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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.03
14
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21:55
Category : 有職故実
 朝日新聞の投書欄、「声」で見つけた「大学生たちどこへ行く」※ なのだが。当世の学生気質を嘆くアレなステロタイプのもの。

まず「就職難の時代である」と前置きして曰く

・ アルバイトや遊興をしない
・ 就職に備えて一年生の時から勉強している
・ 先輩の話を熱心に聞くと思ったら就職活動についてばかり

いつものパターンのあとに、決定打

・ 政治や社会問題への鋭い声が聴こえない

とある。

 ちなみに、昭和52年の新聞。おそらく、昭和42年や32年、12年あたりにも有りそうな投書。今の還暦親爺どもには「当世の学生は就職のことばかりで、政治や社会に…」という権利はなさそうだねえと。

 さらに香ばしいのは、投稿主が24歳というとこ。2つ3つ歳上の男が、大学生に対して、最近流行りの言葉だと「上から目線」なのが戯画的である。

 最近の若い奴は挨拶しないとか、礼儀が云々のような、この手の投稿は昔からある。載せてもらうための、世間に対する迎合的な作文だね。郷原は徳の賊なりというアレだ。

※ (投稿者は秘す)「大学生たちどこへ行く」『朝日新聞』(1977.1.1)p.5
2013.03
12
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TB:0
23:26
Category : 有職故実
 いまさらだけどね。

 Pと雪歩が、闇物資の買い出しに行く話がね。東京洲崎の七六五楼を出て、入間、館林、野田を旅する話なんだけど、世相がね。昭和20年春、既に物資の底をついた東京から田舎に闇物資を買いに行く、いつもの所に挨拶がてら、増量を頼みに行くのだけれども。田舎は食べ物にあふれている。田舎の農家は白米を食べていて、ありあまる米で甘酒を、どぶろくを作っている。

 そこに響ルートで入手した黒砂糖、伊織ルートで入手した衛生用のサックを持っていく。最初はPの情婦気取りの春香が一緒に行きたがったのだけれども。遣手のピヨ姐さんに「お春、オマエは、お白粉臭くて駄目だよ。歩き方からソレ者じゃないか」と言われてショボンとするところとかね。

 堅気の風をした雪歩が「お雪、お前はまともに稼がないんだから、たまには働け」と言われてPに連いて行く。しかし、最初から厳しい展開。まず、上野の駅の、厳しい目をした戦災孤児に、世間知らずの雪歩はたじろぐ。せがまれて、また心優しい女でもあるので憐憫もあって、お弁当の、サラの白米で作ったおにぎりを渡そうとする。だが、孤児の群れにに荷物ごと奪われてしまう。呆然とする雪歩がいい。

 汽車の中も雰囲気が変わっている。昭和15年、16年とは違う。明らかに廃兵であるPに席を譲ろうという人はいない。既に経済警察の取締は始まっている。雪歩の荷物に手をつけられる寸前で汽車が動き出して取締が終わるところは、前半のクライマックスです。誰も死なない話しなのにサスペンスで、緊張して見入ってしまうところです。

 田舎に行くと、食べ物があふれている。入間にはお茶があふれている。野田には醤油があふれている。館林にはこんにゃくがあふれている。肉はないものの、川で捕れた鯉やうなぎがある。東京市内ではどこを探しても見つからない食べ物がいくらでもある。

 座敷には、東京の人が持ってきた絹の晴れ着が何枚も無造作に置いてある。大農の家では酒盛りをしていて、飽食の上にドブロクを飲み過ぎた農民が泥酔し、庭先に嘔吐している。雪歩は上野の戦災孤児との落差に愕然とする。黒砂糖やサックで人の顔色が変わる、その醜さにもアテられる雪歩。

 今後の物々交換の渡りをつけた上に、手荷物一杯のおみやげを貰った2人は帰りの汽車に乗る。汽車の中は乗客で一杯になっており、みんな明らかに下り列車とは違う大きな手荷物を持っている。汽車が荒川を渡る寸前に突然止まり、経済警察の手入れが始まる。Pと同じ中支で息子が死んだという、同席した地元の爺様の後をついて、何事もなかったように汽車から逃げ出したPと雪歩だが、あと一歩の所で警察に捕まってしまう。

 巡査に遂に荷物を改められる。中身について説諭され、没収されるようとする。その寸前に、あの男嫌いの雪歩が、若い警官の手を引き、胸を触らせて色仕掛けをしかけるのだが駄目。

 全てを没収されるその時に、隠れていた中年の警官が巡査を追っ払う。そして雪歩の方に近づいてくる。雪歩には生理的な嫌悪感をもった顔つきにしか見えない。雪歩の方に伸びてくる手。Pにしがみつき、穴に落ちるかのようにしゃがみこんでしまう。

 しかし、よく見ると右手の指の数が足りない。その手はPの肩に伸びて、久しぶりだなとの挨拶。Pと同じ中隊の班長だった男。兵と下士官の落差や、逆に高蚕出と警官の差があるものの、中隊の誼と傷痍軍人としての連帯感で救ってくれる。

 しかし、爺様は助けられない。その全ての米穀を没収される姿を見て、父のない孫のために米を手に入れようとした爺様の姿をみて、雪歩は別の涙を浮かべるところがねえ。切ないけどいい話だよね。

 あとは、やよいの弟、長助の話も良かった。長介が家の自転車を盗まれる話。東京市内を探しまわる話なんだが、万策尽き、途方に暮れた長介が他人の自転車を盗んでお縄になる。これも涙なしには見られない話だったが、ちょっとアギトイまでのお涙頂戴にも見えたよ。



 コミケの時に書いて放棄したのを見っけたので、手入れてアップしました、ハイ。
2013.03
09
CM:1
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06:37
Category : 有職故実
 JP-4とJP-5がコンタミすると大変なことになると言ったきり、具体的にどうなるのか説明できなかった方の発言ですが、CIFの意味を承知せずに、先物とかの話に繋げて「風説の流布」と仰っているのは、とんだ専門家であるなと。

@daitojimari @gaku226 お疲れ様です。例えば「財務省貿易統計(CIF)旬間速報」等 http://www.paj.gr.jp/statis/  からのリンク先をたどれば、基礎データが公表されており、ミスリードか否か、データを元に判断できること、広く知られて欲しいですね。
https://twitter.com/hebotanto/status/309875536044367875
赤字は筆者による
 

@noraapro @daitojimari @gaku226 また、CIFの読み解き方については、原油先物取引にも直結する「有料ノウハウ」であり、その予測については一般論でも取引材料として機微です。 一方で下手すると風説の流布にも繋がりかねませんので、公式機関解説推奨です。
https://twitter.com/hebotanto/status/309894695998353408
赤字は筆者による


 どうやったら「財務省貿易統計(CIF)旬間速報」がCIFになるのだろうか。これは「統計での金額がCIF価格です」と言っているだけに過ぎない。それを略語だと誤っているのは、貿易や統計について無知な証拠である。

 まず「財務省貿易統計」は略語にしようとする点が誤りである。普通は、2回めからは「貿易統計」とか「統計によると」で済ます。今調べたのだが、英語のニュースでも略さずに"trade statistics"とか"statistics”になっている。

 略語をCIFとした点は、完全な誤りである。CIFの意味は、海上輸送で到着港渡しの意味。FOBかCIFかという、価格の引渡し条件を示すものである。「CIFの読み解き方」の読み解き方なんてものは別にない。原油先物取引でも、基本はFOBかCIFである。今の原油価格では、輸送費も保険料も微々たるものである。原油価格の日内変動に収まる範囲であって、先物でも、それでどうこういう話はない。

 つまり、二つの誤りを犯していることになる。まず、財務省貿易統計を略す際に、英略字にしようとしたことが誤りである。つぎに、その略語としてCIFとしたことも誤りである。CIFの意味を知っていれば、このような誤りはしない。具体的な内容を知らずとも、CIFが貿易関係であり、だいたいFOBが対になっていることは一般常識である。

 そのあとの「風説の流布」云々も、自分には権威があると見せかけるための、イミテーションだろう。まず、JP-4とJP-5のコンタミでもそうだったが、簡単に説明できる話を、わざわざ難しい専門用語で修飾している。その本意は、自分を大きく見せようとするコケオドシである。



 まあ自分で「エリートでござい」と言っている奴は、たいてい…だよねってことですね、ハイ。
2013.02
18
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06:02
Category : 有職故実
 陸上不発弾発見のニュースなんだが、つい、こないだにも海上不発弾処理のニュースもあった。

 不発弾はまだまだある。陸上にはそれほどないが、海にはゴロゴロしている。

 陸上では、通常爆弾は概ね限定された目標にしか投下されていない。出てこないことはないが、それほどの数ではない。その上、戦争中から不発弾は適宜処理されている。今残っているのは、命中場所からわりと離れた所に水平に埋まっている爆弾である。爆弾は地面に潜ると、J形貫通という奇妙な挙動をすることがあり、そういった爆弾は戦時中も戦後も未発見で処理されている。まずは例外である。

 しかし、海にはゴロゴロしている。戦争処理で捨てた銃砲弾薬と、発火しなかった機雷である。

 戦争直後に、銃弾から砲弾、爆弾、魚雷、爆雷、機雷のたぐいは全部、そこらの海に海洋投棄した。いまでも浚渫の際には、それらを引っ掛けないように磁気探査をする。変ったところでは、化学兵器も捨てている。屈斜路、苅田港、大湊だが、そのうちの一個を担当したのだが、危険性はともかく、風評被害防止や折衝が面倒この上なかった。ただ、いずれも安全な状態であるので危険性は、ほぼない。

 もう一つは、未発火機雷である。日米双方の機雷が海底にはゴロゴロしている。

 日本側機雷は、戦後1年間で完全処理されているが、炸薬その他はまだ海底に落ちている可能性が高い。繋維機雷であり、艦船による敷設であったので、敷設場所を繋維掃海すれば、船舶航行への危険はなくなるので処理完了となる。しかし、繋維索を切って、浮いた機雷を銃撃処分しているだけであり、銃撃で爆発しなかったものは、浮力を失い海底に沈んだままになっている筈である。

 米軍の機雷は、電池切れしているだけで、海底にゴロゴロしている。米軍は、日本本土に1万個程度の機雷を敷設したが、8割はそのままになった。敷設機雷のうち、大雑把に1割が触雷に成功し、1割が敷設直後に自爆あるいは陸上落下している。残り8割のうち、戦後に日本側が行った感応掃海で処理できた機雷は、3割(うろ覚えだがね)程度、つまり、1万個のうち、8割が残り、その3割を処理したにすぎない。残りの5割は「電池が切れ」で安全になったとみなされたものにすぎない。

 実際に、下関海峡付近では、海自掃海艇が訓練ついでにソーナーで海底をみると、たまに機雷を発見できるという。ただ、安全であると見なして放置しているだけである。最後まで生き残った磁気機雷による触雷は昭和34年、磁気掃海での発火は37年であるので、安全といえば安全である。その除去のコストやリスクを考えると、無理に処分する必要もない。

