した『掃討しかない-感応機雷と対機雷戦-』の「あとがき」を転載
Category : コミケ
「陸自は10万人でイイよ」本、出来ました。
まあ、18万人にも32万5000人にも根拠はなくて、結局、対日援助の交渉と日本向け支援予算の支出期限で決まっただけの数字なんですけどね。ちなみに冷戦期は定数18万、実数15万、今も実数14万です。
陸兵をあと4万減らし10万にして、その分を海空戦力に回せば防衛費の有効活用になるでしょう。1985年の新聞にも「陸自減らして海空増やすのが合理的だけど、陸自制服の抵抗でねえ」(大意)といってます。今の情勢となると、さらに海空の重要性があがってますからね。いくら戦車や大砲が優れていても、まあ10式戦車が優れていても、そんなものに金突っ込んでもしょうがないでしょう。

ストックしていた色紙の関係で、表紙が2種類になりましたが、順調に製本中です。
まあ、18万人にも32万5000人にも根拠はなくて、結局、対日援助の交渉と日本向け支援予算の支出期限で決まっただけの数字なんですけどね。ちなみに冷戦期は定数18万、実数15万、今も実数14万です。
陸兵をあと4万減らし10万にして、その分を海空戦力に回せば防衛費の有効活用になるでしょう。1985年の新聞にも「陸自減らして海空増やすのが合理的だけど、陸自制服の抵抗でねえ」(大意)といってます。今の情勢となると、さらに海空の重要性があがってますからね。いくら戦車や大砲が優れていても、まあ10式戦車が優れていても、そんなものに金突っ込んでもしょうがないでしょう。

ストックしていた色紙の関係で、表紙が2種類になりましたが、順調に製本中です。
Category : コミケ
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2010年冬コミのまえがきで見っけたのですけどね。来年の4月から「俺の妹が」の続きやるとかいうのを聞いたので、まあアップしとこうかと。
今期、白眉とすべきは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』ですね。
物語の構造は「理不尽な妹と、それを手当てする兄」それだけです。妹が困難に行き当たると兄が助けるだけの話です。妹のオタク要素はオマケに過ぎません。単純な物語ですが、なぜか惹きこまれてしまいます。
妹の希望を叶えること自体が物語になるのでしょう。『俺妹』は昔話でよくある『求婚者の無理難題を解決する』話です。兄妹の関係は、擬似的な夫婦・恋愛関係です。物語では、妹はお姫様や女神様といった存在と等価なのです。
物語で兄が妹にコントロールされる仕組みにも不自然はありません。『をなり神の島』や『妹の力』でもあるとおり、妹は兄に対して霊的優位にあります。二重王権システムそうでしょう。高坂兄妹も、実務・世俗を執り仕切る兄(京介)と、文化・精神を支配する妹(桐乃)です。京介は実行力を持ちながらも、桐乃のコントロール下にあることには何の不思議もありません。
ただ、TVシリーズの後半失速は残念でした。失速の原因は、カタルシスを最初の段階で使いきったことにあります。京介に課せられた最初の試練、父との対決は、実は本作最大の試練です。最大の試練ですから、本来であれば最後に持って来るべきでした。あとは詰め込みすぎです。全13話に原作を機械的に詰め込んだのは誤りです。シリーズ構成もそうですが、無条件に「萌え」を全肯定するエピソードだけ選んだ点にも、少々鼻白みたくなるものがあります。本来であれば、原作者が最終巻で提示したもうひとつのテーマ「『萌え』の裏側にあるもの」。それを真正面から向合う話もTV放映すべきだったでしょう。
その点、BD/DVDに収録されたアフターストーリーは、原作者の問いを描ききったものであるといえます。前編『ああっ妹狩峠』、後編『太陽を盗んだオタク』は、ともに「萌え」の裏側を曝く筋立てとなっています。中高生の時期、消費者として「萌え」に接した主人公達が5年後に生産者として「萌え」と正面から向きあうのです。
前編『ああっ妹狩峠』(山本薩夫監督)は、原作者によるルポルタージュ『アニメ絶望工場』を俺妹キャラにアレンジしたものです。舞台は原作の5年後、アニメ・ゲーム専門学校を卒業し、シスカリプス社に就職した桐乃(動画)、黒猫(動画)、沙織(プログラマー)、あやせ(声優)たち。その彼女たちが「やりがいの搾取」により、過重労働に倒れていく姿を描く社会派作品です。
原作、伏見つかさの参与観察がすでに秀逸なのです。平成の日本資本主義を支えた萌産業、その裏にある労働搾取。華やかな平成"Cool Japan"はアニメ・ゲーム産業労働者の屍の上に築かれていることをあきらかにしています。山本監督はこれを「アニメ・ゲーム会社の全てが反社会的ではなかっただろう。一部はヨリ民主的であったかもしれない。しかし、彼女たちの置かれた労働環境が前近代的であることは歴史的事実である」と評しています。明治生まれの「赤い監督」はいまだに健在なのです。
桐野たちの就職したシスカリ社はブラック企業でした。歩合制給料体系、検査工程による単価決定、極端な報奨金制度や罰金制度…そのなかで桐野や黒猫は、動画職トップ単価となる「カリスマ動画」をめざします。しかし、このシスカリ社の給与体系は「働きすぎ」へ誘う巧妙な仕組みでもありました。桐乃たちは「自己実現系ワーカホリック」に陥ってしまいます。休みを返上し、月300時間を超える残業に自ら進む桐乃たち。
過酷な環境の中で、桐乃たちは壊れていきます。社会保険だけでなく、健康保険もありません。頻繁な枕営業と妊娠、ヤミ堕胎での事故で働けなくなるあやせは退職を強制されます。眼を酷使した結果、眼底出血で略失明してしまった沙織には労災は下りず、そのまま解雇されます。激しい勤務で体を損なった黒猫は、ふとした風邪が肺炎となり、あっけなく落命します。過重労働で心身をすりつぶした桐乃も、体の不調を訴えますが、職場や家族の不理解に直面する理不尽です。特に父である大介には「辛抱が足りない」や「会社のせいにするな」と突き放すのです。その時すでに桐乃の体は結核に冒されていました。21世紀でありながらも、結核に命を狙われてしまう桐乃。異変に気づき、なにもかもなげうって迎えにいく京介ですが、再会した桐乃は骨と皮だけの体になっています。かつての丸顔モデルの面影はありません。
首都高湾岸線のラストシーン。雪の降るなか、京介の運転する車が湾岸をひた走り故郷の千葉県へ渡ろうとする。そのとき、すでに意識が薄れた桐乃は「ああ、千葉が見える」と言って絶命する。その時、通り過ぎた有明では萌の祭典、コミックマーケットが開かれ、企業ブースではシスカリ社が空前の収益を上げていた…
そして『太陽を盗んだオタク』です。あまりの「赤さ」ゆえに更迭された山本監督、そのピンチヒッターとなった長谷川和夫監督による「後編」です。鬱展開と言われた原作最終話を元としていますが、ヒロインたちが全滅してしまった前編と矛盾しないように纏め上げています。悲しすぎる結末であるにもかかわらず、長谷川監督は見事ホップ調でまとめ上げました。
次回予告から素晴らしいものでした。アニメ予告編としては『機神兵団』OVA以来の傑作です。「日本にも原爆を作った男がいた。オレは太陽を盗んだヲタク。オレは日本に復讐する」「10億?、100億?、オレの欲しいのは金じゃない、桐乃を、黒猫を返せ!オレはこの社会に復讐する」 素晴らしい!
