Category : ナショナリズム
離島上陸訓練中止は、なかなかの妙手ではないか。
日米共同演習で、日本政府は離島上陸訓練取りやめ※ を決定した。それを※※ 弱腰となじる論調もある。
だが、中国の行動と較べてみると、上陸訓練中止は面白いオプションに見える。
実際には、中国の行動も軟化しつつあるためである。中国は政府公船で日本が主張する領海に侵入するものの、半日も居座ることもない。25日は3時間程度で、本日2日は15分程度で退去している。尖閣諸島国有化以降、7回侵入しているが、間隔も開いているように見える。
日本の離島上陸訓練取りやめは、中国の軟化を受けてのものではないのか。中国が事態をエスカレーションさせなければ、日本は眼鼻の先で露骨な演習はやらないというシグナルを送ったものにも見える。
また、中国のエスカレーションを防ぐ目的も見える。中国も国内世論※※※ がある。尖閣諸島で日本に対して引くことはできない。公船を派遣し、時折アリバイ的に日本が主張する領海に侵入しなければ、政権は弱腰となじられる。
仮に、日本が眼鼻の先で上陸演習をやれば、中国もエスカレーションせざるを得ない。例えば領海居座り、あるいは上陸である。日本にとっては、どちらも面倒この上ない事態である。
中国による領海居座り、上陸はどちらの利益にもならない。中国にとっては、最終的には排除されてしまう可能性が高い。日本にとっては、排除できたとしても、平穏な実効支配の実績が今以上に失われてしまう。
そもそも、日中両政府にとって、尖閣での過度な緊張は望ましいものではない。今の緊張関係は、両者にとって何の利益も産まない。あまりこういう言葉は使いたくないが、ゼロサムゲームですらない、ルーズ・ルーズの状態である。
尖閣諸島での緊張緩和に繋がるのであれば、上陸訓練中止は悪いオプションではない。上陸訓練中止は、領土での妥協ではない。
どうでもいい訓練を止めることにより、中国にシグナルを送るのは妙手である。上陸訓練は、やる気になればいつでも実施できる。中国の眼の前であっても、離れたところでも自在である。中国向け、尖閣諸島問題向けの訓練を中止しても、日本は困ることはない。逆に「中止した」点で、ゲームでの信頼を得ることができれば安い買い物だろう。
…車のなかで領海侵入のニュースを聞いたのだけど。なんというか、国内工作向けのアリバイ工作臭いなと思ってね。上陸演習中止とリンクさせると、案外、ココらへんで日中に暗黙の了解ができつつあるんじゃないかと思ったよ。で、パパっと書いて、ナマモノなので即時投稿した次第。
※ NHK「日米 離島上陸想定の洋上訓練実施へ」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121031/k10013133441000.html
「日米両政府は、当初、その一環として、沖縄県の離島で敵に奪われた島を奪還することを想定した上陸訓練を検討していましたが、尖閣諸島の問題を巡って中国との関係が悪化するなか、必要以上に日中間のあつれきを高めることは好ましくないなどとして、見送ることにしました。」
※※ 宮家邦彦「野田首相、あなたもか…日米共同演習 無神経な突然中止」http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/603130/
「[野田政権は]大局的、戦略的考慮を欠いたまま、政治主導の名の下、無責任な判断を無神経に[下した]」
※※※ 国民国家は領土問題で妥協することはできない。国民国家にとって領土は神聖であり、妥協した場合には政府は持たない。これは、中国も日本も同じである。
日米共同演習で、日本政府は離島上陸訓練取りやめ※ を決定した。それを※※ 弱腰となじる論調もある。
だが、中国の行動と較べてみると、上陸訓練中止は面白いオプションに見える。
実際には、中国の行動も軟化しつつあるためである。中国は政府公船で日本が主張する領海に侵入するものの、半日も居座ることもない。25日は3時間程度で、本日2日は15分程度で退去している。尖閣諸島国有化以降、7回侵入しているが、間隔も開いているように見える。