 まあ、本当なら海保に届けるのだろうが、届けても仕事の手間やコスト、社会的影響があるので、届ける気もしないし、届けてくれるなといったところなのだろう。



 うん、朝の20分で書けるものだ子
2013.02
17
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13:00
Category : 有職故実
 明治42年の新聞記事だけど。青学の学生、緒方○○さん(22)が、女をとっかえひっかえしたので拘引のち釈放された事件。なんでもギャルゲー並みに数十人食ったらしい、羨ましいというのはともかく。食われた方の女の言い分に平成を見たよ。

 ヒロイン側になる姉妹2人の言い分がふるっている。大宮の中田さん家の長女(20)と次女(17)の言い分なんだが
私達姉妹は緒方さんと同じく基督(キリスト)教信者で、姉妹ともに同氏と肉体の関係あるも精神は毫も穢れ居らず、神は浄き血を以て罪を浄め玉うなり肉体の関係は憚る処にあらず
「●驚く可き堕落男女学生」東京朝日新聞 明治42年11月20日より
「男を取っ替え引っ換えしたけど、心は清い」というような話は、本人の言い分にしていいものではない。若い尼僧が戦傷病者を救おうと、戦地にはいって強姦された後とか。あるいは苦界の話にしても、自堕落ではなく、心が清らかで信心篤く、喜捨や浮浪児保護に熱心な娼婦を指して、周囲が称賛する言葉である。あんま、自分から言い出すことじゃない。

 ああいう女は昔からいたということだ。「心はピュアなまま」とか自分から言い出す、発言小町タイプの女性は、明治の頃からいた。昔は性的に厳しい社会というのも、建前だけで、明治・大正・昭和初期まで内縁での結婚離婚は多い。大正デモクラシー、モダンや自由恋愛の中身も、中田さんの姉妹みたいなものだ。ただ、自分から言い出しはしない。一応は恥じるマネはするものだ。

 中田さん姉妹も、反発して口について出てしまっただけなのかもしれない。記事中で警察署長は「色魔の玩弄物となれるを毫も不貞の行為とは思わず不敵の態度なり」と言っている。そういう隙を見せてはいけないみたいな、田舎道徳的な説諭に、つい反発したのかもしれないけど。

 ちなみに緒方さんの戦法は、手紙を渡して面会し、断られたら短刀を出すというシンプルなもの。記事中に「美人録」と書かれた、いい女リストを持っていたという。手当たり次第に恋文出して、回答を強要し、駄目なときには「お前を殺して俺も死ぬ」らしい。これで数十人というのだから、何かの参考になるかもしれないが、お前を殺して俺も死ぬとか、短刀の方が、いまでは脅迫とか銃刀法でNGだね。



 ちなみに、記事には緒方さんや中田さん姉妹の下の名前、住所まで出ている。報道におおらかな時代であることが実感されるよ。
2013.02
11
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21:21
Category : 有職故実
 米軍のプロキシみたいなものだから、都合の悪い話は見聞きしないようにしていたのだろう。JSFさんとだよもんさんが、「商船がレーダ照射を受けたことが分かるのか」とマヌケなこといってる。米艦艇は結構、商船や漁船を実艦的に見立てて艦砲を向けていた。中には、もちろんだけど当たらないようにして実際に発砲した件もあることを知らないわけだ。

https://twitter.com/Military_Topics/status/300461967024459777
https://twitter.com/V2ypPq9SqY/status/300462727695048704
https://twitter.com/obiekt_JP/status/300469619351760898

 実際に、米艦艇や航空機は民間船ほかを標的に見立てていた。実際に発砲した件もある。航空機が商船に当ててしまった件もある。そこまで行かなくとも、東京湾口あたりでは、適当な商船を標的に見立てて操砲訓練をしていた。

 1988年11月には、C・F・アダムス級のタワーズが、野島埼南の日本領海で巡視船「うらが」後方に5インチ砲を17発発射している。弾着の距離については異同があるが、おそらく、後方2000ヤードを狙ったもののうち、何発かが1000m内外に弾着した様子である。これは巡視船相手であったので抗議できた話で、それまでにもなかった話ではないと報道されている。

 沖縄近海になるが、1987年7月には、F-18がマレーシア商船に演習用の爆弾を当てている。その巻き添えで、乗員の方が方腕を失った。これらの被害については、安保条約に基づき日本政府が保障している。

 砲を向けられたことがあるという体験は、珍しくないようである。タワーズ射撃のあと、報道でそういった証言が出ている。周辺対策で漁組ほかに行った時にも、そういった話を聞いたことがある。正確に狙っているかわからないのと、抗議しても意味が無いので放置しているだけの話なのだろう。

 自衛隊も似た様な事をしたことがある。2005年頃に、八戸のP-3Cが三沢漁協の漁船を標的にして攻撃動作の訓練をした。この時は八戸の某が「これに萎縮することなく」と訓示・掲示したが、直ぐに三沢に伝わった。海曹士は地元採用だから、当然である。この件、三沢漁協から三沢事務所を経由して問い合わせがあり、連絡官として別ルートで確認することとなった。八戸にいる同期のパイロットあてという形をとって要件を述べて「事実か」と部内電話したら「いないと言え」という後の声が聞こえたよ。夕方になって整理できたのかようやく回答があった。嘘くさいこと言ってきたけど、目的は「そんなことするな」と冷水ぶっかけることだから、それでいいのだけれどもね。

 なんにしても、つい20年前のタワーズの件も覚えていないということだ。新聞を読んでいなかったか、米軍不祥事を避ける心情があって忘れたか。特にJSFさんは米軍のプロキシを自認しているようなので、擁護の立ち位置で「商船がレーダ照射が分かるのか云々」と言いだしているのだろう。

 まあ、お二人とも海軍関連は相当にセンスがズレているのだからしかたがない。ゆとり上陸理論や、トラックで船舶輸送を代替できると思い込んだり、T-43を掃海戦力に勘定したり「機雷を踏めば一発減るというのがソ連脳」とか言っている。いずれもセンスのズレを覗える発言である。
2013.02
11
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13:00
Category : 有職故実
 オーストラリアとの同盟はいいとして、インドとの同盟は難しいのではないか。

 中国に芽生える恐れのある膨張主義を封じ込めるため、オーストラリアやインドとの同盟関係構築をやるとすれば、日本もそれなりに主張を後退させなければならない。オーストラリアであれば捕鯨取りやめ、インドであれば核兵器開発を認める必要がある。捕鯨で悶着を起こしては、オーストラリアとの同盟は上手くいかない。インドとの同盟をどうにかしようとしても、核兵器開発の問題を整理しなければ、実験の折にでも同盟は頓挫する。

 オーストラリアとの同盟関係を構築する上では、南氷洋の捕鯨はやめなければならない。調査捕鯨をやれば、オーストラリア国民は面白くない。調査捕鯨のインパクトは、中国がとるかもしれない膨張主義よりも、オーストラリア国民にとって強烈である。捕鯨は、目の前の、自分たちの海と思っている地点で行われる。遠い南シナ海で、中国軍艦が大きな顔をしているよりも、目の前で自分たちの鯨を虐殺される方がよほど不快感を起こす。調査捕鯨の権利はともかく、南氷洋での実施は問題外である。

 インドとの同盟関係では、核兵器開発を整理しないと、同盟は直ぐに躓く。インド人は核兵器を絶対に放棄しない。日本人がインドとの同盟を望むのであれば、日本国内でインド人の核兵器開発を認めるといったコンセンサスを作っておかないと、核実験ひとつで同盟は破綻する。日本国民にとって、NPTに入っていないとはいえ、核兵器開発をする国との軍事的な付き合いはやめようという話も出てくる。

 南氷洋での捕鯨はやめられても、核兵器開発を認めるのは容易ではないといったところだろう。

 捕鯨を止めることは難しくない。調査捕鯨は足踏みしている。そして捕鯨には実利はない。日本人としても、捕鯨の権利を侵蝕されるのが嫌なのであって、別に南氷洋で捕鯨をしなければならないこともない。捕鯨の権利があると主張できればいいし、権利を確認するにしても、日本近海でやればよい。

 しかし、核兵器開発を認めるのは容易ではない。まず、日本人には広島・長崎の経験に基づく心理的嫌悪感がある。また、北朝鮮の核開発を非難している点との平仄がある。インドの核兵器開発は許され、北朝鮮のそれはダメというのは、原理原則を重視する日本人には受け入れがたい。

 もともとインドとの同盟は、筋が悪い。インドと同盟関係を持つと、パキスタンとの相性が悪くなる。中国の軍事的行動を非難する向きもあるが、インドも結構、周辺国へに軍事的圧力を掛ける。最近でもスリランカに圧力を掛け、軍事的介入している。

 「インド人に裏切られた」と逆恨みすることになる可能性もある。だいたい、インド人のメンタリティーと日本人のメンタリティーの相性も良いわけではない。インドはドライで、国際情勢の変化に応じて、同盟関係は直ぐに入れ替える。冷戦初期には非同盟であったが、後に親ソとなり、冷戦後は親米になっている。今、対中同盟で意気投合しているが、何かの拍子で中国と同盟を組む可能性すらある。だいたい、インドは中国と国境紛争を抱えているが、貿易は盛んで、軍事的にもAEW機の共同開発をしている。「民主主義という同じ価値観」というような言葉に酔っても、いずれインドへの幻想に裏切られるのではないか。



 インドとの対中協調は、利害があう範囲と期間限定として、表面的かつ短期的なものにとどめておいたほうがいいのではないかね。
2013.02
05
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TB:0
13:00
Category : 有職故実
 国立国会図書館に行く途中、黒塗りの中に知った顔があって、頭をペコリ挨拶をしたことがあるのだがね。あとで思い出すと福島瑞穂だった。向こうからすれば知らない顔に挨拶されて困ったのかもしれないし、政治家だからいつものことかもしれないのだけど、答礼してもらえた事があったね。

 福島さんは、結構ファンなんだよね。昔、TBSラジオゆうゆうワイドで人生相談に出てらっしゃった。そこでは、弁護士として党派性は抜きに相談者の利益に則った回答をしていて好感持てたのよ。

 中でも一番印象的なのは「隣の庭で爺ィが見える場所で立ちションする、どうにかできないか」という相談。回答は「お願いするしかないですね」「塀の類でも立てるとか」だったのだけど。相談者が法的処理を口にした時に、福島さんはそれを窘めた。家は個人の城であり、絶対的な自由の領域である。そこで行われる合法的な行為を妨碍する権利は誰にもない。そういった趣旨を諭すように説明した。法曹として立派な人だと思ったよ。

 その福島さんが党首をされている社民党本部が引っ越した。国立国会を使ったことがあれば分かるのだが、結構な偉容を誇る本部ビルなんだが、よく見ると壁にクラックがあり、鉄筋むき出しの剥落部が網で覆ってある。党勢が議員数6人まで零落したので、修復する金もなかったのだろう。ビルをテレビの撮影や、養蜂屋に貸し出したりしたものの焼け石に水だしねえ。あれほどの土地を、党員6人で建物を維持できない政党に貸し付けるのも、もったいない話なので、持ち主の国に返すのも当然だと思うけどね。

 社民党は歴史的役割を既に終えている。かつての保革構造の中で、社会党穏健派と自民党左派が占めていた位置は民主党に取って代わった。今のどー見てもアレな自民党や首相に対抗するにしても、民主党に期待するしかない。まず社民党は第一選択肢とはならない。

