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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2014.01
21
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Category : 有職故実
 安重根に対してテロリスト云々は、言うだけ揉める話ではないか?

 官房長官は安重根を『わが国の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ』と述べたという。
菅義偉官房長官は20日午前の記者会見で、伊藤博文元首相を暗殺した朝鮮独立運動家・安重根の記念館が中国東北部のハルビン駅に開設されたことについて「極めて遺憾だ」と不快感を表明した。[中略]菅長官は、安重根について「わが国の初代首相を殺害し、死刑判決を受けたテロリストだ」と指摘。
「菅長官『極めて遺憾』=安重根記念館、中韓に抗議」『時事ドットコム』(時事通信,2014.1.20)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014012000307


 しかし、韓国からすれば救国のために戦った英雄を、テロリストと呼んでいい事はあるのだろうか? 菅長官の言っていることは、フィリピンのホセ・リサールや、インドネシアのスカルノ、ベトナムのホーチミンをテロリストと呼ぶようなものだ。

 第三国の立場に立って見てみれば、余計な一言以外には見えない。例えば、スペインの内閣が、フィリピンに対してホセ・リサールをフィリピン独立を企んでいたテロリストと呼んだ。オランダの内閣がインドネシアに対してスカルノを内乱を起こしたテロリストと呼んだ。フランスの内閣がベトナムに向かってホーチミンをベトコンとして蜂起したテロリストと呼んだ。そのように考えて見ればよい。余計な一言以外の何物でもないことがわかるだろう。思っていても言うべきではない言葉はあるものだ。

 テロルについても、今の眼で見てはならない部分もある。

 まず、侵略され併合された国で、実力での独立運動を起こすということは必然的にテロルになるという問題がある。併合した側は、併合国から独立のための戦いの権利を奪う。そこで抵抗運動を行い、それが侵略国によってテロルとしただけの話ではないか。

 そして韓国は独立を果たし、日本も国交を結んている。独立を認めた以上、独立運動に関連する諸要素にグチグチ文句を言うべきではない。抵抗権と同じである。国家転覆罪に既遂犯はないようなものだ。革命が成就すれば、国家転覆罪は適用されないのである。

 また、当時は独立運動としてのテロルが流行った時代である。19世紀後半から20世紀前半は、独立運動はテロル=暗殺であり、一国で民族主義者による暗殺が起きると、それが新聞報道等により、世界中に流行していた時代であった。ナショナリズムの勃興と、近世帝国の崩壊の過程、電信や新聞の発達は同時である。民族主義者による暗殺がおきると、世界中の植民地で模倣される。その中で安重根を見れば、民族主義者として独立運動に殉じたとしか言えない。

 だいたい、独立運動家が暗殺しまくったのは、日本も同じである。薩長ほかの討幕運動は暗殺しまくりであるが、彼らはテロリストとは呼ばない。革命戦士として靖国神社に祀られている。革命が成就した後で、あるいは独立したあとでは、テロリストと呼ぶべきではない。

 このような事情を見れば、官房長官の発言は穏当ではない。日韓関係についてもそうだが、日本による植民地支配の頭のままで昔を見ているようにしか見えないのである。

 なんにしても、世の中には思っていても言わないほうがいいことがあるというものだ。
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2013.12
24
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Category : 有職故実
 コミケ作業中に思い出したことだが。3術校での勤務中に伝統単位を使って笑われたことがあった。

 当直士官明けでの日例会報で、昨日に実施した薬物抜き打ち検査か、持ち物検査の検査の検査率を報告したのだが。「実施率は、六割七分八厘です」(以下、数字は全部適当)というと、全体で笑われた。将補の学校長まで笑って「67.8%って言えよ」と言う。基本的に技術部隊だから「だいたい有効数字が」とか「Nの数から厘の桁は有意じゃないねえ」とも。まあ、技術屋相手は会計でもそういうことを嘯く。もちろん、お金の計算に誤差はないのは承知している冗談なのだがね。

 その後に、全く関係ない改装工事か何かの件でになった。対象の部屋について聞かれた。当時は教官課程の教官だったが、その手の話で答えられるのが己だけだったので「そうですねえ、改修部屋の高さは3000ですが、一般の住宅の天井高は八尺なんで、割と高いですね」みたいなことを言ったら、また「八尺とは何事か」とも笑われたよ。

 でもねえ、それ以外の時の報告なんかでは、面積で70平米というとピンと来ない様子で「四間六間なんで四八畳です」(さすがに坪数では言わない)というと、技術屋も最初から畳数も足してくれよとか言い出す。まあ、都合がいい時だけは笑うねえと思った。

 家が材木商なので、資材調達他でもよく聞かれた。垂木一二三丈特一等無節(タルキ、インニッサン、ジョウ:1寸2分×1寸2分、長さ10尺、グレード最高級、小さい節も駄目)とか、本ロツソレタヨ山キのはわかるし、樹をみてもよくわからんが、材を見れば何の木であるかも分かる。石数も計算できる。

 子供の頃から割りと尺貫法だった。亡母は体が弱かったので、面倒見るためか、学齢前から親爺にくっついて新木場にはよく行った。※ 行けば完全に尺貫法の世界だった。首都高が乗用車で150円か200円の時に、250枚綴の回数券があったので、それをモギルのが己の仕事だった。

 だがねえ、それを勘違いして角乗りできるかとかも言われたが、アレは職人相当の川並さんの仕事であって、商人のやることじゃない。親爺は「己等とはあまり仲良くないぞ連中は」と子供の己によく言っていた。

 中級学生の時に、転勤扱いになり、学生隊舎ではなく暖房のない古鷹寮に放り込まれた。あまりに寒いので、正月休暇?の帰りに、実家で上に掛ける部屋着を探したのだが、化繊ばっかでいいものがない。そこで、祭礼で使った中木場の看板を見つけたので、一時はなかで来ていたよ。



※ その時に、窃盗強盗詐欺恐喝背任横領の違いはなにかとか、親爺にいろいろ言われたし、亡母も亡母で幼児語は使わせず、メンドイ漢語や極端な和語を教えたので、小学校で周りと語彙は合わなかった。さらに言えば、父方はブラジル移民で、時刻表トリックのような方法で昭和17年になって戦時下日本に帰ってきたクチ。10年前に死んだ爺さまは、火熨斗でつかっていた、今から思えば木炭のことを己にカルボンだよといっていた
2013.11
28
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12:00
Category : 有職故実
 特定秘密の件で、前に読んだ戦争中の例を思い出したよ。

 戦時中だと、大本営発表について統計をとり、事実と違うだろと言っただけで大阪の憲兵隊捕まった例がある。「米国が開戦前に保有し、開戦後に就役を発表した戦艦の合計数よりも、大本営発表での戦艦撃沈数の方が多い」(大意)「ラバウル航空戦で『米軍機が二百数十機飛んできて、そのうち百五十五機落とした、日本側損害十五』ってどう考えてもおかしくないか、英独航空戦でもそんな比率はない」(大意)というもの。

 結局は、検事に無理矢理に流言飛語とされた。だが、検事もどう事実と異なるかを示すことができない。そこで事実に基づくこと無く日本の勝利を疑うものとして海軍刑法や臨時取締法違反で有罪となった事件がそれ。

 ほかにも、ペンキ屋の老人の話もある。「アメリカはレーダ射撃があるので水上砲戦で日本は勝てない」(大意)「統制経済はうまくいかない」(大意)「日本にはモウ空母がない」(大意)「アメリカには勝てない」(大意)といったもの。これは前に書いたとおり。これは警察に捕まって、同じように流言飛語として、海軍刑法と臨時取締法で送局された。こちらは特高報告に残っている。

 ちなみに、警視庁(東京)から東京都長官宛の特高報告には、にも、どうでもいい言論で取り締まられた例も多く載っている。「蕨に爆弾が落ちた」とか「オレの乗っていたフネが沈んだ」とか「対空砲が当たらない」といったもの。

 戦争中の例で見ると、実際に敵にバレて困ることを秘密にするよりも、自分たちが下手打っていることを隠すのに使われるのが、秘密といった取り扱いなのだろう。現代でも、宮城県警の捜査報償費みたいな例もある。



 まあ、防衛とか外交ならまだ分かるが、警察や一般省庁に秘密認めると、どーでもいいことを秘密にして、どーでもいい漏洩まで犯罪にするのではないのかね。防衛にしても、実際に見た秘密取り扱いには、まあどーでもいいことがあった。外交の秘密も、競走馬代金やらにつながった例もある。検察も、都合のわるい証拠、矛盾する証拠はついこの間までは出さなかった。これもその伝だろう。さらに一般省庁になると、悪事を隠す以外に秘密取り扱いの使い道はないだろう。あっても入札の予定価格調くらいだが、秘密とするとむしろ予定価格をバラしたことを秘密にするのではないかね。



※ 役人は秘密を独占したがる。そして秘密を暴かれると役人は怒るといった話については、ベネディクト・アンダーソンも「国家の見えざる敵 社会的実践としての海賊」が面白い。「秘密を独占することが権力の源泉となる」(アンダーソン、大意)といったあたりは、いい悪いはともかく、真実なのだろう。
2013.11
20
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Category : 有職故実
 夏休み、東京見物に出た女学生3人連れが女衒に騙されて苦界に放り込まれた事件がある。しかも、昭和30年に。

 30年7月末、福岡の女子高生(17)が来るのだけど。そこに悪い男が擦り寄る。「東京は危ないところだから悪いやつに騙されるな」といったとある。親切ごかしたり、飯食わせたり、諸費奢ったりしたのだろう。そのあとで「働きながら見物すれば、お金の節約にもなるし、長く居られる」と持ちかけたとある。女学生には負い目があるので、断りにくい話だ。

