Category : 有職故実
はこび屋、今でもいるのかね。はこび屋というと、非合法物件の運送屋、麻薬とか、おたずね者を運ぶ感じで、ギャング映画的なカッコよさがある。そのはこび屋、昔、大阪にあったらしい。
50年前の朝日新聞に、大阪釜ヶ崎、いまでは「西成」と言われるドヤ街での生活が紹介されている。※ その中に、特殊商売として「はこび屋」がある。もちろん、赤帽や荷担ぎのような穏当な仕事ではない。犯罪の片棒を担ぐ、非合法物件を運ぶヤミの商売。
ただし、運んでいるものは、盗んだオートバイというのが、少々カッコ悪い。銃器とか麻薬とか密入国者を運ぶほうが夢があるのだがね。もちろん、実際に生活する身上では物騒この上ない。映画の自転車泥棒とか、オートバイ盗程度の方が治安的には穏当だろう。もちろん盗まえれた方はたまらないけど。
はこび屋は、大阪付近で盗んだバイクを地方に送る仕事。最近聞かない言葉だが、ポンコツ屋まで乗って行く。オートバイはそこでバラバラにされて、ロンタリングされる。多分、車台番号もエンジン番号も、全損したやつから移植したりするのだろう。5年くらい前に話題になった、高級車を盗んで海外に売っぱらう組織的アレと同じ。50年前には日本国内でやっていたわけだ
手間賃は、輸送距離+帰りの汽車賃が慣行であった様子。輸送距離分の相場は名古屋まで5000円、和歌山だと2000円。初任給1万円、ラーメン40円の時代なので、結構高直。今なら10万-4万円くらいにあたるのかね。名神高速ができる前で、1日仕事にしても高い。警察の検問をスリ抜ける技術と才覚が必要とあるが、まず捕まりやすく、リスクが高いので手間も高いのだろう。
他にも、釜ヶ崎の商売として炭焼き、カラ券屋、出ぇやん、さらい屋が挙げられていた。
炭焼は、廃材から炭を作る仕事。廃材を集めて、市街地の線路傍で炭を焼く。12時間ほど、おそらく蒸し焼きにして、水により消火、1日放置して消し炭を作る。西成すみと称し、卸17円、小売25円(一般炭の半額)で売られていた。釜ヶ崎で3人が従事しているが、一人は東京医専を出たエリート、ヒロポンで身を持ち崩したとのこと。
カラ券屋は、昔良く聞いた商売。大きな麻袋を持って競馬場にいき、捨ててある馬券を集める。多分、車券も舟券もやっていたのだろう。1万枚に1枚はアタリが紛れている、レースから3日以内であれば市役所で払い戻しを受けられる、月15000円程度の収入になるという。大阪に300人いるといわれていた。ウソかマコトか、本命入賞のときは当たりが多いので窓口下に落としてしまう、大穴の時には当たり券も投げ捨てるのでスタンド隅にあるというが、その場でチェックしているわけでもなかろうから怪しい話だ。
出ぇやんは厳密には商売ではない。労務の傍らの副業。仕事そっちのけで落ちてるものを集める。100人に一人くらいるとのこと。仕事中、紐ついた磁石を引いて鉄くずを探す。ドブ掃除は、小銭も取れるので給料に加えて二重取りなので喜ぶという。記事では、くず鉄を売った金を元手に、小口の金貸しをしていた。くず鉄を必要とする平炉製鋼法が廃れる時期であったので、いずれ滅んだ商売だろう。
さらい屋は、木津川で荷役から落ちた鉄屑を拾う仕事。出ぇやんとあまり差はない。ただ、荷役がコンテナ化するとまず仕事は無くなる。もちろん、河に落ちた物を回収する仕事もあるのだろうが、東京同然に川舟、端舟が減った今日では商売として成り立たなくなっただろう。
この手の商売、大阪だけの話でもないだろう。大阪にある商売は、おそらく東京にもある。山谷あたりに似た商売はあったと見るのがだろうではないかね。
当時の日本は、発展途上国の雰囲気が色濃く残っていたということだね。