 少数政党としてやっていくにしても、いつまで続くか分からない。だが、福島さんには議員として残っていてもらいたい気持ちがある。前の沖縄問題でも、普天間の県内移転に反対し、連立から離脱したのは福島さんだった。前の戦争で本土は沖縄を見捨てた。本土決戦をやると嘘をついて騙した形になった。返還後も基地を押し付けている構造は続いている。その沖縄側に立った行動は、政治的な得失はともかくとして、諒とすべきだと思ったよ。

社会民主会館

社民党本部
2013.01
04
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13:00
Category : 有職故実
 昭和16年に出た朝日新聞にコンタクトレンズの記事があった。戦前からあるところにはあったらしいのだか。これがカラーコンタクトであり、ファッションとして瞳を違う色に変えられるとも書いてある。今あるものは、たいていは戦前からあったということだ。

 記事名は「便利な接触レンズ」※というもの。「従来射撃レンズと呼ばれていた」コンタクトレンズが、ベルリンではカラーを付けて違う色の瞳にする道具として流行しているといったもの。

 戦時下のドイツで、カラーコンタクトのような奢侈品は流行していたとも思えない。昭和16年は、第二次世界大戦が始まってすでに2年が経過している。「そういうものが市販されているよ」程度の話なのだろう。

 ただ、コンタクトレンズそのものは、さらに古いもの。記事で解説を求められた逓信病院院長、石原忍さんは「30年ほど前、留学先のドイツで実験したけど、1時間もつけていると充血して実用困難だった」(大意)とのこと。ドイツ留学当時は、厚さ1mm、黒目大だったとも説明している。

 ただし、1930年代後半からは、薄いアクリル樹脂製が使用されていたらしい。佐藤勉ほか『コンタクトレンズ』(医学書院,1960)によると「1937年にニューヨークのObrigが始めてアクリル樹脂原料を使用した」とのこと。ドイツのカラーコンタクトも、アクリル樹脂製かもしれない。ただし、『コンタクトレンズ』には、日本で最初に着用した人として石原忍さんが出てくるが、ドイツのカラーコンタクトの話は出てこない。



※ 「便利な接触レンズ」(朝日新聞,1941.7.13)3面
2012.12
26
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TB:0
13:00
Category : 有職故実
 同姓同名の人が同時期に活躍すると紛らわしいもの。

 戦争中、終戦付近の動静だと、吉田茂と加瀬俊一がそれにあたる。

 吉田茂さんは、御存知、外務省出身の元首相とは別に、内務省出身の人もいる。戦争末期に福岡県知事と軍需相をやって、戦後に神社本庁に移った人なんだがね。本土決戦準備で地方総監を調べていた時に、その前身の「九州地方行政協議会会長 福岡県知事 吉田茂」が出てきて驚いた。その後、注意して内務省関係を見ていると、結構出てくる。『内務省史』のガリ版官報の話だかで「関東大震災の時に、東京市助役をやっていた吉田茂さんが、市役所がダメになったので、内務省の中庭に間借りして仕事をしていた」とか、そういった話がでてくる。だいたい同世代人で、外交官試験と高文試験(しかも内務省)を突破したトップエリートだから、同じような場所、人脈で出てくるので、内務省が外務省がわからないと紛らわしい。

 加瀬俊一はもっと有名だろう。「俊一」の読みが「としかず」さんと「しゅんいち」さんなんだが、終戦工作だとどっちも出てくる。「としかず」さんがベルン公使でアメリカと終戦工作した人。USSBSのマイクロ読んでいると「広島に落ちたの、あれ、原子爆弾」って報告もしている。もうひとりの「しゅんいち」さんは終戦時に外務省情報局の人。高木惣吉さんの終戦関連の話に出てくる方で、ついこの間までご存命だった。

 似た名前だと、黒田清隆と黒田清輝が紛らわしい。「きよたか」さんが二代目の総理大臣、酒癖がアレでという話も有名だけれども、篠田鉱造さんの本には力持ちで梅坊主さんに腕の上でかっぽれを踊らせたみたいな話もある。「きよてる」さんが画家なんだが、貴族院議員もやっているので紛らわしい。帝国憲法の時の総理大臣がどっちだったか悩む。あるいは、東京国立博物館あたりで絵を見ると、これもどっちだったかと作者名を確認する。むしろ、名前が別なのが却って面倒でね。「首相のひと」と「画家のひと」で済まないからねえ。いまでも「きよたか」さんか「きよてる」さんかと毎回悩む。笠原弘子と笠原留美、平野レミと平野文あたりもそう。

 川路聖謨と川路利良も難しい。「としあきら」(聖謨)さんは幕臣で日露和親条約の人。「としよし」(利良)さんが、警察のエライ人で「大警視川路利良」なんだが、だいたい逆に、ゴロと落ち着きがよい方の「大警視かわじとしあきら」と言ってしまう。

 幕臣だと、西周、津田真道、田口卯吉が立ち位置が同じで、同じような本を書いているので紛らわしい。特に、西周と津田真道は津和野藩と津山藩だから、そこでもどっちがどっちとなる。同姓同名ではないのだけれどもね。「かないみか」と「こおろぎさとみ」のキャビテーションノイズを聞き分けるみたいなもんだ

 まあ、こんなことを書いたのも「矢吹健太郎」という名前を見つけて「矢野健太郎」を想像して、さらには数学の参考書を思い出したからなんだけどね。矢吹さんは『To LOVEる』の人なんだが、40代以上には『ネコじゃないモン!』の「矢野健太郎」を想起してしまうし、そこから数学の参考書に書いてある著者名も連想されてしまう。

 逆に、昭和30年の朝日新聞、数学クイズに「矢野健太郎」さんを見つけて 島本和彦さんの『アオイホノオ』に出てくるスーツ姿を想像してしまったこともあるのだけれども。
2012.12
22
CM:0
TB:0
13:00
Category : 有職故実
 数の関係から列外になることが結構あった。平素の態度と「も」で始まる苗字がモノ言って、結構、あまりもの編成に入っていた。

 江田島の防火防水だかもそうだった。1人足りない隣の、左舷の分隊に、あまり1ということで放り込まれた。今でも覚えているのは、当直学生だった母分隊の薬剤候補生。「文谷が居ても足を引っ張るだけ」と聞こえるように陰口聞かれたので腹がったった。でもま、防火防水はねえ、やってみたら得意だったのよ。なんせ、山持っていて家も薪風呂、ガキの頃からチェンソーと斧、鉈は使っている。防水での、木を切って削るなんてお茶の子さいさい。回された隣分隊で、母分隊の1/3の時間で3寸5分の角材で大木栓作って差し込んで、抑えもさっさと鎹で打ち付けてやったよ。片方が上手にできると、もう片方が厳しくされる、ザマミロと思ったね。

 余り物編成で懐かしいのが、帆走での8号カッターと、陸戦での3小隊1分隊。どちらも問題児ほかを集めたとこなんだが、分隊間で競争に巻き込まれないから気楽なもの。帆走は風が悪いので、夜航海は適当にやっていたんだが、夜が開けると、競争でタッキングやった連中と大して離れてもいなかった。陸戦小隊では面白半分で「おかあさーん」と叫んで突撃したり、急襲急射撃で航空学生に腕立て200やらせたりした。

 8号カッターは、まあ効率第一だった。医官課程が終わってお役御免の元8分隊長が艇長。この人も、あまり出世欲のない人。無茶は言わないで効率を重視する。ほかのカッターだと分隊長が眼を三角にしているのだが、8号は分隊競争とは無関係でのんきなもの。風が止まったので、ついに人力で櫂走を始めたカッターを尻目に、風がくるまで待っていた。現地についても、砂浜にノシ上げるとき「無理するな、この程度でいいぞ」だった。

 帆走は幕営というか、お遊びキャンプのあと、夜航海で戻る。その夜はまず北風で、安芸灘を行ったり来たりだったが、やはり各分隊カッターは必死になっている。あとで聞くとただひたすらタッキングを繰り返して北上しようとしていたらしい。

 8号は、正直自分の位置もよくわからない。小賢しいことをして、下手に島の間に入って迷ってもしかたがないと、南に流されない程度にのんびり東に移動して、岩国のあたりで北にあがろうということになった。しかし、海図の小さいコピーと、手持ちのチャチなマグネットコンパスなので、灯台見ても灯質判断ができず、しかも方位がよく分からず、現在位置がわからない。

 そうこうして深夜、疲労がたまり、ぼーっとしている状態のとき、目の前にイキナリ灯台が現れて、ヒヤリハットがあった。ブツカッてたら、死人も出ただろう。ただし、寝ている奴は呑気なもの。特に風が当たらず平らな部分で熟睡したやつは何も御存知なかった。己は場所取りに出遅れてオールの上で横になったが、ゴツゴツと風で眠れたもんではなく、オモテに居たのでホントに恐怖だった。岩国寸前まで進んで、ノシ上げる寸前だったらしい。

 結局、一晩、多少切り上がりながらの東西移動していておわり。でもま、ろくすっぽ帆走したことのない候補生のやることだから、ちんたらタッキングしてたら、その間、風に南に流されただろう。結果として回数減らしたのは正解だった。夜が開けると、先頭とあまり差はない。南にもカッターがある。そのうち風が代わって、夜の努力は何だったのかというくらい、快走で江田内に戻れた。

 原村での陸戦は、確か1中隊3小隊1分隊だった。1中隊が一般幹部候補生、3小隊が戦力外、その1分隊は思想不良者、2分隊は体力不良者、3分隊はWAVE。

 まず、空砲射撃の時に一工夫した。空砲は結構、炎を吐く。秋の演習場は絶乾状態なので枯れ草がいっぱい。枯れ草に炎が当たると容易に火がつく。この両方を、ある本で学んでいたので、枯れ草めがけて空砲を撃ち、時には枯れ草を集めて空砲を撃った。

 こうなるとしめたもの。山火事防止で状況中止になる。時間に追われた演習なので、消火の時間分、匍匐そのほかの面倒が省略される。それに気づくと、周りも真似をしだすし、消火も適度にやるようになる。火事はマズイが、早く消えるのもよろしくない。真面目なWAVE分隊に較べれば、相当の省力化になっただろう。

 ハイポートで隠れてスリング使ったりもした。小銃を手で抱えて走るのも重いので、スリング伸ばして背中にかけて、ピンと伸ばして走っていた。ズルなんだが、それやるなとも言われてなかったしね。これも一人が始めると何人か真似した。なんせ、腕のちからがほとんど入らないので全然ラク。もちろん、万事が適当な仲間なので、互いには何も言わない。

 あとは「撃ち方止め」を令さず、しびれを切らせて突撃してきた連中に面白半分で急射撃とかもやった。まあ、全員戦死なんだが、気の毒なことに航空学生なので腕立て200には気の毒だった。その日の風呂(毎日入れるんだから気楽なもの)で、誰か知らんが、ただでは済まさないといっているのを聞いて、ありゃと思ったけどね。

 突撃の時には、適当に叫ぶことになっているのだが、まあ「おかあさーん」は良かったねえ。防大でのハミ出し男の提案なんだが、粋なもんだった。奴は練習艦隊最後の巡検でアフロかぶって座っていた粋な幹部なんだが、成績は己と同じ最低クラスだったよ。

