Category : ミリタリー
JSF氏の『お話にならない朝日Web論座の「戦車不要論」』についてです。
一言で言えば、「お話にならない」のはJSF氏の批評の方でしょう。
まず、準備段階からして妥当ではないのです
> ただし全てを見るには有料になるので、最初の公開されている部分だけ紹介します。その短い部分だけでも決定的な間違いを指摘出来ます。
結論まで読まずに批判することが許されるでしょうか?
しかも理由は、「有料になるので」お金を払いたくないという理由です。
その「決定的な間違い」についても大したものもありません。『WEB論壇』の批判ではなく、単に新戦車が欲しいというだけのことです
そして、批評の最後はこのように括られています
> Web論座側の説明によると、隅田金属ぼるじひ社さんの記事を手動で選んでリンクしたのだそうです。そうなるとWeb論座側には責任が生じます。間違いだらけの記事を紹介して読者を惑わせた事になるからです。
参考として選んだリンクについて責任が生ずるとまで言っています。
逆に言えば、氏は、週刊オブイェクトがリンクした内容について責任をもつのでしょうか?
さらにJSF氏は当サイトを「間違いだらけの記事」と断じていますが、それも妥当ではありません。前回の反論でも書きましたが、氏は私の「結局、日本にどれくらいの数の敵が上がってくるのか?」に回答していません。
JSF氏は、まだ配備されてもいないロシア戦車の高性能だけを引き合いにして、日本には新戦車が必要であると主張しています。しかし、どれくらいの数が日本に上陸できるのかについて、具体的な数を示していないのです。
いくら優秀な戦車でも、日本に上陸できるのは10両程度です。その質がいくら高性能であっても、数の多い自衛隊に囲まれて溶けて消えてしまうでしょう。
氏は、それを承知している。だから持論に不都合な「結局、日本にどれくらいの数の敵が上がってくるのか?」には回答できないのでしょう。
あるいは、批判することには慣れていても、批判されることには慣れていないのでしょう。批判を怖れるあまりに、この問題から逃げているのです。
そのような氏に、他を批評する権利はあるでしょうか?
JSF氏も何故このような無理な批判をするのか。
おそらくは批判して勝ち続けることによってネットスターの地位を確保し続けたいという欲求でしょう。戦車崇拝教団の祭司として教団の結束を維持するために、何がなんでも戦車無用論にこじつけられるものをさがして批判し、勝ち続けなければならないからでしょう。
その批判がドンドン苦しくなっていくのも当然です。戦車無用論そのものが見当たらなくなると、関係の薄いものを見つけて戦車無用論としてひはんしなければならないかです。しかも、その批判の手法を変えないままで。
前に述べたように、JSF氏は戦車崇拝教団の祭司です。神学者が無神論を受け入れられないように、氏は戦車無用論を受け入れることもできません。神学者は、無神論につながりかねない話に耳を傾けることはできません。神の実在を疑う意見には、細々した奇跡を例証を上げるか、無神論者お断りと斥けるしかない。
同じように氏は、戦車の絶対性が揺らぎかねない言葉に耳を傾けることもできず、感情的に反論し、細々とした例証を挙げ、最後には「戦車不要論なので排斥する」としか言えないのです。
ただ、いずれ氏がスターの座から降りる日はきます。賢者が現れ「神が死んだ」と告げる時が来るのです。彼の信徒は消え失せ、彼の前には今回のような批評にもならない批評が山のように残されることになるでしょう。
------------------------------------- 午前5時12分 ------------------------------------
しばらくコメントは差し控えてください
理由:前の記事のコメント欄、その最後のあたりが積み残しですので、
それをこっちでレスしたあとにお願いします。
子細は、前のコメントの最後のあたりを御覧ください
------------------------------------- 午後10時30分 ------------------------------------
そもそも、何のために日本に攻めて来るのですか?という部分が欠落していますね。<コメント欄
周辺国は世界征服をたくらむ悪の帝国でしょうか?私はそう思いません。
------------------------------------- 午後11時30分 ------------------------------------
T-72神がね、おなり神やミルクなのか、あるいはビラコチャなのかはしらないけれどもね。
私に罵倒系のコメントをしても、君たちの大好きな神様は、海の向こうからはやって来ないのです。そういうのはやめてほしいなぁ。せめて要点を箇条書きにしてほしい。
「祭祀は廃れ、神殿に信徒はいなくなり、遺跡となる」(訳に自信ないけど)
一言で言えば、「お話にならない」のはJSF氏の批評の方でしょう。
まず、準備段階からして妥当ではないのです
> ただし全てを見るには有料になるので、最初の公開されている部分だけ紹介します。その短い部分だけでも決定的な間違いを指摘出来ます。
結論まで読まずに批判することが許されるでしょうか?