※ 柴田俊浩「大阪のどん底、釜ヶ崎に住んでみて」(1960年2月19日、朝日新聞朝刊、20面)
50年前の朝日新聞に、大阪釜ヶ崎、いまでは「西成」と言われるドヤ街での生活が紹介されている。※ その中に、特殊商売として「はこび屋」がある。もちろん、赤帽や荷担ぎのような穏当な仕事ではない。犯罪の片棒を担ぐ、非合法物件を運ぶヤミの商売。
ただし、運んでいるものは、盗んだオートバイというのが、少々カッコ悪い。銃器とか麻薬とか密入国者を運ぶほうが夢があるのだがね。もちろん、実際に生活する身上では物騒この上ない。映画の自転車泥棒とか、オートバイ盗程度の方が治安的には穏当だろう。もちろん盗まえれた方はたまらないけど。
はこび屋は、大阪付近で盗んだバイクを地方に送る仕事。最近聞かない言葉だが、ポンコツ屋まで乗って行く。オートバイはそこでバラバラにされて、ロンタリングされる。多分、車台番号もエンジン番号も、全損したやつから移植したりするのだろう。5年くらい前に話題になった、高級車を盗んで海外に売っぱらう組織的アレと同じ。50年前には日本国内でやっていたわけだ
手間賃は、輸送距離+帰りの汽車賃が慣行であった様子。輸送距離分の相場は名古屋まで5000円、和歌山だと2000円。初任給1万円、ラーメン40円の時代なので、結構高直。今なら10万-4万円くらいにあたるのかね。名神高速ができる前で、1日仕事にしても高い。警察の検問をスリ抜ける技術と才覚が必要とあるが、まず捕まりやすく、リスクが高いので手間も高いのだろう。
他にも、釜ヶ崎の商売として炭焼き、カラ券屋、出ぇやん、さらい屋が挙げられていた。
炭焼は、廃材から炭を作る仕事。廃材を集めて、市街地の線路傍で炭を焼く。12時間ほど、おそらく蒸し焼きにして、水により消火、1日放置して消し炭を作る。西成すみと称し、卸17円、小売25円(一般炭の半額)で売られていた。釜ヶ崎で3人が従事しているが、一人は東京医専を出たエリート、ヒロポンで身を持ち崩したとのこと。
カラ券屋は、昔良く聞いた商売。大きな麻袋を持って競馬場にいき、捨ててある馬券を集める。多分、車券も舟券もやっていたのだろう。1万枚に1枚はアタリが紛れている、レースから3日以内であれば市役所で払い戻しを受けられる、月15000円程度の収入になるという。大阪に300人いるといわれていた。ウソかマコトか、本命入賞のときは当たりが多いので窓口下に落としてしまう、大穴の時には当たり券も投げ捨てるのでスタンド隅にあるというが、その場でチェックしているわけでもなかろうから怪しい話だ。
出ぇやんは厳密には商売ではない。労務の傍らの副業。仕事そっちのけで落ちてるものを集める。100人に一人くらいるとのこと。仕事中、紐ついた磁石を引いて鉄くずを探す。ドブ掃除は、小銭も取れるので給料に加えて二重取りなので喜ぶという。記事では、くず鉄を売った金を元手に、小口の金貸しをしていた。くず鉄を必要とする平炉製鋼法が廃れる時期であったので、いずれ滅んだ商売だろう。
さらい屋は、木津川で荷役から落ちた鉄屑を拾う仕事。出ぇやんとあまり差はない。ただ、荷役がコンテナ化するとまず仕事は無くなる。もちろん、河に落ちた物を回収する仕事もあるのだろうが、東京同然に川舟、端舟が減った今日では商売として成り立たなくなっただろう。
この手の商売、大阪だけの話でもないだろう。大阪にある商売は、おそらく東京にもある。山谷あたりに似た商売はあったと見るのがだろうではないかね。
当時の日本は、発展途上国の雰囲気が色濃く残っていたということだね。
※ 柴田俊浩「大阪のどん底、釜ヶ崎に住んでみて」(1960年2月19日、朝日新聞朝刊、20面)
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