 割りと仲よかったこともあって、帰りの徒歩行軍で車に乗せられる落伍者を出さないで済んだ。行軍といっても50kmもないし、荷物も軽いので陸空からすればピクニックなんだが、尺取虫運動をする最後尾の割に落伍者なしは、海の水準では褒められるものらしい。
 要は体力に応じて荷物をわけただけのズルなんだがね。特に一番重いのが鉄の棒、初から見てないとこでは小銃もわけたし、途中からは堂々と分担した。いいのか悪いのか知らないが、どーしょうもない地口言いながらあるったりね。運良く、高校でのワンゲルだかの経験者がいて「とにかく靴下を変えろ」というのでそのとおりにした。結果、よそほど靴傷で酷い目には合わず、真っ先に上陸できた。針通して糸のこせ、で驚くほど安全に靴傷も治ったのも幸運か。

 カッターも陸戦も、そのあとの練艦隊でも、同じ面子が一緒になることが多くてね。分隊の連中よりも割りと仲良くなったもんだよ。クラスで一番有名になった奴もいて、有名になった理由を知ったときは気の毒だと思ったが、その後の消息を聞くと、まあ、彼も無事でいてよかったと思った。
2012.12
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 今回の新刊の表紙です。色が変なのは、CMYKをRGBに変えてJPGにしたせいですので、紙はマトモです。
 写真に関しては、さすがに撮影できないので米海軍写真を利用しました。

2012年12月21日表紙_ウェブ用








 で、同時に旧刊在庫を引っ張りだしたのですが、前回のがこれですね

2012_07_20_表紙_ネット用



 内容は、「米軍が中国を屈服させるとしたら、海上封鎖では無理で、でも陸上侵攻もできないから、対ドイツ式に国内交通網を麻痺させんじゃね」ってモンです。狙うとしたら鉄道橋と河川交通で、長江南岸が分断され、特に石炭で困るんじゃないですかね。



 その中にいれた図が

長江鉄道橋


橋の詳細


 こんなもんです。在庫もそれなりの数持って行くんで、気になったらどうですかね
2012.12
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 国立国会図書館で、他人が請求して、積み上げられたマンガ雑誌の表紙にに「奥崎謙三」と書いてある。新連載「ゆきゆきて神軍」と頭の中で短絡した。

 よく見ると、岡崎武志だったけどね。雑誌は週間少年サンデーか何か。

 多分ねえ、漫画版の『ゆきゆきて神軍』は奥崎謙三原作、水木しげる作画ではないのかな。全ての元凶はニューギニア編で、アレな環境で、主人公の心が壊されるあたりが、水木先生の絵なんだけれども、ドラマとして、すげーリアルという。 サンデーはサンデーでも、どっちかというと漫画サンデーかねえ。

 「悪い精霊との契約」が全てのキーなんでしょう。マラリアで生死の境をさまよった奥崎さんが、高地人のアボリジニ的なドリーミング・タイムに入って「お前の王のマナを寄こせ」で契約するアレ。(マナはポリネシアの概念だけど)
 BGMはアフリカ音楽『ソバヤ』(タモリ版ね)あたり。突然恢復した奥崎さん、必要もないのに人肉食をしたり、いつも檳榔子を噛むようになる。餓死寸前になると、敵味方問わずパイロットが降りてきて、ご馳走になる。

 あとは、中隊長、大隊長、師団長の怪死の裏に奥崎さんの影ですか。そのたびに悪い精霊が力を貸し与えるという。そして、パチンコ事件へ…

 その『ヤマザキ、○○を撃て』は、おそらく、さいとうたかお作画じゃないかと。そのまま難しい話だから、無難に舞台を別の国にして「ジャッカルの日」に差し替えて終わり。

 調べものも一段落し、最近は殆ど取らないコピーを珍しくとったので、新聞室で縮刷版読んで時間つぶししていると、奥崎謙三さんの皇居パチンコ事件の記事が出ていた。シンクロニシティw



2012年9月27日 MIXI日記より
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 桜林さんの「『愛情』があるから人間は戦争をする」※ なんだけれども。 記事全体のご趣旨はともかくとして、昭和15年を「奉祝ムードに沸いていた」とするのは、当時の世相を無視しているのではないか。

 桜林さんは、おそらく、左翼的な戦前真っ暗史観への対抗、感情的反発として「2600年奉祝」を持ちだしたのでしょう。だが、当時は日華事変の真っ最中で、配給制が厳しくなる時代である。国際環境を見ても、蒋政権を屈服させる見込みも立たず、ABCD包囲網も狭まり、ヨーロッパでは第二次世界大戦も始まっている。この世相をみて、昭和15年は「奉祝ムードに沸いていた」とするのには無理があります。
一体、誰が昭和15年をして「暗い時代」に突入したなどと決めたのだろうか。そもそもこの年は「紀元2600年」であり、日本中が奉祝ムードに沸いていたはずだ。

 「今」の価値観で測って「暗い」「明るい」などと評価するなど、おこがましいことこの上ない。当時の人々の懸命な日々の営みを否定する権限は私たちにはないのだ。

 毎年3万人もの人が自殺し、それ以外にも不審死が数万人に上るという現代は「平和」だと言われるが、果たして「幸せ」な時代なのだろうか。こうなると、もはやどちらがどれほど「暗い」か「明るい」か、などと評することに何の意味もないだろう。

 たしかに、戦前は真っ暗であったと一言で片付けるのは乱暴です。山本夏彦さんがよく書いていたように、戦争による需要増大で、10年前の世界恐慌を吹き飛ばす好景気でもあったわけです。

 しかし「昭和15年は暗い時代」を否定するのに「奉祝ムードに沸いていた」というのは、大きな間違いです。

 桜林さんは平成24年について「毎年3万人もの人が自殺し」と具体的な死者数を挙げ、「[昭和15年と平成24年の]もはやどちらがどれほど『暗い』か『明るい』か」と述べ、今日の、平成24年の世相がむしろ暗いと主張しています。

 桜林さんは、昭和15年の不幸な死者数を御存知ないのです。おそらく、日華事変を知らないか、知っていても「中国相手の気楽な戦争」だと思い込んでいるのでしょう。

 当時は日華事変の真っ最中です。日華事変は日露戦争以上に過酷な戦争で、昭和12年9月から16年12月までの間に、陸海軍で19万人が、戦死、戦病死、戦地での公務死で死没しています。昭和15年には5万人程度が戦死しています。

 昭和15年は、当時は自殺者に加えて、それに倍する死者が発生し、それと同数以上の不具廃疾となった戦傷者が発生しているのです。

 当時の人口は今よりも少ない8000万人ですから、社会に与えるインパクトはヨリ大きくなります。実際に新聞縮刷版を読むと、毎日、戦死者を顕彰する記事が出ていますし、郷土部隊の戦死者名を公告する記事もでています。

 不幸な死者の数を数えてみれば、昭和15年と平成24年では「どちらがどれほど『暗い』か『明るい』か」は容易に判断できると思います。桜林さんのように判断つきかねることもないでしょう。

 時代の閉塞感も、平成24年どころではありません。戦争そのものも行き詰まり、終わる見込みもありません。日華事変は、最初に南京落としても駄目だったあたりで、もうどうしようもないのです。その後、広州、仏印と援蒋ルートを封鎖しても、蒋が降りる見込みもない。その上、対日禁輸も本格化し、国家総動員体制で配給制も強化された昭和15年は、相当に逼塞感が迫ってきた時代です。

 確かに、国家行事としての「皇紀は2600年」もありましたが、あくまで官製のお祭りです。そこで配給の大盤振る舞いもありましたが、国中が「奉祝ムードに沸いていた」ようなものではありません。東京オリンピックや大阪万博の世相とは、通奏低音の戦争の重苦しさが違い過ぎます。

 知り合いのだれかは出征兵士の家なのです。翌昭和16年度の支那派遣軍は72万8000です。海軍の支那派遣艦隊のうち、陸上配置部隊を足すと、まず80万人近いでしょう、出征兵士の家も80万戸です。当時は大家族ですから、出征兵士の家族は1000万人程度はいます。知り合いに出征兵士がいない人を探すのは無理な話で、出征した人のうち、年間5%強が死没し、同数の戦傷者を生むのです。

 試しに97の祖母に聞いたら、「皇紀二六〇〇年のお祭りなんて覚えてないよ。兵隊に引っ張られて大陸に行った爺様がいないんで、毎日が大変だったから」といってますね。日華事変の段階で、近所で白木の箱で帰ってきた人もいたから、支那派遣軍ほかで大陸で戦っている兵隊さんのご家族は、心労で奉祝どころではないのです。

 昭和15年が明るい時代「奉祝ムードに沸いていたはずだ」は、当時の世相を無視しています。桜林さんが左翼的な臭いに感情的反発をした「昭和15年は暗い時代」という戦前真っ暗史観と同様に誤りなのです。

※桜林美佐「『愛情』があるから人間は戦争をする 思考停止を脱して戦争の本質を理解せよ」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36733



と、まあコミケ作業の合間に書いてしまったので、即時投稿。
冬新刊の「LCSには魅力がない」は概成したので、「陸上戦力18万の数字に根拠はない」本にとりかかろうかというところです。
2012.12
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 すしを1貫、2貫なんて呼ぶのは最近のことじゃないかと思ってさ。
というのも、

「黒田のお殿様が16文しか持たないで屋台のすしを食べに出た。
 1ヶ8文のすしを4ヶ食ったあとで
 『1ヶ4文だと思っていた、金はねえ』といって
 『すしの値段もしらねえのか、この唐変木奴』
 といきり立った職人の客と殴り合いの喧嘩」

という話が篠田鉱造の『明治百話』にあったはず…という記憶からなんだけどね。ただね、家で調べたのだけれども。岩波の上巻に記載がない。そして、下巻が見つからないのよ。確か下巻にあったはずなんだが。

 ともかくね、篠田鉱造は、すしを「ヶ」で数えていたのだよ。貫ではなかった。だから、「すし 貫」というのは昭和に入ってできた言葉じゃないかなとね。

 そこで、すしの数え方をググッたら「やっぱ最近だよ」http://www.benricho.org/kazu/column_sushi-5sakka.htmlが出てきた。やっぱり、ひとつふたつ、いっこにこ、だよねえ。

 そもそも握りずし自体がここ最近、200年程度しか経っていないのに、由緒ありげに「貫」なんて新しい助数詞を作るのは、権威づけなんでしょう


2009年11月10日MIXI日記より
2012.12
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 小沢昭一が死んだ。さっき『ゆうゆうワイド』で第一報を聞いたように、まずはラジオの人と思うのだけれどもね。もとは映画や演劇の人なのだが、あいにく映画だと『幕末太陽傳』とか『肉弾』でしか知らない。

 小沢さんは、昭和20年、人材温存のために作られた九州の海兵分校に入る。当時の回顧として、課業外に中尉の分隊士?が「小沢、東京が恋しくないか」と言われ「恋しいです」と答えると「俺もだよ」と言われたといった話をしていた。海兵に行く前の話、麻布中学での配属将校も柔軟な人だったというような話もしている。逼塞感にあふれた時勢の中でも、常に張り詰めていたわけでもないからねという話をしたかったのだろう

