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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
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2012.11
16
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13:00
Category : ミリタリー
 仕事中に仕事をしている夢を見る性質がある。もともと居眠り常習犯なのだが、朝方一人で仕事をしていると朦朧としてくる。だいたいの部署は誰かいるもので、仕事をしながら話なりしていれば特に眠気もなくなるのだが、部屋に一人きりだと全くダメだった。

 海自の後方部門での人員不足は酷いもの。確かに、艦艇が少ないよりは、陸上部隊が少ない方が害はない。だが、あまりにも足りない。予算定員5名、訓令定員◯名(訓定はナイショあつかい)の部署に幹部2人だけだったことがある。科長は定年前の3佐で、そのころ己は1尉だった。科長は生徒出身の気さくな人で、「じゃあ二人で掃除するか」と、部屋の掃除、ゴミ出し、区域内にあるトイレと共同の喫煙所掃除をやっていた。トイレは使用各科が気づいて、海曹(部に海士はいなかった)を輪番で派出してくれたが、掃除をやっていればそこそこ手伝った。

 別に二人とも曹士の仕事は嫌いではない。むしろ事務仕事をやっていて疲れると、気分転換になんとなく掃除をする。小出庫(消耗品を補給するコンビニみたいなもの)に物取りに行く。芝刈りもやる。

 ただし、部の筆頭科であるので、部割当も含み書類仕事の量も莫大で、だいたい夜10時くらいまで夕飯も食わずに残業、2-3ヶ月ごとに1回ある繁盛期には、一週間は深夜2時くらいまで残業をしていた。かつて出向していた施設庁なら翌日は1-2時間遅れ出勤なのだが、自衛隊だと、それでも翌日は7時半には出勤、8時には国旗掲揚と課業整列なので寝不足になる。

 そして、科長は部先任なので、日例会報やら会議やらでだいたい午前中はいない。そこで己一人だと、まあ、寝てしまう。寒ければ寝ないだろうと、真冬に窓を全開にして、ワイシャツ1枚(2種ワイシャツは貰うが着た事ない)でいても寝てしまう。眠気に襲われるのは科長も同じで、会報やら会議やらでは「時間の半分は寝ていたよ」とのこと。

 とはいえ、寝ている間には仕事が進まない。文書だけのどーでもいい仕事も捌かないと溜まる一方になる。仕方がないので、ラジオをつけっぱなしにしていた。家がTBS党で、聞き慣れていたので、午前中は常にゆうゆうワイド。それをズーッと昼までつけっぱなし。だいたい毒蝮三太夫のミュージックプレゼントが終わるころ、科長が帰ってくるのだが、科長も慣れてラジオはそのままにすることにした。

 偶に部長が来ると「大工の仕事場じゃねえぞ」とそのたびに言われたが「『情報収集中』のテレビと同じだから、ラジオはお構いなし」とも言われていた。

 ラジオは聞きながら仕事ができるのと、時間が把握できるので便利だった。秋山ちえ子が聞こえれば10時で、毒蝮が10時半、森山陽子が11時、永六輔が11時30分、浜美枝が11時50分。だいたい永六輔の話が始まると、海自は自主的な昼休み時間になる。

 飯を食って、12時を超えたころからは、これまた海自伝統のお昼寝タイムにはいる。科長はソファーでゴロリ、己は腰が悪いので、硬くてダニのいない倉庫のタタキの上にゴロリ。暖房もなにもない倉庫だが、腰がラクなので冬でも雨衣を着て寝ていた。

 残業中もラジオだった。最初のうちは、午後7時あたりからはNHKのテレビをつけていたのだが、面白い番組をやっていて、二人とも釘付けになり、2時間だかを無為に過ごしてしまったことがある。これでは商売にならないと、やはりラジオに変えた。これもTBSだったが、どちらも野球中継が嫌いなもので、野球シーズンは進駐軍放送に切り替えていた。進駐軍放送は英語なので意識しないと引き込まれない、そう思ったが、偶に明瞭に分かる話者がいてその時には、やはり仕事をやりながら聞いていた。

 このとき使っていた庁舎は、GCAかなにかの局舎に近かったので、中波の入りが悪かった。そこで庁舎に勝手に孔を空けてアンテナを引き回し、川口送信所に向けて屋上にループアンテナを取り付けた。資材は廃用器材の中から頂戴したものだが、転出するときに元に戻すのを忘れていた。いまどうなっているのかは知らない。
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2012.11
16
CM:0
TB:0
13:00
Category : 有職故実
 最近はあまり聞かないが、中国由来の鍼麻酔ががある。人によってはイカサマという人もいるが、効かないということもない様子である。ただし、今の中国で使っていないあたりから、万人に効くものでもないのだろう。まずは新中国成立のナショナリズム高揚で、中国独自の科学力を示すために称揚された技術である。

 その鍼麻酔を日本でもやっていたらしい。外務省アジア局中国課が翻訳・編纂した『中国対日重要言論集』に載っていたのでメモしといたのだけれどもね。日中国交正常化以前は『中共対日重要言論集』だったように基本的に政治発言を集めたものなので、まあ、マヌケな記事だなと思って控えておいた。

 国交正常化以降、対日言論が気持ち悪いくらいほのぼのしているんでよねえ。1973年前期の発言を集めた22集には、田中内閣の日中国交正常化の効果が現れている。佐藤内閣までの激越な政治発言が一切なくなっている。尖閣諸島を奪おうとする日本帝国主義云々もキレイに消えている。極悪な日本漁民による中国漁区への侵入も無かったことになっており、日本漁民が北方領土で如何にエライ目にあっているかが書かれている。

 政治的に日本の悪口を書く必要が無くなったわけだ。そこでどうでもいい記事が多数収録されている。日本のパンダブームとか、中国農民が山口県を訪問したとか、卓球選手が信州でもてなしを受けたアリガトウみたいな記事。

 その中に、中国の医療技術は日本でも受け入れられているといった記事があった。なんでも、都立豊島病院で鍼麻酔による出産があったとのこと。担当医と患者さんの実名が乗っており、開腹と書いてあるので帝王切開であった様子。(会陰切開かもしれないけど)おっ母さんは「痛くなくてよかった」、先生は「十何例やっているけど、問題なし、オススメです」とのこと。

 米中正常化と、その後をうけた日中国交正常化で、日米中は基本的に平和になりました。日中友好と交流になったことをみんなに知ってもらいましょうということで、鍼麻酔以下のノホホン言論をしたわけだ。

 ただ、国交正常化までの関係は、殺伐としたもの。中国からすれば「殺るか殺られるか」、日本からしても、隣国が穏当じゃない状態であったわけだ。それが国交正常化でそれが落ち着いて、とりあえずはムード優先の友好、そのあとは実利がある商売で繋がるようになった。

 いま、日中関係が表面上多少ゴタついても、50年代、60年代ほどの敵愾心剥き出しでもない。鍼麻酔で交流みたいな無根拠の友好ムードに立ち戻ることもないが、昔に帰ることもない。たしかに、軍事力のゲームに加えて領土問題も出てきたけど、利益を通じた戦略的互恵関係は維持されるわけで、両国関係は極端に悪いわけでもないということだ。