Category : 有職故実
昭和16年に出た朝日新聞にコンタクトレンズの記事があった。戦前からあるところにはあったらしいのだか。これがカラーコンタクトであり、ファッションとして瞳を違う色に変えられるとも書いてある。今あるものは、たいていは戦前からあったということだ。
記事名は「便利な接触レンズ」※というもの。「従来射撃レンズと呼ばれていた」コンタクトレンズが、ベルリンではカラーを付けて違う色の瞳にする道具として流行しているといったもの。
戦時下のドイツで、カラーコンタクトのような奢侈品は流行していたとも思えない。昭和16年は、第二次世界大戦が始まってすでに2年が経過している。「そういうものが市販されているよ」程度の話なのだろう。
ただ、コンタクトレンズそのものは、さらに古いもの。記事で解説を求められた逓信病院院長、石原忍さんは「30年ほど前、留学先のドイツで実験したけど、1時間もつけていると充血して実用困難だった」(大意)とのこと。ドイツ留学当時は、厚さ1mm、黒目大だったとも説明している。
ただし、1930年代後半からは、薄いアクリル樹脂製が使用されていたらしい。佐藤勉ほか『コンタクトレンズ』(医学書院,1960)によると「1937年にニューヨークのObrigが始めてアクリル樹脂原料を使用した」とのこと。ドイツのカラーコンタクトも、アクリル樹脂製かもしれない。ただし、『コンタクトレンズ』には、日本で最初に着用した人として石原忍さんが出てくるが、ドイツのカラーコンタクトの話は出てこない。
※ 「便利な接触レンズ」(朝日新聞,1941.7.13)3面
記事名は「便利な接触レンズ」※というもの。「従来射撃レンズと呼ばれていた」コンタクトレンズが、ベルリンではカラーを付けて違う色の瞳にする道具として流行しているといったもの。
戦時下のドイツで、カラーコンタクトのような奢侈品は流行していたとも思えない。昭和16年は、第二次世界大戦が始まってすでに2年が経過している。「そういうものが市販されているよ」程度の話なのだろう。
ただ、コンタクトレンズそのものは、さらに古いもの。記事で解説を求められた逓信病院院長、石原忍さんは「30年ほど前、留学先のドイツで実験したけど、1時間もつけていると充血して実用困難だった」(大意)とのこと。ドイツ留学当時は、厚さ1mm、黒目大だったとも説明している。
ただし、1930年代後半からは、薄いアクリル樹脂製が使用されていたらしい。佐藤勉ほか『コンタクトレンズ』(医学書院,1960)によると「1937年にニューヨークのObrigが始めてアクリル樹脂原料を使用した」とのこと。ドイツのカラーコンタクトも、アクリル樹脂製かもしれない。ただし、『コンタクトレンズ』には、日本で最初に着用した人として石原忍さんが出てくるが、ドイツのカラーコンタクトの話は出てこない。
※ 「便利な接触レンズ」(朝日新聞,1941.7.13)3面
スポンサーサイト