 この海兵分校は、高木惣吉が作った制度なのだが、江田島の海兵本科からは徹底的にイジメられている。同じように戦争に行っていない75-77期が「お前ら海兵を名乗るな」とまで言っている。期名では( )に入れられて(海兵78期)ともされている。昔の『水交』あたりを読めば分かるのだが、機関学校や経理学校への差別どころではなく、まずは尋常の話ではない。

 小沢さんは、その78期同期会の司会をやった話が出ている。ちくま文庫で題名は忘れてしまったのだが「78期は多い、4000人もいる、カネミ油症?事件で逮捕された○○さんも78期、担当した厚生省の○○さんも78期、担当検察官の○○さんも78期」といった挨拶をしている。

 ただし、その後の会の流れが「同期の桜」の類を歌うアレな感じになってしまい「御歯に合わない雰囲気」と冷ややかな目で見ているのだけれども。

 このあたりの話を含めて、まずは早大出の将校・幹部の雰囲気だよね。小沢さんの場合は、分校の後に早大一文なんだがね。なんというか、醒めているというか、軍隊特有の自転する構造に対して批判的になってしまう。己もそうだし、同期に3人いた同窓もそう。名誉早大だった慶応出もそんな感じだった。いろんな意味での先輩が死んでしまった印象を受けたよ。

 当節の、兵隊の生活も知らないひ弱なボンボンが、なんの必要あってか国防軍だの憲法改正だという御時勢があるけどね。小沢さんにはそれを茶にして欲しかったねえ。

 戦争でエライ目にあった昭和ヒトケタで、比較的恵まれているとはいえ海兵分校で軍隊生活を暮らした小沢さんは適任だと思うのだけれども。
2012.12
05
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 歴史的円高とか言っているが、アレって単に米ドルがインフレで価値下落しているだけじゃないのかな?

 米哨戒艇サイクロン級建造費(1990年契約)を知りたくて調べたのだが。「インフレ換算しなきゃいけない」と「アメリカのインフレ率の推移」※ から、各年分のインフレ率を22年分乗じた。1.0542(1990年ね)とか0.9968(2009年ね)みたいな数字を掛け算でつないで、グーグルに計算させたんだがね。1990年から22年間のインフレ率は185%となった。

 これって、ドル円相場の変化そのものじゃないかね。1990年は1ドル150円位、2012年は80円位、80円に185%を掛けると、ピタリ148円になる。

 歴史的円高って、実は妥当な為替水準ではないかね。同じ期間、日本のインフレ率は1%未満が多く、プラスとマイナスで行って来いになっている。日本円の価値が同じなんだから、インフレの分、米ドルの価値が下がるのは当然といえば当然の話だろう。

 それを「歴史的円高で輸出業が大変」というのは間違っているんじゃないかな。ドルの価値が一定で、円が高くなったので輸出ができなくなったわけではない。ドルの価値が下がっているのだから、米国での価格が上がるのも当然だろ。

 輸出業が大変なのは、円高のせいではなく、中国からの輸出の影響ではないかね。ドルがインフレを起こす中、本来であれば諸式は高騰する。しかし、安価な中国製品は、米ドルの価値が下がり続ける中で、ドルベースで従来の価格を維持しつづけたわけだ。米国での輸出不審は、生産コストをさげられない日本製品が、同等品質を確保した安価な中国製に駆逐された結果じゃないかと思うよ。

 そもそも、米ドルの価値下落があって、日本円の価値がキチンとそれに応じているのだがら、「歴史的円高」を問題にして「あるべき相場水準は」云々で「あわよくば為替介入」という助平心は間違ってるんじゃないですかね。

※ http://ecodb.net/country/US/imf_inflation.html
2012.12
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 「海軍参謀長」は誤訳じゃないけど、不案内な人の不適切な翻訳じゃないでしょうか?

 「自衛隊の名称改正を改正しよう」という話です。だたし、選挙の話題じゃない方。その中で見つけたのですがが、やはり「海軍参謀長」のあたりには相当に違和感を感じてしまう。

 『外交』最新号に、道下徳成さんが「自衛隊の組織・装備の名称改正案」※(1) を述べています。問題意識としては、国民にわかりやすくすべきだというもので、理解でき、共感できる内容になっています。しかし、自衛隊での名称については、すでに膾炙している部分もあります。英訳はズバリ軍隊そのものなので、実施する必要性は、あまり感じらるものではないように見えます。

 道下さんの主張は、昔の「『特車』って何?」と同じものです。「国民が理解し難いから、各自衛隊は陸海空軍に、階級は旧軍呼称に、普通科を歩兵に、施設科を工兵にしたほうがいい」(大意)といった内容です。

 もちろん、使用上には実害はありません。隊員はわかっているし、海外でも問題はない。道下さんが言っているとおり、自衛隊は英訳で世界標準にあわせてある。歩兵はinfantryだし、大佐はCaptain、大尉はLieutenant。実務レベルでは、海自なんかは平気で"JAPAN Navy"(なぜかJapaneseではない)と言っています。

 道下さんは、漢字表現だと「中国と韓国で理解し難い」という意見もされています。ただし、旧日本軍と全く同じでなければ理解されないわけでもありません。「戦力ではない」理屈の自衛隊が「国軍」なのは、「党の軍隊」であるはずの人民解放軍が「国軍」なのと同じです。階級にしても、日中韓でも漢字名称は違う。日本が大佐、大尉にしてもコンパチになるわけでもない。漢字文化圏で通用しにくいのは、陸自の普通科、特科の二つだけでしょう。海の「護衛艦」なんて、中国語でも似た様な感じです。タイプ056は、中国側では056軽型護衛艦です。

 ただ、海軍関係の言い換え表現は気になります。各種名称は、変えても変えなくても、どちらでもいいのですが。旧軍準拠に変えるのなら、正しく踏襲しないと不自然感が生まれます。また、規模や内容を正しく示せていないようにも見えます。

 中にある言い換え一覧表「自衛隊の現行名称と新名称案」その海軍関係用語が相当に不自然・不正確なのです。

 「海軍参謀総長」「海軍参謀部」「海軍作戦司令部」はあまりにも不自然でしょう。普通は「軍令部長」「軍令部」「◯◯艦隊司令部」※(2) になります。「海軍参謀本部」も、一応は明治の一時期にはあったのですけど、あまりにも短命で人口に膾炙しませんでした。

 英訳部分でも、例えば護衛隊群を"Escort Flottila"ではなく"Destroyer Squadron"とするのは、二重に間違えているでしょう。"Destroyer Squadron"は相当に不自然です。元の"Escort Flottila"は、水上部隊だよという分類と、フロッティラ(小艦隊)であることを示しています。対して、"Destroyer Squadron"だと、駆逐艦だけという意味と、フロッティラから規模が一つ落ちた「戦隊」※(3) という意味になってしまう。ニュアンス的に、タイプ編制、つまり同じ型の駆逐艦だけを集めた、駆逐隊のイメージになります。今でいえば護衛隊のイメージです。

 護衛隊群は、規模内容として、いまのまま"Escort Flottila"でいいでしょう。あるいは、まあ単に"1st Flottila"とか、あるいは、タスク編成っぽくなりますけど"Surface Group"か"Surface Action Group"ではないでしょうか。

 他にも、今の航空集団を"Naval Aviation"にするのも、イメージが違います。"Naval Aviation"では、組織ではなく、海軍航空職域をイメージしてしまう。日本語の方も「海軍航空隊」ですが、これも作戦組織ではなく、漠然とした職域イメージです。海自的には「海軍航空隊」よりも「航空艦隊にしてくれ」※(4) でしょう。英名も、今のままの"Fleet Air Force"か、お師匠さんに倣って英海軍の"Fleet Air Arm"、空自と紛らわしいけど米海軍と同じ"Naval Air Foerce"でしょう。

 階級制度についても、旧軍に倣うのであれば、陸空とは違う階級呼称にしないといけない。すると、兵曹、水兵になる。表には下士官の部はありませんでしたが、陸式な軍曹、伍長あたりはダメでしょう。特に伍長は、先任伍長と衝突するからダメ。今の今の海曹、海士でも、旧軍呼称と充分親和的なので、特に変える必要はないでしょうけれども。



※(1) 道下徳成「自衛隊の組織・装備の名称改正案」『外交』(外務省,2012.11)pp.134-141.
※(2) ◯◯には、連合艦隊なり自衛艦隊なり、明治初期みたいに中艦隊なり適当な語を入れればいいんじゃないですかね。
※(3) 大きい方から並べると、Fleet-Flottila-Squadron-Division-Sub Divisionの順番になる。日本語なら、艦隊-小艦隊-戦隊-隊-分隊かな。艦艇なら、Divisionで個艦ですね。
※(4)「航空集団」も空軍ぽくて嫌だ、「ホントは航空艦隊にしたかった」といった話が、うろ覚えですけど『水交』(だったか?)にありました。
2012.12
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 60年前の新聞※ に、感嘆するほどの悪漢ぶりを見つけた。昭和30年、師走の29日に質屋に押し入った強盗の話なんだが、発砲した警官から拳銃を奪い逆にズドンという話。

 舞台は西巣鴨の某質店。そこに強盗が入ったと、某巡査が駆けつけるところから始まる。

 強盗を見つけて「撃つぞ」と拳銃を擬した巡査。しかし強盗は怯まない。『そんなものに驚くか』※ と徒手にて格闘を挑みかかる。巡査は咄嗟に発砲したものの、当たらない。そのまま両者つかみ合い、上になり下になる大乱闘をしたのだろう。だが、やはり警官、強盗を組み敷くことに成功する。

 その瞬間、強盗は隠した切出しナイフで下腹部を刺突、ついで手にも切りつける。怯んだ巡査が手離した拳銃を見事に奪取。強盗は、そのコルト38口径、銃番号は568898という。強盗は躊躇せずズトンズドンと2発発砲。一発は警官の脇腹に見事に命中。そのまま逃亡に成功したという話。

 もちろん、悪いのは強盗であり、その罪は軽くはない。しかし、そこには一種の力強さがある。拳銃なぞ当たるものかと踏み込み、あるいは組み伏せられても六分か八分かの切出しで窮地を逃れ、拳銃を奪い脚を止めたのは、アクション映画の筋書きそのものだ。

 もちろん、無責任な感想とは承知している。最近でもなく、親類縁者が被害を受けたわけでもない。当の強盗を実見すれば、おそらくは下卑た男と感じるのだろう。しかし、記事からはその力強さが魅力的に見えるのも事実なのである。もちろん俗悪映画での魅力であり、社会では称揚どころか凶悪犯罪であるが、見事なまでの悪漢ぶりに感心し、思わずメモ取っててしまったほどのやり取りでもある。

 なお、翌日の新聞によると、不首尾の警官は翌日には峠をこえ、全治1ヶ月で済んだとの由。



※ 「ピストル奪い射つ」(朝日新聞,1955年12月30日7面)
2012.11
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 よくできたもので、三沢で雪が降っている時に八戸は晴れていることは少なくない。三沢に降りられない時には、八戸に降りられる。おそらくその逆もあるのだろう。