 だが、働く先は三業地。今ではない言葉だが、まずは色街のこと。女を差し出す置屋、場所を貸す待合、飲食物を出前する料理屋の3つで三業、その場所で三業地といった。その三業地にバラバラに女中として送り込まれた。バラバラにするのは、相談させないようにする工夫だろう。そういったノウハウもあったということだ。

 しかし、これを不審に思った娘が直ぐに抜け出す。抜け出すならともかく、そのときに4800円を持ち逃げする。すると、悪いやつは、逃げたC子の件でA子とB子を脅す。連帯責任だと訳のわからないことを言って、女郎屋に売り飛ばす。吉原の特飲店、初菊に1人2万で売り飛ばしたという話。

 それが8月末にお縄となった。8月27日付朝日新聞「東京はこわい所 -夏休みに見物にきた女学生を売り飛ばす」がそれ。児童福祉法違反で捕まっている。ちなみに売春防止法は施行(昭33年)どころか、成立(昭31年)もしていない。成人した後なら、売春そのものは完全に合法。(ちなみに今は売春は非合法であるが、罰則はない)

 ただ、捕まるまでのタイムラグが長さは、店と女学生が損しないように配慮したのではないかと疑う。店は2万円払っている。回収しない内に引き揚げられては適わない。女学生も、売り飛ばした金の3割5割は手にしている。いろいろ使ってしまった後では、返せるものではない。そのあたりを警察は斟酌したのではないか。女学生は17といっても、新制高校3年である。限りなく18に近い。店の立場と本人の意向を見て、回収するまで黙認でもしたのではないか。

 警察と女郎屋は友のようなものだ。警察も、かの浅草象潟警察である、上は署長から下は巡査までいろいろ役得もあったはずだ。警察も店に世話になる。これは、個人の飲み食い女買いだけではない。なんといっても女郎屋はハエ取り紙のようなもの。罪を犯した者は三業地に吸い寄せられる。凶悪犯、常習犯を捕まえるなら女郎屋に登がる。警察と業者は持ちつ持たれつでもある。それが良い悪いではない。そういう時代であった。だから、警察も、店の意向を汲んで女学生を説得するくらいはあっただろうと睨んでいるのである。



※ 「東京はこわい所 -夏休みに見物にきた女学生を売り飛ばす」『朝日新聞』夕刊(朝日新聞,1955.8.27)p.7
2013.11
15
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12:00
Category : 有職故実
 気づけば来月は師走となる。末には天皇誕生日もある。昭和8年会であらせられるので
今上もついに80になられる。もう強制的に楽隠居させてもいいのではないか。

 まず、80は働く歳でもない。
今上は強い意志で倦まずに公務を行っているが、もう次世代に渡して楽隠居させるべきではないかな。もちろん
今上は楽に安住するようなことをお嫌がりになるだろうが、そこは立場や政治思想はお構いなしに、全会一致で
元首押込をやってもいい時期ではないか。

至尊に別に御退位を促すわけでもない。国の制度には摂政宮がある。摂政宮を立てて公務を代行すれば、楽隠居もできる。皇室典範では摂政は心神事故あるときしか立てられないことになっているが、所詮は法律に過ぎない。憲法にはそこまでの細々した規定もない。今上陛下が「象徴に定年はない」と嫌がられても、「まあまあそれは」で無理矢理おしこんでもいいし、むしろそれが臣下の道だろう。


 あとはお好きな魚の研究でも、
美智子様とテニスでもやってもらえばいい。もちろん、重要な国事行為や、戦没者記念式典といった強い御希望あるものには
出御を願えばよい、それ以外の駄国事行為や駄公式行事の負荷は傘寿になろうとする
玉体から除くべきだ。

 摂政宮は、別に政治的なイシューにもならないし、左右どちらも異存はないはずである、しかし、この話はたまにポツポツ出てくるだけで、あんまり真面目に取り上げられない。これは政治の怠慢ではないかと思うが、どんなものだろうかね。
2013.11
13
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12:00
Category : 有職故実
 沖縄ではネコはマウと読んだらしい。マウマウと鳴くからマウということなのだが。その葬礼も変わっている。大阪にある民族学博物館が出している『みんぱく』2000年2月号によると、木から吊るしたらしい。

 手元メモでは、次のように書いてある。「沖縄の古い風習として『ネコが死ぬと、首を縄でくくり木(松がよい)に下げた(海が見えるところがよい)』」この習慣は、福建、台湾に共通するらしいが、愛媛にもあったと書いてある。

 弥勒信仰や石敢當、馬祖観音といったものは、中国沿岸部と沖縄に共通した慣習である。他にも、中国沿岸部と交易した長崎等に伝わっている。

 だが、ネコの葬礼が愛媛に伝わっているというのは、相当に不思議なものである。どういった経路や由来であるのかは知らない。
2013.11
01
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12:00
Category : 有職故実
 進水式を終えた新造潜水艦の「こくりゅう」も、結局は残念な名前ではないだろうか。

 「ホニャララ龍」とする艦名は、あまり良い艦名ではない。もともと旧海軍でも、空母も潜水艦といった補助艦艇向けの艦名であり、選り抜きの名前ではない。結局は漢語から作られた重要ではない艦名である。

 どこの海軍でもそうだが、重要艦の名前と、それ以外の艦名には落差がある。日本海軍でもそれは同じで、正面切って戦う戦闘艦には立派な名前、補助的な役割に留まる艦艇にはそれなりの名前と、名前の力の入れ方に差をつけていた。そして、かつての空母、いまの潜水艦でつかう「ホニャララ龍」とする艦名は、その後者の素晴らしくはない名前にあたる。

■ 戦闘艦艇には優雅な名前が与えられた
 日本海軍では、正面切って戦う戦闘艦には、やまとことばから優雅で由緒ある名前を選んで艦名として与えていた。

 戦闘に従事する軍艦につける山河の名称は、良い名前を選り抜いて与えられている。和歌の題材となるような景勝地や、伝統的価値観に合致した良い地名が取られている。日清戦争の三景艦や、比叡、吉野、高千穂、日露戦争での敷島、朝日、初瀬、三笠、浅間、常磐はその例である。

 軍艦ではないが、勇敢に戦う駆逐艦でも、やまとことば系の優雅な名前が与えられた。おそらく、駆逐艦の名前には、源氏物語から取る頭もあっただろう。夕霧、薄雲、野分、早蕨といったあたりは、源氏物語から艦名を拝借している。そして、そこから逆算して合致する基準を考えたものだろう。※

■ 非戦闘艦艇には、それなりの名前
 対して、空母や潜水艦といった二線的な補助艦艇には、あまり由緒のない名前が与えられている。

 航空母艦、潜水母艦、駆逐母艦の類は、馴染みのない漢語が転用された。飛龍、蒼龍、瑞鶴、翔鶴と、大鯨、迅鯨、長鯨の起源は、そのようなものだ。雅風のない抽象的な名称となっているのは、戦闘で主役となることが期待されていなかったことの名残である。

 潜水艦にいたっては、十把一絡げに番号が与えられただけで終わっている。イ-168は艦名に168である理由はない。167や169との差もない。その程度の存在にされている。

■ 飛蒼翔瑞は、活躍したからカッコ良く聞こえただけ
 しかし、そのパッとしない艦名が前の戦争では活躍した。太平洋戦争では空母が活躍した。飛龍、蒼龍、瑞鶴、翔鶴…といった、空母は大活躍した。その結果、逆にそれぞれの大活躍により、本来は文字が浮かばないとイメージすら湧かない言葉を与えられた艦名に好印象が与えられたのである。

 当今の例で言えば、気の毒にDQNネームをつけられた子が、ノーベル賞のたぐいをとってMVPとなったようなものだ。結果として、そのDQNネームは良い名前であると認識されるようになった。

 そして、今日には、潜水艦の地位が大きく成長した。このため、潜水艦にはより価値のある名前を与える必要が生まれた。その結果、今日の日本潜水艦には、太平洋戦争でのMVP、空母艦名の命名法を流用することとなった。「そうりゅう」級は、その走りである。※※

 ただし「ホニャララ龍」といった言葉は、やまとことばではなく、書かないと分からない漢語である。雅風な言葉でもない。すでにカッコ良い龍の名前も尽きている。大戦中に活躍したのは、ネームシップの蒼龍と、おそらく次クラスのために取ってある飛龍で終わっている。空母艦名の記憶から名前としてもシックリ来るのは、2番艦の雲龍で終わりで、あとはロクな名前ではない。※※

 ホニャララ龍に窮してつけられた、はくりゅう、けんりゅう、ずいりゅう以下は、何事かという名前である。どういう意味かも浮かびにくい、珍奇な名称にとどまっている。今回の「こくりゅう」もその伝である。このあたりの名前は、一種DQNネームであるので、早々に取りやめて、やまとことばか、戦争中の殊勲艦艦名に限定したほうがよい。


※ 仮に戦前・戦時中に護衛駆逐艦の名前、源氏物語から鈴虫、蜻蛉(かげろうは、本来はこっちか)、蛍、空蝉あたりがいいよね、雅だしと決める。その後で「じゃあ、護衛駆逐艦は艦名を虫ケラにしよう」とするようなものだ。命名基準としては「護衛駆逐艦は節足動物・非脊椎動物の名前からとる」とするようなもの。

※※  これは米国とも同じである。米国も戦後しばらくは潜水艦に適当に魚の名前をつけていたが、潜水艦の価値向上とともに「魚の名前ではアガらない事この上ない」と命名規則を弄って、議会対策を兼ねてかつて主力艦に使った州名や、大統領の名前を使った。これは前に【潜水艦】魚は投票してくれない【名前】として書いている。
http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-53.html