前編の父子の対決、その回想から後編は始まります。京介はシスカリ社の不法行為を告発をします。しかし、シスカリ社はアダルト系コンテンツ会社です。当然、警察の天下りを受け入れています。警察権力の論理に従い、公私にわたり告発を握りつぶす父、千葉県警高坂大介。完全な悪、権力の犬です。京介は、家庭での、そして仕事での大介の振る舞いに、妹たちを殺した平成日本社会を投影するのです。後編は、京介による竜退治の物語であり「父殺し」の物語でもあるのです。
京介が原爆を作る際には、多少の不自然もあります。液体プルトニウムが東海村原発施設外の下請会社で、しかもバケツで汲める状態であること。また大分の自衛隊を買収して小銃を入手する際、自衛官が「員数外の小銃だから判らない」とうそぶくところです。ありえない話なのですが、話中でリアリティレベルを意識する問題ともなりません。
なんにせよ、正味21分の作品では、ヤマは一つもあればいいのですが、この作品はヤマが四つも五つもあります。そして、その全てが小気味く進行するのです。
和菓子屋の調理場で、鼻歌交じりに原爆を作る京介。起きてしまった臨界。チェレンコフ光を見たあと京介は嘔吐します。京介との情事のあと、真奈美はベッドで大量の抜け毛を見つけます。京介との逢瀬で、あやせは愛人の口腔に「血の味がする」と呟く。沙織との合いびきで「つけなくても大丈夫」と笑う京介。京介に残された時間は短いのです。
原爆により実現する要求。「アニメ録画がズレる。野球の放送延長をやめろ」「夏コミ会場を完全冷房しろ」… そして山手線車中のシーン。原爆を設置する京介、それを発見する大介。殺し合う父と息子。外れてしまった安全尖。動作する起爆ロジック。ジャイロと積分回路により、電車が山手線から逸れても、あるいは30km以下に減速しても爆発してしまう…
両作ともTV版への強烈なカウンターとなっています。オススメです。
参 考
『あゝ野麦峠』(東宝 1979)
『太陽を盗んだ男』(東宝 1979)
本田由紀「やりがいの搾取」,『世界』
(岩波書店,2007年3月号)
2010年冬コミのまえがき「『萌え』を肯定するだけではダメ」を転載
今期、白眉とすべきは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』ですね。
物語の構造は「理不尽な妹と、それを手当てする兄」それだけです。妹が困難に行き当たると兄が助けるだけの話です。妹のオタク要素はオマケに過ぎません。単純な物語ですが、なぜか惹きこまれてしまいます。
妹の希望を叶えること自体が物語になるのでしょう。『俺妹』は昔話でよくある『求婚者の無理難題を解決する』話です。兄妹の関係は、擬似的な夫婦・恋愛関係です。物語では、妹はお姫様や女神様といった存在と等価なのです。
物語で兄が妹にコントロールされる仕組みにも不自然はありません。『をなり神の島』や『妹の力』でもあるとおり、妹は兄に対して霊的優位にあります。二重王権システムそうでしょう。高坂兄妹も、実務・世俗を執り仕切る兄(京介)と、文化・精神を支配する妹(桐乃)です。京介は実行力を持ちながらも、桐乃のコントロール下にあることには何の不思議もありません。
ただ、TVシリーズの後半失速は残念でした。失速の原因は、カタルシスを最初の段階で使いきったことにあります。京介に課せられた最初の試練、父との対決は、実は本作最大の試練です。最大の試練ですから、本来であれば最後に持って来るべきでした。あとは詰め込みすぎです。全13話に原作を機械的に詰め込んだのは誤りです。シリーズ構成もそうですが、無条件に「萌え」を全肯定するエピソードだけ選んだ点にも、少々鼻白みたくなるものがあります。本来であれば、原作者が最終巻で提示したもうひとつのテーマ「『萌え』の裏側にあるもの」。それを真正面から向合う話もTV放映すべきだったでしょう。
その点、BD/DVDに収録されたアフターストーリーは、原作者の問いを描ききったものであるといえます。前編『ああっ妹狩峠』、後編『太陽を盗んだオタク』は、ともに「萌え」の裏側を曝く筋立てとなっています。中高生の時期、消費者として「萌え」に接した主人公達が5年後に生産者として「萌え」と正面から向きあうのです。
前編『ああっ妹狩峠』(山本薩夫監督)は、原作者によるルポルタージュ『アニメ絶望工場』を俺妹キャラにアレンジしたものです。舞台は原作の5年後、アニメ・ゲーム専門学校を卒業し、シスカリプス社に就職した桐乃(動画)、黒猫(動画)、沙織(プログラマー)、あやせ(声優)たち。その彼女たちが「やりがいの搾取」により、過重労働に倒れていく姿を描く社会派作品です。
原作、伏見つかさの参与観察がすでに秀逸なのです。平成の日本資本主義を支えた萌産業、その裏にある労働搾取。華やかな平成"Cool Japan"はアニメ・ゲーム産業労働者の屍の上に築かれていることをあきらかにしています。山本監督はこれを「アニメ・ゲーム会社の全てが反社会的ではなかっただろう。一部はヨリ民主的であったかもしれない。しかし、彼女たちの置かれた労働環境が前近代的であることは歴史的事実である」と評しています。明治生まれの「赤い監督」はいまだに健在なのです。
桐野たちの就職したシスカリ社はブラック企業でした。歩合制給料体系、検査工程による単価決定、極端な報奨金制度や罰金制度…そのなかで桐野や黒猫は、動画職トップ単価となる「カリスマ動画」をめざします。しかし、このシスカリ社の給与体系は「働きすぎ」へ誘う巧妙な仕組みでもありました。桐乃たちは「自己実現系ワーカホリック」に陥ってしまいます。休みを返上し、月300時間を超える残業に自ら進む桐乃たち。
過酷な環境の中で、桐乃たちは壊れていきます。社会保険だけでなく、健康保険もありません。頻繁な枕営業と妊娠、ヤミ堕胎での事故で働けなくなるあやせは退職を強制されます。眼を酷使した結果、眼底出血で略失明してしまった沙織には労災は下りず、そのまま解雇されます。激しい勤務で体を損なった黒猫は、ふとした風邪が肺炎となり、あっけなく落命します。過重労働で心身をすりつぶした桐乃も、体の不調を訴えますが、職場や家族の不理解に直面する理不尽です。特に父である大介には「辛抱が足りない」や「会社のせいにするな」と突き放すのです。その時すでに桐乃の体は結核に冒されていました。21世紀でありながらも、結核に命を狙われてしまう桐乃。異変に気づき、なにもかもなげうって迎えにいく京介ですが、再会した桐乃は骨と皮だけの体になっています。かつての丸顔モデルの面影はありません。
首都高湾岸線のラストシーン。雪の降るなか、京介の運転する車が湾岸をひた走り故郷の千葉県へ渡ろうとする。そのとき、すでに意識が薄れた桐乃は「ああ、千葉が見える」と言って絶命する。その時、通り過ぎた有明では萌の祭典、コミックマーケットが開かれ、企業ブースではシスカリ社が空前の収益を上げていた…
そして『太陽を盗んだオタク』です。あまりの「赤さ」ゆえに更迭された山本監督、そのピンチヒッターとなった長谷川和夫監督による「後編」です。鬱展開と言われた原作最終話を元としていますが、ヒロインたちが全滅してしまった前編と矛盾しないように纏め上げています。悲しすぎる結末であるにもかかわらず、長谷川監督は見事ホップ調でまとめ上げました。
次回予告から素晴らしいものでした。アニメ予告編としては『機神兵団』OVA以来の傑作です。「日本にも原爆を作った男がいた。オレは太陽を盗んだヲタク。オレは日本に復讐する」「10億?、100億?、オレの欲しいのは金じゃない、桐乃を、黒猫を返せ!オレはこの社会に復讐する」 素晴らしい!
前編の父子の対決、その回想から後編は始まります。京介はシスカリ社の不法行為を告発をします。しかし、シスカリ社はアダルト系コンテンツ会社です。当然、警察の天下りを受け入れています。警察権力の論理に従い、公私にわたり告発を握りつぶす父、千葉県警高坂大介。完全な悪、権力の犬です。京介は、家庭での、そして仕事での大介の振る舞いに、妹たちを殺した平成日本社会を投影するのです。後編は、京介による竜退治の物語であり「父殺し」の物語でもあるのです。
京介が原爆を作る際には、多少の不自然もあります。液体プルトニウムが東海村原発施設外の下請会社で、しかもバケツで汲める状態であること。また大分の自衛隊を買収して小銃を入手する際、自衛官が「員数外の小銃だから判らない」とうそぶくところです。ありえない話なのですが、話中でリアリティレベルを意識する問題ともなりません。
なんにせよ、正味21分の作品では、ヤマは一つもあればいいのですが、この作品はヤマが四つも五つもあります。そして、その全てが小気味く進行するのです。
和菓子屋の調理場で、鼻歌交じりに原爆を作る京介。起きてしまった臨界。チェレンコフ光を見たあと京介は嘔吐します。京介との情事のあと、真奈美はベッドで大量の抜け毛を見つけます。京介との逢瀬で、あやせは愛人の口腔に「血の味がする」と呟く。沙織との合いびきで「つけなくても大丈夫」と笑う京介。京介に残された時間は短いのです。
原爆により実現する要求。「アニメ録画がズレる。野球の放送延長をやめろ」「夏コミ会場を完全冷房しろ」… そして山手線車中のシーン。原爆を設置する京介、それを発見する大介。殺し合う父と息子。外れてしまった安全尖。動作する起爆ロジック。ジャイロと積分回路により、電車が山手線から逸れても、あるいは30km以下に減速しても爆発してしまう…
両作ともTV版への強烈なカウンターとなっています。オススメです。
参 考
『あゝ野麦峠』(東宝 1979)
『太陽を盗んだ男』(東宝 1979)
本田由紀「やりがいの搾取」,『世界』
(岩波書店,2007年3月号)
2010年冬コミのまえがき「『萌え』を肯定するだけではダメ」を転載
Category : コミケ
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2011年夏コミで出した同人の、まえがきです
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あなるは体を売るべきでしたす。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』では、あなるはビッチでなければなりません。売女でなければ、堅物のつまらない女、つることの対比が弱くなります。登場人物で、つるこが隠れてしまったのは、あなるが売女ではないせいです。あくまでも、あなるは股の緩い、ビッチーズの一員であるべきでした。
