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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.12
24
CM:6
TB:0
16:57
Category : オカルト
 PKOでの弾薬譲り渡しについて、JSFさんが公表にプリプリ怒っている。「反政府軍は弾薬が少ないところを狙って襲うだろう」というJSFさんオリジナルで思いついた理由に挙げている。だが、その思いつきによりいろいろ解釈しようとするのは無理がある。

 まず、韓国政府が弾薬が不足していると認めない理由として「弾薬不足を知られてはならない」(JSFさん)というのは、行政の論理を知らないことを認めるようなものだ。
JSF Хибики‏@obiekt_JP
「不足していない」と韓国国防省 日本の銃弾1万発提供 - 共同通信 http://www.47news.jp/CN/201312/CN2013122401001967.html … 「予備量を確保するため臨時で借りたものだ。(銃弾は)不足していない」・・・これは当然の答弁。不足してますなんて言おうものなら反乱軍が韓国軍基地に殺到してしまう。
2013年12月23日 - 21:55
https://twitter.com/obiekt_JP/status/415359969932759041
行政は失敗を認めないし、失敗ではないかと疑われる可能性は必死に否定する。韓国軍が弾薬不足と認めるのは、韓国政府が準備不足であったとみられることである。役人にはそれは認められない。「今弾薬は不足しているが、もともとの見積もりは正しい」とも言えない。

 韓国の公表反対についても、オジリナル理論で説明しようとした結果、ズレた発想になっている。韓国が日本の弾薬譲り渡し公表をやめてくれと言っていたとしても、普通は韓国世論の反応をおそれてのものと考えるだろう。しかし、JSFさんはまた軍事上の秘密であると主張している
JSF Хибики‏@obiekt_JP
@aoi_azuma いいえ、既に日本から少量補充は受けましたが全く足りません。25日予定の本格的な補充が完了するまで、弾薬不足を気取られるわけには行かないのです。韓国側は日本が公表してしまったことを苦々しく思っているでしょう。これは日本に事後報告で済ませる法整備が無いせいです。
2013年12月23日 - 23:14
https://twitter.com/obiekt_JP/status/415379975751999489
しかし、アフリカの反政府軍は、わざわざ英語ではないマイナー言語である日本や韓国の報道なんか見もしないし、気にもしない。

 そもそも、統制があやしい反政府軍が、弾薬が少ないところを狙って襲うとか、相手が予備弾薬を持っていないから襲うといった判断をすると考えるという、JSFさんの理屈の前提がオカシイのである。さらに、その前提から弾薬補給がバレると襲われる、だから公表は危ないというのは、噴飯である。

 だいたい、本当に反政府軍が弾薬が少ないところを選んで襲うなら、弾薬を補給したところは襲わない。そこまで反政府軍が綿密に考える相手であれば「一回補給されたところは、補給経路がある。次にも補給されるし、襲っても増援される」と考えるだろう。つまり、JSFさんの判断は自己撞着しているのである。

 なんにせよ、軍隊が絡むと片想いから客観視できないのが、JSFさんの性質である。さらに、国家や行政機構、軍隊機構は無謬であるとも思い込んでいる。世間知らずであり、行政の行動原理をしらない。だから「軍事的に弾薬不足を知られるわけはいかない」と奇妙な弁護をする。

 そして、いつもの喧嘩グセで、軍隊機構や軍事原理に疑問を抱く人には、軍隊愛護精神から、頭に血が上って論難をしかける。そのときには自分の理屈がオカシイことを全く気づかない。相手に勝つことしか考えていないから、自己の誤った理屈を振り回すことになるのだろう。




…ま、JSFさんの問題で興味深いのは、事実の誤認よりも、誤認するに至った背景なんだよねえ。憎しみにも近い反革新的、反市民運動的なモメントと、強すぎる軍隊機構への片想いによって誤認するわけだ。一種、保守的な国難強調新興宗教に近いものがあるが、そこも近親憎悪か憎んでいるのも、興味ふかいものだよ。
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2013.05
27
CM:8
TB:0
12:00
Category : オカルト
 史実として神話を教えるのは、標榜する現実主義と相性悪くないか?

