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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2012.09
28
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13:00
Category : アニメ評
 放送終了後に口の端に上らなくなるアニメでした。冬コミでは『僕は友達が少ない』一色でしたが、放映後に人気は急落しました。夏コミのカタログをみても大きく減っています。今回は人気の『這いよれ』も、すでにネットでの言及は下火です。放映中には一番人気でありながら、終了後には直ぐに廃れ、凡作になる。この点で両者は共通しています。

 共通するのは、原作を機械的に消化する点です。そこに全体を通じたコントロールがない。本来ならアニメは最終話に向かって作劇します。仲間であれば親密にする。敵であれば対立を進める。よそ者であった主人公が集団に受け入れられる。そのあたりを調整して、クライマックス進むものです。しかしそれがなかった。

 『はがない』は、肉と夜空、小鳥とマリアが対立しながらも、徐々に存在を認めていることを明示すべきでした。机の上にあるものを取ってやる、お菓子を分けてあげるでいい。それを感謝させればいいのです。それがなかった。そしてクライマックスがない。彼らに共通する危機を作って、乗り越えさせる。肉のギャグゲー好きが教室でバレる。小鳩が引っ込みつかない状況になる。部活/部室がなくなる程度でいいのです。

 『這いよれ』も酷かった。ニャル子と真尋の親密さは全く進展しない。後半、キスにより真尋はニャル子を意識しますが、互いに助け合う関係にまでは進まない。最終話、ニャル子は真尋を助けますが、真尋はニャル子を助けない。一方的なレスキューです。クー子、ハス太が加わっても変わりません。本来なら、先行して真尋が3人を救うエピソードを入れ込むべきでした。大体、おッ母さんはともかく、たこ焼き屋のネーちゃんが救いに来たのは蛇足です。最終話の敵も唐突です。敵についても、シリーズ中でリンクさせるべきでした。

 原作完結する前にアニメにした弊害でしょう。でも、それならアニメ最終話にクライマックスを設定して、そこに向けて調整すべきでした。『俺妹』は、中途半端な部分で剪断されていますが、桐野の留学を一つのクライマックスに据えて全体を調整しています。実際には第二話で親爺に認めさせるところでのカタルシスが大きく、バランスはどうかですが、留学に向けて物語を進めている。しかし『はがない』『這いよれ』は全くやっていない。だからつまらなかったわけです。

 細部にも問題がありました。『はがない』では小鷹が集団から拒絶され続けますが、髪の色と容貌だけが理由ではリアリティがない。小鷹が夜空に気づかないこと、夜空も過去を秘する点もリアリティがない。妹の中二病と、マリアは存在そのものがご都合的であり、幸村、理科を含めて振る舞いは戯画的に過ぎます。『這いよれ』では、パロディが無駄です。家庭用ゲーム機事情を開陳する話や、ギャルゲー世界に入り込むTRON的物語では何も変化しません。ニャル子、クー子、ハス太の行動も終始ステロタイプなものでした。

 両作品とも、放映中に人気があったことが不思議です。宣伝先行や、コミュニケーションツールとしての消費でしょう。熱狂的なファンがいるわけでもなかった。オリンピック視聴と同じで「みんなが見るので見た」程度のものです。その場限りであって、見たあとに何も残らない。あとで見直すものでもありません。ですから人気も、その場限りで雲散霧消しました。ネットに残された観想を見ても「◯◯萌え」「◯◯神演技」や「元ネタは◯◯」程度です。

 伝統演劇のようなものかもしれません。俳優を見る道具としての演劇でしょう。俳優=キャラが出てきて、そのしぐさ、衣装に客が熱狂する消費です。絵師先行、声優先行のキャラが動くことが目当てである。ファンは贔屓のキャラを見て喜ぶ。物語や没入感は二の次にされる。そういうアニメです。

 もちろん、好きであることを否定すべきではありません。コミュニケーションツールとして消費されても、売れていることはいいことです。

 しかし、努力の余地はありました。声優先行気味であった『夏色キセキ』は、努力し、成果を挙げています。ヒロインたちがキャフフするだけの作品で、男は一切出てこない。女性だけの連帯関係を強調する、女版ホモソーシャリティ・アニメになっています。しかし最終話に向け、作劇を盛り上げている。大戸島編(仮称)以降は、子供からの決別、成長への受容によりドラマが盛り上がる。クライマックスもアイドルになることではなく、自分たちが前に進むことを決意する点に置いています。商業的なキャフフと、物語としての完成度を両立させることに成功しました。しかし『はがない』『這いよれ』はその努力をしませんでした。

 『はがない』『這いよれ』は衰退期の映画に似ています。惰性で作った、工夫のないクレイジー・シリーズや駅前シリーズです。『はがない』2期とはいいますが、似たようにダラダラやるのでしょう。


 2012年夏コミ、まえがきから。生モノなので公開。
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