あなるは、聖なる娼婦であるべきです。もちろん心は綺麗な娘です。あなるは思いを寄せるじんたんに、家に上がりこみ甲斐甲斐しく尽くすのは当然です。あなるは一途なのです。
そして、じんたんの夢を叶えるため奔走する。ロケットの費用を稼ぐため、夜も昼もなく春をひさぐ。件の合コン男も、あなるの優しさにほだされて大枚をはたくでしょう。供養に反対するめんま父を肉体で籠絡する。断わる職人さんにもサービスする。優しい娘ですから、悩むぽっぽも肉体で救済する。怖がるぽっぽに「怖がらないでいい」とか言いながらね。
でも、ゆきあつには決して体を許さない。「じんたんの敵」だから操を立てるのです。いくら言い寄られても、すげない態度でね。そこまで、じんたんに義理立てしても、じんたんは、めんまの面影を追い続ける。でもダメ男だから、あなるとはナアナアの関係も続ける…と、こうすれば、あなるの鏡像としてつるこも生きるのではないかと。
ゆきあつの心を奪いながらも酷い仕打に出るあなるは、つるこが憎む敵、憎まなければならない敵になります。自分は何もできない、しないのに、事あるごとに、あなるを責め立てるつるこ。体は清いが、その心は濁っている。うん、つるこも動き出しますよ。最後に、二人も纏めて回収するのが、めんま復活とその奇跡ですよ。
物語冒頭では憎しみあっていた、じんたんとゆきあつ、あなるとつるこがラストでは手をとり和解するのです。すばらしい人間の成長、ドラマはこうでなければならないでしょう。
ハイ、『あの花』にやられました。異界から客人が来る。客は幸福を与えて帰る。単純な話ですそして、客人が帰った後では、皆は成長している。それがいいのです。
ま、最終話での演出が少々気になりますがね。定林寺以降のシーンですが、演劇になってしまった。視聴者に説明する演出、セリフによる説明とネタばらしが残念でしたけどね。
でも『まどかマギカ』に較べれば大した問題ではないですね。過剰なまでの説明をしないと理解できないない物語って、なんでしょうね。『マギカ』ラストは、「奇跡」や「救済」の意味を説明するのに、セリフとナレーションで延々30分ですよ。
『マギカ』はリアリティ・レベルでも問題があります。「魔女になってしまう」や「魂を抜き取られてしまう」恐怖に、視聴者はリアルを感じない。「現実っぽい」という意味のリアルではありません。その恐怖に「ハラハラしない」わけです。説明臭い上に、キャラクターがどうなるかハラハラしない、没入できない物語ですから、面白くない。やはり『マギカ』は『あの花』には敵しないのです。
あとは『花咲くいろは』ですか。『花いろ』は、実際に存在していて不思議はないものを並べている。物語で起きることもリアルである。その点『あの花』に近いのです。
ただ、『花いろ』人物行動がリアルではない感じもありますね。物語で起きる事態も現実の事態ですけど、登場人物が取る行動は、現実では取らない行動でしょうと。登場人物も、役割、行動、発言が定型化され、カリカチュアされている、誇張が過ぎている。
例えば、お嬢の結名は機械仕掛のピエロです。抜いたほうがスッキリするでしょう。若旦那と次郎丸も二人はいらない。痩せ型、メガネ、優男、そしてダメ男は一人いれば十分です。出すなら、差異を強調すべきです。R2-D2とC-3POみたいにね。その点、母ちゃんの皐月と、コンサルの崇子は差異がクッキリし中々よろしい。辣腕ライターとピンぼけコンサル、ナチュラルとメイク強調、手に負えない女と勘違い女ね。
なんにしても、登場人物をもう少し絞ればね。お花、みんこ、なこち、女将、母ちゃん、孝一、徹だけを前に出して、あとは背景に押し込めたほうがいいですねえ。
いや、『あの花』もちろんオススメですよ。ハイ
-------------------------------------------------
ナマモノなので、まあ3年経つとわからなくなるでしょうねえ。
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あなるは体を売るべきでしたす。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』では、あなるはビッチでなければなりません。売女でなければ、堅物のつまらない女、つることの対比が弱くなります。登場人物で、つるこが隠れてしまったのは、あなるが売女ではないせいです。あくまでも、あなるは股の緩い、ビッチーズの一員であるべきでした。
あなるは、聖なる娼婦であるべきです。もちろん心は綺麗な娘です。あなるは思いを寄せるじんたんに、家に上がりこみ甲斐甲斐しく尽くすのは当然です。あなるは一途なのです。
そして、じんたんの夢を叶えるため奔走する。ロケットの費用を稼ぐため、夜も昼もなく春をひさぐ。件の合コン男も、あなるの優しさにほだされて大枚をはたくでしょう。供養に反対するめんま父を肉体で籠絡する。断わる職人さんにもサービスする。優しい娘ですから、悩むぽっぽも肉体で救済する。怖がるぽっぽに「怖がらないでいい」とか言いながらね。
でも、ゆきあつには決して体を許さない。「じんたんの敵」だから操を立てるのです。いくら言い寄られても、すげない態度でね。そこまで、じんたんに義理立てしても、じんたんは、めんまの面影を追い続ける。でもダメ男だから、あなるとはナアナアの関係も続ける…と、こうすれば、あなるの鏡像としてつるこも生きるのではないかと。
ゆきあつの心を奪いながらも酷い仕打に出るあなるは、つるこが憎む敵、憎まなければならない敵になります。自分は何もできない、しないのに、事あるごとに、あなるを責め立てるつるこ。体は清いが、その心は濁っている。うん、つるこも動き出しますよ。最後に、二人も纏めて回収するのが、めんま復活とその奇跡ですよ。
物語冒頭では憎しみあっていた、じんたんとゆきあつ、あなるとつるこがラストでは手をとり和解するのです。すばらしい人間の成長、ドラマはこうでなければならないでしょう。
ハイ、『あの花』にやられました。異界から客人が来る。客は幸福を与えて帰る。単純な話ですそして、客人が帰った後では、皆は成長している。それがいいのです。
ま、最終話での演出が少々気になりますがね。定林寺以降のシーンですが、演劇になってしまった。視聴者に説明する演出、セリフによる説明とネタばらしが残念でしたけどね。
でも『まどかマギカ』に較べれば大した問題ではないですね。過剰なまでの説明をしないと理解できないない物語って、なんでしょうね。『マギカ』ラストは、「奇跡」や「救済」の意味を説明するのに、セリフとナレーションで延々30分ですよ。
『マギカ』はリアリティ・レベルでも問題があります。「魔女になってしまう」や「魂を抜き取られてしまう」恐怖に、視聴者はリアルを感じない。「現実っぽい」という意味のリアルではありません。その恐怖に「ハラハラしない」わけです。説明臭い上に、キャラクターがどうなるかハラハラしない、没入できない物語ですから、面白くない。やはり『マギカ』は『あの花』には敵しないのです。
あとは『花咲くいろは』ですか。『花いろ』は、実際に存在していて不思議はないものを並べている。物語で起きることもリアルである。その点『あの花』に近いのです。
ただ、『花いろ』人物行動がリアルではない感じもありますね。物語で起きる事態も現実の事態ですけど、登場人物が取る行動は、現実では取らない行動でしょうと。登場人物も、役割、行動、発言が定型化され、カリカチュアされている、誇張が過ぎている。
例えば、お嬢の結名は機械仕掛のピエロです。抜いたほうがスッキリするでしょう。若旦那と次郎丸も二人はいらない。痩せ型、メガネ、優男、そしてダメ男は一人いれば十分です。出すなら、差異を強調すべきです。R2-D2とC-3POみたいにね。その点、母ちゃんの皐月と、コンサルの崇子は差異がクッキリし中々よろしい。辣腕ライターとピンぼけコンサル、ナチュラルとメイク強調、手に負えない女と勘違い女ね。
なんにしても、登場人物をもう少し絞ればね。お花、みんこ、なこち、女将、母ちゃん、孝一、徹だけを前に出して、あとは背景に押し込めたほうがいいですねえ。
いや、『あの花』もちろんオススメですよ。ハイ
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ナマモノなので、まあ3年経つとわからなくなるでしょうねえ。
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駿河台の、明治大米沢記念図書館にいってみたのだけれども。「準備会に納める見本誌は、準備会保存でここにはない」とのこと。
しかし、そうなると図書館としての存在価値がねえ。米沢さんの私本、個人的に購入した(献本もあるだろうね)同人誌があるということだけれどもね。同人誌の数も、個人蔵と大差はない。マンガ雑誌等にしても、納本されたものであれば、神保町から三駅離れた国立国会に収蔵されている。マンガの単行本も、NDLにある。サブカル関係もNDLにある。
しかも、米沢記念図書館は有料になっている。閲覧は有料、書庫内資料を取り出すには1ヶ月入場券(2000円)と、出納チケット(1冊1回100円)。無料で閲覧できるNDLに収蔵された本を、わざわざ閲覧する人がいるとも思えない。
米沢さんの日記とか、出納帳とか、そういったものでなければ、NDLでOKだと思う。
価値を出すにはねえ、見本誌を出すしか無いんじゃないですかね。例えば5年経過したものを全部引き取り、10年経過したものを写真複写可とかにすればね。
しかし、そうなると図書館としての存在価値がねえ。米沢さんの私本、個人的に購入した(献本もあるだろうね)同人誌があるということだけれどもね。同人誌の数も、個人蔵と大差はない。マンガ雑誌等にしても、納本されたものであれば、神保町から三駅離れた国立国会に収蔵されている。マンガの単行本も、NDLにある。サブカル関係もNDLにある。
しかも、米沢記念図書館は有料になっている。閲覧は有料、書庫内資料を取り出すには1ヶ月入場券(2000円)と、出納チケット(1冊1回100円)。無料で閲覧できるNDLに収蔵された本を、わざわざ閲覧する人がいるとも思えない。
米沢さんの日記とか、出納帳とか、そういったものでなければ、NDLでOKだと思う。
価値を出すにはねえ、見本誌を出すしか無いんじゃないですかね。例えば5年経過したものを全部引き取り、10年経過したものを写真複写可とかにすればね。
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2012年夏のあとがきです。ナマモノなのでココで開陳