※※※ 日本海軍が艦艇名に使ったホニャララ龍としては、「福龍」がある。ただし、清国からの捕獲水雷艇であり、名前も清国時代そのままであるので、使えたものではない。
2013.10
25
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12:00
Category : 有職故実
 地下書庫で手にとった本で発見した。『Viking Empire』の181頁なのだが、綺麗な円形城址なので、本も買ってしまった。


大きな地図で見る

 城はスカンジナビアの盟主となったたハーラル青歯王によるものらしい。1066年のノルマン・コンクエストで死んだハーラル三世とは別家系の別人。

 城跡には博物館があって、そのウェブ版がこれ。http://www.vikingeborgen-trelleborg.dk/

 適当にググると、WIKIPEDIAにバイキングの円形城跡で項目が立っている。他にも城があり、それぞれを確認すると次の5ヶ所。

最初の城 Trelleborg (Trelleborg)
http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=&ie=UTF8&om=1&oe=UTF-8&z=16&ll=55.392665,11.268861&spn=0.005643,0.014591&t=k

2個目:Aggersborg
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&z=16&ll=56.994601,9.257419&spn=0.005412,0.014591&t=k
http://da.wikipedia.org/wiki/Aggersborg

3個目:Fyrkat
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&z=17&ll=56.623866,9.772339&spn=0.002733,0.007296&t=k
http://da.wikipedia.org/wiki/Fyrkat

4個目:Nonnebakken
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&z=16&ll=55.369637,10.415039&spn=0.005646,0.014591&t=k
のちにOddfellowsとかいう寄合のロッジ敷地に転用された様子
http://da.wikipedia.org/wiki/Nonnebakken

Nonnebakken付近で紛らわしいもの
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&z=16&ll=55.414436,10.464542&spn=0.005639,0.014591&t=k

5個目:Borgeby
http://da.wikipedia.org/wiki/Borgeby
だとここらへんだとしている。
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=en&ie=UTF8&om=1&z=17&ll=55.751741,13.029034&spn=0.002796,0.007296&t=k だが形状はよくわからない

6個目:Trelleborg (Trelleborg)
http://da.wikipedia.org/wiki/Trelleborg_%28Trelleborg%29
では
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&oe=UTF-8&hl=ja&q=&om=1&z=16&ll=55.374965,13.159304&spn=0.005645,0.014591 こことしている。都市化でよくわからない。


(2007年ころの日誌に手を入れて掲載)
2013.10
25
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11:59
Category : 有職故実
 10年くらい前に同人誌のあとがきで書いたのだが。まあ太、犬、大の3文字を同居させたいから書いただけのようなものなのだが。タロとジロが、つがいだったら大変な事になっていたのではないかね。樺太犬は南極で生存できる。それが、繁殖したら、犬だらけの大陸になって、ペンギンの何種類かは絶滅したのではないか。

 ただ、犬が南極で殖えるかどうかは知らない。

 南極には昔から犬が連れて行かれている。アムンセンとスコットの競争でも、アムンセンは犬ぞりを使い、運んだ食料が減り、不要になった犬は食料にもされている。その歴史で何匹かは逃げただろうが、それが繁殖したという話は聞かない。気候に妊娠が耐えられないのかもしれないし、仮に子犬が生まれても直ぐに死んでしまうのだろう。
2013.10
18
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11:59
Category : 有職故実
 セルフ式のガソリンスタンドで、まだまだ入るのに、機械が勝手に満タンを検知して止まってしまうことがある。下から上がって来る泡混じりのガソリンを液面だと感知した結果だ。なんとなく満タンにこだわるから、結局、継ぎ足しをする羽目になる。

 あの自動検知装置、てっきり、音響センサだとばかり思っていた。ヘルムホルツ共鳴…何のことはない、壷を叩いたとき、容積の大きいほど低い音で鳴るというあの原理…で、タンクの空容積減少にともない、共振周波数が高くなることを利用していると思っていた。給油口から出てくる音は、最初は低い音だが、後にだんだん高くなってくる。シュゥー、というか、キュゥーという音とともに自動検知が働いてストップするから、てっきりあの音を利用していると考えていた。共鳴周波数が急速に上がったら、満タンみたいなロジック。

 しかし、現物はもっと単純で確実なもの。給油管の中で真空引きをしている感知管があるとは知らなかった。
http://www.tatsuno.co.jp/self/ 多分、感知管の系統の奥に、バネで押される弁みたいなものがある。それが、感知管からの空気で押されている間は満タン停止装置を動作させない。逆に感知管からの空気流が弱くなると満タン検知機構が動作する。大の大人の出にも余る給油器の大きさからすると、実際には機械式にガソリン送油側のバルブを閉めるようになっているのだろう。小銃の尾栓をとめるロッキングカムのような仕組みで。

 なんにせよ、機械式である。昭和期の古いスタンド、ホイール式表示式給油機にも満タン停止装置がついている。エレキ式だと何かの拍子のトラブルが気になるが、単純な機械式であれば信頼性は高い。なんにせよ、シンプル・イズ・ベストなのだろう。
2013.10
16
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12:00
Category : 有職故実
 ソ連による内外発表を、外務省が纏めた『ソ連月報』という本があった。その月報の、80年初頭を読むと、対外プロパガンダも多数掲載されている。

 だが、そのプロパガンダの中に、本当の気持ちが吐露されている。対外強硬的な強がりであっても、その中にソ連の弱味を乱すことができる。

 例えば「日本の軍国主義者は、北海道に精鋭の4個師団を配備し、ソ連への侵攻を窺っている」(大意)とある。当時の日本人からすれば、逆にソ連が日本に攻めこむつもりだろうと反発しただろう。だが、それはソ連人※ も同じである。

 これは、ソ連にとって、4ヶ師団は相当に脅威であるとする心情を素直に表したものである。

 ソ連人が日本の侵攻を危惧することも、不思議ではない。ソ連極東部は、今ほどでないにせよ、昔からスカスカである。対日正面はサハリンに2ヶ師団があるだけ。日本の軍備増強に対しては、70年代末から戦力をかき集めて、北方領土に全滅予定部隊を1ヶ師団規模置くのが限界だった。

 北方領土返還を要求する日本が、戦力を強化するのはソ連にとって脅威であった。特に、強硬に返還要求をしている北方領土から目鼻の先にある、北海道の陸上戦力強化は脅威以外の何物でもない。日本は、ソ連の脆弱な下腹、オホーツク海に貫入している北海道の、その正面の4個師団プラスを重点的に近代化を始めたのである。

 また、キエフ級軽空母に対する批判への反発も同じである。当時、ソ連が空母を入手したことに、中国を含む西側はソ連軍事力増強の象徴であると非難していた。ソ連はそれに対抗して「アメリカは大型空母15隻を保有しているのに何の非難もされない。だが、ソ連がキエフ級を整備しただけでは『平和の敵』と非難されるのは理不尽 」(大意)と反発している。

 これも、LPH相当の能力しかないキエフ級を理由にして、西側海軍力の増強を始められるのは、割にあわないので勘弁してくれといった内面を見て取ることができる。

 ソ連海軍からすれば、キエフ級は玩具であることを承知している。

 そのキエフ級を理由に、西側が海軍力を強化するのは、酷いイジメである。海軍力格差はむしろ広がるといった絶望があるのだろう。特に、キエフ級のイメージは、西側海軍力強化にいいように使われている。アメリカの600隻海軍を後押しする要素になっているし、日本の海空自衛隊強化をするための、理屈付けにも使われていた。

 ソ連だけではないが、対外プロパガンダには、強硬な物言いに見えるものの、そこには内面の弱味も観察できるものだ。今の中国や、最近、急に下品になった日本の対外主張にも、強気であるように見えながら、その内実は弱味を隠しているものは見つけられるだろう。



※ 今となっては「ソ連人」はお笑い種だが、当時はソ連人と纏めて見られていた。ソ連国内の、アジア系少数民族やイスラムとの距離感は知られていたが、スラブ系諸民族の間の軋轢、例えばウクライナ人は自分たちは抑圧されていると感じているといった話は、軽視されていた。
2013.10
15
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12:00
Category : 有職故実
 福岡の火事の件で、防火扉が違法状態という報道があるが、消防のスタンドプレイではないか。「福岡・整形外科10人死亡火災 防火扉の一部が違法状態」がそれだ。

 報道は、防火扉が煙感知ではなく、熱感知のままにされたことを責める内容である。だが、そんなものは既存不適格でいくらでもある。74年の基準法改正以前の建物では、熱感知はいくらでも残っている。さらに、それ以前の建物では、防火扉が手動なところも幾らでも残っている。

 そして、病院も、増築前であれば、合法であった。そして、極く小面積を増築したからといって、火災の危険性が増えるわけでもない。防火扉が熱感知ではなく煙感知でも、延焼防止には大した効果はない。

 そもそも「建物4階の防火扉は、閉まらないようにロープで固定されていた」では、熱感知でも煙感知でも変わるものではない。そこで「病院1階の防火扉2枚が、法律で義務づけられた『煙感知式』のものではなかった」ことは、火災発生や延焼の原因とは全く関係を持たない。

 これは、消防のスタンドプレイである。消防は取るに足らない設備を云々して、建設業を、オーナーを虐める。

 消防の仕事は年々減る。建物が不燃化せず茅葺きが残り、石炭木炭薪で調理していた昭和30年までには、火事は多かった。延焼も多く、街区がまるごと焼けることも珍しくはない。しかし、昭和50年以降は、火事は減った。建物は木造を含めて難燃・不燃化し、屋内での裸火使用も相当に減少している。