日本の離島上陸訓練取りやめは、中国の軟化を受けてのものではないのか。中国が事態をエスカレーションさせなければ、日本は眼鼻の先で露骨な演習はやらないというシグナルを送ったものにも見える。
また、中国のエスカレーションを防ぐ目的も見える。中国も国内世論※※※ がある。尖閣諸島で日本に対して引くことはできない。公船を派遣し、時折アリバイ的に日本が主張する領海に侵入しなければ、政権は弱腰となじられる。
仮に、日本が眼鼻の先で上陸演習をやれば、中国もエスカレーションせざるを得ない。例えば領海居座り、あるいは上陸である。日本にとっては、どちらも面倒この上ない事態である。
中国による領海居座り、上陸はどちらの利益にもならない。中国にとっては、最終的には排除されてしまう可能性が高い。日本にとっては、排除できたとしても、平穏な実効支配の実績が今以上に失われてしまう。
そもそも、日中両政府にとって、尖閣での過度な緊張は望ましいものではない。今の緊張関係は、両者にとって何の利益も産まない。あまりこういう言葉は使いたくないが、ゼロサムゲームですらない、ルーズ・ルーズの状態である。
尖閣諸島での緊張緩和に繋がるのであれば、上陸訓練中止は悪いオプションではない。上陸訓練中止は、領土での妥協ではない。
どうでもいい訓練を止めることにより、中国にシグナルを送るのは妙手である。上陸訓練は、やる気になればいつでも実施できる。中国の眼の前であっても、離れたところでも自在である。中国向け、尖閣諸島問題向けの訓練を中止しても、日本は困ることはない。逆に「中止した」点で、ゲームでの信頼を得ることができれば安い買い物だろう。
…車のなかで領海侵入のニュースを聞いたのだけど。なんというか、国内工作向けのアリバイ工作臭いなと思ってね。上陸演習中止とリンクさせると、案外、ココらへんで日中に暗黙の了解ができつつあるんじゃないかと思ったよ。で、パパっと書いて、ナマモノなので即時投稿した次第。
※ NHK「日米 離島上陸想定の洋上訓練実施へ」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121031/k10013133441000.html
「日米両政府は、当初、その一環として、沖縄県の離島で敵に奪われた島を奪還することを想定した上陸訓練を検討していましたが、尖閣諸島の問題を巡って中国との関係が悪化するなか、必要以上に日中間のあつれきを高めることは好ましくないなどとして、見送ることにしました。」
※※ 宮家邦彦「野田首相、あなたもか…日米共同演習 無神経な突然中止」http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/603130/
「[野田政権は]大局的、戦略的考慮を欠いたまま、政治主導の名の下、無責任な判断を無神経に[下した]」
※※※ 国民国家は領土問題で妥協することはできない。国民国家にとって領土は神聖であり、妥協した場合には政府は持たない。これは、中国も日本も同じである。
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Category : コミケ
Category : 有職故実
昭和30年の新聞で見つけた話。小菅の拘置所から鉄格子切って脱獄した人なんだが、その目的は母に会うためというもの。これは親孝行の一種だろう。
今でも有名な事件である様子。グーグルで「脱獄 ◯◯」と、彼の苗字を入れると、そのまま名前まで出てくる。ほぼ新聞記事と同じ内容がでてくる。ただし、捕まったのは22日ではない。新聞によれば昭和30年5月に5月11日に脱獄、21日に捕まっている。
脱獄自体は、彼の兄が差し入れた金ノコで鉄格子を切るというもの。脱獄後、彼の兄は逮捕、おそらく別件で引っ張られている。彼は脱獄後、鉄道を使い春日部まで無賃乗車、そこから歩いて栃木まで移動している。
注目するのは、脱獄そのものではない。脱獄の理由が母に会うことにある。そして、とっ捕まえた警察が母に会わせてやったということ。その時に、実家の飯を食わせてやったことにある。