戦後70 年も経ち、軍隊生活に抱くイメージも実相から大きく外れたものなりました。『マブラヴ』シリーズですが、あの軍隊イメージでリアリティを感じるファンに呆れます。ファンの嗜好に添った味付けを繰り返した軍隊イメージです。過度にガチガチで固められた規律、過剰なナショナリティ強調には辟易です。それに違和感を感じないのは、日本軍隊がなくなり70 年が経過したためでしょう。 彼らにとっての軍隊イメージは、意識の高い人間だけで構成される非日常の特殊な社会集団です。生活臭や遊びの存在しない社会です。
『マブラヴ』は抽象的で説明風なセリフが目立ちます。歴史やメカ等設定への稠密性への執着だけが溢れますが、それ以外はスカスカ。『FATE』と同じで、囲い込んだファンを喜ばせるだけの商売です。
しかし、今期始まった『トータル・イクリプス』は例外でした。原作者小沢昭一、山本七平が観察した、等身大の昭和軍隊、戦争体験が生かされています。プレストーリーとして冒頭2 話を費やした、原作1巻『トータル・イクリプス 死んだら神様』は特に宜しいものでした。ゆとり世代が持つ、ヒーローが戦う戦争イメージではなく、あの戦争中に兵役に取られた一般国民の感覚が生きております。
トータル・イクリプス1話「女の兵隊/毛虱と娘軍」は兵営のつらい面だけではなく、時には享楽にも興じた娘たちの姿を活写しています。もとがエロゲーだからでしょう。動員以降、最後の外出日に、唯依たちは全員で男を買いに行きます。ただし、上玉の役者を買う金もない。とはいえ質を落としたくもないと、彼女達は全員のお金をまとめ、名物を1 人買ってシェアする。隊内で浮いていた山城上総も含めて、姉妹になってしまうエピソードは皆が本当の仲間になった姿を描いており、心あたたまるものです。
そして病気も仲良く伝染される。ひと月後の出征前夜、代表した甲斐が意を決して、眼帯教官に相談し、スカートを捲り上げ、下履きを下ろす。年甲斐もなく赤面した教官が虫眼鏡でまじまじと観察し一言「ケジラミだな」と。性病のカルテが残ると困ると、全員が下半身裸になって教官の前に並び、順番にスミスリンを噴霧してもらうところは、なかなか見ないタイプのエロ描写です。すでに四十郎だろう教官が「オレ、性欲も食欲も失せたよ」といったあたりは原作者小沢のエロ喜劇の雰囲気もあります。
一転、第2 話の「橋」は、悲惨さが強調されます。唯依たちはベータ侵攻により、急遽前線投入が決まりましたが、結局は足手まといです。訓練未修で機動的運用はできない。前後に大きく動く最前線に投入できないことは明らかでした。教官は動員学徒に関する練度報告のあと「前線で夜に使うには心もとない」「下手すれば同士討ち」と後方残置すべきと示唆します。理由に「匍匐飛行ができない」と事実無根の報告も加えますが、言いたいことは皆が理解している。参加者も「バウンダリ南端に小さな橋がある」「重要ではない」「後に爆破予定です」「それまでは死守せねば」「そうしたまえ」と。
しかし、悲劇への不安は、徐々に掻き立てられいく。配備された橋は、唯依たちの学校の側です。毎日キャフフしながら渡った橋。思い出との結びつきは、唯依たちを橋の防備にのめり込ませてしまう。
そして、女中隊長の逮捕。姿勢がだらしない唯依たちを叱責すると「ちょっと痒くて」「膿がチョット、本当にホンのチョットだけ」と。問いただす中隊長が徐々に赤面する。時間的余裕があったのが裏目に出ました。こんなのにウツされたらタマランと、中隊長は薬品入手に出ますが、憲兵の尋問を受ける。何の意味もない橋に戦術機を配備する不自然と、経験不足で部下の病気とクスリについて中隊長は具体的には説明できない。そのまま前線軍法会議送り方になってしまう。
残された小娘たちは何も判断できません。しかし、何の不安もない。無邪気に恋の話を繰り返す。山城上総が、秘していた教官への想いを「この戦いが終わったら…」と開陳すると、みなが冷やかします。しかし「遊んだのがバレたくらい大丈夫」と元気づけもする。物語で最も穏やかなシーンでしょう。
しかし、その目の前の橋を、後方へ後退する部隊が通りすぎていく。その車両も傷病兵後送から、高級士官の乗用車、司令部付隊、通信部隊の車両に変わる。最後には天井にまで兵隊を乗せたトラックになる。死んだ眼をした彼らが小銃すら捨てていることには気づかない。どのような命令が出たのかも推測せず、情況を全く把握していない有様です。
そして始まる戦闘。最初は群れからはぐれた少数のベータが侵入してくる。それを蹴散らし意気を上げるものの、その戦闘が新しいベータを呼んでしまう。数波にわかれて襲撃するベータ、櫛の歯が欠けるように減る娘たち。そして今まで見たこともない数のベータの群れ。残る娘は5 人だけ。弾薬を集めて再分配し「1 人7 発、大事に使えば7 匹までは殺せる」と至近距離にベータを引き付ける唯依たち。
ベータの大波が橋にたどり着くその瞬間、艦砲による弾幕射撃が始まります。悉くが吹き飛ばされ、生き残ったベータが後退する。唯依たち5人は「勝った、守りきった」と喝采しますが、それはぬか喜びです。射線はすぐに下り、唯依たちに襲いかかる。「味方を殺すのか」と喚く唯依。弾幕射撃の後、生き残ったのは唯依と上総の2 人だけ。
そこに教官が僚機を伴って到着する。2 機はともに大きな梱包を、道路爆破薬を携行している。始まった準備が何であるか察した唯依は「命を棄てて守った橋」、「私ひとりでも守り切る」と激昂します。そして、それを説得する教官が「橋は無価値だ。最初から落とす予定だった」と口を滑らせてしまう。
その時、上総はいきなり教官機をフルオートで射撃する。教官僚機は上総機に応射。コクピットごと粉砕された上総機は教官機と同時に爆発。呆然とする唯依。そのメインカメラに飛散物が貼り付くが、それは教官と上総のツーショット写真。錯乱し、絶叫する唯依と、その背後で爆破される橋…
このプレストーリ導入によって、本編、山本七平『トータル・イクリプス 一下級衛士の見た国連軍』が活きるのです。「半分死んたポンコツ」と自重する唯依。その醒めた視点で綴られたアラスカ物語は『マブラヴ』他作品とそのファンが持つ「空気に酔う」病理を痛烈に批判します。機械を重視し、人間関係を軽視する。気持ち悪いほどテンプレな人物造形、大仰なセリフ回しを評価する姿を「空気に酔ったもの」として描いています。
『マブラヴ』特有の無機質な軍隊描写。それを冷笑的になぞらえることにより、合間に挟まれた、戦争体験者から拾った生きたエピソードが活きてくるのも逆転的です。
第9 話で墜落したステラが米敗残兵と出会う話。「たかが百㎞じゃないか」に対し、老民兵の「たかが百㎞だと!」。「スタームルガーよりも優れた銃が」への「オレには…」といった反発は、機械しか描かない『マブラヴ』への批判です。
第15 話のノーズアート話は萌えでした。タリサが同郷の女整備兵にノーズアートを頼みますが、よりによって屹立し汁を放つブータンの魔除けを描かれ、ユウヤに見られてしまう。ククリを使い半泣きで塗装を削るタリサは、生者の萌える物語です。
なによりも第19 話「アルゴス小隊本部いまだ射撃中」でしょう。取り残されたオペレータ、ニーラム、リダ、フェーベの物語。『マブラヴ』で飾られる、高貴で清潔な死への皮肉そのものになっています。
ベータ襲来により、司令部壕が孤立するところから物語は始まります。3 人は手鏡の反射で生存を知らせますが、ベータに阻まれた本隊は見守ることしかできない。しかし、ニーラム軍曹は「ここにM2がある限り、ベータはここを通れない」と豪語する。3人が頼るのは1門のM2重機。「M2 の命中精度は地球一だ。これから逃げられるソルジャーはいない」とも。そして3人の戦いが始まります。
印象的であるのは、リダが「ギャップ調整適切ならざるなきや」「ベルトリンク捻じれあらざるや」と唱えながら何回も何回も銃身交換と給弾を続けるところでしょう。後半になると銃身だけではなく機筺部も熱を持ち始め、最後は赤熱します。それを尿で冷やしながらも射撃を維持する。戦場体験者の機関銃信仰、機関銃神話の再現そのものです。
最後には、掩体が光線の直接射撃で溶かされ始める。しかし、3人はほぼ飲まず食わずでも射撃をやめない。弾庫と往復していたフェーベがベジタリアン用レーションを見つけ、嬉しそうに報告する。そしてニーラムの口元にレーションを運ぶフェーベに、ニーラムも照準器から眼を離すことなく感謝し「お前、今日誕生日だったよな」と尋ねる。「16 になりました、ようやく先任とお店に行けます」と答えるところは、本編でも最高のシーンです。
『死んだら神様』も『一下級衛士』も、メカ設定排除に加え、奇妙なセリフ、演出を許さない姿勢は高く評価できます。他の『マブラヴ』だと「97式戦術歩行高等練習機」「殲滅速度を0.7% あげろ」「わがソ連軍の尋問技術は進んでいる」と、とうてい口語できない酷いセリフが頻出します。あんなの誰が考えるんでしょうね。しかし『死んだら神様』『一下級衛士』では違和感ある会話、演出はありません。「20 ばいの てきに ほういされる」「くわれます」、「しきんきょりでの はくへいせん」 「しにます」、「さいごの ひとりまで たたかう」「まけます」と、むしろ小桜エツ子の素朴な声にリアルを伺えます。
BD には『トータル・イクリプス 人類は衰退しました』が収録されるとのことです。あまりにも空中楼閣的で戯画的な「マブラヴ」の世界を、新しい人類の出現で矛盾なく説明するとのことです。
戦後70 年も経ち、軍隊生活に抱くイメージも実相から大きく外れたものなりました。『マブラヴ』シリーズですが、あの軍隊イメージでリアリティを感じるファンに呆れます。ファンの嗜好に添った味付けを繰り返した軍隊イメージです。過度にガチガチで固められた規律、過剰なナショナリティ強調には辟易です。それに違和感を感じないのは、日本軍隊がなくなり70 年が経過したためでしょう。 彼らにとっての軍隊イメージは、意識の高い人間だけで構成される非日常の特殊な社会集団です。生活臭や遊びの存在しない社会です。
『マブラヴ』は抽象的で説明風なセリフが目立ちます。歴史やメカ等設定への稠密性への執着だけが溢れますが、それ以外はスカスカ。『FATE』と同じで、囲い込んだファンを喜ばせるだけの商売です。
しかし、今期始まった『トータル・イクリプス』は例外でした。原作者小沢昭一、山本七平が観察した、等身大の昭和軍隊、戦争体験が生かされています。プレストーリーとして冒頭2 話を費やした、原作1巻『トータル・イクリプス 死んだら神様』は特に宜しいものでした。ゆとり世代が持つ、ヒーローが戦う戦争イメージではなく、あの戦争中に兵役に取られた一般国民の感覚が生きております。
