Category : アニメ評
2012年冬コミの「まえがき」ですが、ナマモノなので開陳します。まず、ガルパンは駄目ですねえということです。
虚構性が高いこと自体は問題ではありませんが、虚構性の強い世界でドラマを成立させるための工夫は必要でしょう。『ガールズ&パンツァー』ですが、世評に反してイマイチな内容です。結局「何のために競技をやっているのか」「勝たないとどうなるのか」にリアリティがないので、感情移入ができません。
「勝てないと、学校が廃校になってしまう」だけでは、観客は勝負にハラハラできません。そもそも男を排除した学校・学園艦という虚構世界も「少女が戦車に乗って戦う戦車道」を作る理屈付けです。理屈付けの学校が廃校になる危機といっても、観客には危機感は共有できません。
ガルパンは戦車が動くさまを見て喜ぶものでしょう。戦車を見て喜ぶ客層がいる。その人たちは「女の子とメカと鉄砲」が好きでもある。だから、登場人物に少女を配しただけの話です。キャラクターはオマケですし、作劇もオマケです。だから、物語を深化させることも無理でしょう。
ガルパンの本質は「女の子とメカと鉄砲」なので『ちはやふる』みたいに展開できない。両作品とも虚構競技と、まず虚構同然の競技であり、ヒロインがその競技に向き合う話です。しかし『ちはやふる』では観客に主人公サイドに肩入れする感情が生まれる。負けそうになればそれなりにハラハラする。でもガルパンにはそれがない。見ていて全然ハラハラしません。
キャラクターも、戦車の付属品か説明役にすぎません。その説明にしても、観客が戦車について数値的な性能といった理屈で理解している前提です。御座成りです。実際に、強敵であるはずのKV-85 やIS-2 が出てきても、プラモデル的に正しいCG と、装甲が厚いとか具体的に何ミリみたいな程度の説明セリフがあるだけ。絵や演出で説明しないから「勝てないよ感」とか全くない。モデラー的に正しいCG があっても、話を面白くする要素にはなりません。
演出で「勝てないよ感」を出さないのは怪訝です。例えば対シャーマン戦なら、正確な弾着で一方的に撃ちまくられる。T-34 以降に対しては、必死になってキャタピラを狙いまくるしかないが、車体に当たった弾が跳ねまくるだけ。そういうカットで示せばいいのにそれもやらない。
「勝てないよ感」がないのでは「自分たちより強い敵にチャレンジする」要素をドラマに生かせません。プラウダチームは大洗チームにとって格上の強敵であるわけですが、その説明を、戦車名だけで示しています。これは知識が必要な一見さまお断りアニメであることを示していますが、同時に工夫が足りないことも示す証拠です。
もちろん「戦車と女の子」好き、あるいは「兵器と女の子」といったカテゴリーのファンだけを囲い込めればいいと考えた作品なら、物語も作劇もどうでもいいのでしょう。
アニメ版見る前では、まえがきは白黒映画の『ガルパン 人間魚雷海龍』とか、実写TV 版の『ガルパン 最後の対外戦』にしようと考えていました。少女戦車兵の繰上げ卒業のあとに「日本にはもう鉄も戦車もないよ」とか、あんこうチームが大洗の海で味方の防雷網に引っかかる、やるせないエンディングとか。あるいは、最後の試合のあとバレーボール部のキャプテンが必死に飛行場まで走ってきて、体操服のまま飛行寸前の軍偵の後席に乗り込むとか、やたら寄ってくる海軍の先導機の機銃席で、ボールを持ったアタッカーが必死に手を振ってるとことかね。でもアニメ版がアレで、しかもキャラクターの顔と名前も覚えられないのでやめました。名前を覚えさせるキャラは7人超えたら駄目です。覚えきれません。
何にせよ、シチュエーションや萌キャラに頼ったアニメが増えました。今季は不作で、毎週観ているものは『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』だけですが、これも物語が深化しない話で、後には顧みられないでしょう。最初からハーレムができているので、それに至るキャラクター同士の関係は変化も深化もしません。同じ所をグルグルまわるだけの話です。前段階に、離れ離れだった兄妹が一緒に暮らすまでをやればね。アレな関係でも深化させれば面白くなったと思うのです。まあ、それでは残り4 人のヒロインが影薄くなるので、ああなったのでしょう。
志に欠けたTV マンガを作ってもしょうがないんじゃないですか。ガルパンも、おにあいもそうですが、物語もない絵だけ綺麗なアニメは、後世に残るものにはなりません。