 たまに、雪の三沢に降りられない飛行機が八戸に降りてくることがある。平素はターボプロップとヘリしか運用しないところに、三沢のジェット機が降りてくると煩くてかなわない。本部庁舎の前だと煩いせいか、エプロン端にあるウチのショップの前に止めることが多い。昭和30年代の写真に載っているショップで、ペアガラスでもない。向かいに座る地付の准尉さんも「静かな八戸にジェット機は要らない」という。

 ショップに近いものだから、天候回復までショップにパイロットが待機することになる。なんだかんだ言って海自なので、応接室でフネの士官室で応対するような感じで茶菓の接待になる。20年近く前の話で、まだ初級幹部だった己の仕事になる。

 とはいえ、いつも騒音が煩いのも半ば癪。なので、海曹に命じて、高級煎茶を思いっきり濃い目で出し、お茶うけは業者からもらったモナカ(当時はうるさくなかった)と、卓費で買ったカリントウの類を出してみたことがある。お茶については、渋そうな面をした。ただし、最後までカリントウには手を出さなかった。「うまいよ」と食ってみせてもダメ。

 その後、別配置の時、面白半分で米海軍に出したときは食った。しかし、やや躊躇はあった感じ。まあ、海軍だから客として客の役割、マナーを守ろうとしたのだろう。

 米空軍のパイロットにしても、好意的に見れば、空中勤務だから妙なものは口にしない。腹壊して飛行機落としたら大変という考えもあったのだろうよ。とはいえ、空自もそうだが、米空軍も自由というか、マナーとしてもわがままな感じはある。こっちが歓待しているのだから、それに応じる態度はあるはずなのだが、やや淡白というか、追従しない感じがした。

 もちろん、いつも意地悪するわけでもない。大体はコーヒーメーカー丸ごと出してコーヒー飲み放題にする。お茶請けは、大概は業者さんからのお菓子か、卓費のお菓子だった。だが、お歯にあう様子でもなかったので、機嫌のいい時に机の私物をだしたこともある。多分、歌舞伎揚げかサラダせんべいの類、それとみすず飴だったと思う。まあ、日本に駐留していれば、せんべいに抵抗ないのだろうとは思ったが、みすず飴もパクパク食うもんだとは思わなかった。婆さまの食い物というイメージがあったのだけれどもね。

 食い物で言えば、米海軍や外国艦艇指揮官の食事や弁当の仕事をしたこともあった。豚がダメ、牛がダメ、鱗のない魚がダメとかあるので、鶏と魚が無難だった。いつものピジン英語で、先方の庶務に「海老天は大丈夫かね」とか尋ねたこともあった。苗字的に鱗のない魚ダメかなと尋ねると、本人、出たものはなんでも飲み食いするから気にしないでいいと言われたよ。
2012.11
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 最近はあまり聞かないが、中国由来の鍼麻酔ががある。人によってはイカサマという人もいるが、効かないということもない様子である。ただし、今の中国で使っていないあたりから、万人に効くものでもないのだろう。まずは新中国成立のナショナリズム高揚で、中国独自の科学力を示すために称揚された技術である。

 その鍼麻酔を日本でもやっていたらしい。外務省アジア局中国課が翻訳・編纂した『中国対日重要言論集』に載っていたのでメモしといたのだけれどもね。日中国交正常化以前は『中共対日重要言論集』だったように基本的に政治発言を集めたものなので、まあ、マヌケな記事だなと思って控えておいた。

 国交正常化以降、対日言論が気持ち悪いくらいほのぼのしているんでよねえ。1973年前期の発言を集めた22集には、田中内閣の日中国交正常化の効果が現れている。佐藤内閣までの激越な政治発言が一切なくなっている。尖閣諸島を奪おうとする日本帝国主義云々もキレイに消えている。極悪な日本漁民による中国漁区への侵入も無かったことになっており、日本漁民が北方領土で如何にエライ目にあっているかが書かれている。

 政治的に日本の悪口を書く必要が無くなったわけだ。そこでどうでもいい記事が多数収録されている。日本のパンダブームとか、中国農民が山口県を訪問したとか、卓球選手が信州でもてなしを受けたアリガトウみたいな記事。

 その中に、中国の医療技術は日本でも受け入れられているといった記事があった。なんでも、都立豊島病院で鍼麻酔による出産があったとのこと。担当医と患者さんの実名が乗っており、開腹と書いてあるので帝王切開であった様子。(会陰切開かもしれないけど)おっ母さんは「痛くなくてよかった」、先生は「十何例やっているけど、問題なし、オススメです」とのこと。

 米中正常化と、その後をうけた日中国交正常化で、日米中は基本的に平和になりました。日中友好と交流になったことをみんなに知ってもらいましょうということで、鍼麻酔以下のノホホン言論をしたわけだ。

 ただ、国交正常化までの関係は、殺伐としたもの。中国からすれば「殺るか殺られるか」、日本からしても、隣国が穏当じゃない状態であったわけだ。それが国交正常化でそれが落ち着いて、とりあえずはムード優先の友好、そのあとは実利がある商売で繋がるようになった。

 いま、日中関係が表面上多少ゴタついても、50年代、60年代ほどの敵愾心剥き出しでもない。鍼麻酔で交流みたいな無根拠の友好ムードに立ち戻ることもないが、昔に帰ることもない。たしかに、軍事力のゲームに加えて領土問題も出てきたけど、利益を通じた戦略的互恵関係は維持されるわけで、両国関係は極端に悪いわけでもないということだ。
2012.11
05
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13:00
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 海自教育部隊では「総員◯名、現整列員◯名、事故◯名、事故の内訳…」と整列時に報告する。やたら面倒くさいと思っていたら、やはり旧陸軍系要領※ である様子。

 額田さんの「海軍の言語生活」※※ にはそのように書いてある。この記事は、1960年代の『言語生活』という雑誌で見つけたものだ。額田さんは、交代要領について、陸式のアレと海式の「よろしい」「◯◯分隊」との差異が述べられていた。

 確かに、部隊では「総員◯名…」なんて使わない。整列時の報告は「よろしい」か「◯◯隊」だった。「みんな揃っているよ」と報告する場合(防火隊整列なんかだね)は単に「よろしい」である。儀式や課業整列での各隊各科での報告も「◯◯隊」とか「◯◯科」というだけ。

 報告様式の差異であれば、当直交代も陸海で隔絶している。額田さんは気づいていない様子であるが、交代要領が全くことなる。

 海だと「当直士官交代します」「交代しました、◯◯3佐」と届ければOK。航海中の当直士官なら、速力と針路を付け加えるが「両舷前進原速赤黒なし、針路230度、マグネット237度」と続ける程度。あとは互いに申し次ぐだけ。

 これが陸になると七面倒臭かった。陸の学校や統合部隊でさんざん当直をやったのだが「勤務に関する件、遺漏なく申し受け上番します」と言わなきゃならない。初手ではこの言葉を覚えるのだけでも苦労した。

 そもそも、海と陸空が違うなんて、お互いに全く知らない。陸自施設学校での課程2日目、つまり最初の当直学生交代が海同士だったのだが「当直学生交代します」「交代しました文谷2尉」とやったのだが、課程主任にこっぴどく叱られた。新着の課程主任も知らなかったわけだ。

 体操が違うことも互いに知らない。「自衛隊体操もできないのか」と呆れられたが、海自は「膝を曲げ伸ばせ」で始まる旧海軍体操をアレンジしただけの「海上自衛隊第1体操」しかやらない。「その場駆け足」から始まる自衛隊体操なんか存在もしらない。

 施設学校では、体育係が海自だったので、試しに第1体操やらせたら、陸空も教官もやっぱりできない。まとめた運動(別名いかれた運動)は「それは本物の運動か」とまで疑われた。

 ラッパも違った。国旗降下でのラッパを理解できず、それでも怒られた。だいたい「国旗効果は日没時」だと思っている。まだ日も出ている夏の午後5時に聞いたことのないラッパがなっても「課業やめ」にしか聞こえない。その時のラッパの「君が代」も、旧陸海軍の差で違う。国旗降下の時間もラッパも違うのだから最初は仕方ない。

 悪意があって怒られるならわかるのだけどね。どうしようもない講話の時に、手先信号とか手旗(指でやる)していた時にも怒られた。悪口を言っていたと思われたのだが、実際にそうだったから有罪だ。たぶん、いつもの通り、手先信号で「飯まだか」とか「急げ」、手旗で「オワレ」「子ムイ」みたいな悪口を言っていたはずで、それは怒られて当然なんだがね。

 ただ、後々の当直交代で「遺漏なく上番いたし候」と言ってしまったのは、わざとではない。とはいえ、ふざけていると怒られたのだが、それは日頃の行いだったのだろう。




※ 「物干場(ブッカンバ)」「煙管(エンカン、灰皿)」あたりは防大が持ち込んだんじゃないかね。海軍は訓読み、やまとことば主体で、漢語の音読みはしない。そもそも、エンカンは旧海軍だと同音異義で円管服(ボイラ整備服)の「円管」があるので衝突して使い難い。実際に防大と関係ないあたり、古い練習員あがりだと旧海軍と同じ「煙草盆(タバコボン)」を使っていた。

※※ 額田淑「海軍の言語生活」『言語生活』(1960.11,筑摩書房)pp56-61.
2012.11
02
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 昭和30年の新聞で見つけた話。小菅の拘置所から鉄格子切って脱獄した人なんだが、その目的は母に会うためというもの。これは親孝行の一種だろう。

 今でも有名な事件である様子。グーグルで「脱獄 ◯◯」と、彼の苗字を入れると、そのまま名前まで出てくる。ほぼ新聞記事と同じ内容がでてくる。ただし、捕まったのは22日ではない。新聞によれば昭和30年5月に5月11日に脱獄、21日に捕まっている。

 脱獄自体は、彼の兄が差し入れた金ノコで鉄格子を切るというもの。脱獄後、彼の兄は逮捕、おそらく別件で引っ張られている。彼は脱獄後、鉄道を使い春日部まで無賃乗車、そこから歩いて栃木まで移動している。

 注目するのは、脱獄そのものではない。脱獄の理由が母に会うことにある。そして、とっ捕まえた警察が母に会わせてやったということ。その時に、実家の飯を食わせてやったことにある。

 彼は、重罪を犯したものの、親孝行でもあった。母のことを考えると居てもたってもいられなかったのだろう。そして、実家で張り込んでいた警察も親に会わせてやった。親に一目会いたいという気持ちを認めたものだ。家に上げてやり、10分ほと話をさせ、食事も許したという。

 彼を母に会わせたことは、正しい行動である。法理に適っているかはしらない。しかし、人倫の道に従った行いである。警察官であっても、刑務官であっても人倫を無視することは許されない。

 脱獄の理由が「母に会いたい」であるのだ、会わせないのは人情にもとる。もちろん、罪は罪であるし、脱獄も許される話ではない。しかし、果たして実家に駆け込んだ脱獄囚を、母に会わせないのは血肉の通った人間のやることではない。