トータル・イクリプス1話「女の兵隊/毛虱と娘軍」は兵営のつらい面だけではなく、時には享楽にも興じた娘たちの姿を活写しています。もとがエロゲーだからでしょう。動員以降、最後の外出日に、唯依たちは全員で男を買いに行きます。ただし、上玉の役者を買う金もない。とはいえ質を落としたくもないと、彼女達は全員のお金をまとめ、名物を1 人買ってシェアする。隊内で浮いていた山城上総も含めて、姉妹になってしまうエピソードは皆が本当の仲間になった姿を描いており、心あたたまるものです。
そして病気も仲良く伝染される。ひと月後の出征前夜、代表した甲斐が意を決して、眼帯教官に相談し、スカートを捲り上げ、下履きを下ろす。年甲斐もなく赤面した教官が虫眼鏡でまじまじと観察し一言「ケジラミだな」と。性病のカルテが残ると困ると、全員が下半身裸になって教官の前に並び、順番にスミスリンを噴霧してもらうところは、なかなか見ないタイプのエロ描写です。すでに四十郎だろう教官が「オレ、性欲も食欲も失せたよ」といったあたりは原作者小沢のエロ喜劇の雰囲気もあります。
一転、第2 話の「橋」は、悲惨さが強調されます。唯依たちはベータ侵攻により、急遽前線投入が決まりましたが、結局は足手まといです。訓練未修で機動的運用はできない。前後に大きく動く最前線に投入できないことは明らかでした。教官は動員学徒に関する練度報告のあと「前線で夜に使うには心もとない」「下手すれば同士討ち」と後方残置すべきと示唆します。理由に「匍匐飛行ができない」と事実無根の報告も加えますが、言いたいことは皆が理解している。参加者も「バウンダリ南端に小さな橋がある」「重要ではない」「後に爆破予定です」「それまでは死守せねば」「そうしたまえ」と。
しかし、悲劇への不安は、徐々に掻き立てられいく。配備された橋は、唯依たちの学校の側です。毎日キャフフしながら渡った橋。思い出との結びつきは、唯依たちを橋の防備にのめり込ませてしまう。
そして、女中隊長の逮捕。姿勢がだらしない唯依たちを叱責すると「ちょっと痒くて」「膿がチョット、本当にホンのチョットだけ」と。問いただす中隊長が徐々に赤面する。時間的余裕があったのが裏目に出ました。こんなのにウツされたらタマランと、中隊長は薬品入手に出ますが、憲兵の尋問を受ける。何の意味もない橋に戦術機を配備する不自然と、経験不足で部下の病気とクスリについて中隊長は具体的には説明できない。そのまま前線軍法会議送り方になってしまう。
残された小娘たちは何も判断できません。しかし、何の不安もない。無邪気に恋の話を繰り返す。山城上総が、秘していた教官への想いを「この戦いが終わったら…」と開陳すると、みなが冷やかします。しかし「遊んだのがバレたくらい大丈夫」と元気づけもする。物語で最も穏やかなシーンでしょう。
しかし、その目の前の橋を、後方へ後退する部隊が通りすぎていく。その車両も傷病兵後送から、高級士官の乗用車、司令部付隊、通信部隊の車両に変わる。最後には天井にまで兵隊を乗せたトラックになる。死んだ眼をした彼らが小銃すら捨てていることには気づかない。どのような命令が出たのかも推測せず、情況を全く把握していない有様です。
そして始まる戦闘。最初は群れからはぐれた少数のベータが侵入してくる。それを蹴散らし意気を上げるものの、その戦闘が新しいベータを呼んでしまう。数波にわかれて襲撃するベータ、櫛の歯が欠けるように減る娘たち。そして今まで見たこともない数のベータの群れ。残る娘は5 人だけ。弾薬を集めて再分配し「1 人7 発、大事に使えば7 匹までは殺せる」と至近距離にベータを引き付ける唯依たち。
ベータの大波が橋にたどり着くその瞬間、艦砲による弾幕射撃が始まります。悉くが吹き飛ばされ、生き残ったベータが後退する。唯依たち5人は「勝った、守りきった」と喝采しますが、それはぬか喜びです。射線はすぐに下り、唯依たちに襲いかかる。「味方を殺すのか」と喚く唯依。弾幕射撃の後、生き残ったのは唯依と上総の2 人だけ。
そこに教官が僚機を伴って到着する。2 機はともに大きな梱包を、道路爆破薬を携行している。始まった準備が何であるか察した唯依は「命を棄てて守った橋」、「私ひとりでも守り切る」と激昂します。そして、それを説得する教官が「橋は無価値だ。最初から落とす予定だった」と口を滑らせてしまう。
その時、上総はいきなり教官機をフルオートで射撃する。教官僚機は上総機に応射。コクピットごと粉砕された上総機は教官機と同時に爆発。呆然とする唯依。そのメインカメラに飛散物が貼り付くが、それは教官と上総のツーショット写真。錯乱し、絶叫する唯依と、その背後で爆破される橋…
このプレストーリ導入によって、本編、山本七平『トータル・イクリプス 一下級衛士の見た国連軍』が活きるのです。「半分死んたポンコツ」と自重する唯依。その醒めた視点で綴られたアラスカ物語は『マブラヴ』他作品とそのファンが持つ「空気に酔う」病理を痛烈に批判します。機械を重視し、人間関係を軽視する。気持ち悪いほどテンプレな人物造形、大仰なセリフ回しを評価する姿を「空気に酔ったもの」として描いています。
『マブラヴ』特有の無機質な軍隊描写。それを冷笑的になぞらえることにより、合間に挟まれた、戦争体験者から拾った生きたエピソードが活きてくるのも逆転的です。
第9 話で墜落したステラが米敗残兵と出会う話。「たかが百㎞じゃないか」に対し、老民兵の「たかが百㎞だと!」。「スタームルガーよりも優れた銃が」への「オレには…」といった反発は、機械しか描かない『マブラヴ』への批判です。
第15 話のノーズアート話は萌えでした。タリサが同郷の女整備兵にノーズアートを頼みますが、よりによって屹立し汁を放つブータンの魔除けを描かれ、ユウヤに見られてしまう。ククリを使い半泣きで塗装を削るタリサは、生者の萌える物語です。
なによりも第19 話「アルゴス小隊本部いまだ射撃中」でしょう。取り残されたオペレータ、ニーラム、リダ、フェーベの物語。『マブラヴ』で飾られる、高貴で清潔な死への皮肉そのものになっています。
ベータ襲来により、司令部壕が孤立するところから物語は始まります。3 人は手鏡の反射で生存を知らせますが、ベータに阻まれた本隊は見守ることしかできない。しかし、ニーラム軍曹は「ここにM2がある限り、ベータはここを通れない」と豪語する。3人が頼るのは1門のM2重機。「M2 の命中精度は地球一だ。これから逃げられるソルジャーはいない」とも。そして3人の戦いが始まります。
印象的であるのは、リダが「ギャップ調整適切ならざるなきや」「ベルトリンク捻じれあらざるや」と唱えながら何回も何回も銃身交換と給弾を続けるところでしょう。後半になると銃身だけではなく機筺部も熱を持ち始め、最後は赤熱します。それを尿で冷やしながらも射撃を維持する。戦場体験者の機関銃信仰、機関銃神話の再現そのものです。
最後には、掩体が光線の直接射撃で溶かされ始める。しかし、3人はほぼ飲まず食わずでも射撃をやめない。弾庫と往復していたフェーベがベジタリアン用レーションを見つけ、嬉しそうに報告する。そしてニーラムの口元にレーションを運ぶフェーベに、ニーラムも照準器から眼を離すことなく感謝し「お前、今日誕生日だったよな」と尋ねる。「16 になりました、ようやく先任とお店に行けます」と答えるところは、本編でも最高のシーンです。
『死んだら神様』も『一下級衛士』も、メカ設定排除に加え、奇妙なセリフ、演出を許さない姿勢は高く評価できます。他の『マブラヴ』だと「97式戦術歩行高等練習機」「殲滅速度を0.7% あげろ」「わがソ連軍の尋問技術は進んでいる」と、とうてい口語できない酷いセリフが頻出します。あんなの誰が考えるんでしょうね。しかし『死んだら神様』『一下級衛士』では違和感ある会話、演出はありません。「20 ばいの てきに ほういされる」「くわれます」、「しきんきょりでの はくへいせん」 「しにます」、「さいごの ひとりまで たたかう」「まけます」と、むしろ小桜エツ子の素朴な声にリアルを伺えます。
BD には『トータル・イクリプス 人類は衰退しました』が収録されるとのことです。あまりにも空中楼閣的で戯画的な「マブラヴ」の世界を、新しい人類の出現で矛盾なく説明するとのことです。
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夏コミ新刊、あとは刷って折って綴るだけ。

趣旨というか要約はこんな感じ
自分の文章ブロック引用ってのもナンだけどねえ
時間的に余裕があれば、ISAR原理、もしくは空気銃関連のパンフレット程度は作れるかと。あとは、本誌表紙と裏表紙の紙代(高いんだ)救済用に、アニメ評を一つ、夏色キセキ 大戸島編 / ストパン映画版音速雷撃隊の評かな。
あと、『瀛報』の「瀛」の字、国立国会のマイクロフォッシュ『寰瀛水路誌』では「よう」とフリガナが振ってあったので「よう」と読んだのだが。こないだOPACで覗いたら「えい」になってんのね。「エイ」が音便で「よー」になったと思ったか。あるいは、「洋」の異体字だと思っていたか。ちなみに、己は異体字だと思っていた。
いまさら名前は代えないけどね

趣旨というか要約はこんな感じ
長江鉄道橋への攻撃は、中国を屈服させる最有力の手段である。長江鉄道橋への攻撃は、中国にとって破滅的な結果をもたらす。長江水系鉄道橋15ヶ所のうち、11ヶ所を破壊すれば中国鉄道網は南北に分離する。実質的な輸送力を負担する鉄道橋は6ヶ所であり、それだけを破壊しても中国戦争経済、国民経済は大打撃を受ける。
鉄道橋攻撃は、現実的に採用可能な手段である。仮に米国が、中国を屈服させようと考えた場合、米国は攻撃目標として採用するだろう。
米国であっても、現実的に採用できる手段は経済封鎖と海上封鎖、そして陸上交通網への航空攻撃に限定される。その航空攻撃の目標として、長江鉄道橋は最も優れている。中国防空戦力による抵抗を考慮すると、比較的小規模な攻撃規模でも達成可能であり、最も高い効果を発揮する
(文谷数重「長江鉄道橋 -現代中国の急所鉄道網 河川通航 石炭輸送-」『瀛報』2012.8)
自分の文章ブロック引用ってのもナンだけどねえ
時間的に余裕があれば、ISAR原理、もしくは空気銃関連のパンフレット程度は作れるかと。あとは、本誌表紙と裏表紙の紙代(高いんだ)救済用に、アニメ評を一つ、夏色キセキ 大戸島編 / ストパン映画版音速雷撃隊の評かな。
あと、『瀛報』の「瀛」の字、国立国会のマイクロフォッシュ『寰瀛水路誌』では「よう」とフリガナが振ってあったので「よう」と読んだのだが。こないだOPACで覗いたら「えい」になってんのね。「エイ」が音便で「よー」になったと思ったか。あるいは、「洋」の異体字だと思っていたか。ちなみに、己は異体字だと思っていた。
