Category : ミリタリー
木元さんの『道北戦争1979』※は、最近出た本ですが、懐かしい本でもあります。1980年頃、第三次世界大戦本ブームを思い出す内容で、なかなか面白く、楽しめる本です。
『道北戦争』は、佐瀬さんの『北海道の11日戦争』※※と同じ条件になっております。これは、木元さんの「あとがき」で示唆されているとおりです。宗谷海峡通峡確保のためのソ連軍による道北限定侵攻、そして日米安保発動せずといった条件が設定されています。しかし、佐瀬さんの『北海道の11日戦争』が、政治と最前線に焦点を絞っていたのに対して、木元さんは描かれなかった方面から大隊、中隊までの指揮官・幕僚の行動を細かく描写しています。オススメです。
しかし、米国が介入してくれない状況で、日本は無理にソ連と戦う理由は、冷静に考えると奇妙な話です。ソ連艦隊が宗谷海峡を自在に通峡されて困るのは、米国です。その米国が手伝ってくれないのに、日本単独でソ連を突っぱねる必要もないでしょう。そもそも、宗谷海峡は国際海峡であり、どこの国であろうと自由航行が建前です。
宗谷海峡を通峡されて困るというのは、米国の都合です。戦時※※※に、ソ連海軍がウラジオストックからオホーツク海を抜け、そこから太平洋にアクセスされるのが困るわけです。
しかし、日本は困りません。ソ連が宗谷海峡を通峡しても直接的な利害もない。ソ連が宗谷海峡を通りたいなら、通してやればいいだけの話です。宗谷海峡は国際海峡なので、意図的に中央部を公海にして開放しています。どこの国の艦船でも自由航行が保証されているわけです。
日本がソ連海軍力封鎖に付き合ったのは、主としてアメリカとの付き合いに過ぎないわけです。後の「三海峡封鎖」等で、日本がそれに付き合ったのは、日米同盟や日米安保、西側ブロック、貿易摩擦問題そのほかの付き合いがあって言い出しただけのことです。
米国が助けてくれないなら、宗谷海峡で戦争をする必要もないのではないですかね。宗谷海峡を通峡されて困るのは、米国の都合の話です。その米国がなんの援助もしないなら、日本は宗谷海峡を好きに通過してくれと言えば済む話でしょう。ソ連が何か保証を求めるのなら、米国の方をチラチラ見ながら「稚内基地隊を下げる」とか言えばいいんじゃないですかね。「米国が助けてくれないから、ソ連の圧力に負けた」といえば、米国にも申し訳が立つでしょう。
もちろん、このあたりは木元さんの設定に文句をつけるものではありません。海峡アクセスと日米安保発動せずは佐瀬さん『北海道の11日戦争』を下敷きにした結果であり、佐瀬さんも75-80年代に流行した第三次世界大戦モノのフォーマットに従ったまでの話です。同様に、弱体な政治、反戦的世論の影響も、オカシイ部分ではありますが、それもフォーマットに従った結果です。映画で一般人がありえない事件に巻き込まれるようなものです。書くべきは、その後に起きる事態ですので、作品の欠点とすべき点ではありません。
米国が手伝ってもくれないのに、義理を果たす必要はないね、というのは、第三次世界大戦モノ全体に共通する奇妙な点だなということです。確かに、日米貿易摩擦が日米経済戦争と言われていた時代なので、米国が助けてくれない点には、時代的なリアリティはあったのですけどね。
※ 木元寛明『道北戦争1979』(光人社,2012)
※※ 佐瀬稔『北海道の11日戦争』(講談社,1978)
※※※ ソ連に対する海峡封鎖も、あくまでも戦時や、それに近い状況で使いにくくする話に過ぎません。平時に通す通さないで喧嘩になることはありません。日本は宗谷海峡を国際海峡と認めている。自由航海の原則を常々主張するする米国も、平時には通過は差し支えないとしている。だいたい、米国にしても年一回、オホーツク海に侵入して自由航海をしているわけなので、文句をいう筋合いもない。
※※※※ 作中、「バブル景気」という言葉が出てくるのは、時代的にどうかなとだけは思いましたです。どちらかと言うと「昭和元禄」ではないかと。
