RSS
Admin
Archives

隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
→ 新刊・既刊等はこちら

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
Powered by fc2 blog  |  Designed by sebek
2013.08
31
CM:5
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 防衛省平成26年予算要求に、ちよだ後継艦として508億円の「新型潜水艦救難艦」が挙げられている※ が、果たして必要なものだろうか。

 防衛省は「ちよだ」後継艦を要求している。会計上、艦艇建造費は5年払いなので、認められれば2014年発注の2019年に就役となる。特に、大規模災害対応を前に出すことにより「ちよだ」よりも2000t大型化しようとしている。

 しかし、「ちよだ」代艦は、特に必要性があるようにも見えない。まず「ちよだ」は、まだ老朽化しておらず、新型艦に代える必要はない。また、後に「ちよだ」が老朽し代艦が必要としても、同じような潜水艦救難艦を建造する必要もない。

 今、運用されている救難艦「ちよだ」は、代艦が必要なほど老朽化していない。「ちよだ」は1985年就役なので、艦齢28年であり、代艦完成時でもまだ艦齢33年である。ディーゼルを搭載した中低速の支援艦であり、同じような中速商船同様に寿命は40年かそれ以上はある。護衛艦以下の寿命延長の流れからすれば、まだまだ使えるのに新型艦を建造する必要はない。また、潜水艦救難について新技術への対応についての必要もない。潜水艦救難技術は、「ちよだ」建造当時から特に技術的な進歩もないためである。

 後に老朽化したとしても、潜水艦救難艦を建造しなければならない必要性もない。最近の潜水艦への救難は、まずはDSRVという小型の救難潜水艇で実施される。そして、このDSRVは運用上、必ずしも救難艦を必要とはしない。たとえば米海軍は、DSRVを至近の港まで空軍輸送機で運び、そこから潜水艦に乗せて救難する体制にあり、救難艦は運用していない。DSRVがあれば、特に救難艦は必要というものでもなく、適当な水上艦船/潜水艦で運用できる。ある意味で、救難艦は、DSRV以前のレスキューチェンバーほかの時代の名残に過ぎない。

 潜水艦への救難で必要なのはDSRVであり、救難艦ではない。DSRVが運用できれば、別に新しい救難艦を買う必要はない。

 「ちよだ」更新については、救難艦を建造せず、搭載艦船を選ばないDSRVを作ったほうが安く付く。護衛艦でも、掃海艇でも、民間曳船でも運用でき、航空輸送が可能なDSRVと支援ユニットを作る。その補助装備として、ROV、乗員/潜水員用加減圧チェンバー、潜水用ハードスーツを用意すればよい。DSRV以下は高価であるが、508億円の救難艦を買うよりは安い。

 救難地点までの展開時間云々をいうのなら、複数を準備して、横須賀と呉以外、例えば稚内や沖縄、佐渡、父島あたりに保管しておいてもよい。今の横須賀と呉にだけ救難艦を置く体制よりも、短時間での展開が可能になるだろう。

 なんにせよ、新型潜水艦救難艦の必要性はない。交代する「ちよだ」は老朽状態にはなく、更新の必要はない。また、将来的にも新型潜水艦救難艦は必須ではない。潜水艦救難ではDSRV運用がメインである。救難艦を必要としない新型のDSRVと、その周辺機材を整備すれば済んでしまう話である。金がない折に、500億も掛けてどうでもいいような支援艦を作るべきではない。




※ 『我が国の防衛と予算 -Defense Programs and Budget of Japan』(防衛省,2013.8)http://www.mod.go.jp/j/yosan/2014/gaisan.pdf、P.5

※※ 別にDSRVを甲板上に搭載/泛水できなくとも、曳航すれば済む。通信指揮と充電機構は甲板上に乗せなければならないが、コンテナ程度に収まる。加減圧チェンバーも今は組立/折畳式があるので、これら艦船への搭載も難しくない。
スポンサーサイト
2013.08
30
CM:0
TB:0
12:00
Category : エネルギー
 航空燃料にマーガリンを混ぜられるのではないかという話がある。EUや航空産業によるSWAFEAコンソーシアムは、10%までなら混ぜられる可能性があるのではないかと言っている。※

 もともと、ガスタービンはマーガリンで動く。粗悪燃料で動くヘビデューティー・ガスタービンは、極端な話、燃えるものならなんでも動く。液体だけでなく、気体でも粉体でも問題はない。その説明として、マーガリンでも動くという言い方は昔からあった。

 ただ、さすがに航空用ガスタービンでは、難しいと考えられていた。空を飛んでいる時に不都合があると危険があるためだ。燃料の粘度が上がって燃料配管が詰まったりすると、確かに不都合がある。同じエンジンでも、艦艇転用や陸上転用なら止まっても極端な危険には及ばないが、空中では最悪墜落の危険性がある。

 このため航空燃料は、実績がある原油由来のケロシンが使われていた。航空燃料には色々種類があるが、ターボプロップやジェット機用に使う燃料は、原油由来のケロシンであった。Jet-Aにせよ-bにせよ、JP-4にせよ-5にせよ、結局は原油由来のケロシンであり、中身に差はない。

 しかし、原油価格が常にバレル50ドルを越え、100ドルまでふれる時代になると、原油由来にこだわることはできなくなった。そのため、今では航空代替燃料(実際には、ケロシンに混和する燃料)が模索されるようになった。

 今のところ、FT法によるガス/石炭/バイオマス液化燃料(XTL、XはG,C,Bと変わる)と、植物種子油を水素富化したHRJについて実用化されている。これらはケロシンの半分まで混ぜていいことになっている。※※

 そして、それに続き、マーガリンも混ぜられるのではないかという話も出てきている。マーガリンは脂肪酸エステルそのものであるが、これはバイオディーゼルその他で利用実績が積まれている。ディーゼルとガスタービンが必要とする燃料は、高いセタン価(オクタン価と逆の概念)が求められる点で似ている。

 脂肪酸エステルは、比較的簡単、安価に製造できる。原料としてはHRJと同じ植物油脂(動物でも構わないが)であるが、HRJのように水素富化に高温高圧の反応を必要としない。このため、HRJよりも脂肪酸エステルの方が断然安くなる。

 ただし、脂肪酸エステルはXTLやHRJとは異なり、高級純粋ではない。純ケロシンのXTL、HRJとは異なり、ケロシンそっくりといった程度にすぎない。また、不純物も含むため、今のところは航空燃料に混ぜてはならないとされている。しかし、原油や航空燃料の高止まりもある。10%程度は混ぜられるのではないかという見通しの元、可能性追求のため、混和により、どのような影響があるのかを見極めようとしている段階にある。

 もちろん、航空燃料として不安があるだけであり、ヨリ条件がゆるやかな陸上輸送や艦船であれば大した問題はない。軍艦に積んでいるガスタービンは、基本的に航空機と同じものだが、温度条件や整備条件の有利もある。高級なXTLやHRJを使うまでもない。配管そのほかの次第によるが、うまくすれば脂肪酸エステル100%、しかも安く挙げるために精製度を低くしても動くかもしれない。

 かつて駆逐艦が大豆油で動いていたという話もある。軍艦大和と一緒に沖縄に向かった駆逐艦は、燃料に大豆油を混ぜていたため、煙突からその匂いがしたという。脂肪酸エステルで軍艦を動かすと、同じようにマーガリンの匂いがするものだろうか。



※ Christensen,Dほか"A Reality Check on Alternative Aviation Fuels""ICAO Journal"(66)3(ICAO,2011)pp.22-26

※※ XTLもHRJも、ケロシンそのものだが、却って不純物がないので混和制限されている。Jet-Aほかを構成する原油由来ケロシンには、芳香族が不純物として混じっている。灯油や軽油を燃した時に嫌な匂いをだし、大気汚染の原因となる嫌われ者だが、たまたま配管接続部からの燃料漏を防止する働きをしているためである。このため、既存機体に100%のXTL、HRJを給油することは許されていない。
2013.08
29
CM:6
TB:0
12:00
Category : 未分類
 浜口和久さんが、パラオは日本を慕っていると主張している。だが、それはお世辞を真に受けたものではないのか。

 浜口さんは「パラオに生きる日本の心(勇気)」※で、パラオには親日感情がある、最も親しい国は日本であると述べている。
[パラオは]実に約400年間に渡り、外国の統治下に置かれていたのである。ところが、その400年間のうち、日本統治時代が一番良かったと、現地の人たちは回顧している。
[パラオが親日であることは]日本が実施した日本流の教育成果と、在留邦人が現地の人たちとよい関係を構築したからだとも言われている
[パラオの親日は]ぺリリュー島を守るために、群がり来るアメリカ軍を相手に玉砕するまで戦った日本軍の勇猛果敢な戦闘ぶりへの敬愛の念からだと言われている。