 観念的な理想主義に反発する、現実主義を標榜するのが保守派だが、ときおり非合理的な主張に傾くことがある。神話や宗教的倫理観の重視がそれだ。現実主義そのものには頷けるものがあるが、神話や宗教的倫理観を押し付ける主張は辟易する。

 自衛隊が持つ外郭団体風に、郷友連盟がある。基本的に、両者は無関係ということになっている。だが、所管官庁は防衛省になっており、人事的にも密接な関係がある、かつて理事の過半数が自衛隊OBであった。基本的に旧陸軍に関連する組織である。まずは、偕行社の政治版だと思えばよい。

 その郷友連盟が主張する歴史教育は、古代史は神話主体にしなければならないらしい。郷友連盟は、一般社団法人なので、どのような政治スタンスから何を主張してもOKなのだが。保守団体として、普段に標榜する現実主義と相性は気にすべきではないのか。

 郷友連盟は「愛国心を育てるために、古代史教育に神話を教えろ」と主張している。「郷友総研 教育研究委員会」名義による「これで愛国心が育つか? - 第6学年用社会(歴史)教科書の検討」 に明らかである。
小学校学習指導要領解説書(社会編)で解説している[中略]「高天原神話」「天孫降臨」「出雲国譲り」「神武天皇の東征の物語」「九州の豪族や関東などを平定した日本武尊の物語」を明確に例示しているにもかかわらず、殆どの教科書がこの記述を蔑ろにしている。このことは、我が国の歴史に対する教育関係者の怠慢としか言いようがない重大な問題である。
   郷友総研 教育研究委員会「これで愛国心が育つか? - 第6学年用社会(歴史)教科書の検討」
教科書が神話を取り上げないことが「我が国の歴史に対する教育関係者の怠慢」と断じている。

 各教科書への具体的な評価事項も、古代史についての評価は神話のあるなしだけが焦点とされている。検討項目も
(1) 我が国の始まりを「記紀」を主、魏志倭人伝を従として記述しているか。
(2) 国づくりの高天原神話を記述しているか。
(3) 天孫降臨の神話を記述しているか。
(4) 出雲国譲りの神話を記述しているか。
(5) 神武天皇の御東征を記述しているか。
(6) 「建国記念の日」を記述しているか。
(7) 「大和朝廷」という用語を使用しているか。
(8) 建国の由来に関する史跡を紹介しているか。
   郷友総研 教育研究委員会「これで愛国心が育つか? - 第6学年用社会(歴史)教科書の検討」
となっている。

 神社本庁であれば、スタンス上、記紀を大事にしろというのも分からない主張でもない。しかし、それを防衛省と密接なつながりのある、支持団体が主張するのは、よくわからない。歴史的事実と直接対応しない神話を以って、歴史教育に充てろとする所長は突飛に見える。それは、郷友連盟による他の主張と衝突してしまう。郷友連盟は国防や外交等に関する主張や、主催する講演録を読む限りは「国際情勢の現実を前にすると、観念的な理想主義は現実に基づかない空虚な主張であり、無意味である」と主張している。その姿勢からすれば、史実に基づかない、根拠として空虚な神話を歴史教育に持ち込めとする主張は、明らかに矛盾している。もちろん、神話はなんらかの歴史的事件の影響を受けたものだろう。だが、変容した物語であり、現実である史実とは遠いからだ。

 郷友連盟にとって最大の不満は、おそらく、天皇についての「神話」を載せていないことを、天皇制をないがしろにするものであるとする思い込みだ。
初代天皇であられる神武天皇についての記述は全教科書皆無であり、代わりに外国の史書から引用した卑弥呼が、全教科書の本文に挿絵入りで記述されていることは、日本国憲法 第一章 天皇についての歴史的記述を排除し、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるように」との学習指導要領にも反する扱いであり、ある種の意図が働いているのではと危惧するものである。
   郷友総研 教育研究委員会「これで愛国心が育つか? - 第6学年用社会(歴史)教科書の検討」
と、現行憲法を持ちだしてまでも、神武天皇を記載しろ、卑弥呼は載せるなとしている。