 暇になった消防は、自分で仕事を作り始めた。消防法を盾にした予防消防がそれだ。特に指導課の裁量指導は、建設行政に較べてあまりにも根拠に乏しく、杜撰である。根拠である消防法規にすら基づかない、その場限りの上乗せ規制や難癖も多い。ヒマな人間ほど余計な仕事を作るが、消防はそのいい例でである。自分たちで仕事と権益を作りだそうとしているわけだ。

 今回の防火扉の例は、過剰な要求である。防火扉をつけろから始まり、熱感知はダメだ、煙感知にしろ、煙感知も駄目だ、炎感知にしろといった、大した効果も上がらないエスカレーションを求めてくる。これらは、効果が少ない割にカネがかかる。そのような過剰要求の原因としては、背景に消防設備業界があるからである。

 消防と消防設備業界の癒着は、ロクなものではない。そのいい加減さは、消防指導課に対応した者から話を聞けば良い。月刊『フェスク』あたりにある無駄な設備ばかりをつけろと五月蝿い。その中身は、悉くが金が掛かり、業界を儲けさせるだけのオモチャである。委細は前に「この無駄なもの『火災脱出用シュータ』」で書いている。

 所詮は、消防のスタンドプレイである。真に受けるべき内容ではない。
2013.10
13
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13:25
Category : 有職故実
 根底には、国際社会とか国連は全く無力とする発想なのだろうが、これはこれで現実味はない。

 投稿日時とベストアンサーの中身から、テキ屋とサクラ臭い。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1082210225だが、国際社会という要素を完全無視できるという回答には、逆に非現実である。

 そもそも、問い・回答ともに混乱している。「米軍基地がなくなること」と「日米安保を解消」は違う。そして、現況で、なぜ日米安保を解約するのかは分からない。

 回答は、逆に非現実的である。「国際社会は全く無力であり、特に常任理事国の侵略には干渉できない」とする主張に終始している。

 しかし、常任理事国であっても、大義名分のない無名の師は、正当化されない。なにも悪いことしてない日本が、ロシアや中国に一方的に攻め込まれる状況であれば、国際社会はロシアや中国を非難する。主権国家への侵略は、常任理事国にも強い逆風となる。実際にソ連のアフガニスタン侵攻がそうだった。常任理事国であるソ連は、安保理で拒否権を行使したが「平和のための結集」でひっくり返されている。

 常任理事国の拒否権も、どこにあるのかわからない僻地にあり、政治的関係や経済関係で孤立していたアフガニスタン侵攻レベルでひっくり返っている。仮に常任理事国が、納得できる理由なく日本に攻めこむと、安保理の拒否権は、どうように平和のための結集決議で封じ込められる。

 ある程度、外面のいい日本が一方的に侵略されている状況なら、援軍は来る。露骨な侵略への対抗であり、政治的にも各国の援助は見込める状況である。また、日本に恩を売るチャンスでもある。イラクのクウェート侵攻と同じように、日本経済、市場へのアクセスを重視する国は、日本に援軍を送る。中国やロシアが日本を侵略するような情勢では、安保条約を抜きにしても、米国は介入するし、英連邦もそれについてくる。国際社会での名声を求めるフランスあたりも来る。おそらく、名もない小国も、後々を考えて、歩兵1ヶ大隊みたいな、象徴的な戦力位は派兵しましょうかという話にもなる。

 そもそも、回答は現実的な前提をすっ飛ばしている。中国やロシアに対日侵攻する理由も能力もなく、自衛隊もそれほど弱くもなく、日米安保の存在を無視している。

 それに加えて、国際社会とか国連は全く無力であるとするのは、逆に甘い見方である。国際社会も国連も無視出来るものでもない。特に植民地帝国的な侵略であれば、国際社会は間違いなく動く。この点を非現実的な理想主義的、空想主義的であると批判したいのだろう。だが、逆に全く動かないとするほうが、非現実的である。




予定投稿の日にちを間違えていたので、いま反映させました
2013.10
09
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12:00
Category : 有職故実
 『JT 20年史』を読んでいて、新規銘柄や廃止銘柄の項目にリベラマイルドを発見、と同時に、脳内にCMソングが流れる。



 タバコは全く呑まない。就職してから、宴会で下僚がタバコを吸いやすいようにと、その時だけコイーバの紙巻とかアークロイヤルを買っていた。だが、一本火を付けておしまい。

 だが、割りとタバコを吸う奴は好きだった。学校教官の時、事務室を出た踊り場が、その棟内で唯一の喫煙所になっていた。封を切ったタバコ、エコー、しんせい、わかばの類(うるまとかバイオレットとかハイトーンとか)「ご自由に」置いておくと、金のない海士学生が吸って「マズイ」とか「噎せる」というのを聞くのが面白かった。

 先任と出て行くと「こんなクソ不味いタバコ」という。先任が「貧乏学生の為を思って、文谷教官の置いたタバコに文句つけるのか」というと、最初のうちは「いや、美味しいです」とかいうものの、じきに慣れてくる。顔見知りになってから、置いた当の己が「そんなもの誰が吸うか」「吸うならキューバだろ」とかいうと「ヒドイ」というが、給料日前の15日頃になると、そのタバコも「有難く頂く」という学生が出てくるので笑っていた。

 タバコを見るクセや、マイナータバコを吸わせるクセは、学生時代からあった。己は気管支が弱いので吸えないので、奇妙かつキツイ煙草を買ってきて「ウマそうに吸え」とやっていた。

 昔はタバコに慣用で、20未満は売らないという話もない。昭末平初は酒もタバコも緩やかだった。吸う方も吸う方で、高校時代にはニコチン切れに耐えられない奴もいた。だが、己の高校ではなにもいわれなかった。川越高校という県立男子校で、校則もなければ制服もない放置教育の学校だったということもあるがユルユル。外から見えないように吸って火の始末をおけば文句はなかった。校長がアノ高野連副会長だったが、その程度の時代だった。

 大学に入ると、近所にヘンな煙草を売るのが趣味としか思えない薬局があった。江戸川橋(あるいは護国寺)から通っていたので発見したのだが、そこにいくとなんでもある。旧琉球煙草やら、キングサイズ・ホープやら、マリポーサまであった。それを買ってゼミなりサークルなりで吸わせるのも趣味だった。

 『JT20年史』をみると、ヘンテコな煙草が一杯出ている。アイランド、COSMOS、アルカディア、バルカといった微かに見た記憶のある煙草から、DEAN、アレックスといった全く見たことの無いタバコもある。

 そして、火を使わないタバコ、Airsがあった。これは先端のもぐさ状熱源で煙草の葉を燻してニコチンを出すというもの。タバコ吸いに渡しても、ゼミでもサークルでも、早稲田に住んでいた明大生田の友人連にも全く不評だったのを思い出した。もともと低ニコチン・低タール系のタバコは、タバコの葉をパフェッティング(膨潤)させているだけだから、薄すぎてタバコのみには物足りない。その上、せんねん灸方式で燻しだしても「酒の匂いをかがされているのと同じ」ということだろう。

 ただ、この『JT20年史』で一番おもしろいは、個々たる煙草の銘柄ではなく、煙草会社のスタンスにある。2005年に刊行された本なのに「マウスにタールを塗ると癌になることは明らかですが、タバコの煙では再現性は確認されていません」「喘息等の刺激的なものを除き、環境たばこ煙(副流煙のこと)による健康被害は判明していません」とエクスキューズしている点。

 JTは、結局タバコから脱却できそうにない。飲料部門といった分野に進出して、それなりに成功は収めているものの、タバコ以外で上がる利益は全体の10%に満たない。結局、タバコしかない。だから「タバコで肺がんになるという直接的な証拠はない」の立場は崩せないのだろう。もちろん、内部でも、色々あるのだろうけれども。
2013.09
27
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Category : 有職故実
 マツダが畸形エンジンであるロータリ・エンジンを採用したのは、他に売るタマが無かっただけの話ではないか。

 RX-8もいつの間にか生産が終わった。これでロータリ・エンジンを搭載した車は、今生産していない。そうなったのは、ロータリ・エンジンがあまりにも筋の悪いエンジンであるからだ。逆に言えば、あんなエンジンを搭載した車を、フラッグシップ・モデルとして売り続けざるを得なかったマツダは、よほどウリがなかったということだ。

 ロータリ・エンジンの筋の悪さについては、富塚清さんの一連の記事を読むと納得できる。富塚さんは、戦前から東大で航空エンジンに携わってきた研究者。戦後には『機械学会誌』で異型エンジンが如何にダメかを明快に力説している。

 富塚さん主張について、その細部は前に書いている。「富塚さんが言うとおり、ロータリ・エンジンは失敗作だね」http://schmidametallborsig.blog130.fc2.com/blog-entry-198.htmlがそれだ。かいつまんで言えば、完成形である在来型レシプロ・エンジンに比べた筋の悪さである。熱膨張やシーリング、摩耗の問題、クランクによる動力持ち越しができない点は明らかに劣る。それを越える利点はない。

 富塚さんは、実用例でもロータリ・エンジンがダメなことハッキリ述べている。昭和30年ころ、チェーン・ソー用に使われたが、全くとても実用にはならず、林業家ではそのチェーン・ソーを忌避していたことを指摘していた

 そのエンジンを、マツダは平成になってからも作り続け、売り続けた。これは、マツダが最高級モデルとしてトヨタ・日産・ホンダに伍する車を作れなかったためだ。他社との差別化を図るためには、どうしようもないロータリ・エンジンを使い続ける必要があったわけだ。