 これらは日本人向けのリップサービスを真に受けたものだ。パラオ人は、日本人が来れば日本人を褒める。アメリカ人が来ればアメリカ人を褒める。無論、日本人を褒めるときにはアメリカ人を悪者にし、アメリカ人を褒めるときには日本人を悪者にする。

 話者の国籍に合わせ、パラオ人がリップサービスをしている件は、三田収さんが指摘している。三田さんの「想起された植民地政策」は、パラオ人と日本支配に対する意識について、調査報告である。その中で三田さんはリサーチャーの国籍と聞き取り調査の結果について言及している。日本人による聞き取り調査では日本人の歓心を買うように話を合わせ、日本支配を賞賛し後の米国支配を悪く言う。米国人による調査では、米国支配を賞賛し以前の日本支配を差別的で暴力的であったと言う。要はそういうことである。

 もちろん、これはパラオ人に限った話ではない。日本支配がそれなりに成功した地域は、みな同じである。植民地支配に失敗しなかった台湾、南洋庁、樺太庁も、占領地経営でそれなりに成功したインドネシアも同じである。日本人が来れば日本人を褒め、それ以前の支配者や以降の支配者を悪しざまに言う。

 目の前の人に合わせて、持ち上げて話すのは、日本人もそうだし、米国人も中国人も英国人もそうである。また、その人を持ち上げるため、別の人を多少は悪しざまにいうのも、何人でも変わらない。それは人付き合いの如才といったもので、避難するような話ではない。

 しかし、それを本気に取ってしまうのは、問題がある。浜口さんは、パラオ人が日本人に向けた言説を真に受けて、親日であるとしている。パラオには「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」とか「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」と述べている。だが、それらは日本人向けのリップサービスに過ぎない。

 「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」のは、パラオが未発達であったことによるもので、日本への思慕ではない。近代化や国民国家化に必要な技術語や、抽象概念を表す言葉が未発達であったこと、文明文化の移入元が日本であっただけのことだ。

 「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」も、本当かどうか怪しい話である。発端は、むしろ日本側民族結社による要望であるようにしか見えない。そのあたりのドロドロはググれば直ぐに出てくる話である。

 パラオ人は、日本人を嫌っていないし、仲良くやるつもりがある程度の話にすぎない。その程度の相手を、度を越して親日であると見ると、いずれ何かで対立した時、今度は過度に幻滅するだろう。

 どこぞの宰相が「メキシコは親日的」と述べた時にも書いたのだが。いずれにせよ思い込み、片思いの類である。思い込み、片想いが「裏切られた」ときには、こんどは憎悪する。その時には親日的といっていたことはキレイに忘れて、反日的だからと言い出すことになるだろう。



※  浜口和久「パラオに生きる日本の心(勇気)」『Net IB news』(データ・マックス、2013.8.27)http://www.data-max.co.jp/2013/08/27/post_16455_hmg_01.html

※※ 三田収「想起された植民地政策」『国立民族学博物館研究報告』2008-33-1(国立民族学博物館,2008)pp.81-133.
2013.08
28
CM:5
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 10式戦車がなくて困ることがあるか?

 90式戦車があれば、別に10式は必要ない。今、日本には10式と同世代に属する90式が350両もある。性能で見ても、90式は10式とほぼ同等の攻撃力と機動力を持ち、防御力ではむしろやや勝る性能を持つ。防御力についての公式発表ではあくまで90式同等といっており、90式以上と説明していない。外征やそれに似た国際貢献があっても、90式を持っていけば問題はない。

 別に90式がなくとも問題もない。本土防衛の用は74式戦車で特に困ることもない。防御力や機動力では力不足になりつつあるが、攻撃力は十分にある。74式が持つ105mm砲とAPFSDSは、大抵の戦車に有効である。特に仮想敵とされていた東側系戦車を十分に撃破できるものと考えられていた。

 海空戦で勝っている場合には、戦車が74式でも戦争に負けることはない。日本における本土防衛は海空戦力がメインであり、陸上戦力はそこをすり抜けた残敵を掃討すること、あるいは配備の空白を作らないことで事は足りる。さらに、その陸上戦力の一要素、一部分である戦車が74式であっても、極端な困難はない。

 逆に海空戦に敗北した場合には、どんな戦車を持っていても敗北は不可避である。74式で勝てないほど、強力かつ多数の敵が揚がってくる場合には、10式でもダメである。10式がひとり気を吐いたところで、どうなるものでもない。ドイツ敗北の過程で「タイガー戦車が活躍しました」と変わるものではない。

 そもそも海空で敗北すれば、日本戦争経済も成り立たなくなる。いずれは燃料も弾薬もなくなり、経済は衰退し、食料生産やそれを運ぶ物流も逼迫する。いくつかの戦闘で勝ったところで、戦局はどうなるものでもない。

 そのときに10式があったとして、何ができるのだろうか? 上空を制圧されれば、戦車は自由に行動できない。目標に向かって前進するどころか、後方での終結や補給にも窮する。高度に分散し、偽装し或いは掩体にこもれば被害は局限できるかもしれないが、行動できずに隠れた戦車には何の価値もない遊兵に過ぎない。夜間や悪天候をついてコソコソ行動するのが関の山である。たいした活躍は期待できないし、活躍しても海空戦の敗北を取り返すこともできない。

 そもそも、今の日本本土に攻め込める国はない。極東ロシアは陸海空とも敵ではない。中国も日本本土に攻め込む力はない。政治的には四面皆敵であり、南沙、尖閣やインド・西方国境や国内辺境で問題を抱えている。最優先で海軍を強化しているものの、対米戦と南沙防衛、台湾回収に特化しており、日本に攻め込める戦力ではない。そもそも、日本の陸海空自衛隊はあまりにも強力であり、その上で日米安保がある。中国に攻め込む力はない。

 極端な話、戦車はシャーマンでもどうにかなる。実際のドンパチを考慮しても、シャーマンの75mm砲でも軽戦車以下は撃破できるし、人員やソフトスキンに対しては充分に強力である。対ゲリコマや治安維持ほかでの使用では、可能行動で10式と変わるところはない。部内での教育ほかでも、とりあえず戦車であるので、機甲科の教育にも、そのほか職域に対する戦車というものは何かという体験学習でも充分である。

 実際には、日本には90式と74式がある。90式は世界最新世代の戦車であり、74式も充分に実用に足る戦車である。日本はそれぞれを350両づつ、計700両を保有している。これは、フランスの戦車保有量(ルクレール×200、AMX-30×200)の倍に近い。

 日本に於ける戦車の必要性と、現在保有している90式、74式戦車とその数を勘案すれば、10式を整備する必要はない。今日の10式整備は、過剰品質であり、無駄金を捨てていることとなんらの変わりもない。

 10式が高性能であることは否定しないが、それは必要性には繋がらない。10式戦車への盲愛あるものは、10式の世界最新という文言に浮かれ、その高性能に目が眩んでも、10式が必要ということにはならない。
2013.08
27
CM:1
TB:0
19:13
Category : 未分類
 産経が利用者に「土曜授業は必要か」と尋ねて意味があるのだろうか? 産経の読者利用者は、昔の教育に戻れという頭を持っている。そこで土曜授業が必要であるかアンケートを取っても意味はない。

 バイブルベルトの教会で、進化論に賛成か反対かを尋ねるようなものである。そこで進化論は正しくない、教えるべきではないという結果を得ても何の意味もない。

 産経ニュースにあった記事は、そのように無意味なものだ。「テーマ『学校週6日制』 賛成76%、教員増も必要65%」という記事があるが、賛成多数を誇ってもまったく意味はない。競馬競輪競艇オートの会場でアンケートを取って、公営ギャンブル維持に賛成76%、配当増加も必要65%と何が変わるのだろうか。

 そもそも、土曜に授業をやってどうなるというのか。土曜授業の中身は国語数学英語理科社会ではない。土曜にやるのは体験学習や総合的な学習、補助的な学習に留まるという。、やる意味があるかどうか怪しい。

 平日授業にある相当な無駄時間を省かずに、コマ数だけを増やしても意味はない。行事やその予行演習、何の意味があるかわからない道徳の時間、ほかにも音楽や体育では無駄に時間を費やしている。運動会はともかく、その予行練習や、そこでやるための組体操ダンスの練習に何の意味があるのか。その

 平日に無駄遣いしている時間を省略し、国語以下の授業をやれば、土曜授業はなくとも済んでしまう話にすぎない。なぜそういう無駄なことをしたがるのかが怪訝である。

 
2013.08
27
CM:2
TB:0
12:00
Category : 有職故実
 昭和20年夏、農村も荒廃しており、日本農業は崩壊の寸前であった。食料事情が極端に悪化しており、農村でも飯米不足が重大問題となっている。

 中でも、象徴的な事件は秋田県雄勝郡山田村(現湯沢町)で発生した。内務省にとって重篤な事例であり、衝撃を受けたものであった。米が足りなくなった農家が、向かいの家から米を少量盗み、放火する事件が発生したのである。