 これは、天皇制への支持や、今上への崇敬と、神話への支持を取り違えたものだ。天皇制や、今上への崇敬は、天皇に付随する神話がなくとも成り立つものである。実際に、別に神武天皇が不存在でも、その即位が2700年前でなくとも、崇敬は成り立っている。むしろ「2700年前からの万世一系なので崇敬しろ」とする主張のほうが、崇敬とは程遠く危険である。それは今上への崇敬ではなく、神話への崇敬に過ぎない。だいたい、郷友連盟のスタンスでは、神話が史実ではないことが明らかになれば、恐ろしいことに今上への崇敬の念は消え失せてしまうのである。

 郷友連盟が、政治や国防について現実主義を語るなら、神話や教育からの脱却を果たしたほうがよい。皇室崇敬でも、神話や万世一系、神武紀元とは距離をおいたほうが良い。既述したような教育での神話導入や、別に行なっている道徳教育での主張は、各種の宗教団体との密接な関係を伺わせる。防衛省・陸自を支持・協力する上でも、郷友連盟の主張を普及する上でも、邪魔になるものだ。広汎な支持を得るためには、宗教関連臭を消したほうがよろしい。
2012.12
08
CM:7
TB:0
13:00
Category : オカルト
 だよもんさんの説によると、74式戦車はシャーマン戦車にも劣るらしい

>だよもん(階級剥奪済み)‏@V2ypPq9SqY
>74戦車でk1戦車に勝てるというが、74は新砲弾出るまではT55相手でも圧倒的に不利であった。
>世代が違いすぎて無理や。
https://twitter.com/V2ypPq9SqY/status/274350968831889408

 だよもんさんの言うとおり、ホントに74式が「圧倒的に不利」なら、シャーマンにも劣る戦車になるんじゃかね。だって、イスラエルのシャーマン改修型、IシャーマンはT-55に対して不利でもなく、照準装置と発射速度を活かして優位に立っているわけだしね。その中身だって、シャーマンに74式と同口径の105mm砲に換装しただけだからねえ。
 T-55は74式に圧倒的優位である、シャーマンはそのT-55に対して有利である。それなら、シャーマンは74式にも圧倒的優位+になるんじゃないですかね。

 ま、なにをもって74式がT-55に「圧倒的に不利」だと判断するのかが不思議なんだけどね。

 まず、攻撃力は74式が優位でしょ。74式の105mmL7はT-55に対して「圧倒的な不利」どころではありませんね。APFSDFはともかくとして、L-7は1959年の開発当時からAPDSはあり、中東戦争ではT-55やそれ以降のソ連戦車を容易に撃破している。FCSも負けていると思えない。74式は最初からレーザ測距に連動したFCSを持っていた。対して、T-55にレーザ測距が適用されるのは、T-55Mが登場した1980年代に入ってから。そのT-55Mにしても、FCSは80年代の西側にすら簡易型としか評されていない。
 装甲は同等でしょう。当時の冶金技術はソ連が優れていたかもしれないが、生産技術は74式が有利でしょうから行って来いですよ。なんにしても、基本的に重量が同じで、同じ鋳鋼だと所詮はどんぐりの背比べにすぎない。
 機動力は明らかに74式の方が上、馬力も大きいし、トランスミッションの差は隔絶している。

 だよもんさんは、絶対的優位じゃなければ、二分法で「圧倒的不利」だと考えているのだろうね。ちょっとでも瑕疵があると、その不利に我慢ならない。「T-55でも74式に砲弾を当てることができる、当たれば74式はお陀仏、、絶対的に優位に立てないんだから、圧倒的に不利」だと思っているのでしょう。