いまさら名前は代えないけどね
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前に描いた夏コミ報告、日付と場所が抜けていました。
12日(日)東R05-b 隅田金属です

で、トータル・イクリプスを見て、さらに原作にハマったので、TARITARIから変更。例によって設定や兵器だけが活躍するカン違い話だと思っていたのですけどね。
そもそも、女の子が戦うアニメだと小馬鹿にしていたのですが、そこで裏切られた。1話の「女の兵隊/毛虱と娘軍」で、肝を抜かれましたよ。オリジンがエロゲーとは聞いていたのですが、ヒロインたちが仲良く役者を買いに行って、仲良く姉妹になった挙句、仲良くオマケまでもらってしまうエロ喜劇だとは思いませんでした。
2話でも、腰が引けた整列した時の言い訳「ちょっと痒くて」「あと膿も…チョットだけ、ほんのチョット」を聞いて、こいつらにウツされたらタマランという女中隊長の顔とかね。原作の小沢昭一「トータル・イクリプス -死んだら神様-」を買ってしまうほどハマりました。
方向転換した3話からも素晴らしい。先任将校として道化を演じながら「空気に操縦される国連軍」を醒めた眼で見つめる初級士官、唯依の視点が『マブラヴ』他作品とそのファンが持つ「空気に酔ってしまう」病理を痛烈に批判しているのが素敵です。
なんせ、他の『マブラヴ』って、抽象的で説明風なセリフばっか。設定への稠密性への執着だけで、それ以外はスカスカ。『FATE』と同じで内輪向けですからね。
今週のタリサのエピソードに萌えてしまったこともありますね。タリサが同郷の整備兵にノーズアートを頼んだら、よりによって屹立し汁を放つブータンの魔除けを描かれてしまう。ここまでなら喜劇ですが。それをユウヤに見られてしまうことで悲劇になります。夜になってなお、泣きながらククリでノーズアートを削るタリサに萌えを感じてしまいました、ハイ
楽しみなのは「アルゴス小隊本部いまだ射撃中」ですね。原作、金語楼「トータル・イクリプス -そして戦争が終った-」で先読みしたのですが、オペレータ3人娘が「ギャップ調整適切ならざるなきや」「ベルトリンク捻じれあらざるや」と唱え、「1234、2234」と八点射をするところ。「フェーベ、お前、誕生日だっていってたな」と尋ねると「ハイ16になりました」と答えるところは、本来のクライマックスを、ラストエピソードを食ってしまうほどの名カットになるでしょう。
ま、ラストエピソードの「篁中尉ドノ、光ファイバが切れかけてませんか」からの「経験したことのないフワフワした操縦感覚だな」もいいんですけどね。
12日(日)東R05-b 隅田金属です

で、トータル・イクリプスを見て、さらに原作にハマったので、TARITARIから変更。例によって設定や兵器だけが活躍するカン違い話だと思っていたのですけどね。
そもそも、女の子が戦うアニメだと小馬鹿にしていたのですが、そこで裏切られた。1話の「女の兵隊/毛虱と娘軍」で、肝を抜かれましたよ。オリジンがエロゲーとは聞いていたのですが、ヒロインたちが仲良く役者を買いに行って、仲良く姉妹になった挙句、仲良くオマケまでもらってしまうエロ喜劇だとは思いませんでした。
2話でも、腰が引けた整列した時の言い訳「ちょっと痒くて」「あと膿も…チョットだけ、ほんのチョット」を聞いて、こいつらにウツされたらタマランという女中隊長の顔とかね。原作の小沢昭一「トータル・イクリプス -死んだら神様-」を買ってしまうほどハマりました。
方向転換した3話からも素晴らしい。先任将校として道化を演じながら「空気に操縦される国連軍」を醒めた眼で見つめる初級士官、唯依の視点が『マブラヴ』他作品とそのファンが持つ「空気に酔ってしまう」病理を痛烈に批判しているのが素敵です。
なんせ、他の『マブラヴ』って、抽象的で説明風なセリフばっか。設定への稠密性への執着だけで、それ以外はスカスカ。『FATE』と同じで内輪向けですからね。
今週のタリサのエピソードに萌えてしまったこともありますね。タリサが同郷の整備兵にノーズアートを頼んだら、よりによって屹立し汁を放つブータンの魔除けを描かれてしまう。ここまでなら喜劇ですが。それをユウヤに見られてしまうことで悲劇になります。夜になってなお、泣きながらククリでノーズアートを削るタリサに萌えを感じてしまいました、ハイ
楽しみなのは「アルゴス小隊本部いまだ射撃中」ですね。原作、金語楼「トータル・イクリプス -そして戦争が終った-」で先読みしたのですが、オペレータ3人娘が「ギャップ調整適切ならざるなきや」「ベルトリンク捻じれあらざるや」と唱え、「1234、2234」と八点射をするところ。「フェーベ、お前、誕生日だっていってたな」と尋ねると「ハイ16になりました」と答えるところは、本来のクライマックスを、ラストエピソードを食ってしまうほどの名カットになるでしょう。
ま、ラストエピソードの「篁中尉ドノ、光ファイバが切れかけてませんか」からの「経験したことのないフワフワした操縦感覚だな」もいいんですけどね。
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アニメ『アイドルマスター』最終話『洲崎炎上』について感想ですが、ネタバレを含みますので注意してください。
3月10日の空襲で七六五楼が燃え上がる。その映像美は荷風散人が原作で描いた滅びゆく美しさです。
最終話は永井荷風『アイドルマスター 日陰の花』での洲崎空襲を見事にアニメ化しています。燃え上がる洲崎パラダイス、女だてら警防団員として焼夷弾と戦ったの真が、消防吏員とともに炎上崩壊する建物に飲み込まれる。炎に巻かれた室内で、沖縄で戦死したパトロンの忘れ形見をあやしながら「旦那様のところに参りますよ」と島言葉で言い含める響。ナパームからわが子を救うため、その上に覆いかぶさり、生きたまま黒焦げになっていく春香。燃える七六五楼。神棚に面した彼女たちの看板が焼けていく。東洋一の傾城と呼ばれた竜宮小町。捕獲ブロマイドから、戦後GI達が「ランクSアイドル」として探しまわったあずさ、伊織、亜美。彼女たちを筆頭とした芸妓名札と写真が徐々に燃えていく。華やかな世界が終わる様子を、美しく、また悲しく描いています。
花柳界は華やかな話だけが語られがちです。しかし『アイマス』は裏にある陰や闇も逃げずに描いています。
やよい回、藪入で帰省する話は貧困層ルポそのものです。帰る家を持たぬ伊織が帯同しますが、畳も布団もない貧しさにショックを受ける。わずかなモヤシに喜ぶやよいの弟妹ですが、茶椀に盛切った麦だけの食事は、伊織の喉を通らない。出身である資本家階級との格差に涙を流しながら憤る伊織。戦前日本資本主義の矛盾を描いた、監督ヤマサツの神回です。
美希回も切ない。在上海九六一機関の女スパイ「滬浙のマタハリ」も情人を喪った後は魂の抜け殻です。帰国した美希の壊れ方には怖気が走る。ただ快楽を求め、毎晩十を越える客を取り、挙句翌朝にも役者◯◯◯、相撲◯◯◯を買う。ヒロポンを常用し座敷ではハイですが、オフではオピウムでダウナーになる落差。その白痴の微笑は、演技でのアヘ顔とは全く違う。まぶたは見開き、輝きのない瞳にハエがたかっても瞬きもしない。脚本野坂昭如が特飲街で実見した最低の娼婦が活写されています。
『アイマス』は軽い作品ではありません。キレイ事だけ。枕はない。借金や人身売買の陰もない。性病も堕胎も結核もない。遊郭をピュアな純愛の場所であると嘯く『ドリームクラブ 嬢王物語』とは違うのです。
純愛を描いても、雪歩回でのリアリティには全く及ばない。決して客に体を許さない雪歩に「男嫌いか穴なしか」と責め立てる小鳥と律子。しかし、雪歩にはただ一人、体を許した異母兄への操がある。兄の将来を言い含められ、強要された中条子堕で愛の結晶を守れなかった負い目がある。下腹部に残る大きな傷跡に、学徒出陣で戦死した兄と、陽の目を見なかった命の記憶を重ねている。これこそがピュアな心でしょう。
純愛と喧伝しながら、その実「馴染」「情人」「浮気」を連呼しながら誰にでも転ぶ。亜麻音も雪もカフェー上がりで何一つ芸もないが、その口で客を馬鹿にし「野暮」と言い放つ烏滸がましさ。そのような『ドリームクラブ』とは大違いです。
『アイマス』には確かに暗い展開もありましたが、希望につながるラストは素晴らしいものでした。唯一生き残り、焼け跡の中で戦後に向かい歩き出す千早は、明るい未来を予感させます。結核で動けない千早は、空襲のなか、竜宮小町に金庫に押込まれ命永らえます。あずさ達は、金庫を密閉するため、パックや洗髪に使う泥で目塗をしますが、それで逃げ遅れ落命してしまう。千早は竜宮小町から命をもらったのです。ラストでの千早は託された生命が萌え出る姿です。
戦後編、XBOX360版『アイマス・酔いどれ天使』でラジオから流れるブギ「腰が抜けるほど恋をした」が千早声であること。PS3版『同・生きる』ブランコのシーン「いのち短し恋せよ乙女」と千早持ち歌が歌われる。これらは千早が結核を克服し、芸妓から歌手として大成したことを暗示しています。
むしろ今期でやるせないのは、野坂昭如自伝『Fate/Zero 火垂るの墓』です。終戦後、冬の神戸での聖杯戦争。教会軒先に寝泊まりする戦災孤児には満足な食も服もなく、凍死の恐怖と戦っている。その壁一枚挟んだ反対側では、教会、魔術師、サーヴァントが暖衣飽食している。野坂が召喚した騎士王は誇りから闇米に手を出さない。腹ペコにもかかわらず配給米も節子に譲る。セイバーは最後に勝利するものの、そのまま栄養失調で倒れ、帰らない。平和を渇望した野坂が聖杯に望んだ「豊かな日本」も、朝鮮特需で実現する皮肉。
野坂ほか焼跡派も既に齢八十。赤線もなくなりはや半世紀。当時を知る人は櫛の歯を引くように減っています。その当時の雰囲気を、片鱗であっても引き写した作品が『アイマス』なのでしょう。
※ 2011冬コミ新刊「あとがき」から、ナマモノなので此処で開陳
やはり、戦前でアイマスなら花柳界しかないですな
3月10日の空襲で七六五楼が燃え上がる。その映像美は荷風散人が原作で描いた滅びゆく美しさです。