 内務省警保局保安課が接受した特高秘発第六七八号文書がある。昭和20年9月20日、秋田県知事久安博忠から、内務大臣山崎厳に宛てられた「飯米窮乏ヲ繞[めぐ]ル放火事件発生検挙二関スル件」と題されている。

 文書によると、事件は昭和20年8月15日夜に発生している。若妻と子供しかいない応召軍人の小作農家に入り込み、米3俵を盗み、その証拠隠滅のために放火したとある。

 内務省にとって深刻なのは、農村社会が崩壊する兆しがあったことである。ついに米農家が米にこまり、女子供しかいない向かいの家に盗みに入った。これは飢餓が都市部だけではなく農村に及び、それにより近所づきあいが瓦解する予兆である。

 この時期、農村も、ついに飯米不足に陥っている。

 まず、米が取れない。徴兵による労働力不足や、生産や輸送混乱による肥料不足があった。当時、窒素原料は火薬製造に回され、肥料製造は圧迫し、その肥料も決戦用に多数造成された飛行場での芝土育成に優先されていた。農村に配布する分も、船舶輸送や鉄道網の混乱麻痺や、トラックによる小口輸送能力不足により、上手く行っていない。

 収穫した米も、強制供出制度により、僅かな自留分しか残らない。被疑者は田地2町2反、畑地3反を持つ中農であったが、19年米穀年度で生産56石から48石を割当られ、調整して37石6斗を供出されている。残りは18石4斗あるが、現金化や困っている他農家への配給もあったため、最終的に手許に残ったのは7石2斗に過ぎない。

 当時は大家族であり、また2町持ちともなると、農繁期には多く食べないと体が持たない。そのため、1日5升を消費していたところ、ついに8月15日には2斗だけしかなくなったのである。

 このため、中農が、小作に盗みに入るという事態が発生した。しかも、盗まれた小作農家は、旦那を海兵団に取られ、若妻が田畑と家と守り、子供三人をどうにか食わせている、生存の限界にある家である。盗みに入るにしても逡巡する家だ。そこに入るということは、人情も枯れたということである。

 農村が疲弊状態にあり、その崩壊が近いことを予感させる事件である。このため、通常の道府県警察局長から内務省警保局長への経路ではなく、特に秋田県知事(当時は内務省隷下)は内務大臣に報告することとしたようにみえる。

 昭和20年は食糧不足で本土決戦は行えなかった。具体的に終戦を巡る会議では、農林省は食糧問題で戦争遂行の不可を述べている。

 しかも米穀20年度は、労働力と肥料不足の極もあり、戦時下最悪の大不作である。おそらく、20年秋、終戦なしに九州と関東で本土決戦を行おうとしても、食糧問題とそれによる地方情勢不安により決戦は困難である。それどころか、米国が上陸戦をしてくれないと日本政府は国内治安維持に困窮する。昭和21年春には食料が尽きる。その場合には、戦争どころではない政治的混乱が発生しただろう。
2013.08
26
CM:20
TB:0
12:00
Category : ナショナリズム
 高校野球は毎年やる甲斐もない。

 あんなものは何遍やっても同じことだ。どこぞの高校が出場し、どこぞが一等賞を取るだけの話にすぎない。なるほど、出場する学校は毎回変わる。同じ学校でも選手は毎年変わる。しかし、結局は知らない学校の知らない選手だ。去年の学校選手も知らぬ顔、今年の学校選手も知らぬ顔である。

 仮に去年の高校野球を今年放送しても、視聴者の過半は気づきはしない。去年見たことなんか忘れている。去年の録画でも、9 回裏に逆転本塁打があれば、今年の視聴者も勝手に喝采をあげるだろう。

 この夏の隅田川の花火では、豪雨につき去年の花火を放送したという。テレビで見ている視聴者は、はたして去年の花火とは気づいたのか。まず気にしないので、難ずる者もいない。花火はキレイだといって終わる。それなら、来年も録画を流せばよい。花火の大きさ、色、形、順序を憶えている奴はいない。

 オリンピックも同じ事だ。再び東京でやっても、昭和39 年と変わるところはない。聖火ランナーが走ってきて、飛行機が空に五輪を描く映像を見れば終わる。

 オリンピックにも飽きている。映画と同じで、2 回目以降は新味がない。しかも日本で4 回目になる。誰も見向きもしない。

 東京オリンピックなぞ、いまさらやる甲斐はない。やった所で、楽しみにするものは少ない。なるほど、かつて国民はオリンピックを心待ちにした。戦争から復旧した達成感があり、世界に日本の成長を見せる意気込みがあった。しかし、当節の日本には御用もない。

 あれは青年国がやるものだ。成長した国が、離陸を祝う成人式や結婚式のようなものだ。すでに離陸した日本がやっていいものではない。やっても、2 回目3 回目の結婚式で、全く目出たいものでもなく、飾れば醜悪である。

 今オリンピックを呼んでも、ただの大きな運動会で終わる。東京市内の者には用もない。昔、世界陸上だのバレーの世界予選だの、大リーグ開幕戦と東京で大きな運動会をやったが、主催団体以外は誰も取り上げない。オリンピックでも変わることはない。

 東京招致なぞやめればよい。呼んだ所で益もない。建設土木とスポーツ団体とホテル業が儲かるだけだ。東京市内に無駄なハコモノが作られる。八釜しい貧乏国と田舎漢の団体旅行が大挙寄せてくる。交通も混乱する。東京市内に用ある者には迷惑至極である。

 あんなものは、どこの国でもできる。ならば、心から楽しみにする若い国にやらせればよい。発展途上国は、必死に手を上げて、喜んで精一杯見栄を張るだろう。そして、その国民は高揚感に包まれるだろう。その幸せを先進国は奪ってはならない。オリンピックは心から楽しみにできる国に譲れ。

 オリンピックのためにコミケを潰すのは本末転倒である。どこの国でもできるオリンピックと、東京でしかできないコミケのどちらが重要であるか。いい歳こいた大人の駆けっこや、何で点数がでるか分からない体操には、文化的には何の価値はない。それよりも、混沌とエロにあふれ、健康を害してでも本を作ろうとする爛熟した文化を維持し保護するほうが、人類にとって利益となる。

 それでも東京オリンピックを見たいというなら、騙して50 年前の市川崑の映画を流せ。なに、フィルムの色調発色を今のテレビと同じにすれば、その差など分かりはしない。負けた円谷が翌日自決する偽造カットを追加すればよい。当節のゆとり選手の「楽しんだ」だの「感動した」どころではない、真に満都の紅涙を絞ることができるだろう。

 なんにしても、背広につける招致ピンバッジも見苦しいものです。アレを着けなければならぬのは社畜の悲しさでしょう。



2013年夏コミの「あとがき」を、旬なものなので転載。まあ、イスタンブールに譲ってやれと。
2013.08
26
CM:0
TB:0
02:35
Category : 有職故実
 文化系トークラジオLIFEを夜通しで聞いているのだが。2時半頃に、エロ・カセットテープの話が出てきた。

 その存在を知らない世代がいるのだが、エロビデオ以前はそれが売っていた。70年代は、カセットに音だけ入れた、怪しいエロ・カセットテープが売られていた。なんにせよ、エロビデオ以前は、ブルーフィルムか、エロ・カセットか、エロ本の時代である

 そのエロ・カセットテープで手入れを食らった新聞記事があった。70年代の朝日か日経新聞だが、大阪万博エクスポ'70をもじった、セクスポ'70という題名だったことを思い出した。

 メモ帳を見れば何年何月何日の記事であるかわかるのだが、内容的にそれほどでもないので調べる気もしない。

 まあ、エロのタイトルがパロディなのは、昔からだということだ。バック・トゥー・ザ・ティーチャーといったような、赤貝ティーチャーみたいなことを当時からしていたということだ。
2013.08
25
CM:0
TB:0
12:00
Category : 映画
 岩波ホールで『楽園からの旅人』が上映されている。廃止された教会に、アフリカからの不法入国者が逃げこんでくる。教会の司祭は彼らを保護するという筋立てである。

 テーマと舞台には文句のつけようが無い。だからか、近藤孝さんの映画評でもベタ褒めされている。



 しかし、作劇が全く残念に過ぎた。なんといっても、登場人物が全く交歓しない。映画でも小説でもアニメでも、大抵は物語の中で人間関係が深化し、あるいは変化する。だが、『楽園からの旅人』にはそれがない。多少でもあるのは、司祭と寺男(あるいは信徒代表)の仲が悪くなること、医者が司祭を理解して、言うことを黙って聞くようになる程度位である。肝心の難民と司祭は全く交わらない。

 そして、司祭と難民が交歓しない以上、難民にも感情移入ができない。一応、腹の大きなおっ母さんが子供を産んだり、別の家族でお父つぁんが病気から恢復したりする。だが、その先で司祭は子供と母親や、家族に「良かったね」と言う程度の交流もしない。観客は「まあイイことだよね」程度で終わってしまう。同情や難民への仲間意識が生まれない。