 まあ、そういう発想だから、潜水艦あたりで極少数のコマンドの類は上陸できるから「周辺国による対日上陸戦は可能である」とか判断するのだろうね。実際に、苫小牧や室蘭にもロシア軍は上陸してくるって言ってるくらいだしね。まあ、ロシアの"Enemy's Stuation"とか、苫小牧や室蘭上陸についての"Suitability"、"Feasibility"、"Acceptability"なんて一回も考えた事ないんだろうから仕方がないのだろうね。
2011.01
15
CM:0
TB:0
22:01
Category : オカルト
 2chのhttp://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1291930243を見ていたのだけれども。なんか書き換え疑惑があるので少々。まあ、一種の集団ヒステリーの結果の想像だろうね。



 まず、『スパローは地対空ミサイルに転用すべきだ』で「シー・スパローと書き加えた」という想像について。
734 :名無し三等兵:2011/01/15(土) 17:47:42 ID:???
余ったスパローを地上から撃つとか言い出した際に、
スパローは空中発射に最適化されているから地上発射では充分な性能がでないと反論されると、
急にシースパローとか書き加えてたよな。

だから事情を知らない奴が、
スミキンはシースパローと書いてるからその反論はおかしい的なレスつけて、
話がややこしくなっていたし。
(http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1291930243/734)

 あたりまえだが、『スパローは地対空ミサイルに転用すべきだ』では、私は「シー・スパロー」と書き加えてはいない。そもそも私に書き加える必要もない。スパローは無改修でSAMとして運用できる。シー・スパローと追記する理由はない。
 しかし、734は書き加えたかのように想像している。これは「スパローはそのままでは地上発射できない」という734の思い込みによるものだ。しかし、最初のBPDMSはスパローはそのまま発射するシステムである。734は二重で誤っているのである。


 次は『さおだけ屋SSMはなぜ否定されるのか』について。「エクスカリバーSSMとイランのSSMを書き換えにより意図して混同させた」という点である。もちろん書き換えはしていない。そもそも、これは読み手の誤りである。
735 :名無し三等兵:2011/01/15(土) 17:54:07 ID:???
当初はさおだけ屋SSMはイランが開発したものと似てるとか書いてたしな。
イランのSSMは沿岸レーダーの情報を元に間接射撃するごく一般的なタイプだと指摘されると、
計画だけ」されたものと似ているとか、意味の通らない変な文章にこっそり変えているし。
(http://toki.2ch.net/test/read.cgi/army/1291930243/735)

 735はエクスカリバーSSM(イギリスがつくろうとした、ハプーン地上発射型)と、イランのSSMを混同している。エクスカリバーは英国が計画した物、イランのSSMとは別だ。イランのSSMとして提示しているのは、次の画像のタイプである。http://t0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTdnY3XIi1IoAHEff5FNoeC8dNIaH5MPTSY9W5jc8GLlXAcMMzEe

 ただ、これは書き手の問題でもある。並列として提示したつもりであったが、説明としても読めてしまう点は、よろしくはなかっただろう。
「実例にしても、イランのSSM、ハプーンの陸上発射型として計画だけされたエクスカリバーも似たような物なのです。」
ではなく
「イランのSSMの実例もあります、またハプーンの陸上発射型として計画だけされたエクスカリバーも似たような物なのです。」
とすればスッキリしただろう。

 なんにせよ、SSM運用に文句をつける人には「対艦ミサイルはレーダとセットでなければ運用できない」という思い込みもあるのだろう。しかし、対艦ミサイルは割と単純で、別に目標をレーダ探知しなければ発射できないものではない。そして強力な軍艦でなければ、LOS発射でも充分である。陸自が思い描いているような運用法、沿岸に近づいた揚陸用艦艇だけを相手にするなら、88式SSMは過剰性能であるという話だ。



 ま、アップした当日には「てにをは」や、文章の並びを弄ることはありますよ。しかし、内容を変えたことはありませんね。変えてもいないものを「変えた」と言うのは、集団ヒステリーのなせる技なのでしょう。
2010.10
08
CM:0
TB:0
00:30
Category : オカルト
 『戦時下抵抗の研究』同志社大学人文科学研究所編(みすず書房)より。
 この本は戦時下にキリスト者が信仰を保持しようとした記録であるが、実際には日本の思想統制のお粗末が目立つ内容になっている。不謹慎だが「ギャグじゃね?」ってエピソードが一杯載っている。