 たしかに、マツダは悪い車ではない。己もアクセラに乗っている。トヨタ・日産・ホンダと遜色はない。しかし、マツダは満足感を売り、能力以上の高い金をとれ、技術的ほこりとなるような高級車/高性能車に欠けていた。一時は、高級車路線としてヘンテコな高級ディーラーを乱発していたが、ヘンテコな形のヘンテコ高級車モドキを出しても売れるはずもない。さりとて、技術的には他を圧っせるものもなかった。あるとすれば、大失敗だったロータリしかないので、それを無理押ししていたものだろう。

 不利が多く利がほとんどないロータリを止めるのは、正常な判断である。だが、これまでロータリは将来有望と騙してきたユーザーも居る。だから止めるに止め難い。止めるに際しても「マツダのロータリ開発は続ける」と、言っている本人も本気にしていない声明をを出している。それを信じて、後継のロータリ・エンジンを待ち続けるユーザーは気の毒なものだ。



※ 「ロータリは水素燃料と親和性が高い」云々もあったが、水素ロータリ・エンジン車の話も全く聞かなくなった。水素燃料の供給体制や、車内側の水素燃料タンクの問題。結局はカルノーサイクルなので、将来的に燃料電池に勝ち目がないことがあるからだろう。次世代エンジンとしても、実用性ならハイブリッド、環境無負荷ならEVに負けている。
2013.09
24
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12:00
Category : 有職故実
 歴史的に見れば、尖閣付近はむしろ「みんなの海」であって、日本の海ではない。

 尖閣周辺について「昔から日本の海」というのは、誤りである。産経新聞「『本当に日本の海なのか』 周辺海域、台湾漁船や中国公船入り乱れ」※で、漁協の組合長さんが「『歴史的に見ても明らかに日本の海なのに迷惑だ』」と述べている。だが、尖閣周辺の海は歴史的にみればみんなの海、公海であった。

 尖閣周辺の海を日本が囲い込んだのは、ここ40年の話に過ぎない。国際海洋秩序として排他的経済水域(EEZ)が確立したあとの事である。それ以前は公海で、日中台が自由に操業していた。70年代初頭までは、尖閣諸島から3マイル(当時は領海3マイル)がどこの国に属するかはともかく、それ以遠については公海である。どの国の漁民も開放されていた。

 その上、尖閣はどこのものかは確定していない。日本人は日本のものであると考えているが、中国も台湾もそれを認めていない。この状況で、日本側主張の中間線を杓子定規に適用して、中台の漁船を機械的に取り締まると厄介な話になる。まずは李承晩ラインなみの、理不尽な話になってしまう。

 だから、尖閣周辺の海面に中国や台湾の入会を認めるのは、妥当な話である。かつて、中国や台湾の漁民は、琉球の漁民と同様に自由に入り込み、漁労をしていた実績がある。200マイルや中間線で一方的に締め出すのは、穏やかな話ではない。

 中台漁船のアクセスを認めたことは正しい判断である。尖閣周辺において、日本は島から12マイル以内はともかく、その外で中台操業を認めている。中国とは、互いの漁船は互いの政府が取り締まる形で、入会を認めている。台湾についても同じように一部に特別協力水域を認めている。かつて中台漁民が漁労していたという歴史的経緯からすれば、日本側水面での操業を許可する余地はある。

 その保証されたアクセスについて、許せないと主張するのも狭隘な話だ。同記事では
このため、尖閣周辺では中国公船や台湾漁船ばかりが目立つようになった。八重山漁業協同組合の上原亀一組合長は「歴史的に見ても明らかに日本の海なのに迷惑だ」。石垣の観光漁船船長、比嘉康雅さん(56)も「自分たちの海が脅かされている。ここは日本。政府は毅然(きぜん)とした対応で、尖閣を守ってほしい」と話している。
と紹介している。だが、「『自分たちの海が脅かされている。』」というのは、狭隘に過ぎる。まず、同じ島の人間が、昔はあの海は入会だと認めていたのに、今は神聖なEEZであると許せないとまで言い出すのは、不思議な話である。その上で、中台漁船は日本も認めた権利を行使しているにすぎない。それを排除しろというのは、歴史的にみて明らかに妥当ではないだろう。



※ 「『本当に日本の海なのか』 周辺海域、台湾漁船や中国公船入り乱れ」『産経新聞』(産経新聞,2013.9.11)http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130911/crm13091111070000-n2.htm
2013.09
23
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12:00
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 大名行列の前を横切っても、まずは切られることもない。御茶壺道中の「ずいずいずっころばし」の意味を知りたくてググったのだが。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111835471の回答の中で「大名行列も前を横ぎったり無礼をすると切られてしまう」とあるのを見つけてどんなものかと。間違いとはいえないが、実態に即しているわけではない。

 大名行列の前を子供が横切ったくらいで、人斬り包丁を振り回す乱暴な御家中はまずない。子供の行列横切りは見て見ぬふり、大人でも痴れ者扱いで、多少のことはあっても横桁張る程度、ぶった斬るのはなかなかやることじゃない。

 もちろん、大名行列の先触れは邪魔なものを蹴手繰り、投げ捨てるくらいなことはする。たとえば、幕末百話には、南部の家中と汁粉屋が遭遇した例が採録されている。お汁粉の屋台が、道なかでおしるこ沸かしていて、夜の大名行列に気づかないでいると、何も言わずに前触れが道具をぶん投げ蹴ったぐりする。しかし、この例でも、切れる鉄の延べ棒は振り回していない。下がる汁粉やを殴る蹴るもしていない。

 例外は、領民に不人気な東北のA藩くらいなものか。他所の領民でも切るし、子供でも罪を減ずると称して耳を切り鼻を削いだ。幕末に横須賀の警備も担当していたのだが、そこでもロクなことはしていなかった様子。警備を交代した川越が「A藩は余り評判よくないので、何やったのか?」という調査すらしている。

 そのような事をしていると、領民に愛想をつかされる。戊辰戦争で、官軍がA藩領内に進入した時も、領民が全く立ち上がらなかった。他所の例なら、なんだかんだでお殿様大事があるので、いろいろ協力する。だが、A藩は200年の支配をしながらも、それが起きていない。しかも、落城とお仕置きの時も、お殿様を救え一揆も起きていないのは稀有な例である。

 武士道云々で賞用されていた御家中であるが、統治は非難されるようなものであったということか。殿様や家来も、民の父母ではなかったツケが回ったのだろう。士大夫として落第ということか。

 ちなみに、御茶壺道中は旗本と御坊主の臨時編成にすぎない。確かに、権威あって大名行列よりも優先されたが、編成が編成なので、余程のことがない限り、お仕置きはしないだろう。
2013.09
22
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12:00
Category : 有職故実
 古代-オカルト関係で、禊ぎと洗礼が似ているという話を見つけた。中身は
>ユダヤ、キリスト教の「洗礼(バプテマス)」と神道の禊ぎは類似している
といったもの。このセンテンスでググるとイッパイ出てくるので、結構膾炙している話なのだろう。

 しかし、当たり前の話ではある。そもそも、禊ぎが明治期以降に制度化される中では、洗礼が参考にされている。洗礼を参考に禊ぎを決めたのだから、洗礼と禊ぎが類似するのは当たり前の話になる。

 明治極初期、神社行政を司る教部省で「皇朝身滌規則」が作られた。要は、禊ぎのやり方のマニュアルなのだが、それにはキリスト教の宣教師フルベッキが関与しており、しかも跋文まで書いている。(杉山剛「奥宮慥齋の霊魂自由論」『ソシオサイエンス』(早大,2011.3)http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/33695/1/SoshioSaiensu_17_Sugiyama.pdf)

 オカルト方面では日猶同祖論があり、その根拠として洗礼と禊ぎの類似性を挙げているようである。

 しかし、両者の類似は古代に遡る問題ではなく、たかだか150年程度前に由来しているものに過ぎないということだ。
2013.09
15
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12:00
Category : 有職故実
 特高資料中に「幸運の手紙」を見つけた。昭和16年7月に神戸中央局から横浜の貿易商に配達された英文による手紙で、この手紙を72時間以内に友人9人に送れば1週間以内に幸福が訪れ、送らなければ不幸となるという内容。連鎖の親元はド・ゴール麾下の仏士官とされている。

 この手紙を発見した警察も、どう評価していいか分からなかったらしい。特に反戦でもなく平和主義でもない。英米の強力さを説くものでもない。しかし、漠然と治安に係る事件であるようにも見える。

 このため、英米やユダヤ、キリスト教と無理矢理結びつけようとしている。「文明の内容には巧に英米流乃至は猶太流の基督教的平和主義を包伏せしめつヽありて、畢竟斯る文書の配布は、迷信利用の悪質なる手段に依り我銃後国民をして英米以前の思想に導入せしめんとする一種の謀略行為なるが如く認めらるヽ」というもの。

 中身に違法性がなくとも、そこに強引に問題を見だして介入しようとするのが戦前警察だなと。実態のないユダヤ主義とか、特に問題行動をしていないキリスト教を敵視しても仕方はない。

 実態としては、戦前・戦時中ともに右翼分子・団体のほうが厄介で、特高、出版警察、外事警察とも注視していた。特高は共産主義運動と同じ程度、右翼・翼壮団体を監視していた。出版警察(警保局図書課)は、同じ内務省の神祇局と強調し、神道に名を借りた神がかり右翼を抑制しようとしている。外事警察も、開戦と同時に日独友好団体の親玉を拘束している。

 だが、出先の警察著が血眼になったのは、国内の危険団体よりも、むしろ外来の脅威であった。尊王攘夷論と同じである。闇雲に外国の脅威を危険視し、その反動として本当はヨリ危険な国内の神がかり団体を放置する傾向がある。「幸福の手紙」を重視したのは、攘夷的な観念が生き残ったものなのだろう。
2013.09
09
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12:00
Category : 有職故実
 2010年7月ころの日記見たら、五ヶ国語宴会をやっていたことを思い出したよ。大学院の時分なのだが、先生の「エアコンの効きが悪い、暑くってやっていられね、宴会じゃ、宴会」で咄嗟に決定した宴会。