 だから、物語上、難民はそこにあるだけのオブジェにとどまってしまった。もともと難民の描写はおざなりで済まされている。しかし、十把一絡げのグループではなく、3グループ程度に分かれいるので余計に訳がわからない。突然、ダイナマイト(C4とかじゃない筒状の爆薬)が出てくるカットがあったり、それをアンちゃんが腹に巻くカットがあるが、何を憎んでいるのか全然わからない。予告編やストーリを読んで、初めて原理主義者グループも混じっていることが分かる始末である。

 このため、クライマックスで難民が受ける扱いにも、観客は悲嘆できない。最後に、難民が○○されたことへの示唆があるがだが、その時にも「ヒドい」とか「やめて」といった感情が湧かない。

 映画としても退屈になってしまう。8月21日夜の回に行ったのだが、始まってから10分も経つと近くのおっちゃんがイキナリ寝はじめていた。イビキも最後までしていたような映画になってしまった。

 退屈な点は、映画評でも窺える。近藤さんの「不法入国者たちの顔の何と美しいことか。虐げられてきた彼らの顔に、恩ちょうのような光を当てたオルミの祈りの深さに、感銘を受けずにはいられまい。」とある。言外に「面白い映画だと思うなよ」というメッセージがあるようにも見える。

 この映画、普通に、司祭と難民を交歓させればよかったのではないのか。司祭に「慈悲を与えることが困難である時こそ慈悲を与えるべき」と言わせたのは立派だけど、その上で援助と交歓をさせれば、結構いい映画になったのではないか。

 教会を失って、抑鬱状態になった司祭をハッスルさせてもよかったのではないか。死に損ないの年齢の司祭が、徐々に修道院時代の兄弟子に戻る。「ここに居させてやるから、できることやれ、働け」とかね。「洗いざらしがやるからオムツ位縫え」とか、「若いのに昼間から寝てんじゃない」とか「掃除しろ掃除」とかでもいい。子供にアラビア語の読み書き教えてやれ、必要なイタリア語は俺が教えてやるみたいな話にすれば、相当に変わったのではないのかね。

 エルマンノ・オルミ監督、現代の黙示録を書こうとして、黙示録を書いたというなら、どうしょうもない話だけれども。やりたいことと、うけることを両立させることも、巨匠であるならできたのではないか。
2013.08
24
CM:0
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 重量1トンもないアルミ屑12機分が、2000万円で売れることが不思議ではないのか?

 陸自が使っていた中古OH-6が輸出された。読売オンライン「陸自ヘリ12機分の部品、解体せず海外に売却」※ によると、廃用機がオーストラリアやニュージーランドに輸出されたという。

 自衛隊は機体を早期に退役させる。もともと大して傷んでいない上、耐用年数も昔の機体を参考に短めめにされている。使用目的次第だが、海外に売れば売れるものだろう。

 しかし、解体業者が2000万円で購入すると言い出したことに、陸自は不審に思わなかったのだろうか。OH-6は小型機である。それが金屑処分を強制する売り払いで計12機、〆て2000万円で売れることは怪訝である。取れる金屑は100万いくかどうかである。

 12機のOH-6を金屑にしても、金屑価格は100万円いくかどうかだ。OH-6は空虚重量で900kg位であり、エンジンは取っ払っている(はず)。廃用機から取れる金属は500kg程度にすぎない。基本はアルミであり、添加物があるので1kg150円がいいところだから、金屑価格は1機7.5万円、12機分で90万円程度に過ぎない。業者側が行う引取や解体コストもある。むしろ金をもらわないと引き合うものではない。

 なんにせよ、この値段で売却できたこと自体が、奇跡的である。昔、横監で国有財産についての仕事をしていたことがあった。当時、鉄屑価格が低迷していた時期であったこともあり、輸送艦1隻が10万で売れれば御の字だった。回復してトン1万円を越えても、回航コストや解体コストがあるので、結局は100万200万の世界だった。今、トン2万円を超えているが、やはり1000万円いくかどうかだろう。

 また、海自では、解体は必ずチェックしていた。シビルの管財係長が出張して、本当に解体しているかどうかを確認している。話を聞いても、見て見ぬふりをするのも、色を塗り替えた内火艇や、艦内自販機の自家利用程度である。

 注視すべきは、契約についてのチェックが甘いことである。報道では、海外に輸出されたことに焦点が置かれている。しかし、そんな不自然な契約を、業務系統や監査ほかで見抜けなかった点も、重篤な問題である。

 担当者は、うすうす気づいていたのだろう。しかし、目前の業務処理に目が眩み、やるべきことをしなかったということだ。だが、機体再利用や輸出は問題になる。業務をしていれば、いろいろ手を抜いたり見逃したり、あるいは共存共栄の関係になることもあるが、警戒しなければならない一線はある。その一線を超えた点は、責められるべきだろう。



※ 「陸自ヘリ12機分の部品、解体せず海外に売却」『Yomiuri Online』(読売新聞,2013.8.23)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130823-OYT1T00922.htm?from=blist
2013.08
23
CM:3
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 山下輝男さんの「終戦の日に中国の日本侵攻について考える」※ という記事がある。

 日中ともに相手の国に攻め込む気もない。その前提をムリクリに覆して、日本に攻めてくるときにはどうするのかを熱弁されている。内容的には納得できない部分が多いのだが、それには言及しない。

 たが、正義の日本vs不正義の中国というフォーマットになっているのは、残念なものである。山下さんは軍事問題の専門家である。防衛という技術を扱うプロフェッショナルが中国との軍事問題を論ずる上で、わざわざ不正義の中国と述べる必用があるのだろうか。日中の軍事対立と、その上で日本の防衛に必要な技術的な事項について淡々と述べればいいのではないだろうか。

 例えば、山下さんの「対外武力行使」という言葉がそれである。外征的なイメージを持ち、場合によれば対象への侵略を想起させる対外武力行使という言葉を使っている。それにより、不正義の中国という価値観をわざわざ持
ちだそうとしている。その上、内容も怪しい。

 山下さんは、「2 中国の対外武力行使について」で「(1)中国の対外武力紛争の概要」を挙げている。その項目建だけを抜き取ると次のとおりになる。
1. 朝鮮戦争(1950/6/25~1953/7/27)
2. 第1次台湾海峡危機(1954~55)
3. 第2次台湾海峡危機(1958)
4. 中印国境紛争(1959~62)
5. 中ソ国境紛争(1969)
6. 西沙群島海戦(1974)
7. 中越戦争(1979)
8. 南沙群島軍事衝突(1988)
このうち、2と3は明らかに対外武力行使ではない。

 特に「中国の対外武力行使」に、国民政府との戦いを含んでいるのは、全く妥当ではない。最近の中台両岸関係で攻めこむなら、侵略的なイメージを伴う「対外武力行使」になるかもしれない。しかし、60年代までの国府との戦いは紛れもない内戦である。まずは国内戦であって、対外武力行使で挙げるのは妥当ではない。

 そもそも、最初の朝鮮戦争にしても、侵略的なイメージを持つ対外武力行使と呼べるか怪しい。内戦中であった朝鮮半島において、北朝鮮が南進するときには、中国による本格介入は行われていない。米軍・国連軍が参戦し、韓国軍ほかが38度線を越えた北進を始めたあとになって、中国は現地政権である北朝鮮が了解した上で、ようやく本格介入している。

 中印、中ソ国境紛争にしても、どっちがどっちに攻め込んだというものでもない。これらを対外武力行使と言うのであれば、ノモンハン事変も日ソ両国による対外武力行使となってしまう。

 外征的なイメージを持つ、対外武力行使に含めてよいのは、最後の6-8程度だけだ。ただし、西沙、南沙での島の取り合いも、多少は中印、中ソ国境紛争に似た、どっちもどっちの部分はある。もちろん、南北ベトナムが平穏無事に占拠していた島を、海洋新秩序に出遅れた中国が襲ったことに違いはないのだけれども。

 また、山下さんは「5 終わりに」で「本稿は中国の脅威を煽るものではな」い旨を表明しているが、エクスキューズにしか見えない。山下さんは
[中国政府は] 自らが育てた悪魔が自らを蝕むということがないのだろうか?
 育ち過ぎた民族主義を抑えられなくなった時、それに押されて対外暴挙に出ないという保証はない。習近平が掲げる「中国の夢」とは何か? 中華主義、太平洋二分割論なのだろうか?
 その見果てぬ夢を具現・達成への欲求が彼を圧迫する。
[改行は省略]
と、中国には対外侵略をする傾向があること強調している。※※ この「終戦の日に中国の日本侵攻について考える」でも、中国の侵略性強調が通奏低音となっている。