 戦時下の日本では、思想統制のため、キリスト教徒に信者団体の結成(日本基督教団)を命じた。その是非はおいても、体制側の行動としては理解の範囲にあるだろう。
 しかし、法的な枠組みとなる宗教団体法制定の段階で、理解に苦しむような発言が出ている。衆議院での政府答弁に「教義上、神社参拝を拒み、人を参拝させないようにする宗教は、国家の安寧秩序を紊すもの」とある。制定前の段階で国家神道原理主義というか、神がかり右翼の片鱗が既にあきらかになっているのである。

 宗教団体法施行後、日本基督教団に対する国家の指示も、神がかりなお粗末さ。
 例えば、戦勝祈願で伊勢神宮参拝を指示している。日本基督教団は、痛くもない腹を探られたくないから、辛抱して出たらしい。
 また宗教統制のために神道「神ながら」講習をやるから、代表者を出せと指示を出している。日本基督教団もしぶしぶ代表者を出したが、毎日「大祓い、拍手、榊まわし」で1ヶ月の講習であった。そして講習終了時に神道免許を交付され「全国でキリスト教を伝道してよい」と言われたという。

 そして、戦争末期となると神がかりも過激になる。「キリスト教の教義について、天皇はキリストの上であると明言して欲しい。そもそも『キリストの復活』は非科学的である」(文部省教学部長から日本基督教団へ)
 さすがに、温厚なキリスト者も怒り心頭となった。
「天皇にしても、リアルで神様というわけではないだろう」と一喝。「我々も天皇は国家の統一者として尊敬している。それに疑念があるのか? こちらにも(殉教する)覚悟がある」(統理)と啖呵を切ったらしい。
 もちろん、文部省教学部長は腰砕け。この話は沙汰止みとなった。

 戦時下日本の宗教統制は、弾圧という悲劇を超えて喜劇的でさえあった。

 もちろん、悲惨な例も一杯ある。キリスト者の中には、隣組の月例護国神社参拝を断って、警察にしょっ引かれた人もいる。その挙句、おそらく発作的だろうけれども、ついに自決してしまった例は気の毒で仕方がない。日本基督教団も、戦時下の挙国体制に含むところはない。神社参拝は理不尽だけれども、痛くもない腹を探られたくもないので、儀式と割り切って我慢する方針だったらしい。

 日本の思想統制、その中でも宗教統制は失敗だったと言えるだろう。

 ちなみに内務省の出版警察・神祇院は、神道原理主義に染まった文部省とは対照的であった。神がかり的な言論に対して、内務省は「神道の教義上妥当性はない」とその跋扈を押さえる立場を取っていたという。これは内務省の良識だったと言えるだろう。
2010.06
21
CM:0
TB:0
02:37
Category : オカルト
こっちから向こうは見えるけれども、向こうからこっちは見えない。
相手には気づかれていないことが必要だし、その観察の一方向性があるから、「覗く」行為には快楽、愉悦に似たものが生じる。
初期のエロ写真、エロ映画なんかでも、わざわざ鍵穴のマスクを作って、その中にエロスを放り込むことによって、エロさを倍加させているわけだ。エロにも限らず、「覗く」ことの一方向性によって、観察者は好奇心や興味を書き立てられる。

しかし、その一方向性が崩れたときに、観察者は狼狽する。たとえ観察が合法であり、なんら咎めだてされない行為であっても、暴かれたことによって観察者は優位から劣位の存在となってしまう。匿名者の匿名性が暴かれたとき、その名前が明らかとなったときも同じだろう。神話や民俗にも似たような例もあるだろう、オカルトものなんかでは、怪力乱神はその真名を知られることによって服従、使役されてしまうなんてパターンは結構ある。