虚構性が高いこと自体は問題ではありませんが、虚構性の強い世界でドラマを成立させるための工夫は必要でしょう。『ガールズ&パンツァー』ですが、世評に反してイマイチな内容です。結局「何のために競技をやっているのか」「勝たないとどうなるのか」にリアリティがないので、感情移入ができません。
「勝てないと、学校が廃校になってしまう」だけでは、観客は勝負にハラハラできません。そもそも男を排除した学校・学園艦という虚構世界も「少女が戦車に乗って戦う戦車道」を作る理屈付けです。理屈付けの学校が廃校になる危機といっても、観客には危機感は共有できません。
ガルパンは戦車が動くさまを見て喜ぶものでしょう。戦車を見て喜ぶ客層がいる。その人たちは「女の子とメカと鉄砲」が好きでもある。だから、登場人物に少女を配しただけの話です。キャラクターはオマケですし、作劇もオマケです。だから、物語を深化させることも無理でしょう。
ガルパンの本質は「女の子とメカと鉄砲」なので『ちはやふる』みたいに展開できない。両作品とも虚構競技と、まず虚構同然の競技であり、ヒロインがその競技に向き合う話です。しかし『ちはやふる』では観客に主人公サイドに肩入れする感情が生まれる。負けそうになればそれなりにハラハラする。でもガルパンにはそれがない。見ていて全然ハラハラしません。
キャラクターも、戦車の付属品か説明役にすぎません。その説明にしても、観客が戦車について数値的な性能といった理屈で理解している前提です。御座成りです。実際に、強敵であるはずのKV-85 やIS-2 が出てきても、プラモデル的に正しいCG と、装甲が厚いとか具体的に何ミリみたいな程度の説明セリフがあるだけ。絵や演出で説明しないから「勝てないよ感」とか全くない。モデラー的に正しいCG があっても、話を面白くする要素にはなりません。
演出で「勝てないよ感」を出さないのは怪訝です。例えば対シャーマン戦なら、正確な弾着で一方的に撃ちまくられる。T-34 以降に対しては、必死になってキャタピラを狙いまくるしかないが、車体に当たった弾が跳ねまくるだけ。そういうカットで示せばいいのにそれもやらない。
「勝てないよ感」がないのでは「自分たちより強い敵にチャレンジする」要素をドラマに生かせません。プラウダチームは大洗チームにとって格上の強敵であるわけですが、その説明を、戦車名だけで示しています。これは知識が必要な一見さまお断りアニメであることを示していますが、同時に工夫が足りないことも示す証拠です。
もちろん「戦車と女の子」好き、あるいは「兵器と女の子」といったカテゴリーのファンだけを囲い込めればいいと考えた作品なら、物語も作劇もどうでもいいのでしょう。
アニメ版見る前では、まえがきは白黒映画の『ガルパン 人間魚雷海龍』とか、実写TV 版の『ガルパン 最後の対外戦』にしようと考えていました。少女戦車兵の繰上げ卒業のあとに「日本にはもう鉄も戦車もないよ」とか、あんこうチームが大洗の海で味方の防雷網に引っかかる、やるせないエンディングとか。あるいは、最後の試合のあとバレーボール部のキャプテンが必死に飛行場まで走ってきて、体操服のまま飛行寸前の軍偵の後席に乗り込むとか、やたら寄ってくる海軍の先導機の機銃席で、ボールを持ったアタッカーが必死に手を振ってるとことかね。でもアニメ版がアレで、しかもキャラクターの顔と名前も覚えられないのでやめました。名前を覚えさせるキャラは7人超えたら駄目です。覚えきれません。
何にせよ、シチュエーションや萌キャラに頼ったアニメが増えました。今季は不作で、毎週観ているものは『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』だけですが、これも物語が深化しない話で、後には顧みられないでしょう。最初からハーレムができているので、それに至るキャラクター同士の関係は変化も深化もしません。同じ所をグルグルまわるだけの話です。前段階に、離れ離れだった兄妹が一緒に暮らすまでをやればね。アレな関係でも深化させれば面白くなったと思うのです。まあ、それでは残り4 人のヒロインが影薄くなるので、ああなったのでしょう。
志に欠けたTV マンガを作ってもしょうがないんじゃないですか。ガルパンも、おにあいもそうですが、物語もない絵だけ綺麗なアニメは、後世に残るものにはなりません。
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