 これらは、意識的か無意識的かはともかく、中国に対外侵略をする傾向があること強調しようとするものにしかみえない。

 この傾向は、元自、特に陸自の人に多い。日中軍事問題について、正義の日本vs不正義の中国といったフォーマットで示したがる。このJB PRESSでも、篠田芳明さん(これ)や、用田和仁さん(これ)、森清勇さん(これ)と、見事に正義vs不正義で語っている。

 その上で、中国が如何に不正義であるかを強調する内容になっている。論ずるべきが日本の防衛であり、そのための技術的な行政的手段であるにもかかわらず、おしなべてそのような内容になっている。

 プロである/あったなら、その価値観から離れて、日中を大差ないものとして並べて見たほうがいいのではないのか。彼らの強みは、戦争や戦闘での知識技能である。政治批評ではない。

 日中軍事衝突について論ずるにせよ、日中の立ち位置を正vs正の文脈で書ける。また、日中を正vs正で書いても、彼らの主張の本筋には影響はない。現在の軍事バランスや想定する戦争、それぞれの考える戦闘の様相や日中にある有利不利について、それぞれの主張が持つパワーが弱体化するものではない。

 ある意味、中国を悪くいいたい人への迎合もであるが、それはやめたほうがよい。日中軍事対立についても、中国への悪口なしで主張できる。また「日本で国防政策は大事、ホントに超大事」とする根幹の主張についても、日中を正vs正で捉えるフォーマットで充分である。※※※



※   「終戦の日に中国の日本侵攻について考える-中国の対外武力紛争史が教える執拗でしたたかな戦略」『JB Press』(日本ビジネスプレス、2013.8.15)http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38442


※※  「3 対日武力侵攻について」中「(1)対日武力発動の条件に関する検討」の下にある「ア 国内要因」は、概ね、中国侵略主義を指摘するものになっている。

※※※ まあ、日中軍事対立と衝突の可能性にしても、海空主流、陸はオマケになってしまう。その点困って「中国は領土的野望があるので、日本本土に上陸してくるのだ」と言い出すしかない戦車ファンの御仁もいるけどね。
2013.08
22
CM:2
TB:0
12:00
Category : 有職故実
 戦時日本は敵であった中国から、戦略物資を大量に買い付けていたらしい。

 桐油という油がある。アブラギリの実を絞った油で、かつては塗料や防水加工にとって重要な原料だった。

 日本は、その桐油を中国から買い付けている。しかも、高価買取というだけの、全く血を流さない方法で中国生産量の半分以上を買い付けていた様子。

 中国社会科学院『抗日戦争研究』、2012年第1期に斉春風さんの「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」※ が掲載されている。要旨は、日本は国民政府買入価格の2-12倍で桐油を買い入れたので、相当が日本側に流れてしまったというもの。

 日本は、桐油買取価格を、国民政府より高く設定していた。桐油買取価格は時期や地方によって異なるが、日本の買取価格は常に国民政府より高値である。1941年、皖中では国府買取価格80元に対して、日本買取価格は1000元※※ であった。

 また、日本進駐下である仏印(ベトナム)での高値設定と流出も、実質的な対日輸出であった。国境を接する広西では、国府買取価格230元に対して、30km離れた仏印では400余元であり、しかも貨幣価値を勘案すれば国府法幣5000元に相当している。

 日本側も桐油の確保に必死になっていた。三井、三菱、岩井洋行、大原公司、公利庄
、万利庄が現地展開している。また軍部は中国の海賊を使い、別に海軍は漁船を集めて桐油輸送に投入している。

 その甲斐あってか、日本は相当量を確保することに成功している。中国から絞り取った形であるが、正々堂々とお金の力で勝負して国府に勝ったものである。なんせ、相手が競って持ってきたものである。それほど悪いものでもない。

 ちなみに、日本に流出した桐油の量は、下手をすると中国生産量の半分以上である。斉さんは、戦時下中国での生産量と、日本側に流出した総量を断定していない。だが、下手をすると生産量の半分以上が日本側に輸出されただろうことを示唆している。桐油の国民政府買取量は、金額ベースでは戦前に較べて戦時下では半減している。しかも、国府買取価格を値上げしたうえの話である。

 結論として斉さんは、日本軍への協力であると唾棄している。「飛行機や大砲、戦車、軍艦と潜水艦、外套に塗るのに桐油は必需品なんだが、それを密貿易で日本人に渡すのって利敵行為で、血を流さない殺人行為への加担だろ」(大意)と述べている。「日本に輸血するために中国から血を抜いたら、中国が貧血になった」とも述べている。



 まず、お金の力には勝てないということだね。冷戦中にアメリカがソ連からウランを買ったように、欲しいものがあれば高値をつければ、敵国からでも買えるということだ。特に相手の国境コントロールがルーズなら、価格の高い方に物資は流れる。金の力にあかせて勝てれば、それを武器にした方がいいということだ。

※ 斉春風「抗戦時期国統区的桐油走私貿易」『抗日戦争研究』2012年第1期(中国社会科学院、2012)pp.123-130.

※※ 日本が高値で買い取れた理由として、斉さんは、アヘンやヘロインの裏付けがあったようにも書いている。桐油代金で食料や衣類を入手したことになっているが、回り回れば鴉片、白面、海洛だろみたいなことを書いている。
2013.08
22
CM:0
TB:0
05:36
Category : 有職故実
 USSBS、米戦略爆撃調査団報告のドラフトを見ていて発見したのだが。

 『週報世論報告』という冊子がある。内閣の情報局第一部週報課がまとめたものだ。当時、『週報』は毎週150万部、『写真週報』は50万部出ている。その投書欄あてのお手紙のうち「ヤバすぎてそのまま載せらんないや」といったものをまとめた冊子である。表紙にマル秘がついているので、まあ世間には見せらんないよといったもの。

 その昭和19年9月版に、大川三郎さん(住所は秘す)「妾は困りもの」※ という投稿がある。
・ アパートに多くお二号さんが多く住んでいる
・ いつもブラブラしている
・ 旦那さんを同居人に仕立てて配給を二人分とっている[当時、幽霊人口といわれた]
・ アパートの管理人も巡査も丸め込まれている
 といったもの。「古い調査で都内の所謂第二号が二十万人にも達するということを聞きました」というのが、今から見れば新鮮な内容。

 このお妾さん達はどこからきたのか? 大川さんの推測だと「飲食店やアイマイ屋の女子が街から姿を消したやうですが、これが数多くアパートに姿を代へて現れでてまゐりました」とのこと。

 まあねえ、あの手の商売を表向き断絶しても、地下に潜み、あるいは専属契約を結んで囲われるというのも納得できるものであるよ。

 ちなみに『週報世論報告』には、長崎市他言人の「政府に希むことども」という興味ふかい投稿もありました。いや「[報復兵器]V1号が役にたゝぬやうになったやうではないでせうか」とか「アメリカ内部の弱味の多い気安目記事が新聞に見えますが、それが何の役にたつのでせうか」とか鋭く、客観的な内容を述べているのだが、同時に「不良工員その他不逞の徒のために流刑の刑を実施して下さい。」という、アレな内容が同居しているのが、非常に面白いものです。多分、不良工員は意地悪をしたり、サボったりする熟練工ではないかなと思うけどね。



※  大川三郎「妾は困りもの」『週報世論報告』昭和19年9月(情報局,1944)p.16
※※ 他言人「政府に希むことども」同 pp.1-2.
2013.08
21
CM:1
TB:0
12:00
Category : 未分類
 中国潜水艦にある高性能化は、同時に潜水艦数を揃えられないことも示しているのではないか。

 中国がロシア新型潜水艦であるラダを買う話がある。半年前に習近平さんがロシアで約束しており、飛行機の方は売買できるかはともかく、潜水艦は実際に買うだろうと見られている。

 これは、国産している元級潜水艦には性能的に不満がある可能性を示している。ロシア製のキロ級を購入後に作った元級であっても、しかもエンジンそのほかをヨーロッパ製にしても、中国には満足できなかった様子が窺える。

 いずれにせよ、中国潜水艦は高性能化に伴い、高価格化する。潜水艦も高級化すると、中国海軍であっても数は揃えられない。

 元級であっても、相当に高価格化している。船型は大型化し、装備品も外国製であれば足許を見られた価格を吹っかけられる。

 ロシア最新鋭となるラダ級で、しかも輸入となれば幾らになるか。西側で建造されている輸出用潜水艦と大差ない価格となるはずだ。

 ラダ級を応用した新型潜水艦を中国が作っても、価格高止まりは止まらない。元級であってもディーゼルや電池、ソナーは外国製と言われている。それよりも高性能を狙えば、外国製装備品の数は増え、同時に外国製装備品の性能向上も求められる。装備品での高価格化は免れない。また、静粛性ほかの工夫のため、建造艤装での工数も増える。この点でも建造費口頭は免れない。