最終話は永井荷風『アイドルマスター 日陰の花』での洲崎空襲を見事にアニメ化しています。燃え上がる洲崎パラダイス、女だてら警防団員として焼夷弾と戦ったの真が、消防吏員とともに炎上崩壊する建物に飲み込まれる。炎に巻かれた室内で、沖縄で戦死したパトロンの忘れ形見をあやしながら「旦那様のところに参りますよ」と島言葉で言い含める響。ナパームからわが子を救うため、その上に覆いかぶさり、生きたまま黒焦げになっていく春香。燃える七六五楼。神棚に面した彼女たちの看板が焼けていく。東洋一の傾城と呼ばれた竜宮小町。捕獲ブロマイドから、戦後GI達が「ランクSアイドル」として探しまわったあずさ、伊織、亜美。彼女たちを筆頭とした芸妓名札と写真が徐々に燃えていく。華やかな世界が終わる様子を、美しく、また悲しく描いています。
花柳界は華やかな話だけが語られがちです。しかし『アイマス』は裏にある陰や闇も逃げずに描いています。
やよい回、藪入で帰省する話は貧困層ルポそのものです。帰る家を持たぬ伊織が帯同しますが、畳も布団もない貧しさにショックを受ける。わずかなモヤシに喜ぶやよいの弟妹ですが、茶椀に盛切った麦だけの食事は、伊織の喉を通らない。出身である資本家階級との格差に涙を流しながら憤る伊織。戦前日本資本主義の矛盾を描いた、監督ヤマサツの神回です。
美希回も切ない。在上海九六一機関の女スパイ「滬浙のマタハリ」も情人を喪った後は魂の抜け殻です。帰国した美希の壊れ方には怖気が走る。ただ快楽を求め、毎晩十を越える客を取り、挙句翌朝にも役者◯◯◯、相撲◯◯◯を買う。ヒロポンを常用し座敷ではハイですが、オフではオピウムでダウナーになる落差。その白痴の微笑は、演技でのアヘ顔とは全く違う。まぶたは見開き、輝きのない瞳にハエがたかっても瞬きもしない。脚本野坂昭如が特飲街で実見した最低の娼婦が活写されています。
『アイマス』は軽い作品ではありません。キレイ事だけ。枕はない。借金や人身売買の陰もない。性病も堕胎も結核もない。遊郭をピュアな純愛の場所であると嘯く『ドリームクラブ 嬢王物語』とは違うのです。
純愛を描いても、雪歩回でのリアリティには全く及ばない。決して客に体を許さない雪歩に「男嫌いか穴なしか」と責め立てる小鳥と律子。しかし、雪歩にはただ一人、体を許した異母兄への操がある。兄の将来を言い含められ、強要された中条子堕で愛の結晶を守れなかった負い目がある。下腹部に残る大きな傷跡に、学徒出陣で戦死した兄と、陽の目を見なかった命の記憶を重ねている。これこそがピュアな心でしょう。
純愛と喧伝しながら、その実「馴染」「情人」「浮気」を連呼しながら誰にでも転ぶ。亜麻音も雪もカフェー上がりで何一つ芸もないが、その口で客を馬鹿にし「野暮」と言い放つ烏滸がましさ。そのような『ドリームクラブ』とは大違いです。
『アイマス』には確かに暗い展開もありましたが、希望につながるラストは素晴らしいものでした。唯一生き残り、焼け跡の中で戦後に向かい歩き出す千早は、明るい未来を予感させます。結核で動けない千早は、空襲のなか、竜宮小町に金庫に押込まれ命永らえます。あずさ達は、金庫を密閉するため、パックや洗髪に使う泥で目塗をしますが、それで逃げ遅れ落命してしまう。千早は竜宮小町から命をもらったのです。ラストでの千早は託された生命が萌え出る姿です。
戦後編、XBOX360版『アイマス・酔いどれ天使』でラジオから流れるブギ「腰が抜けるほど恋をした」が千早声であること。PS3版『同・生きる』ブランコのシーン「いのち短し恋せよ乙女」と千早持ち歌が歌われる。これらは千早が結核を克服し、芸妓から歌手として大成したことを暗示しています。
むしろ今期でやるせないのは、野坂昭如自伝『Fate/Zero 火垂るの墓』です。終戦後、冬の神戸での聖杯戦争。教会軒先に寝泊まりする戦災孤児には満足な食も服もなく、凍死の恐怖と戦っている。その壁一枚挟んだ反対側では、教会、魔術師、サーヴァントが暖衣飽食している。野坂が召喚した騎士王は誇りから闇米に手を出さない。腹ペコにもかかわらず配給米も節子に譲る。セイバーは最後に勝利するものの、そのまま栄養失調で倒れ、帰らない。平和を渇望した野坂が聖杯に望んだ「豊かな日本」も、朝鮮特需で実現する皮肉。
野坂ほか焼跡派も既に齢八十。赤線もなくなりはや半世紀。当時を知る人は櫛の歯を引くように減っています。その当時の雰囲気を、片鱗であっても引き写した作品が『アイマス』なのでしょう。
※ 2011冬コミ新刊「あとがき」から、ナマモノなので此処で開陳
やはり、戦前でアイマスなら花柳界しかないですな
Category : コミケ
2010年夏コミで出した『瀛報』(ようほう)29号まえがきから。ナマモノなので一部訂正のうえ転載。
映画版のソラヲト、なかなか良かったです。カナタ着任前のプレストーリー『ソラノヲト 拝啓大公殿下さま』ですが、インテリ初年兵のノエル着任から始まる小隊の心温まる交歓劇に仕上がっています。
最初は荒んだ古兵クレハの無理難題、イジメ、鉄拳制裁でチョット沈んだ気持ちになりますが、二人の遭難から物語は穏やかに進展を始めます。山道からのクレハの転落と、殺意すら抱いていたにもかかわらず、惻隠の情から飛び出して助けるノエル。骨折で歩けないクレハを背負ってのサバイバルから互いのわだかまりは溶けていきます。
そして入院中、新しい小隊長フィリシアの勧めもあってクレハはノエルから読み書きを習います。徐々に読み書きできるようになるクレハ、兵隊として成長していくノエルの姿に、小隊の連帯感が強まりが重ねられていきます。孤児であり、兵舎しか知らないクレハにとって、1121小隊は初めての家族なのでしょう。1年後、乙幹に合格したノエルが教導隊に入校するとき、別れを悲しむクレハが拙い文字で「拝啓大公殿下さま…」で始まる直訴状を書きます。手紙はフィリシアの検閲で差し止められますが、リオの口添えで天聴に達します。伍長昇任後に異例の原隊復帰をするノエル…
映画版が心温まる話になったのは、TV版のソラヲトの反動なんでしょうね。でも、鬱展開、救いようがないと言われたTV版もドラマとしては傑作です。いや、ソラヲト熱がぶり返して、TV版を見返してしまったということです。
やはり掉尾を飾るのは第12話『蒼穹ニ響ケ』です。あのスピード感はたまりませんでした。両軍対峙の中間線への進出。通訳の巫女ユミナを通じたアーイシャの捕虜宣誓と解放、独断での停戦ラッパを伝達してからの急展開は何遍見ても目が離せません。
偶然の結果、始まってしまった戦闘。停戦ラッパを吹奏していたカナタは両目を負傷し車内に転落します。ユミナが包帯を巻いている間にも敵弾は小隊に集中する。そしてタケミカヅチは脚部が撃破され、地上に落下、横転します。
かろうじて皆は底部脱出口から這い出たのですが、ノエルは整備担当としての責任感からか、または戦車への愛情からか、皆が止めるのも聞かずタケミカヅチに戻り、鹵獲防止用の爆薬を取り出し破壊部署を果たそうとします。車内破壊するために黄色薬のセットを終え、脚部破壊用の対戦車地雷を取り出したところでローマ軍の偵察戦車の接近を認めます。ノエルは躊躇なく黄色薬・対戦車地雷の双方に点火します。煙を引く導火線のついた地雷を持って,こけつまろびつ走るノエル。偵察戦車に接近、戦車底部に飛び込んだところで爆発。敵戦車の擱座と同時に自爆するタケミカヅチ。
その状況を目の当りにし、狂を発し心身喪失となるフィリシア。「眼が見えない」と泣き叫ぶカナタ。そして偵察戦車から飛び出したローマ兵の接近。意を決したクレハは短機関銃を手に飛び出します。クレハは雄叫びを上げながらローマ兵に走り寄り、乗員を薙ぎ倒すことに成功します。ですが、最後の一連射は途中で弾切れを起こしてしまう。止めを刺しきれなかった敵兵に組み敷かれ、クレハは銃剣で腹を刺突されます。そして重傷を負ったもの同士の、雪の中で這いつくばった格闘。クレハは指でローマ兵の眼を潰し、かろうじて掴んだ円匙で敵の顔を殴り潰すことに成功します。その敵兵の絶命、痙攣のあと、クレハも斃れる。相打ちとなった二人の周りに、白い雪に血が広がっていく…
そして、一旦落ち着いたカナタが立ち上がり、アメイジング・グレースを吹く。ここからが圧巻ですね。
戦闘の合間に突然訪れた凪の瞬間、静寂の瞬間に始まったアメイジング・グレースですが、やはりマクロスではない。音楽で戦争が止まるはずもないというリアリティなのでしょう。カナタの音楽を聞き、倒れていた偵察戦車の最後の一人が車体にすがりつくように這い上がる。仲間の仇討ちのつもりなのでしょう。砲塔上に備え付けられた重機関銃にとりついて、カナタを狙う。連射の発砲炎のカットのあと、カナタの音楽が突如止まります。重機の弾で胴体を引きちぎられたカナタ。それを見た敵兵も引き金を引いたまま重機にもたれかかり絶命、空に向いた重機から続く連射。
カナタの上半身が、ラッパを握ったままでフィリシアの足許に落ちるところからがクライマックスでしょう。
戦闘の衝撃で心神喪失状態であったフィリシアですが、その表情が怯懦から狂気に変わります。その憎しみの視線は、ローマ軍の散兵線から飛び出してきた一人のローマ兵に向けられる。
「カメラード」と叫びながら、笑いながら走ってくるローマ兵アーイシャ…時告げ砦でかつて肌を合わせたこともある、百合の仲になった恋人。それと知りながらも、敵として憎しみのまなざしを向けるフィリシア。自動拳銃にストックを取り付け、狙い、全自動で発砲。斃れるアーイシャと雪原に広がる血潮。その手にはヘルベチア語で書かれた『停戦になりました、戦いは終わりです』というビラ…。そして、ローマ軍から飛来した一発の弾丸と倒れるフィリシア。
直後、停戦命令を伝えるラッパ。猛スピードで到着したクラウス少佐のオートバイ。その側車に乗って大公姫リオが到着するのですが、間に合わないのです。「みんなはどうした」と叫ぶリカに対して「みんな死んじゃったよ」という虚ろな眼をしたユミナ。
最後に「停戦協定の翌日のことであった」がフェード・アウトしてFIN。
映画版にしても、TV版にしても、硬軟どちらの展開でもソラヲトはいいですね。『ストライク・ウィッチーズ』とは全然違います。ストパンもソラヲトを意識して硬軟つくろうとしたのでしょう。ですが、軟派のストパンTV版は萌え兵営描写ばかり。硬派をやろうとしたのが映画版『ストライク・ウィッチーズ -音速雷撃隊-』なのでしょうね。でも戦争賛美アニメになってしまいました。よりによって原作のキモであった「月に行くため」と「基地外だ」のシーンをオミットまでしています。TV版にしても映画版にしても、ストパンのの限界はやはり制作総指揮の石原慎太郎の限界なのです。あの世代、従軍経験を持たず、戦場のリアルを知らない割に、一番過激なんですね。特攻隊の肯定や死の美化も甚だしいものです。
いけませんね、ストパンの悪口を書くつもりはないのですけれども…でもまあ、映画版ソラヲト『拝啓大公殿下さま』、ストパンの『音速雷撃隊』よりもよっぽどオススメです!