 この講義、やっていることは崩し字の文書読解なんだけれども、日本歴史なんて名前をつけちゃったっから勘違いした外国人が多い。日本人は己だけ。学生7人で日中朝露泰の5ヶ国編成(中国人が3名)というのはチョット凄い。 (後期は越・ウクライナも入って7ヶ国編成になった)

 最初に、江戸末期から明治初期の崩し字を見て、最初は「騙された」という顔をしていた彼らも、やっているうちに読めるようになる。「ゾンジタテマツリソロ」とか読めるようになるのだけれども、それは今日常的に使う日本語じゃないからと、釘を指しておくのが毎回の話。人数も少ないこともあって、分担とか予習の関係で結構仲良くなったので、気のおけないところが出てきていい感じの授業だった。

 だから咄嗟の宴会も割といい感じとなった。そのうち、お国事情とか言語の問題とかになる。隣に座った中国学生の一人が朝鮮族で、その向かいの韓国人と、韓国・朝鮮語についての話になったのだけれども… 「君たちは漢字読めない、オカシイ」と朝鮮族の心情がチラリと垣間見えて、なかなか。

 韓国のご本尊は、漢字文化研究関連なので読めるのだけどね。その話を聞いていると、「カムサハムニダの、『カムサ』の『サ』ってなんだかわからない」(感謝:カムサの「謝」らしい)、「アンニョンのニョンも書けない」(安寧ですか、の寧らしい)と二人で日本語で話している。

 別にとった東大からバイトで来た、木宮先生の朝鮮半島研究(これは己も取っていた)で、政治研究の韓国人学生が「拷問」と「顧問」区別がついていないことを笑っていた。とはいえ、その授業で朝鮮族のネーチャンと、大連のアンちゃんは英語の文章でエライ目に遭っていただろうというと、あなたの英語の発音はむちゃくちゃと言い返されたよ。確かに、日本人より発音は良いんだろうけど、文意の読み込み、理解とかは全般的に日本人のほうが的確だった。(日本語で説明する問題もあるけどね)

 朝鮮族曰く「チマチョゴリって普段着じゃないだろ」とも言っていた。朝鮮族もコリアンとしての民族文化に誇りをもっている様子。そこで「『間違った伝統』みたいな感じかね」と尋ねると激しく同意すること、同意すること。このネーチャン、朝鮮半島研究で在日韓国人(三世)の某とやたら意気投合したのもそこら辺らしい。

 まあ、あとはタイ人と中国東北人・ロシア人の間の夏と冬どっちが熱いか論争かな。タイのネーチャンは、多分、乾季と雨季の関係で、夏場の雨季はむしろ暑くないと言っていた。今調べると、要は夏前の4月ごろが一番暑いのだが、春夏秋冬の概念が外来で抽象的なタイなので、夏=雨季だと考えているみたいで、夏になるすぐ前の冬が一番暑いと主張している。それに対して、零下20度以下で暮らす北方人たちは冬の具体的なイメージを持っている。「日本語が違う、『冬』は寒くて、死んじゃうんだよ」と述べている。この人達は、11-2月の寒い時期=冬と認識している。しかし「夏は雨が降るから我慢できるけど、冬は暑すぎてエアコンがないと死んじゃう」と言い返すあたりでの、ディスコミュニケーションもなかなかだった。

 別の中国人のネーチャンは、中国の大学の軍事教練がいかにキツイかを己に力説してくれた。同じゼミで、己が現役だって知っているからそういう話になったのだが。中国のエリート女子学生(この人は半分、苗族)サンなんだが、聞いている限りはお客様待遇にしか聞こえない、それは己がズレているからなのかね。 「不動の姿勢、30分」とか「10kmも歩く」とか言われたがね。どうしても体験入隊にしか聞こえない。中国では大学生が軍事教練やっていると言ってもそんなものなのかね。

 でもまあ、みんな仲良く飲むだけ飲んで解散。気持ちの良い宴会だったよ。
2013.09
08
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12:00
Category : 有職故実
 自宅で昭和7年の『水路要報』を発掘した。水路部関係を追いかけていた頃に買った古本だが「北海道帝国大学附属図書館」の票が貼ってある。

 その中に「航海中燃料欠乏の際の窮策の1例」という記事があった。東洋汽船の美洋丸(5,479総トン)船長 宇野常司、運転士 安曽徳正による報告で、オーストラリアから台湾に向かう途中で燃料切れ、仕方なく積荷の袋入小麦を燃やしたというもの。

 美洋丸は、昭和6年11月にオーストラリアを出発する。11月2日、メルボルンにあるWilliamstownを出港したが、12日に石炭が自燃していることに気づく。おそらく自然燃焼で、燃えるというよりもブスブス燻る状態となった様子である。それで揮発分が抜けたせいか、石炭を燃やした時のカロリーも低下し、燃費が急速に悪化し、中途燃料切れとなる見込みとなった。

 燃料問題のため、美洋丸は目的地を台湾に変更する。25日正午、北緯18度00分、東経132度23分の地点で、石炭搭載のため、北西1400km先の基隆に目標値を変更するが、強い向かい風もあって28日には石炭残量が30tとなってしまう。美洋丸は船内の木材をかき集めて燃料としたが、直ぐに燃え尽きてしまった。

 ここで、試しに小麦を燃やす話となる。28日6時から29日8時まで、石炭と小麦を混ぜて航行したという。25日から入港まで同じ速度を維持したとすれば、350km程度を7ktで航走したことになる。

 ちなみに、報告は相当に暢気な形でまとめられている。「残炭零の状態で無事基隆港に入港」「この度の経験に依つて小麦を石炭と共に混ぜて燃すときは相当良成績を得ることが立証せられた」とのことだ。
2013.08
27
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12:00
Category : 有職故実
 昭和20年夏、農村も荒廃しており、日本農業は崩壊の寸前であった。食料事情が極端に悪化しており、農村でも飯米不足が重大問題となっている。

 中でも、象徴的な事件は秋田県雄勝郡山田村(現湯沢町)で発生した。内務省にとって重篤な事例であり、衝撃を受けたものであった。米が足りなくなった農家が、向かいの家から米を少量盗み、放火する事件が発生したのである。

 内務省警保局保安課が接受した特高秘発第六七八号文書がある。昭和20年9月20日、秋田県知事久安博忠から、内務大臣山崎厳に宛てられた「飯米窮乏ヲ繞[めぐ]ル放火事件発生検挙二関スル件」と題されている。

 文書によると、事件は昭和20年8月15日夜に発生している。若妻と子供しかいない応召軍人の小作農家に入り込み、米3俵を盗み、その証拠隠滅のために放火したとある。

 内務省にとって深刻なのは、農村社会が崩壊する兆しがあったことである。ついに米農家が米にこまり、女子供しかいない向かいの家に盗みに入った。これは飢餓が都市部だけではなく農村に及び、それにより近所づきあいが瓦解する予兆である。

 この時期、農村も、ついに飯米不足に陥っている。

 まず、米が取れない。徴兵による労働力不足や、生産や輸送混乱による肥料不足があった。当時、窒素原料は火薬製造に回され、肥料製造は圧迫し、その肥料も決戦用に多数造成された飛行場での芝土育成に優先されていた。農村に配布する分も、船舶輸送や鉄道網の混乱麻痺や、トラックによる小口輸送能力不足により、上手く行っていない。

 収穫した米も、強制供出制度により、僅かな自留分しか残らない。被疑者は田地2町2反、畑地3反を持つ中農であったが、19年米穀年度で生産56石から48石を割当られ、調整して37石6斗を供出されている。残りは18石4斗あるが、現金化や困っている他農家への配給もあったため、最終的に手許に残ったのは7石2斗に過ぎない。

 当時は大家族であり、また2町持ちともなると、農繁期には多く食べないと体が持たない。そのため、1日5升を消費していたところ、ついに8月15日には2斗だけしかなくなったのである。

 このため、中農が、小作に盗みに入るという事態が発生した。しかも、盗まれた小作農家は、旦那を海兵団に取られ、若妻が田畑と家と守り、子供三人をどうにか食わせている、生存の限界にある家である。盗みに入るにしても逡巡する家だ。そこに入るということは、人情も枯れたということである。

 農村が疲弊状態にあり、その崩壊が近いことを予感させる事件である。このため、通常の道府県警察局長から内務省警保局長への経路ではなく、特に秋田県知事(当時は内務省隷下)は内務大臣に報告することとしたようにみえる。

 昭和20年は食糧不足で本土決戦は行えなかった。具体的に終戦を巡る会議では、農林省は食糧問題で戦争遂行の不可を述べている。

 しかも米穀20年度は、労働力と肥料不足の極もあり、戦時下最悪の大不作である。おそらく、20年秋、終戦なしに九州と関東で本土決戦を行おうとしても、食糧問題とそれによる地方情勢不安により決戦は困難である。それどころか、米国が上陸戦をしてくれないと日本政府は国内治安維持に困窮する。昭和21年春には食料が尽きる。その場合には、戦争どころではない政治的混乱が発生しただろう。
2013.08
26
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02:35
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 文化系トークラジオLIFEを夜通しで聞いているのだが。2時半頃に、エロ・カセットテープの話が出てきた。

 その存在を知らない世代がいるのだが、エロビデオ以前はそれが売っていた。70年代は、カセットに音だけ入れた、怪しいエロ・カセットテープが売られていた。なんにせよ、エロビデオ以前は、ブルーフィルムか、エロ・カセットか、エロ本の時代である