 高級化した中国潜水艦は、当然ながら高価格化する。西側製輸出用潜水艦と同価格か、下手をすれば日本潜水艦と同じくらいの値段となる。

 その場合、中国は潜水艦について、今までのような多数整備はできなくなる。陸軍を削減し、空軍に冷や飯を食わせ、海軍予算を増額しても、ラダ級やポスト・ラダ級は、ロメオ級(100隻超)や明級(23隻)には及ばず、宋級(13隻)・元級(14隻+)程度か、それ以下の数しか揃えられないと見てよい。



 …中国脅威論を煽る人はこの辺りを見ようとしないね、中国軍事力について、脅威論を煽る人々は結構いる。中でも中国軍装備品の高性能化を騒ぎ立てる人も多い。しかし、背後にある高価格化と調達数減少には気づかないか、見てみないフリをする。

 まあ、外国の脅威を煽ればそれでいいのだから、そうなるわけだ。中国の戦車、戦闘機を見ても、従前どおりの数を確保できていないのだが、そのあたりを見ようとしない。また、新型が登場したことと、大量に退蔵されている旧式の数を並べるもの、意図しているかどうかはともかく、ミスリードだね。
2013.08
20
CM:2
TB:0
12:00
Category : コミケ
 宇多丸が実写版で喝破したとおりです。デザインをリファインさせると、ヤマトが古臭く見えてしまうというジレンマがあります。

 『2199』を見ても、ヤマトそのものに古臭さが目立ちます。時代のせいか、ヤマトは円筒形の船体にデザインされている。上甲板を上部1/3 あたりに設定して兵装を集めたため、船体は下ぶくれして大航海時代の帆船のタンブルに見えてしまう。船体後尾末端にある尾翼部分も時代を感じるデザインになっている。トップにある艦長室、第一砲塔の前と船体側面の謎の膨らみもそうです。 そのあたりはリファインできません。リファインしてしまったら、ヤマトはヤマトでなくなる。20 年前のシド・ミードのアレとか、よくて大ヤマトになるので、できない話でしょう。

 しかし『2199』のクレジット・タイトルに松本零士が記されていないのは怪訝です。ヤマトを始め、地球- ガミラスの艦艇も航空機もオリジナル・デザインは松本零士です。内装の計器類は松本メーターになっています。松本零士と無関係とは到底言えません。訴訟の関係にせよ、徹頭徹尾名を秘すのはあまりに不自然です。

 松本零士の名前があれば、七色星団の戦いももっと面白くできたでしょう。ザルツの工作員を削岩弾に載せて、それをガルントに載せれば、あの傑作ができます。既にガミラスには物資がない。ガルントも、供出された鍋や釜を溶かして、女子供が作った機体。しかも操縦も全部老兵で、重い削岩弾を積んでいるのでエンジンが息をつく始末。急降下爆撃隊の攻撃に隠れて「イオン乱流に沿って飛べ」と言いながら接近するガルントですが、直掩機の山本に補足され攻撃を受ける。削岩弾のザルツ兵は「もういい、早く切り離して身軽になってくれ」と繰り返しまずが、機長のバレンは「まだまだ飛べるぜよ」と笑いながら答える止めだと叫びながら接近する山本機に、バレンが南無三と漏らした瞬間、出撃前にザルツ兵と喧嘩したゲットー機が体当たりします。関係修復? ノラン伍長と一緒に酒でも飲ませて肩組んだカット入れとけばいいですよ。

 もちろん『2199』は、楽しみに見ています。映画館で見せてBD で売ってからテレビ放映する手練手管はよく考えたものです。逆をやるよりも、ヨリ大きな満足感を与えて、しかもお金もとれる。当節、最高のリバイバルでしょう。

 ヤマトだけでもないですが、当節はリバイバルの類ばかりになりました。今年に入ってからは『這いよれ』、『はがない』と2 期続きですが、まあ酷いものです。いずれも何の新味も出せない。特に『はがない』は、必要性があるのかないのかのキャラを多数追加して終わり。もともと原作信者を満足させるためのアニメだから、そんなものでしょう。夏コミのカタログにも全然カットはありません。人気は推して知るべしです。

 2 期で気を吐いたのは『俺妹』だけでした。基軸であった「兄- 妹」から離れましたが、視聴を楽しみにするものでした。黒猫の未来日記で「京介と別れる」と書いてあるところでは、いい歳こいてどうなるのかと。久々に「大切なモノが壊れてしまう」というスリルを与える展開でした。

 黒猫ファンでもありませんが、8 話「俺が後輩とひと夏の思い出を作るわけがない」はやられました。イイコトが寸止めの話ですが、脳内では苦界の話に変わりました。貧しさのため、妹のために松戸に身売りが決まった黒猫が、売られる前に京介とイイコトをしようとしたが果たせない。そして玄人になり、堅気の学生さんに迷惑をかけてはならぬと「先輩と別れる」と一方的に通知する話です。しかも、その姉の気持も知らず自暴自棄になり、ドロップアウトをして青線に出入りするヒナタが、あの時代の雰囲気を活写するのです。もちろん二人とも儚くなって、一人残ったタマキを京介と桐乃が引き取る展開です。

 最初は『プラズマ・イリア』の話でもしようかと思ったのです。『プリティ・サミー』との相似性、『CCさくら』との関係とか、『ナデシコ』からスピンオフした『ゲキガンガー』との関係ですかね。でも、比較しても面白く無いのでやめて、例によって書いていたら脳汁が出てきた『2199』と『俺妹』になったというわけです。

 『風立ちぬ』でも良かったのですけどね。96艦戦で音速突破した話もそうですが、堀越さんが試作烈風の胴体内で戦ったシーンでの「どうだ自分の作ったヒコーキの乗り心地は」「あんまりよくない」「じゃあもっといいのを作れ」「分かった」とかねえ。アノあたりは最高でした。



こないだコミケで売った『瀛報』2013年夏号のあとがきです。ヤマトもTV放送が七色星団の戦いに追いついたみたいですし、俺妹もラスト3話が公開されたので、時期的に公開するのは今頃かと。

 まあ、あれだ、地味子があと一日待っとけばよかったんじゃないかなと。
2013.08
20
CM:1
TB:0
00:19
Category : 有職故実
 『みんぱく』8月号に小笠原クレオールの記事がある。ダニエル・ロングさんの「ごちゃまぜではないハイブリッド言語」に、西欧系小笠原島民が使う言葉の例があった。

 「Next Saturday Morning, meはyouのhouseに来るから、タマナの木で作った銛でワフーの突きん棒漁しよう」

 「MeらのlanguageはEnglish and Japaneseをmixしたものじゃ」

 我々からみると、無規則なごちゃまぜにしか見えないものだが、そこにも規則性があるらしい。ロングさんの記事によると、代名詞と時間関係は英語起源が多く使われ、動詞の活用部分に日本語が使われる傾向が強いとされている。

 ロングさんが、試しにごちゃまぜ言語を喋ると笑われるという。具体的な文は載っていないのが、まず「ミーはおフランスに行くザマス」みたいな文例なのだろう。それを聞いた古老曰く「それはsound funnyだじゃ meらはそれ言わないよ」と言われたという。

 父島には、父基分という部隊があり、そこの技官の氏名がハイブリッドだった。
そのものズバリを書けないので、デタラメに作ると田中ブルックマンみたいなお名前だったが、それを思い出したよ



※ ダニエル・ロング「ごちゃまぜではないハイブリッド言語」『みんぱく』8月号(千里文化財団,2013.8)pp.7-12.
2013.08
19
CM:0
TB:0
12:00
Category : 有職故実
 7月号の『東亜』を今時に読んで見つけたのだが、エジプトから北朝鮮に渡された地対地弾道弾スカッドBは、中東戦争での援助への御礼だった様子。

 宮本悟解説、池内恵翻訳による「北朝鮮の弾道ミサイル開発の期限」※ がそれだ。エジプトの軍参謀総長であったサアドッディーン・シャーズリーさんの回顧録『十月戦争』、そのアラビア語原版から、関係部分を抜き出して翻訳したものである。そこには、北朝鮮からの防空部隊用パイロットと地下施設建設部隊での援助の話がでている。その援助により、北朝鮮にスカッドBが渡されたとするものである。

 当時、エジプトはパイロット不足であった。第4次中東戦争寸前に、エジプトは路線変換でソ連人を追放している。軍事顧問団がいなくなったため、Mig-21の30%でパイロット不足が発生した。その穴を埋めるために、サアドッディーン・シャーズリーさんは北朝鮮に行って、後方防空用に30名ほどパイロットを借りてきた。正確には、パイロット30名と邀撃管制8名、通訳5名、指揮官3名(3直の直長?)、医者とコック1名である。

 この北朝鮮顧問団は、中東戦争で実戦を体験している。2ないし3回邀撃に当たったとしている。もちろん、朝鮮語で交信しているのでバレバレであり、存在自体も当時から有名であったことはよく知られている。ちなみに、このパイロットの件については英語版『十月戦争』では相当に抄訳されているらしい。