 張り込んだ警察が彼を憎んでいたかどうかは知らない。しかし、憎んでいても、念願叶い、実家までたどり着いた彼をおっ母さんに会わせないのでは、警察は人でなしである。法理には適っているかもしれないが、人として正しくはない。禽獣の行いである。当時、なお不浄役人と嫌われた警察官も刑務官も、禽獣であることは許されない。

 論語にも「政は正なり」とある。法理がどうであろうと、最後に母に会いたいとする子の願いを曲げることは正しくはない。その場の正義は、孝行を許すことにある。法理を優先し、西欧的な法=Law=正義を機械的に振り回し、すぐに連れ去るのは「正」に反する。

 彼の脱獄は、法は許さない。しかし、人情としては許さねばならない。母に一目会いたいと、警吏の待ち伏せる実家に向かうのは、刑から逃げようとする心ではない。親に寄ろうとする子の心が現れたものだ。己の罪により母に不孝をなし、それを詫びるのは、むしろ称揚すべき行為である。
2012.10
26
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 はこび屋、今でもいるのかね。はこび屋というと、非合法物件の運送屋、麻薬とか、おたずね者を運ぶ感じで、ギャング映画的なカッコよさがある。そのはこび屋、昔、大阪にあったらしい。

 50年前の朝日新聞に、大阪釜ヶ崎、いまでは「西成」と言われるドヤ街での生活が紹介されている。※ その中に、特殊商売として「はこび屋」がある。もちろん、赤帽や荷担ぎのような穏当な仕事ではない。犯罪の片棒を担ぐ、非合法物件を運ぶヤミの商売。

 ただし、運んでいるものは、盗んだオートバイというのが、少々カッコ悪い。銃器とか麻薬とか密入国者を運ぶほうが夢があるのだがね。もちろん、実際に生活する身上では物騒この上ない。映画の自転車泥棒とか、オートバイ盗程度の方が治安的には穏当だろう。もちろん盗まえれた方はたまらないけど。

 はこび屋は、大阪付近で盗んだバイクを地方に送る仕事。最近聞かない言葉だが、ポンコツ屋まで乗って行く。オートバイはそこでバラバラにされて、ロンタリングされる。多分、車台番号もエンジン番号も、全損したやつから移植したりするのだろう。5年くらい前に話題になった、高級車を盗んで海外に売っぱらう組織的アレと同じ。50年前には日本国内でやっていたわけだ

 手間賃は、輸送距離+帰りの汽車賃が慣行であった様子。輸送距離分の相場は名古屋まで5000円、和歌山だと2000円。初任給1万円、ラーメン40円の時代なので、結構高直。今なら10万-4万円くらいにあたるのかね。名神高速ができる前で、1日仕事にしても高い。警察の検問をスリ抜ける技術と才覚が必要とあるが、まず捕まりやすく、リスクが高いので手間も高いのだろう。

 他にも、釜ヶ崎の商売として炭焼き、カラ券屋、出ぇやん、さらい屋が挙げられていた。

 炭焼は、廃材から炭を作る仕事。廃材を集めて、市街地の線路傍で炭を焼く。12時間ほど、おそらく蒸し焼きにして、水により消火、1日放置して消し炭を作る。西成すみと称し、卸17円、小売25円(一般炭の半額)で売られていた。釜ヶ崎で3人が従事しているが、一人は東京医専を出たエリート、ヒロポンで身を持ち崩したとのこと。

 カラ券屋は、昔良く聞いた商売。大きな麻袋を持って競馬場にいき、捨ててある馬券を集める。多分、車券も舟券もやっていたのだろう。1万枚に1枚はアタリが紛れている、レースから3日以内であれば市役所で払い戻しを受けられる、月15000円程度の収入になるという。大阪に300人いるといわれていた。ウソかマコトか、本命入賞のときは当たりが多いので窓口下に落としてしまう、大穴の時には当たり券も投げ捨てるのでスタンド隅にあるというが、その場でチェックしているわけでもなかろうから怪しい話だ。
  
 出ぇやんは厳密には商売ではない。労務の傍らの副業。仕事そっちのけで落ちてるものを集める。100人に一人くらいるとのこと。仕事中、紐ついた磁石を引いて鉄くずを探す。ドブ掃除は、小銭も取れるので給料に加えて二重取りなので喜ぶという。記事では、くず鉄を売った金を元手に、小口の金貸しをしていた。くず鉄を必要とする平炉製鋼法が廃れる時期であったので、いずれ滅んだ商売だろう。

 さらい屋は、木津川で荷役から落ちた鉄屑を拾う仕事。出ぇやんとあまり差はない。ただ、荷役がコンテナ化するとまず仕事は無くなる。もちろん、河に落ちた物を回収する仕事もあるのだろうが、東京同然に川舟、端舟が減った今日では商売として成り立たなくなっただろう。

 この手の商売、大阪だけの話でもないだろう。大阪にある商売は、おそらく東京にもある。山谷あたりに似た商売はあったと見るのがだろうではないかね。

 当時の日本は、発展途上国の雰囲気が色濃く残っていたということだね。

※ 柴田俊浩「大阪のどん底、釜ヶ崎に住んでみて」(1960年2月19日、朝日新聞朝刊、20面)
2012.10
19
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 大山元帥の陸海軍卿兼摂の話。東條首相なんかは、法的には完全にディクテーターで違憲だったわけだけれどもね。まだ、帝国憲法が出来ていないので、違憲ということもない。まあ、大山さんは
明治大帝の御信任篤く、「オマエ、勝手に隠退するな」言われたほどなので、なんということもないんだけどねえ。

 防研で明治海軍史料を漁っていたら、発簡者が「海軍卿伯爵大山巌」という文書を幾つか見つけたよ。 明治18年4月から5月の間に頻出する。印判も大山さんのそれ、一文字で「巌」の丸判。

 大山さんが海軍卿をやっている件は、臨時勤務の類の様子。当時は川村純義が海軍卿だったはず。でも、河村は結構、軍艦に乗ってあっちこっち行っている。「西海鎮守府どこに置くよ」問題では、宮様含めて卿も大輔(たいふ)も軍艦で物見遊山。

 その間、大山さんが海軍卿を代行していたみたい。中には、発簡者「陸軍卿 大山巌」で宛先「陸軍卿 大山巌殿」も存在している。明治18年5月8日、村田銃の弾薬譲渡はまったくそれ。「村田銃のタマで、ノルデンとかガトリングを作りたいねえ」みたいな話。マキシム機関銃云々も書いてある。だから
「『機関銃』ってなんだい」(大山元帥)
「閣下、そりゃミトライユーズでございます」(参謀)
という話は、この文書からすれば日清戦争以前にもありえない話。もちろん、この会話がありえないことは、『金星の追憶』にも書いてあるんだけどね。
2012.10
08
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 簡体字をつかう新中国は歴史破壊とか言い出す人もいる。自衛隊でも結構、高級幹部で仕事もできるけど、それ以外はご存じない人が講話で言っていたよ。※

 でもねえ、正規の繁体字なんかどこで使っているのかね。台湾でも日本でも、普段使う文字は繁体字なんか使っていない。そもそも、簡体字にも歴史がある。革命の余波で一気呵成にやったけれども、デタラメに決めたわけでもない。

 だいたい繁体字なんて、いちいち書けるもんじゃない。繁体字を使う台湾だって、普段使いする文字は康煕字典の繁体字は回避する。そもそも自分たちの住んでる地域の「臺灣」なんて手描きじゃ書いていられない。日本もそう。日常で使う、たとえば通貨単位の「圓」なんて毎回、丁寧に書いてらんないから、「円」と書いているわけだ。簡易化するのは当然な話。

 簡体字もデタラメではない。歴史的にどうやって簡略化をしたのかを参考にしている。民国時代に出版された『宋元以来俗字譜』が種本である。大学図書館とか国語研究所には所蔵されているかもしれない。まあ、国立国会にはオリジナルがなかったので、1950年代、新中国で影印復刊したヤツを読んだのだけれども、突拍子もないものはない。

 宋元以降が参考にされたかのは、出版文字が出現したためだ。宋元以降、商業出版として、一般民衆向けの白話小説等、版本出版が盛んになった。そこで使われた、簡略文字が標準になったためである。

 当時はメディアが手彫版本である。何回も出てくる字を、真面目に繁体字なんか掘っていられない。そもそも内容がどうでもいい口語文小説である。そのため「読めればいいよ」の略字が出てくる。※ 「無」なんて、多用される割には掘るのがメンドイ、だから「无」にする。実際には、オリジンというわけでもなく、それまでに使われていた、いろいろな略字がメインなのだろう。しかし、出版により大量流通したことにより、その略字が普及する。そして、別の版本でも使われると、その文字は固定する。

 『宋元以来俗字譜』では、「无」は12種類の本のうち、10種類で採用されていることを示している。日本でもくずし字で使われている。「文化破壊の簡体字」とバカにできるものではない。

 簡体字の過半は、それまで使われていた俗字や略字を採用し、その簡略化を似た文字に適用したものである。歴史破壊というほどのものでもない。

 そもそも、漢字しかない中国で、普段使いする文字を正しく書けというのも無理な話だ。それを「文化破壊」と批判する人も、簡略化、簡体字は使っている。彼らだって「鹽」なんて書かないで、「塩」と書くだろって。


※ そのたぐいの人に、起案用紙の裏にある「記書き」(手書きの趣旨説明)で咎められたことがある。防衛省の「衛」を「彳ヱ」と書いたのだが、その人のところで「そんな字はない」と説教を食らった。昔、防衛庁の看板でも結構使っていた文字なんだけどね。正しい字をつかえともいうのだけれども、正字も「衛」とは微妙に異なる。真ん中の下が違うんだけどね。
 まあ、明治大正昭和の公文書原義やその「記書き」を読んだことがあれば、馬鹿馬鹿しい話にしか聞こえないんだけれども。

※※ 「實」の簡体字が「实」であって、「実」ではないのは、筆記文字ではなく、手彫文字を採用した影響だろうね。掘る上では「实」のほうが優れている。「シ+ノ」のほうが、「三+人」よりも、掘りにくい交点が2つ少なく、線も一本少ないわけだし
2012.09
21
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Category : 有職故実
 知らなければ「航海、保安配置につけ」と区切るよねえ。各自、「部署『航海保安』の位置につけ」で、「こうかいほあん、はいちにつけ」なのだが。入隊して2週間だかの候補生には分かるはずもない。

 最初の練習船実習で怒られたのだけれどもね。練習船11号だったか、津久茂瀬戸を通峡する時だったと思う。初めての実習で航海保安を令せよと言われても、それが何かわからない。事前教育で習うのは、面舵取舵ほか、操舵と機械の号令詞と、見張要領だけの状態なので仕方がないのだが。何分隊長だったか、あるいは船長だったかに「そんなことも知らないのか」と怒られたのは理不尽だと思った。

 怒る側は、何が分からないのかが分からないんだろうね。仮に「何で怒るのさ」と尋ねたら、「常識だ」としか言えない。もちろん、海自の中だけの常識なので、入隊2週間に分かるはずもない。艦艇に乗り込んで「狭水道を通る、航海保安、配置につけ」を何回か聞かないと、常識にはなるまい。

 だいたい、号令詞の発音や抑揚なんてOJTでやらないと、教えようもない。教室やグランドで発声させてもあまり意味もない。それを教えるのが練習船実習なので、間違えて構わない。