しかも理由は、「有料になるので」お金を払いたくないという理由です。
その「決定的な間違い」についても大したものもありません。『WEB論壇』の批判ではなく、単に新戦車が欲しいというだけのことです
そして、批評の最後はこのように括られています
> Web論座側の説明によると、隅田金属ぼるじひ社さんの記事を手動で選んでリンクしたのだそうです。そうなるとWeb論座側には責任が生じます。間違いだらけの記事を紹介して読者を惑わせた事になるからです。
参考として選んだリンクについて責任が生ずるとまで言っています。
逆に言えば、氏は、週刊オブイェクトがリンクした内容について責任をもつのでしょうか?
さらにJSF氏は当サイトを「間違いだらけの記事」と断じていますが、それも妥当ではありません。前回の反論でも書きましたが、氏は私の「結局、日本にどれくらいの数の敵が上がってくるのか?」に回答していません。
JSF氏は、まだ配備されてもいないロシア戦車の高性能だけを引き合いにして、日本には新戦車が必要であると主張しています。しかし、どれくらいの数が日本に上陸できるのかについて、具体的な数を示していないのです。
いくら優秀な戦車でも、日本に上陸できるのは10両程度です。その質がいくら高性能であっても、数の多い自衛隊に囲まれて溶けて消えてしまうでしょう。
氏は、それを承知している。だから持論に不都合な「結局、日本にどれくらいの数の敵が上がってくるのか?」には回答できないのでしょう。
あるいは、批判することには慣れていても、批判されることには慣れていないのでしょう。批判を怖れるあまりに、この問題から逃げているのです。
そのような氏に、他を批評する権利はあるでしょうか?
JSF氏も何故このような無理な批判をするのか。
おそらくは批判して勝ち続けることによってネットスターの地位を確保し続けたいという欲求でしょう。戦車崇拝教団の祭司として教団の結束を維持するために、何がなんでも戦車無用論にこじつけられるものをさがして批判し、勝ち続けなければならないからでしょう。
その批判がドンドン苦しくなっていくのも当然です。戦車無用論そのものが見当たらなくなると、関係の薄いものを見つけて戦車無用論としてひはんしなければならないかです。しかも、その批判の手法を変えないままで。
前に述べたように、JSF氏は戦車崇拝教団の祭司です。神学者が無神論を受け入れられないように、氏は戦車無用論を受け入れることもできません。神学者は、無神論につながりかねない話に耳を傾けることはできません。神の実在を疑う意見には、細々した奇跡を例証を上げるか、無神論者お断りと斥けるしかない。
同じように氏は、戦車の絶対性が揺らぎかねない言葉に耳を傾けることもできず、感情的に反論し、細々とした例証を挙げ、最後には「戦車不要論なので排斥する」としか言えないのです。
ただ、いずれ氏がスターの座から降りる日はきます。賢者が現れ「神が死んだ」と告げる時が来るのです。彼の信徒は消え失せ、彼の前には今回のような批評にもならない批評が山のように残されることになるでしょう。
------------------------------------- 午前5時12分 ------------------------------------
しばらくコメントは差し控えてください
理由:前の記事のコメント欄、その最後のあたりが積み残しですので、
それをこっちでレスしたあとにお願いします。
子細は、前のコメントの最後のあたりを御覧ください
------------------------------------- 午後10時30分 ------------------------------------
そもそも、何のために日本に攻めて来るのですか?という部分が欠落していますね。<コメント欄
周辺国は世界征服をたくらむ悪の帝国でしょうか?私はそう思いません。
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T-72神がね、おなり神やミルクなのか、あるいはビラコチャなのかはしらないけれどもね。
私に罵倒系のコメントをしても、君たちの大好きな神様は、海の向こうからはやって来ないのです。そういうのはやめてほしいなぁ。せめて要点を箇条書きにしてほしい。
「祭祀は廃れ、神殿に信徒はいなくなり、遺跡となる」(訳に自信ないけど)
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