彼は、重罪を犯したものの、親孝行でもあった。母のことを考えると居てもたってもいられなかったのだろう。そして、実家で張り込んでいた警察も親に会わせてやった。親に一目会いたいという気持ちを認めたものだ。家に上げてやり、10分ほと話をさせ、食事も許したという。
彼を母に会わせたことは、正しい行動である。法理に適っているかはしらない。しかし、人倫の道に従った行いである。警察官であっても、刑務官であっても人倫を無視することは許されない。
脱獄の理由が「母に会いたい」であるのだ、会わせないのは人情にもとる。もちろん、罪は罪であるし、脱獄も許される話ではない。しかし、果たして実家に駆け込んだ脱獄囚を、母に会わせないのは血肉の通った人間のやることではない。
張り込んだ警察が彼を憎んでいたかどうかは知らない。しかし、憎んでいても、念願叶い、実家までたどり着いた彼をおっ母さんに会わせないのでは、警察は人でなしである。法理には適っているかもしれないが、人として正しくはない。禽獣の行いである。当時、なお不浄役人と嫌われた警察官も刑務官も、禽獣であることは許されない。
論語にも「政は正なり」とある。法理がどうであろうと、最後に母に会いたいとする子の願いを曲げることは正しくはない。その場の正義は、孝行を許すことにある。法理を優先し、西欧的な法=Law=正義を機械的に振り回し、すぐに連れ去るのは「正」に反する。
彼の脱獄は、法は許さない。しかし、人情としては許さねばならない。母に一目会いたいと、警吏の待ち伏せる実家に向かうのは、刑から逃げようとする心ではない。親に寄ろうとする子の心が現れたものだ。己の罪により母に不孝をなし、それを詫びるのは、むしろ称揚すべき行為である。
今でも有名な事件である様子。グーグルで「脱獄 ◯◯」と、彼の苗字を入れると、そのまま名前まで出てくる。ほぼ新聞記事と同じ内容がでてくる。ただし、捕まったのは22日ではない。新聞によれば昭和30年5月に5月11日に脱獄、21日に捕まっている。
脱獄自体は、彼の兄が差し入れた金ノコで鉄格子を切るというもの。脱獄後、彼の兄は逮捕、おそらく別件で引っ張られている。彼は脱獄後、鉄道を使い春日部まで無賃乗車、そこから歩いて栃木まで移動している。
注目するのは、脱獄そのものではない。脱獄の理由が母に会うことにある。そして、とっ捕まえた警察が母に会わせてやったということ。その時に、実家の飯を食わせてやったことにある。
彼は、重罪を犯したものの、親孝行でもあった。母のことを考えると居てもたってもいられなかったのだろう。そして、実家で張り込んでいた警察も親に会わせてやった。親に一目会いたいという気持ちを認めたものだ。家に上げてやり、10分ほと話をさせ、食事も許したという。
彼を母に会わせたことは、正しい行動である。法理に適っているかはしらない。しかし、人倫の道に従った行いである。警察官であっても、刑務官であっても人倫を無視することは許されない。
脱獄の理由が「母に会いたい」であるのだ、会わせないのは人情にもとる。もちろん、罪は罪であるし、脱獄も許される話ではない。しかし、果たして実家に駆け込んだ脱獄囚を、母に会わせないのは血肉の通った人間のやることではない。
張り込んだ警察が彼を憎んでいたかどうかは知らない。しかし、憎んでいても、念願叶い、実家までたどり着いた彼をおっ母さんに会わせないのでは、警察は人でなしである。法理には適っているかもしれないが、人として正しくはない。禽獣の行いである。当時、なお不浄役人と嫌われた警察官も刑務官も、禽獣であることは許されない。
論語にも「政は正なり」とある。法理がどうであろうと、最後に母に会いたいとする子の願いを曲げることは正しくはない。その場の正義は、孝行を許すことにある。法理を優先し、西欧的な法=Law=正義を機械的に振り回し、すぐに連れ去るのは「正」に反する。
彼の脱獄は、法は許さない。しかし、人情としては許さねばならない。母に一目会いたいと、警吏の待ち伏せる実家に向かうのは、刑から逃げようとする心ではない。親に寄ろうとする子の心が現れたものだ。己の罪により母に不孝をなし、それを詫びるのは、むしろ称揚すべき行為である。