Category : 有職故実
水素吸蔵合金への期待は、燃料電池への機体によく似ていた。まだ多少の望みがあるように見える燃料電池も、水素吸蔵合金の後を追うのではないか?
昔、水素吸蔵合金が脚光を浴びたことがある。15年ほど前のインテリア雑誌『室内』にあった。設備関係で水素吸蔵合金の紹介記事がある。最近は全然聞かないが、当時は「未来を救う技術」でエラク羽振りが良かった。アグネから『水素吸蔵合金』という本も出た。
70年代から、次世代エネルギーは水素みたいな一般認識はあった。オイルショックがあり、化石燃料に変わる次世代エネルギーをどうするかの話なのだがね。当節はバイオ燃料もあるが、当時はバイオ燃料はそれほどでもない。非化石燃料で思いつかないものだから、水素という話になったのだろう。
問題は、その水素を運ぶ方法である。だいたいは、工場みたいな所で水素を作る。そこから市中にある水素スタンドみたいなところまでは、パイプラインで運べばいい。だが、土地に定着しないエンジン、例えば車で使うときにどうするかが面倒である。
タンクに水素を圧縮しても多寡が知れている。だいたい、200気圧タンク云々といっても、水素は容積あたりのカロリーが低いのでどうしようもない。他にも、リークの問題、水素による容器の脆化、圧縮・膨張に伴う熱といった問題が生まれる。
液化も面倒に過ぎる。なんといっても水素は-250度、絶対零度まで肉薄しないと液化できない。その超低温を維持しないと、気化が始まる。気化したガスを逃せば引火の可能性がある。逃さないと容器が破裂する可能性がある。
そこで救世主として現れたのが、水素吸蔵合金だった。砂みたいな合金が、膨大な量の水素を必要に応じで吸着し、放出するというものだ。一時は将来の自動車はコレになるような話があった。
しかし、今日全く話題にもならない。少し調べると、効率が悪いとか、コスト的にペイしないといった原因がある。そのあたりを云々するつもりはないので、必要あれば検索してもらえばよいだろう。
15年前にあった水素吸蔵合金への期待は、燃料電池への期待に良く似ている。それによって一気に社会が変わるというような、過剰にも見える期待はソックリである。5年ほど前には、燃料電池による動力革命がすぐそこまで来ているような雰囲気だった。小規模電力、自動車、パソコン、携帯電話に直ぐに応用される見込みであるような話もあった。東芝やNECは直にパソコンを市販するよというような話もあった。しかし、実際に市販されたのは、電池だけを売る東芝Dynarioのみで、しかも直ぐに生産中止している。このあたりのポシャリ様は、かつての水素吸蔵合金への期待に極めて類似している。
水素吸蔵合金・燃料電池以前であれば、ロータリー・エンジンへの期待とも同じである。前にも書いたが、ロータリーエンジンは耐久性に劣り、確実性を欠き、燃費も怪しい。ロータリーは結局、実用化は成らず、市販車もなくなった。「将来、普及するであろう水素燃料との相性が良い」といった負け惜しみもあるが、その時には、わざわざロータリー・エンジンは使わない。燃料電池だろう。
おそらく、水素燃料そのものもハズレなのだろう。ロータリー、水素急増合金、燃料電池とも、水素燃料との関連が強かった。基本的に、水素は電気を使って生産される見込みにある。それなら、送電網の範囲であれば、電気を電気のままで使ったほうが効率は良い。車そのほかへの燃料として使うにしても、重質油やバイオ粗製油への水素付加によってガソリンや軽油とすればよい。極端な話、油が尽きても、石炭が残っていれば、水素と石炭で石油を作ることができる。気体の水素のままよりも使いやすい上、今のシステムを流用できるし、危険性も低い。
昔、水素吸蔵合金が脚光を浴びたことがある。15年ほど前のインテリア雑誌『室内』にあった。設備関係で水素吸蔵合金の紹介記事がある。最近は全然聞かないが、当時は「未来を救う技術」でエラク羽振りが良かった。アグネから『水素吸蔵合金』という本も出た。
70年代から、次世代エネルギーは水素みたいな一般認識はあった。オイルショックがあり、化石燃料に変わる次世代エネルギーをどうするかの話なのだがね。当節はバイオ燃料もあるが、当時はバイオ燃料はそれほどでもない。非化石燃料で思いつかないものだから、水素という話になったのだろう。
問題は、その水素を運ぶ方法である。だいたいは、工場みたいな所で水素を作る。そこから市中にある水素スタンドみたいなところまでは、パイプラインで運べばいい。だが、土地に定着しないエンジン、例えば車で使うときにどうするかが面倒である。
タンクに水素を圧縮しても多寡が知れている。だいたい、200気圧タンク云々といっても、水素は容積あたりのカロリーが低いのでどうしようもない。他にも、リークの問題、水素による容器の脆化、圧縮・膨張に伴う熱といった問題が生まれる。
液化も面倒に過ぎる。なんといっても水素は-250度、絶対零度まで肉薄しないと液化できない。その超低温を維持しないと、気化が始まる。気化したガスを逃せば引火の可能性がある。逃さないと容器が破裂する可能性がある。
そこで救世主として現れたのが、水素吸蔵合金だった。砂みたいな合金が、膨大な量の水素を必要に応じで吸着し、放出するというものだ。一時は将来の自動車はコレになるような話があった。
しかし、今日全く話題にもならない。少し調べると、効率が悪いとか、コスト的にペイしないといった原因がある。そのあたりを云々するつもりはないので、必要あれば検索してもらえばよいだろう。
15年前にあった水素吸蔵合金への期待は、燃料電池への期待に良く似ている。それによって一気に社会が変わるというような、過剰にも見える期待はソックリである。5年ほど前には、燃料電池による動力革命がすぐそこまで来ているような雰囲気だった。小規模電力、自動車、パソコン、携帯電話に直ぐに応用される見込みであるような話もあった。東芝やNECは直にパソコンを市販するよというような話もあった。しかし、実際に市販されたのは、電池だけを売る東芝Dynarioのみで、しかも直ぐに生産中止している。このあたりのポシャリ様は、かつての水素吸蔵合金への期待に極めて類似している。
水素吸蔵合金・燃料電池以前であれば、ロータリー・エンジンへの期待とも同じである。前にも書いたが、ロータリーエンジンは耐久性に劣り、確実性を欠き、燃費も怪しい。ロータリーは結局、実用化は成らず、市販車もなくなった。「将来、普及するであろう水素燃料との相性が良い」といった負け惜しみもあるが、その時には、わざわざロータリー・エンジンは使わない。燃料電池だろう。
おそらく、水素燃料そのものもハズレなのだろう。ロータリー、水素急増合金、燃料電池とも、水素燃料との関連が強かった。基本的に、水素は電気を使って生産される見込みにある。それなら、送電網の範囲であれば、電気を電気のままで使ったほうが効率は良い。車そのほかへの燃料として使うにしても、重質油やバイオ粗製油への水素付加によってガソリンや軽油とすればよい。極端な話、油が尽きても、石炭が残っていれば、水素と石炭で石油を作ることができる。気体の水素のままよりも使いやすい上、今のシステムを流用できるし、危険性も低い。
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