 そして、地下施設建設部隊も北朝鮮から派遣されている。戦争になれば米軍の絶対的制空権が確立すると踏んだ北朝鮮は、重要施設を地下化していた。その技術をエジプトにも、といった話。「山の下に空港を隠す」とする内容があったが、今の中国の原潜ドックみたいなヤツだろう。このあたりは、英語版の『十月戦争』では載っていないという。

 エジプトは、これらの厚情に報いた。それがスカッドBの引き渡しである。あるいは、北朝鮮のみとの国交樹立と、韓国承認を遅らせたことにある。宮本・池内によると、国連事務総長をやったガリの回顧録に北朝鮮尊重の条があるという。韓国との国交樹立を進言するブトロス・ガリに対し、ムバラクは北朝鮮には恩があるからねと言った。このため95年までエジプトは韓国を承認することはなかったという。

 よりによって北朝鮮に援助を求めるのか、という話も、時代背景からすればそれほどのものでもない。70年代まで限って言えば、南北両方を並べてみても、政治的には北の独裁vs南の独裁で、やってることもどっちもどっち。経済的にも重工業があった北は、南よりも経済的に進歩している部分はあった。

 70年代前半までに限って言えば、北朝鮮はそれほどアレな国家でもない。もちろん、今の北朝鮮を養護するつもりはないが、日本人拉致や、オカしくなるのは70年代後半以降の話である。AA諸国、第三世界への援助では、北朝鮮がリードしていたのでエジプトも接近しやすかったのだろう。

 エジプトも恩義に報いること篤い国であるということか。エジプトは70年代末から親米路線に転じるが、それでも戦争から22年間韓国との国交を結ばなかった。また基本的には穏健な国民性ともいわれている。いまでこそ流血沙汰が起きているが、革命では穏やかな結果で済ませている。イラク革命は国王は惨殺されたが、エジプト革命では退位と亡命が認められ、見送りまで受けている。信用してもいい国であると思うよ。


※ 宮本悟解説、池内恵翻訳「北朝鮮の弾道ミサイル開発の期限」『東亜』7月号(霞山会,2013.7)pp.78
2013.08
18
CM:2
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 海自も人間魚雷対策をやっているのだが、基本的に目視でやるには厳しいのではないか。

 人間魚雷は強力な攻撃法である。停泊している艦船に、水中から接近し、リムペット・マイン(吸着式水雷)ほかを設置する攻撃法である。大戦中に英伊が多用した攻撃法であり、シンガポールで日本軍艦の高雄も攻撃され、大被害を受けている。リムペット・マインは泳者が持てる重さであるため、極端な大破孔は作れない。だが、弱点を正確に狙い、密着させられるため、侮れない威力を持つ。

 海外派遣が増えた海自にとって、人間魚雷は警戒しなければならない脅威である。人間魚雷は比較的単純な攻撃法である。まず、潜水具は民生用で構わない。リムペット・マインも専用品でなくても問題はない。極端な話、旧軍の破甲地雷の類はそのまま転用できる。民生品の工事用爆薬でも構わない。

 この点、海自も対策を講じているものの、どうやって発見するのかは、相当に手つかずである。見つけた泳者に放水したり、発見したリムペット・マインをSWAG(という自作器材)でオシャカにしたり、引き剥がしたりするお稽古をしている。しかし、どうやって探すのかは概ね手つかずになっている。噂では、米軍は警戒のため○○を持った潜水員を入れたりしているらしいが、それも長時間の警戒は難しい。

 そろそろ水上艦には、人間魚雷に備えた専用ソーナーといった警備器材が必要なのではないか。上から目視で見て見えるものでもない。潜水員にやらせるにしても人数が足りない。警備犬のように、海棲哺乳類にやらせるのも手間がかかる上に、準備に時間が掛かり過ぎる。

 現物はある。DDS、潜水員探知用ソーナー、Diver Detect Sonerといった機材がある。また、それにEO/IR探知を組み合わせた探知システムもある。実際に、ドイツの125フリゲートにはCerberus社製の可搬型システムが搭載されるという。器材によって差はあるが、パッシブで水中スクーターを1000-500m、開式スクーバを700-350m、閉式スクーバを500-250m程度で探知できる。300khzあたりの高周波のアクティブ・モードがあるので、目標についても画像として識別できる。

 海外派遣される艦艇用に、その手のシステムを導入してもいいのではないか。いつ撃つかわからないアスロックよりも役には立つ。実際に、ドイツの125フリゲートにはCerberus社製の可搬型システムが搭載されるというし、英海軍のサンダウン級掃討艇にもSentinel DDSが搭載されているという。※



※ "Intruder Alart""Navy international"(IHS,2013.6)pp.30

2013.08
17
CM:5
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 10式戦車を含む、陸上防衛で使う新装備については価値を見いだせない。昨日、金曜晩に○○○○をしている同期と飲んだのだが、奴の職場でたまに呼ぶ、ルトワックだのコステクカだのヒュー・ホワイトだのといったあたりから、そういった話になった。

 中国には今ある海空自戦力をかいくぐって日本本土に上陸できる能力はない。そして、今中国が挑んできているゲームは、日本本土上陸を目指したものではなく、海軍力で張り合うゲームである。そこに陸自や米海兵隊に出る幕はない。

 中国が海軍力で挑戦してくるなら、日本も海軍力増強で応じなければならない。その状況で、基本は本土防衛にしか使えない10式戦車ほかの価値はない。合理的に考えればそうなのだが、3幕にある政治力のバランスとして、ムダな整備しているといった内容。

 あとも、従前からの己の主張と似たような話になった。再優先は艦載ヘリではないかという話とか、東南アジア・南アジアも色いろあるねとか、無理やり配備したオスプレイが墜ちた時には取り返しの付かない問題が起きるだろうといった話、中国に空母のポトラッチを強要する話とか、今となってはアスロックって使い難くない話…といったもの。

 奴さんは水上艦系統、艦艇用兵なのだが、結局はヘリ搭載/運用能力を持たない「あぶくま」には艦齢延長する価値はない。水上艦に搭載する艦載ヘリの数よりも、水上艦にあるヘリ搭載能力の数のほうが大きいところには改善の余地がある。曰く「HSS-2Bでもいいから載せろ」といっていた。己にすれば、アレは大きすぎるし、整備も大変に過ぎる。だから、今の練習ヘリの改修のほうがいいんでないかと言ったけどね。

 各国の話は、障りがないようにぼかして書くが、多分に同じソースを読んでいるので、だいたい東南アジア・南アジア認識は同じ。「あの国は中国と真面目に対立する気がない」とか「あの国は、海軍力でも中国と腰据えて対立する気だけど、政治体制がアレだから日本は深入りできない」とか「あの国はヤヌスの神で米中どちらにもいい顔をする」みたいな話をしたよ。

 渋谷で5-6時間ほど飲んでいたが、他には同期や知った人物の噂話。江田島で帆走、陸戦一緒で、練習航海では部屋が一緒だった。その関わりで他愛もない話。「あの風俗大魔王がマイホームパパになった、日和った」(2人)とか「あれは糖尿病患っている」(1人)とか「もともとヤバかったアレの頭髪はついに消え失せた」(3人)といった、たわいもいう話。だが「顔面(のみ)ヤクザの、候補生学校の幹事付Aが白血病で亡くなった」という話には驚いたものだ。幹事付とは歳も近く、2クラスしか離れておらず、「いせ」の船務長になって直ぐになくなったという話には、いろいろ考えさせられたよ。
2013.08
16
CM:2
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 南スーダンPKOなんだが、サーチナ記事によると各国とあんま溶け込んでいないらしい。今関忠馬さんの「南スーダン平和活動の中国軍『自衛隊以外はみんな『友軍』』=中国」によると、各国と距離ととった上に、あんまし作業もしないとされている。

 日本PKO部隊は、外から写真撮影を禁止している様子である。普通は外から撮る分は自由で、見られたくないなら隠せばよい。だが、記事によると禁止しているという。日本国内でバレれば問題になるが、海外であれば分からないという頭なのだろう。

 また、作戦室、武器庫、情報センターへの立ち入りを禁止している様子も窺える。スーダンくんだりしてまで、例の立ち入り制限区域を作っているわけだ。地元民はともかく、一緒にPKOに行ってる軍隊に見せるくらいはいいと思うのだが、自衛隊はそこら辺で頭が固い。規則があるからと、役人根性で杓子運用した結果だ。

 自衛隊で、留学して来ているタイ王国海軍士官に、色々見せないようにしていたことを思い出したよ。候補生から練習艦隊まで、二人の少尉が来ていたが、規定を杓子定規に運用して、色々と制約を掛けていた。

 まず、連合国通信規定書を見せなかった。タイ海軍も持っている通信規定であるにもかかわらずだ。日本人は隠れて下宿に持ちだしたり、コピーしていたが、無くさない限りは見て見ぬ振りだった。いまでは米国大学のROTC課程ではネット公開している。しかし、タイ人には見せないことにしていた。