 とりあえず怒鳴りつけて指導しても仕方がない。怒鳴られていい気持ちもしないが、声の調子なんてどうせ大した過ちではない。放っとけばいいのだけれども。気に病む奴はいる。そういうつまらないことで、江田島をやめちゃうのが何人かいた。

 怒鳴るのが癖の奴もいる。それに気づけば何のこともない。本人も怒鳴るけど別段怒っているわけでもない。慣れればまた怒鳴っている程度にしか感じない。怒鳴られたからといって、何かされるわけでもない。練習艦隊とは違い、幹部候補生学校では殴られたこともなかった。

 怒鳴る人ではなかったが、練習船船長には散々怒られた。苗字が文谷だと、実習員当直士官なんか一番最後になる。一番難しい入港をやらされるわけで、毎回ケチョンケチョンには言われる。もちろん他の分隊員もケチョンケチョンにいう。

 ただ、メシと上陸のケアはしっかりしていた。メシについては「冷えた缶メシなんてマズイもの食うな」と毎回ヤミでフネ給食を食わせてくれた。休養班あたりからヤミで食材を貰っていたのだろう。上陸もそう、泊で外の港に入った時、指導官に言われた翌日作業をやっていると、また怒鳴られた。「折角、外に入港したのだから、くだらないことは放っといて遊びに行け」「翌日の計画なんて、オレが指示する」と怒る。もちろん、翌日になると「昨日は遊びほうけやがって」とも怒られた。

 そういえば、練習艦隊で、帰りのハワイ入港時にも同じ事を言われた。これは怒鳴るのが癖の艦長付(指導官)で、とにかく宿題を持ってくる。ハワイ入校後、ご本尊が出した宿題をみんなでやっていると、「そんな宿題なんかやるヒマがあったら上陸しろ」と怒られた。「いや、あなたの指示ですが」を遠まわしに丁寧にいうと「オレに怒られたって大した事ない。そんなことよりハワイだろ」という。そのあと「もちろん怒るがな」とも付け加えていた。
2012.09
10
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13:00
Category : 有職故実
 自販機の勢いは70年代ではなかったか。当時は色々な自販機があった。飲料やタバコだけではなく、そば、ハンバーガー、カップラーメン、アイスクリーム、パン、週刊誌の販売機があった。

 日本そばの販売機は、今は見かけない。一応残っているようだが、身の回りにあるものではない。記憶では、カップを落として、電子レンジで温まったソバが落ちて…と捏造されていた。だが、実際には事前準備された丼に熱い汁を掛けるだけのものだった。

 ハンバーガーの自販機は、ベチャベチャしていて食えたものではなかった。昨日の天ぷらを電子レンジに入れたのと同じなのだろう。オーブンで焼けばいいのだろうが、時間がかかってしまう。待たせるわけにもいかないので電子レンジなのだろう。

 カップラーメンの自販機も見なくなった。カップヌードルがポコンと落ちてくるだけ。別にお湯の供給機構とフォークと割り箸が出せるようになっているだけだった。

 その他、アイスやパン、週刊誌の自販機があった。アイスは、サンプルが放射状に並べられていた。パンの販売機は駅でたまに見かける。ガラスの向こうにある実物が、スクリューで押し出されて落ちてくる仕組み。週刊誌の自販機は見なくなった。ものによっては、昼はフィルムで隠されており、夜、内部が点灯した時だけ見える仕組みになっているものもあった。

 このような自販機は、コンビニ登場とともに駆逐されていった。コンビニが24時間営業となると、品揃えや品質で太刀打ちできなくなったのだろう。今はタバコの自販機が駆逐されようとしている。タバコを子供に買わせない、その運動で将来が絶たれた。

 タバコ自販機はタスポで生き残ろうとした。だが、コンビニならタスポはいらない。そのうち、タバコ吸いもタスポを持たなくなった。タバコの自販機はいずれ滅びるのだろう。今、自動車の免許証や顔認証でも※ と努力している。だが、時代の流れには逆らえない。禁煙化と、未成年喫煙への締め付けに抵抗できるものでもない。



※ 早稲田鶴巻町で発見。
2012.09
03
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13:00
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 自衛隊官舎には指揮官官舎というものがある。所在部隊の指揮官、将官・1佐あたり向けの官舎。威厳を示すためか、床面積が2倍3倍もある。昔は一軒家もあったが、土地が無駄だということになった。今は集合住宅以外には建替えが認められていない。だが、それでも床面積はそうとうのもの。

 この指揮官官舎だが「自腹で入れ」というと誰も入らない。面積と減価償却で、新築だと月13万とかになる。官舎ごときに13万も払う奴は居ない。戦闘部隊、航空隊の司令や飛行隊の隊長といった実働部隊の指揮官だと無料になるのだが、世の中には非戦闘部隊の指揮官も多い。その人には自腹を払わせる。安けりゃいいのだが、時には高い官舎に、しかも無理矢理入居させる結果になる。さて、誰のための指揮官官舎かね。

 ある部隊で、定年前配置の将補ドノが「指揮官官舎なんて頼んでないぞ」と言った。それは当たり前の話。その人、まず近所に新築で家を建てている。「家のローンがあるのに、13万の官舎に入れというのはどういう了見か」とね。

 官舎は厚生科所掌で、役所特有の自転する論理で官舎を建てる。しかし13万円官舎が埋まるはずもない。だから因果を含めようとする。上の部隊や先輩期あたりから「指揮官が入らんと何のために建てたのか」と圧力を掛ける。でもねえ、人の財布に手は突っ込めるはなしではない。大抵もめる。

 その指揮官が、入居したかどうかは忘れた。ただ、厚生が「入居してくれないと、監査で叩かれる」とか情けない泣きをを入れていたのは覚えている。

 でもねえ、指揮官は結構単身が多い。晩婚化もあって、子供も受験のお年ごろと行ったケースも多い。親の介護というものもある。家族は帯同しないほうが普通になっている。

 社会が変化しているのに、家族帯同前提の官舎整備は時代から外れている。官舎も、埋まるのは単身独身官舎から。下手に広い官舎をあてがおうとしてもむしろ断られる。それにも関わらず、古い官舎を壊して、同じ間取りの100平米150平米の官舎を再生産しているのもマヌケな話。

 国や共済がやると一事が万事こう。国の厚生事業は隊員を財布としてしかみていない。無理矢理に官舎に入居させて金を取ることしか考えていない。共済組合は寄生虫そのものでもっと酷い。抱き合わせその他で月々の支払を増やすことしか考えていない。

 官舎もやめたほうが良い。官舎は人気がない。まず安くない。国設宿舎、共済組合特借のいずれも、地方では価格競争力がない。面積や間取り、内装、立地条件で民間に叶わない。営外居住下士官は、「官舎は最後は高く付く」と民間に入居する。

 特に防衛省共済組合は酷いもの。共済官舎は金をとることしか考えていない。駐車場料金や、芝刈り費用、レンタル家具の抱き合わせをやっている。退去時には強制壁塗そのほかで結構ぶったくられるもんだ。
2012.08
31
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 統合部隊に、新編時から居たことがある。各種儀礼もいろいろあったが、射撃が一番ナンだった。陸式の「右肩よし」という号令が「打ち方よし」に聞こえて仕方がない。「打ち方はじめ」と誤解するような号令は、安全上やめた方がいいと思ったよ。

 統合部隊だと儀礼で混乱した。まず、並ぶ段階で混乱する。海式の総員集合なら、幹部、海曹、海士、事務官技官に別れて並ぶ。しかし、陸式だと、各部隊ごとに並ぶ。幹部とそれ以外で並ぶときも、准尉さんは幹部列かどうかで最初の頃は話し合い。海だと幹部列だが、陸だと准曹士列になる。海准尉は幹部と全くおなじ服装だから妙なことになる。号令もそうだが、頭の敬礼をどうするかでも話し合い。頭の敬礼は、海だと准尉を含む幹部はしない。陸だと隊本部は、曹士含めてしない。陸式に揃えたが、体に染み込んでいるもので、海幹部は誰かしかはいつも挙手の敬礼をしていた。

 特に、射撃は全くやり方が違う。陸式でやると、拳銃射撃で逐一に安全係がつく。射場指揮官の「打ち方はじめ」以降は、「ご自由に」の海式とは全然違う。そもそも、拳銃の弾込めから始めるのには面食らう。年次射撃でバラで弾薬を渡されることはない。海式だと、試射用3発、本射10発入った弾倉が予め準備してある。経補の海幹部「弾ってマガジンに詰めて売ってるんじゃねえの」とかギャグを飛ばしていた。もちろん、弾薬が缶詰で供給されているのは承知。安全係をやる陸幹部が真面目に「違います」と言っていたのには笑った。しかし、9mm拳銃のマガジンって固い。5発目以降は「弾が変形するんじゃないの」ってくらい力入れないと入らない。

 逆に陸の人には、私物耳栓が多いのが珍しかったらしい。海の航空部隊出身であればジャンパーのファスナーにぶら下げとく耳栓や、下手すると本格的なイヤーマフを持っている。射撃の時に渡されるような、プアな官品(白いセルロース?の耳栓)はあまり使わない。艦艇系も、後方系も、持っている奴は適当なのを持ってくる。本職鉄砲屋(砲術)の一人はゴーグルまで持ってきていた。趣味で散弾持っているヤツは専用品持ってきたし、己も大口径用の耳栓持っていった。

 そして「右肩よし」で混乱。事前教育していても、慣れには勝てない。「打ち方よし?」「右肩はじめ?」とみんな動揺。「打ち方はじめ」(ちーかたはじめ)と言われないと、撃っていいのかわからない。

 朝霞の300mでやったが暗がりなのは閉口。距離は25m(だったか?)だが、弾着が見えない。双眼鏡でも見えない。安全係が見に行く仕組みなので「だいたい右上10cmにまとまっている」とか言われても、感覚がわからない。最初のうちは真面目に打ち込むが、フィードバックできないので途中からは適当になる。残弾処理はもう適当にやった。

 帰ってきたあとでも、まずやらないことをやった。指導方針で、幹部も射後手入れということだが、これにも海幹部はびっくり。海曹士の仕事だからねえ。

 拳銃だから面倒はない。幹部でも、部隊によっては「忘れるといけない」と分解結合はやっている。そもそも頭をつかうものでもないので問題ない。実際、「そいや、9mm拳銃って安全装置ないね。はじめて気づいた」というオトッツァンもいたけど、普通にバラして油塗って、拭いていた。

 あんま真面目でもなかったね。私語しながらフキフキ。ライフリングの隅に結構、銅が固着している。でもソルベントは使わないのでそのまま。それを見つけた鉄砲屋さん曰く「拳銃は狙うもんじゃないから、いいけどね」と言ってた。また航空整備のオトッツァン曰く「前の連中、油塗りすぎ、油膜は薄くしないと、固まって固着しちゃうんじゃないの」「野戦だと油が落ちるのかもしれんけど」とか好き勝手に言っていた。

 ま、市ヶ谷の武器庫で九九小銃とか四四式騎銃の類が3丁ほどあった。それを見つけられたので、己には眼福だったけれどもねえ。