というそのオカルトなんだが

<こわい話>狂った村人が村民を皆殺しにして、「地図から消えた幻の杉沢村」

884 名前: 下敷き(宮崎県)[] 投稿日:2010/02/13(土) 11:28:20.96dHOZKod/
漏れにはちょっと変な趣味があった。
その趣味って言うのが、夜中になると家の屋上に出て
そこから双眼鏡で自分の住んでいる街を観察すること。
いつもとは違う、静まり返った街を観察するのが楽しい。
遠くに見えるおおきな給水タンクとか、
酔っ払いを乗せて坂道を登っていくタクシーとか、
ぽつんと佇むまぶしい自動販売機なんかを見ていると妙にワクワクしてくる。

漏れの家の西側には長い坂道があって、
それがまっすぐ漏れの家の方に向って下ってくる。
だから屋上から西側に目をやれば、
その坂道の全体を正面から視界に納めることができるようになってるわけね。
その坂道の脇に設置されてる自動販売機を
双眼鏡で見ながら「あ、大きな蛾が飛んでるな~」なんて思っていたら、
坂道の一番上のほうから物凄い勢いで下ってくる奴がいた。
「なんだ?」と思って双眼鏡で見てみたら全裸でガリガリに痩せた子供みたいな奴が、
満面の笑みを浮かべながらこっちに手を振りつつ、猛スピードで走ってくる。
奴はあきらかにこっちの存在に気付いているし、漏れと目も合いっぱなし。
ちょっとの間、あっけに取られて呆然と眺めていたけど、
なんだか凄くヤバイことになりそうな気がして、急いで階段を下りて家の中に逃げ込んだ。

885 名前: 下敷き(宮崎県)[] 投稿日:2010/02/13(土) 11:29:56.83dHOZKod/
ドアを閉めて、鍵をかけて「うわーどうしようどうしよう、なんだよあれ!!」って怯えていたら、
ズダダダダダダッって屋上への階段を上る音が。明らかに漏れを探してる。
「凄いやばいことになっちゃったよ、どうしよう、まじで、なんだよあれ」って心の中でつぶやきながら、
声を潜めて物音を立てないように、リビングの真中でアイロン(武器)を両手で握って構えてた。
しばらくしたら、今度は階段をズダダダダッって下りる音。
もう、バカになりそうなくらいガタガタ震えていたら、
ドアをダンダンダンダンダンダン!!って叩いて、
チャイムをピンポンピンポン!ピポポン!ピポン!!と鳴らしてくる。
「ウッ、ンーッ!ウッ、ンーッ!」って感じで、奴のうめき声も聴こえる。
心臓が一瞬とまって、物凄い勢い脈打ち始めた。
さらにガクガク震えながら息を潜めていると、
数十秒くらいでノックもチャイムもうめき声止んで、元の静かな状態に……。
それでも当然、緊張が解けるわけがなく、日が昇るまでアイロンを構えて硬直していた。
あいつはいったい何者だったんだ。
もう二度と夜中に双眼鏡なんか覗かない。


ホラーとしては良くできている。そう思って、なんでホラーがあるのかを考えた結果、冒頭のような結論に達したわけだ。これは、完全に「覗く」行為の一方向性が崩れ、観察者が対象に対して優位から劣位に遷るときの恐怖を利用したものだろう。

まあ、最初に面白いと思ったのは

> 双眼鏡で見てみたら全裸でガリガリに痩せた子供みたいな奴が、
> 満面の笑みを浮かべながらこっちに手を振りつつ、猛スピードで走ってくる。

というところ。
いや、マンガや小説、映画に登場する双眼鏡や望遠鏡への過剰な期待が見事に現れているのですよ。
7倍~10倍の双眼鏡では、自転車に乗った人間の表情なんてわからない。10倍~20倍の双眼鏡では、視野が狭く、手ブレで自転車の追尾なんか、詳細な観察を継続しながら不可能だろう。まして夜だもの、そんなにクッキリ見えやしない。

とはいえ、この手のガジェットで絵的には(おはなしや文章であっても)面白くなるのだから、ウソでも楽しめればいいのでしょう。
(「ジャッカルの日」で、スコープに入る標的がドゴール風じゃないとね、実際人間の頭なんて粟粒大にしか見えないけれどもさ)

MIXIの2010年02月21日日記から転載