参考資料
『拝啓天皇陛下さま』(63年 松竹)
『血と砂』(65年 東宝)
『瀛報』(ようほう)第29号『必要なのか新戦車』(平成22年8月15日発行) まえがきより
2009年夏コミ「かわいそうなしゃち」
2008年夏コミ「最後の早慶戦」
映画版のソラヲト、なかなか良かったです。カナタ着任前のプレストーリー『ソラノヲト 拝啓大公殿下さま』ですが、インテリ初年兵のノエル着任から始まる小隊の心温まる交歓劇に仕上がっています。
最初は荒んだ古兵クレハの無理難題、イジメ、鉄拳制裁でチョット沈んだ気持ちになりますが、二人の遭難から物語は穏やかに進展を始めます。山道からのクレハの転落と、殺意すら抱いていたにもかかわらず、惻隠の情から飛び出して助けるノエル。骨折で歩けないクレハを背負ってのサバイバルから互いのわだかまりは溶けていきます。
そして入院中、新しい小隊長フィリシアの勧めもあってクレハはノエルから読み書きを習います。徐々に読み書きできるようになるクレハ、兵隊として成長していくノエルの姿に、小隊の連帯感が強まりが重ねられていきます。孤児であり、兵舎しか知らないクレハにとって、1121小隊は初めての家族なのでしょう。1年後、乙幹に合格したノエルが教導隊に入校するとき、別れを悲しむクレハが拙い文字で「拝啓大公殿下さま…」で始まる直訴状を書きます。手紙はフィリシアの検閲で差し止められますが、リオの口添えで天聴に達します。伍長昇任後に異例の原隊復帰をするノエル…
映画版が心温まる話になったのは、TV版のソラヲトの反動なんでしょうね。でも、鬱展開、救いようがないと言われたTV版もドラマとしては傑作です。いや、ソラヲト熱がぶり返して、TV版を見返してしまったということです。
やはり掉尾を飾るのは第12話『蒼穹ニ響ケ』です。あのスピード感はたまりませんでした。両軍対峙の中間線への進出。通訳の巫女ユミナを通じたアーイシャの捕虜宣誓と解放、独断での停戦ラッパを伝達してからの急展開は何遍見ても目が離せません。
偶然の結果、始まってしまった戦闘。停戦ラッパを吹奏していたカナタは両目を負傷し車内に転落します。ユミナが包帯を巻いている間にも敵弾は小隊に集中する。そしてタケミカヅチは脚部が撃破され、地上に落下、横転します。
かろうじて皆は底部脱出口から這い出たのですが、ノエルは整備担当としての責任感からか、または戦車への愛情からか、皆が止めるのも聞かずタケミカヅチに戻り、鹵獲防止用の爆薬を取り出し破壊部署を果たそうとします。車内破壊するために黄色薬のセットを終え、脚部破壊用の対戦車地雷を取り出したところでローマ軍の偵察戦車の接近を認めます。ノエルは躊躇なく黄色薬・対戦車地雷の双方に点火します。煙を引く導火線のついた地雷を持って,こけつまろびつ走るノエル。偵察戦車に接近、戦車底部に飛び込んだところで爆発。敵戦車の擱座と同時に自爆するタケミカヅチ。
その状況を目の当りにし、狂を発し心身喪失となるフィリシア。「眼が見えない」と泣き叫ぶカナタ。そして偵察戦車から飛び出したローマ兵の接近。意を決したクレハは短機関銃を手に飛び出します。クレハは雄叫びを上げながらローマ兵に走り寄り、乗員を薙ぎ倒すことに成功します。ですが、最後の一連射は途中で弾切れを起こしてしまう。止めを刺しきれなかった敵兵に組み敷かれ、クレハは銃剣で腹を刺突されます。そして重傷を負ったもの同士の、雪の中で這いつくばった格闘。クレハは指でローマ兵の眼を潰し、かろうじて掴んだ円匙で敵の顔を殴り潰すことに成功します。その敵兵の絶命、痙攣のあと、クレハも斃れる。相打ちとなった二人の周りに、白い雪に血が広がっていく…
そして、一旦落ち着いたカナタが立ち上がり、アメイジング・グレースを吹く。ここからが圧巻ですね。
戦闘の合間に突然訪れた凪の瞬間、静寂の瞬間に始まったアメイジング・グレースですが、やはりマクロスではない。音楽で戦争が止まるはずもないというリアリティなのでしょう。カナタの音楽を聞き、倒れていた偵察戦車の最後の一人が車体にすがりつくように這い上がる。仲間の仇討ちのつもりなのでしょう。砲塔上に備え付けられた重機関銃にとりついて、カナタを狙う。連射の発砲炎のカットのあと、カナタの音楽が突如止まります。重機の弾で胴体を引きちぎられたカナタ。それを見た敵兵も引き金を引いたまま重機にもたれかかり絶命、空に向いた重機から続く連射。
カナタの上半身が、ラッパを握ったままでフィリシアの足許に落ちるところからがクライマックスでしょう。
戦闘の衝撃で心神喪失状態であったフィリシアですが、その表情が怯懦から狂気に変わります。その憎しみの視線は、ローマ軍の散兵線から飛び出してきた一人のローマ兵に向けられる。
「カメラード」と叫びながら、笑いながら走ってくるローマ兵アーイシャ…時告げ砦でかつて肌を合わせたこともある、百合の仲になった恋人。それと知りながらも、敵として憎しみのまなざしを向けるフィリシア。自動拳銃にストックを取り付け、狙い、全自動で発砲。斃れるアーイシャと雪原に広がる血潮。その手にはヘルベチア語で書かれた『停戦になりました、戦いは終わりです』というビラ…。そして、ローマ軍から飛来した一発の弾丸と倒れるフィリシア。
直後、停戦命令を伝えるラッパ。猛スピードで到着したクラウス少佐のオートバイ。その側車に乗って大公姫リオが到着するのですが、間に合わないのです。「みんなはどうした」と叫ぶリカに対して「みんな死んじゃったよ」という虚ろな眼をしたユミナ。
最後に「停戦協定の翌日のことであった」がフェード・アウトしてFIN。
映画版にしても、TV版にしても、硬軟どちらの展開でもソラヲトはいいですね。『ストライク・ウィッチーズ』とは全然違います。ストパンもソラヲトを意識して硬軟つくろうとしたのでしょう。ですが、軟派のストパンTV版は萌え兵営描写ばかり。硬派をやろうとしたのが映画版『ストライク・ウィッチーズ -音速雷撃隊-』なのでしょうね。でも戦争賛美アニメになってしまいました。よりによって原作のキモであった「月に行くため」と「基地外だ」のシーンをオミットまでしています。TV版にしても映画版にしても、ストパンのの限界はやはり制作総指揮の石原慎太郎の限界なのです。あの世代、従軍経験を持たず、戦場のリアルを知らない割に、一番過激なんですね。特攻隊の肯定や死の美化も甚だしいものです。
いけませんね、ストパンの悪口を書くつもりはないのですけれども…でもまあ、映画版ソラヲト『拝啓大公殿下さま』、ストパンの『音速雷撃隊』よりもよっぽどオススメです!
参考資料
『拝啓天皇陛下さま』(63年 松竹)
『血と砂』(65年 東宝)
『瀛報』(ようほう)第29号『必要なのか新戦車』(平成22年8月15日発行) まえがきより
2009年夏コミ「かわいそうなしゃち」
2008年夏コミ「最後の早慶戦」