 そのエロ・カセットテープで手入れを食らった新聞記事があった。70年代の朝日か日経新聞だが、大阪万博エクスポ'70をもじった、セクスポ'70という題名だったことを思い出した。

 メモ帳を見れば何年何月何日の記事であるかわかるのだが、内容的にそれほどでもないので調べる気もしない。

 まあ、エロのタイトルがパロディなのは、昔からだということだ。バック・トゥー・ザ・ティーチャーといったような、赤貝ティーチャーみたいなことを当時からしていたということだ。
2013.08
22
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12:00
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 戦時日本は敵であった中国から、戦略物資を大量に買い付けていたらしい。

 桐油という油がある。アブラギリの実を絞った油で、かつては塗料や防水加工にとって重要な原料だった。

 日本は、その桐油を中国から買い付けている。しかも、高価買取というだけの、全く血を流さない方法で中国生産量の半分以上を買い付けていた様子。

 中国社会科学院『抗日戦争研究』、2012年第1期に斉春風さんの「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」※ が掲載されている。要旨は、日本は国民政府買入価格の2-12倍で桐油を買い入れたので、相当が日本側に流れてしまったというもの。

 日本は、桐油買取価格を、国民政府より高く設定していた。桐油買取価格は時期や地方によって異なるが、日本の買取価格は常に国民政府より高値である。1941年、皖中では国府買取価格80元に対して、日本買取価格は1000元※※ であった。

 また、日本進駐下である仏印(ベトナム)での高値設定と流出も、実質的な対日輸出であった。国境を接する広西では、国府買取価格230元に対して、30km離れた仏印では400余元であり、しかも貨幣価値を勘案すれば国府法幣5000元に相当している。

 日本側も桐油の確保に必死になっていた。三井、三菱、岩井洋行、大原公司、公利庄
、万利庄が現地展開している。また軍部は中国の海賊を使い、別に海軍は漁船を集めて桐油輸送に投入している。

 その甲斐あってか、日本は相当量を確保することに成功している。中国から絞り取った形であるが、正々堂々とお金の力で勝負して国府に勝ったものである。なんせ、相手が競って持ってきたものである。それほど悪いものでもない。

 ちなみに、日本に流出した桐油の量は、下手をすると中国生産量の半分以上である。斉さんは、戦時下中国での生産量と、日本側に流出した総量を断定していない。だが、下手をすると生産量の半分以上が日本側に輸出されただろうことを示唆している。桐油の国民政府買取量は、金額ベースでは戦前に較べて戦時下では半減している。しかも、国府買取価格を値上げしたうえの話である。

 結論として斉さんは、日本軍への協力であると唾棄している。「飛行機や大砲、戦車、軍艦と潜水艦、外套に塗るのに桐油は必需品なんだが、それを密貿易で日本人に渡すのって利敵行為で、血を流さない殺人行為への加担だろ」(大意)と述べている。「日本に輸血するために中国から血を抜いたら、中国が貧血になった」とも述べている。



 まず、お金の力には勝てないということだね。冷戦中にアメリカがソ連からウランを買ったように、欲しいものがあれば高値をつければ、敵国からでも買えるということだ。特に相手の国境コントロールがルーズなら、価格の高い方に物資は流れる。金の力にあかせて勝てれば、それを武器にした方がいいということだ。

※ 斉春風「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」『抗日戦争研究』2012年第1期(中国社会科学院、2012)pp.123-130.

※※ 日本が高値で買い取れた理由として、斉さんは、アヘンやヘロインの裏付けがあったようにも書いている。桐油代金で食料や衣類を入手したことになっているが、回り回れば鴉片、白面、海洛だろみたいなことを書いている。
2013.08
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05:36
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 USSBS、米戦略爆撃調査団報告のドラフトを見ていて発見したのだが。

 『週報世論報告』という冊子がある。内閣の情報局第一部週報課がまとめたものだ。当時、『週報』は毎週150万部、『写真週報』は50万部出ている。その投書欄あてのお手紙のうち「ヤバすぎてそのまま載せらんないや」といったものをまとめた冊子である。表紙にマル秘がついているので、まあ世間には見せらんないよといったもの。

 その昭和19年9月版に、大川三郎さん(住所は秘す)「妾は困りもの」※ という投稿がある。
・ アパートに多くお二号さんが多く住んでいる
・ いつもブラブラしている
・ 旦那さんを同居人に仕立てて配給を二人分とっている[当時、幽霊人口といわれた]
・ アパートの管理人も巡査も丸め込まれている
 といったもの。「古い調査で都内の所謂第二号が二十万人にも達するということを聞きました」というのが、今から見れば新鮮な内容。

 このお妾さん達はどこからきたのか? 大川さんの推測だと「飲食店やアイマイ屋の女子が街から姿を消したやうですが、これが数多くアパートに姿を代へて現れでてまゐりました」とのこと。

 まあねえ、あの手の商売を表向き断絶しても、地下に潜み、あるいは専属契約を結んで囲われるというのも納得できるものであるよ。

 ちなみに『週報世論報告』には、長崎市他言人の「政府に希むことども」という興味ふかい投稿もありました。いや「[報復兵器]V1号が役にたゝぬやうになったやうではないでせうか」とか「アメリカ内部の弱味の多い気安目記事が新聞に見えますが、それが何の役にたつのでせうか」とか鋭く、客観的な内容を述べているのだが、同時に「不良工員その他不逞の徒のために流刑の刑を実施して下さい。」という、アレな内容が同居しているのが、非常に面白いものです。多分、不良工員は意地悪をしたり、サボったりする熟練工ではないかなと思うけどね。



※  大川三郎「妾は困りもの」『週報世論報告』昭和19年9月(情報局,1944)p.16
※※ 他言人「政府に希むことども」同 pp.1-2.
2013.08
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 『みんぱく』8月号に小笠原クレオールの記事がある。ダニエル・ロングさんの「ごちゃまぜではないハイブリッド言語」に、西欧系小笠原島民が使う言葉の例があった。

 「Next Saturday Morning, meはyouのhouseに来るから、タマナの木で作った銛でワフーの突きん棒漁しよう」

 「MeらのlanguageはEnglish and Japaneseをmixしたものじゃ」

 我々からみると、無規則なごちゃまぜにしか見えないものだが、そこにも規則性があるらしい。ロングさんの記事によると、代名詞と時間関係は英語起源が多く使われ、動詞の活用部分に日本語が使われる傾向が強いとされている。

 ロングさんが、試しにごちゃまぜ言語を喋ると笑われるという。具体的な文は載っていないのが、まず「ミーはおフランスに行くザマス」みたいな文例なのだろう。それを聞いた古老曰く「それはsound funnyだじゃ meらはそれ言わないよ」と言われたという。

 父島には、父基分という部隊があり、そこの技官の氏名がハイブリッドだった。
そのものズバリを書けないので、デタラメに作ると田中ブルックマンみたいなお名前だったが、それを思い出したよ



※ ダニエル・ロング「ごちゃまぜではないハイブリッド言語」『みんぱく』8月号(千里文化財団,2013.8)pp.7-12.
2013.08
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 7月号の『東亜』を今時に読んで見つけたのだが、エジプトから北朝鮮に渡された地対地弾道弾スカッドBは、中東戦争での援助への御礼だった様子。

 宮本悟解説、池内恵翻訳による「北朝鮮の弾道ミサイル開発の期限」※ がそれだ。エジプトの軍参謀総長であったサアドッディーン・シャーズリーさんの回顧録『十月戦争』、そのアラビア語原版から、関係部分を抜き出して翻訳したものである。そこには、北朝鮮からの防空部隊用パイロットと地下施設建設部隊での援助の話がでている。その援助により、北朝鮮にスカッドBが渡されたとするものである。

 当時、エジプトはパイロット不足であった。第4次中東戦争寸前に、エジプトは路線変換でソ連人を追放している。軍事顧問団がいなくなったため、Mig-21の30%でパイロット不足が発生した。その穴を埋めるために、サアドッディーン・シャーズリーさんは北朝鮮に行って、後方防空用に30名ほどパイロットを借りてきた。正確には、パイロット30名と邀撃管制8名、通訳5名、指揮官3名(3直の直長?)、医者とコック1名である。

 この北朝鮮顧問団は、中東戦争で実戦を体験している。2ないし3回邀撃に当たったとしている。もちろん、朝鮮語で交信しているのでバレバレであり、存在自体も当時から有名であったことはよく知られている。ちなみに、このパイロットの件については英語版『十月戦争』では相当に抄訳されているらしい。

 そして、地下施設建設部隊も北朝鮮から派遣されている。戦争になれば米軍の絶対的制空権が確立すると踏んだ北朝鮮は、重要施設を地下化していた。その技術をエジプトにも、といった話。「山の下に空港を隠す」とする内容があったが、今の中国の原潜ドックみたいなヤツだろう。このあたりは、英語版の『十月戦争』では載っていないという。

 エジプトは、これらの厚情に報いた。それがスカッドBの引き渡しである。あるいは、北朝鮮のみとの国交樹立と、韓国承認を遅らせたことにある。宮本・池内によると、国連事務総長をやったガリの回顧録に北朝鮮尊重の条があるという。韓国との国交樹立を進言するブトロス・ガリに対し、ムバラクは北朝鮮には恩があるからねと言った。このため95年までエジプトは韓国を承認することはなかったという。

 よりによって北朝鮮に援助を求めるのか、という話も、時代背景からすればそれほどのものでもない。70年代まで限って言えば、南北両方を並べてみても、政治的には北の独裁vs南の独裁で、やってることもどっちもどっち。経済的にも重工業があった北は、南よりも経済的に進歩している部分はあった。