『道北戦争』は、佐瀬さんの『北海道の11日戦争』※※と同じ条件になっております。これは、木元さんの「あとがき」で示唆されているとおりです。宗谷海峡通峡確保のためのソ連軍による道北限定侵攻、そして日米安保発動せずといった条件が設定されています。しかし、佐瀬さんの『北海道の11日戦争』が、政治と最前線に焦点を絞っていたのに対して、木元さんは描かれなかった方面から大隊、中隊までの指揮官・幕僚の行動を細かく描写しています。オススメです。
しかし、米国が介入してくれない状況で、日本は無理にソ連と戦う理由は、冷静に考えると奇妙な話です。ソ連艦隊が宗谷海峡を自在に通峡されて困るのは、米国です。その米国が手伝ってくれないのに、日本単独でソ連を突っぱねる必要もないでしょう。そもそも、宗谷海峡は国際海峡であり、どこの国であろうと自由航行が建前です。
宗谷海峡を通峡されて困るというのは、米国の都合です。戦時※※※に、ソ連海軍がウラジオストックからオホーツク海を抜け、そこから太平洋にアクセスされるのが困るわけです。
しかし、日本は困りません。ソ連が宗谷海峡を通峡しても直接的な利害もない。ソ連が宗谷海峡を通りたいなら、通してやればいいだけの話です。宗谷海峡は国際海峡なので、意図的に中央部を公海にして開放しています。どこの国の艦船でも自由航行が保証されているわけです。
日本がソ連海軍力封鎖に付き合ったのは、主としてアメリカとの付き合いに過ぎないわけです。後の「三海峡封鎖」等で、日本がそれに付き合ったのは、日米同盟や日米安保、西側ブロック、貿易摩擦問題そのほかの付き合いがあって言い出しただけのことです。
米国が助けてくれないなら、宗谷海峡で戦争をする必要もないのではないですかね。宗谷海峡を通峡されて困るのは、米国の都合の話です。その米国がなんの援助もしないなら、日本は宗谷海峡を好きに通過してくれと言えば済む話でしょう。ソ連が何か保証を求めるのなら、米国の方をチラチラ見ながら「稚内基地隊を下げる」とか言えばいいんじゃないですかね。「米国が助けてくれないから、ソ連の圧力に負けた」といえば、米国にも申し訳が立つでしょう。
もちろん、このあたりは木元さんの設定に文句をつけるものではありません。海峡アクセスと日米安保発動せずは佐瀬さん『北海道の11日戦争』を下敷きにした結果であり、佐瀬さんも75-80年代に流行した第三次世界大戦モノのフォーマットに従ったまでの話です。同様に、弱体な政治、反戦的世論の影響も、オカシイ部分ではありますが、それもフォーマットに従った結果です。映画で一般人がありえない事件に巻き込まれるようなものです。書くべきは、その後に起きる事態ですので、作品の欠点とすべき点ではありません。
米国が手伝ってもくれないのに、義理を果たす必要はないね、というのは、第三次世界大戦モノ全体に共通する奇妙な点だなということです。確かに、日米貿易摩擦が日米経済戦争と言われていた時代なので、米国が助けてくれない点には、時代的なリアリティはあったのですけどね。
※ 木元寛明『道北戦争1979』(光人社,2012)
※※ 佐瀬稔『北海道の11日戦争』(講談社,1978)
※※※ ソ連に対する海峡封鎖も、あくまでも戦時や、それに近い状況で使いにくくする話に過ぎません。平時に通す通さないで喧嘩になることはありません。日本は宗谷海峡を国際海峡と認めている。自由航海の原則を常々主張するする米国も、平時には通過は差し支えないとしている。だいたい、米国にしても年一回、オホーツク海に侵入して自由航海をしているわけなので、文句をいう筋合いもない。
※※※※ 作中、「バブル景気」という言葉が出てくるのは、時代的にどうかなとだけは思いましたです。どちらかと言うと「昭和元禄」ではないかと。
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