 70年代前半までに限って言えば、北朝鮮はそれほどアレな国家でもない。もちろん、今の北朝鮮を養護するつもりはないが、日本人拉致や、オカしくなるのは70年代後半以降の話である。AA諸国、第三世界への援助では、北朝鮮がリードしていたのでエジプトも接近しやすかったのだろう。

 エジプトも恩義に報いること篤い国であるということか。エジプトは70年代末から親米路線に転じるが、それでも戦争から22年間韓国との国交を結ばなかった。また基本的には穏健な国民性ともいわれている。いまでこそ流血沙汰が起きているが、革命では穏やかな結果で済ませている。イラク革命は国王は惨殺されたが、エジプト革命では退位と亡命が認められ、見送りまで受けている。信用してもいい国であると思うよ。


※ 宮本悟解説、池内恵翻訳「北朝鮮の弾道ミサイル開発の期限」『東亜』7月号(霞山会,2013.7)pp.78
2013.08
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 今年も8月15日。終戦の日が来ました。例年通りにTBSラジオで、今年96歳になる秋山ちえ子の『かわいそうなしゃち』の朗読が始まりました。

 戦争中に起きた動物の出征。お国のために水族館から出征したシャチのおはなしは、昭和時代に小学校教育を受けた人ならみんな知っている内容です。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。

 敵の潜水艦を沈めるために調教されたにシャチ。秘匿名称はオルカ金物。生物爆雷として潜行中の潜水艦に体当たりするように条件付けをされたシャチ、ジョーイのお話です。

 体当たり用の爆雷を取り付けられたジョーイですが、戦局が悪化し外地での運用が不可能になります。御役御免で除隊したはずのジョーイは、江ノ島にある水族館に戻り、毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。

 ですが戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も飛び立っていました。そして内地でも、水中でも、体当たりで敵を沈めようとする体当たりの潜水艇が準備されていたのです。

 ジョーイは、特攻隊の人の潜水艦を襲ってしまうかもしれません。だから、軍隊からシャチを殺しなさいという命令が出てしまったのです。

 水族館では、ジョーイに毒薬を注射しようとしますが針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。大好きな魚に毒の入れて与えようとしても、知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。

 飼育員のおじさんたちは、命令違反を承知でジョーイを外海に逃がそうとしますが、水族館で育ったジョーイは外海で生きていけず帰ってきてしまうのです。

 それでもジョーイは褒めてもらいたくて芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。それを見ていたみんなは、銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。餓死させるしかないだろうと決めました。

 しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。流線型の体は脂肪が減って痩せ馬がでてしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、飼育員の長谷川さんを見つけると芸をみせようとするのです。

 ジョーイを子供のように思う飼育員の長谷川さんは辛くなって、辛くなって、ついに食料のサバやイワシを、ジョーイに分けてしまいました。限られた燃料を使って、汚穢船を転用した支援船で網を引いて手に入れた皆の食べ物です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせる長谷川さんに他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、配属された海軍の将校さんも何も言わずに、見守っていました。中には涙を流している人もいました。

 みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けば魚を食べるだろう。」

 でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島まで出てしまったら、水中特攻部隊の若い人を殺してしまうかもしれません」

 戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそば、相模湾の近くにある三浦半島でまで用意されいたのです。そして、毎日、敵の軍艦に体当りする訓練をしていたのです。

 そして、特攻隊の人の乗る、体当たりで敵を沈める潜水艇は、あまりにも小さすぎて、爆雷をつけていないジョーイであってもぶつかれば沈んでしまうかもしれないのというのです。

 飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の兵隊さんが、自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。特攻隊の兵隊さんたちは水族館の側に寄宿しており、上陸日にはジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。

 学徒出陣してきた分隊士さんの中には、学生時代に研究で水族館に通っていた人もいました。若い下士官を連れた将校さんは、彼らをジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。若い下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、ジョーイに貴重品になった特別配給の飴を食べさせようとしたりしているのも見ていました。

 そして、その兵隊さんたちの潜水艇は安全なものではなく、ちょっとした不具合で沈んだままになってしまう。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。

 長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない合成の理研酒をまわし飲むだけでした。

 それから3週間たった夏の暑い日、長崎に原爆が落ちた4日後、ジョーイはプールで沈み、窒息してしまいました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいたそうです。

 いまでもジョーイが死んだ8月15日には、鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
 『かわいそうなしゃち』でした。
 それではみなさん、ごきげんよう。



2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。

参考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(1987.7 早川書房)
秋山ちえ子 朗読「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ、2012.8)
2013.08
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12:00
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 日本は植民地や占領地に神社を作っている。有名なところでは、台湾神社がある。明治33年創建の官幣大社となっている。

 外地に作った神社については、内務省神祇院考証官だった鳥羽正雄さんの「神社局の思い出」※ によると、次のとおりである。
 明33年 台湾神社
 明43年 樺太神社
 大 8年 朝鮮神社
 昭11年 京城神社
 昭12年 大邱神社
 昭12年 平壤神社
 昭13年 関東神社(旅順)
 昭14年 扶余神宮
が挙げられている。また、占領地にも神社を作っており、鳥羽さんの記事を引くと
 昭14年 蒙疆神社
 昭14年 南京神社
 昭15年 北京神社
が示されている。

 他にも、香港神社もあったらしい。昭和17年の朝日新聞に「香港神社に大矛奉納」※ という題名の記事があった。これは、香港神社の地鎮祭に、伝平国矛を模した長サ5尺の矛を納めたというものである。

 いずれにせよ、日本人が日本精神の昂揚、敬神崇祖を唱えて創建した神社である。だが、そんなことをやれば、現地住民の反発もわかりそうなものだ。地元民から見れば、結局は土地支配の象徴にすぎないし、宗旨が異なる、しかも侵略者の宗教施設に跪拝することを強制されたのでは、反日感情が高めるだけの結果に終わっている。

 現地住民だけではなく、神様も反発したという話がある。飯沼一省さんの「戦時中の神社行政」※※※ では、天照大神が嫌だといった話が紹介されている。戦争中、台湾神社と朝鮮神社に天照大神を合祀して台湾神宮、朝鮮神宮にするという話があった。合祀のために勅使と御神体が現地に向かった。だが、台湾神宮は、その日に航空機墜落で焼失した。朝鮮に向かった飛行機は、対馬海峡を渡る寸前に悪天候に遭って、福岡で宿泊する羽目になったという。飯沼さんは「天照大神がいやだとおっしゃったのでしょう」と〆ているが、そのとおりだろう。その土地の住民が、信仰する宗旨をまげて押し付けるものでもないと諭したものだろう。



※   鳥羽正雄「神社局の思い出」『内務省外史』(地方財務協会,1977)pp.77-81.
※※  「香港神社に大矛奉納」『朝日新聞』(朝日新聞、1942.12.17)p.3
※※※ 飯沼一省「戦時中の神社行政」『続内務省外史』(地方財務協会,1987.11)pp.187-188.
2013.08
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 コンビニで見知らぬ子供が宿題の話をしているのを聞くとはなく聞いて思い出したのだがね。

 中学校の時、夏休みの宿題で毎回、「リンカーンは奴隷解放のため」って読書感想文書いて表彰される娘がいた。当時でも「媚を売ってんな」と、今の己であれば「無難に攻めたね」って感じの観想文だったよ。

 で、主張そのものにも胡散臭さを感じていたのだがね。当時は胡散臭いことは分かっていても、何で胡散臭いか、あるいは、どう胡散臭いかを説明できなんだ。

 しかしねえ、この歳になると、漠然とは分かるよ。全体を見ない、誰も反対できないキレイ事並べた個人顕彰をしているところの浅知恵を、胡散臭く思っていたわけだ。それを言って自分が褒められようという動機も気持ち悪けどね。

 今なら簡単に馬鹿にできる。もちろん、リンカーンを馬鹿にするつもりはない。その尻馬に載った、郷原のような発言を馬鹿にできるという意味だ。

 「リンカーンは奴隷解放のため」っという娘っ子の発言は、「東條首相はアジア諸国民の解放のために大東亜戦争を・・・」という頭の悪い発言と、基本的に同じだろうと茶化せるね。

 「戦争の極一側面だけしか見ていないだろう」とも言えるね。南北戦争は、南北それぞれに主張と、利害の対立があった。奴隷解放問題は、大きなものであったが、あくまでもその一側面に過ぎない。

 そもそもリンカーンは、奴隷制を終わらせるために内戦をやったわけじゃないとも言うよ。内戦は南部の離脱を阻止するために始めたわけだ。そして南部が離脱しようとした理由も、州の権限が云々があった。

 嘘か真か、北にも奴隷州があったという。確認していないのでなんとも言えないが、そうだとしたら、戦争を始める理由としては、MU-JYUN・矛盾でありGIMAN・欺瞞じゃないのかね。

 それを真に受けてヨイショするのは、太平洋戦争での東条曰くのアジア諸民族解放とドッコイドッコイじゃないかと。実態はABCD包囲陣キツイ、資源が欲しい、南進ということだけれども、言い様によっては「アジア植民地を解放する」といえないこともない。まあ、解放した植民地は、日本が美味しく頂きますよ以外の何物でもないけどね。

 娘っ子の主張については、東条を避けるなら「『李承晩は自由主義普及のため、停戦には同意しませんでした』と主張するのとも同じなんだろうね」といってもいいか。

 何にしても、誰も反対できないだろうキレイ事を振り回す連中はねえ、今思い出しても馬鹿馬鹿しくて、茶にしたくなるよ。



コミケ前で忙しいので、昔のMIXI日記2012年10月08日を転載しましたよ