 イージス艦やミサイル艇も見せなかった。CICほかに入るための「適格性」という資格がないことを理由にしていたが、中に乗せてやるくらいはわけない話である。タイ人に見せられないなら、その時に一緒にいた日本人もそこを外したコースにすればいい。だが、海自はそれをしなかった。気の毒であり、タイ海軍の機嫌を損ねることを案じた艦長付Aが引率して、別の新鋭艦をハシゴ見学していたよ。

 PKO等での各国協同は、なかば親善の要素もある。悪い評判を貰う前に、その辺りは柔軟に見せるべきだったのではないのかな。PKOで見られて困るものもない。仮に微妙な通信関係機材があっても、その時に隠すなりすればよい。※※

 今からでもレセプションという名の宴会でもやって、中国、ケニア、インド、モンゴルに鱈腹食わせて、都合の悪いものを隠した中見せてやったほうがいいのではないかね。


※ 今関忠馬「南スーダン平和活動の中国軍『自衛隊以外はみんな『友軍』』=中国」『サーチナ』http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0815&f=politics_0815_004.shtml

※※ ノウハウもあるんだけどね。どっかにある空幕OPや統幕OPなんかは、己等が行く時には、見られてもいい、それっぽい別物を見せていたよ。まあ、己が立ち会ったシステムなんで、ダミーかと思ったけど、もちろん気づかないフリ。クソ忙しい海幕OP作業室は、机の上を新聞紙で覆って隠していた。その新聞にスポーツ紙が混じっていて、風俗紹介の助平な写真があったのはご愛嬌だった。陸幕作戦室(だったか、あの狭いとこ)は、完全にクリーンになっていたよ。スーダンでもそうすればいいのにね。
2013.08
15
CM:3
TB:0
09:54
Category : 有職故実
 今年も8月15日。終戦の日が来ました。例年通りにTBSラジオで、今年96歳になる秋山ちえ子の『かわいそうなしゃち』の朗読が始まりました。

 戦争中に起きた動物の出征。お国のために水族館から出征したシャチのおはなしは、昭和時代に小学校教育を受けた人ならみんな知っている内容です。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。

 敵の潜水艦を沈めるために調教されたにシャチ。秘匿名称はオルカ金物。生物爆雷として潜行中の潜水艦に体当たりするように条件付けをされたシャチ、ジョーイのお話です。

 体当たり用の爆雷を取り付けられたジョーイですが、戦局が悪化し外地での運用が不可能になります。御役御免で除隊したはずのジョーイは、江ノ島にある水族館に戻り、毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。

 ですが戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も飛び立っていました。そして内地でも、水中でも、体当たりで敵を沈めようとする体当たりの潜水艇が準備されていたのです。

 ジョーイは、特攻隊の人の潜水艦を襲ってしまうかもしれません。だから、軍隊からシャチを殺しなさいという命令が出てしまったのです。

 水族館では、ジョーイに毒薬を注射しようとしますが針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。大好きな魚に毒の入れて与えようとしても、知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。

 飼育員のおじさんたちは、命令違反を承知でジョーイを外海に逃がそうとしますが、水族館で育ったジョーイは外海で生きていけず帰ってきてしまうのです。

 それでもジョーイは褒めてもらいたくて芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。それを見ていたみんなは、銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。餓死させるしかないだろうと決めました。

 しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。流線型の体は脂肪が減って痩せ馬がでてしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、飼育員の長谷川さんを見つけると芸をみせようとするのです。

 ジョーイを子供のように思う飼育員の長谷川さんは辛くなって、辛くなって、ついに食料のサバやイワシを、ジョーイに分けてしまいました。限られた燃料を使って、汚穢船を転用した支援船で網を引いて手に入れた皆の食べ物です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせる長谷川さんに他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、配属された海軍の将校さんも何も言わずに、見守っていました。中には涙を流している人もいました。

 みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けば魚を食べるだろう。」

 でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島まで出てしまったら、水中特攻部隊の若い人を殺してしまうかもしれません」

 戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそば、相模湾の近くにある三浦半島でまで用意されいたのです。そして、毎日、敵の軍艦に体当りする訓練をしていたのです。

 そして、特攻隊の人の乗る、体当たりで敵を沈める潜水艇は、あまりにも小さすぎて、爆雷をつけていないジョーイであってもぶつかれば沈んでしまうかもしれないのというのです。

 飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の兵隊さんが、自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。特攻隊の兵隊さんたちは水族館の側に寄宿しており、上陸日にはジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。

 学徒出陣してきた分隊士さんの中には、学生時代に研究で水族館に通っていた人もいました。若い下士官を連れた将校さんは、彼らをジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。若い下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、ジョーイに貴重品になった特別配給の飴を食べさせようとしたりしているのも見ていました。

 そして、その兵隊さんたちの潜水艇は安全なものではなく、ちょっとした不具合で沈んだままになってしまう。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。

 長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない合成の理研酒をまわし飲むだけでした。

 それから3週間たった夏の暑い日、長崎に原爆が落ちた4日後、ジョーイはプールで沈み、窒息してしまいました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいたそうです。

 いまでもジョーイが死んだ8月15日には、鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
 『かわいそうなしゃち』でした。
 それではみなさん、ごきげんよう。



2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。

参考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(1987.7 早川書房)
秋山ちえ子 朗読「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ、2012.8)
2013.08
15
CM:1
TB:0
00:00
Category : 未分類
 靖国神社は「雨の九段坂」みたいに年老いたおっ母さんが息子に会いに来る場所でしょう。あそこに行けば、倅に会える。あるいは、一度も見たことのない父に会える。だから、日本人は靖国神社を大事な場所だと思っている。

 そこに、妙ちくりんな政治的主張で参拝するのはおかしな話ではないのかね。「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」とは、妙に抽象的な理由にみえるんだよねえ。わざわざそう言って、静謐にすべき場所でありながら、知っていて喧騒を起こすのはどんなものかね。

 戦死者を政治利用している風も見える。「戦争で死んだ人を忘れない」でいいはずが「祖国のために進んで命を捨てた人に感謝する」というのは、一種の政治利用ではないのかね。中の人からすれば、「人の名前を使うのは止めてくれ」だろうよ。だいたい、靖国社に入っている人は、徴兵ほかで引っ張られた人が多い。神様の数でみれば、人の嫌がる軍隊に引っ張られて神様になってしまった人が大多数になっている。

 さらに、神がかり右派のいう、正しい日本のあり方から外れて云々、英霊は何のために命を落としたのか云々みたいな言論もね。本人たちが何も喋れないのをいいことに、好き勝手言っているだけにしか見えない。

 今となっては、オリジンの招魂社部分と分離したほうがいいのではないのかね。靖国神社は、もともとは、維新の大業に準じた人を顕彰する神社、革命戦士の墓だった。その招魂社ならば、多分に、自らすすんで思想に命を擲った人を基準にしてもいいだろう。政治利用されても別意はないだろう。しかし、今の靖国神社では、中にいる神様の9割9分は明治維新以降の戦死者である。そして、その大多数は引っ張られた人たちである、その人達からすれば、政治利用は止めてくれだろう。明治維新での革命戦士は、250万柱の内8000柱程度しかない。残りの、ほとんどノンポリの250万の神様のために、政治活動をしていた8000の神様に引っ越してもらうのは悪い話ではないと思うよ。

 政治主張は、引っ越した先の招魂社なり、維新革命戦士の墓で好きなだけやってもらえばいい。靖国社は静かになる。「あそこに行けば、一度も見たことのない父に会える」といった、一番大事にしなければならない人たちのことを考えれば、そうしたほうがいいのではないのかね。
2013.08
14
CM:0
TB:0
12:00
Category : 有職故実
 日本は植民地や占領地に神社を作っている。有名なところでは、台湾神社がある。明治33年創建の官幣大社となっている。

 外地に作った神社については、内務省神祇院考証官だった鳥羽正雄さんの「神社局の思い出」※ によると、次のとおりである。
 明33年 台湾神社
 明43年 樺太神社
 大 8年 朝鮮神社
 昭11年 京城神社
 昭12年 大邱神社
 昭12年 平壤神社
 昭13年 関東神社(旅順)
 昭14年 扶余神宮
が挙げられている。また、占領地にも神社を作っており、鳥羽さんの記事を引くと
 昭14年 蒙疆神社
 昭14年 南京神社
 昭15年 北京神社
が示されている。

 他にも、香港神社もあったらしい。昭和17年の朝日新聞に「香港神社に大矛奉納」※ という題名の記事があった。これは、香港神社の地鎮祭に、伝平国矛を模した長サ5尺の矛を納めたというものである。

 いずれにせよ、日本人が日本精神の昂揚、敬神崇祖を唱えて創建した神社である。だが、そんなことをやれば、現地住民の反発もわかりそうなものだ。地元民から見れば、結局は土地支配の象徴にすぎないし、宗旨が異なる、しかも侵略者の宗教施設に跪拝することを強制されたのでは、反日感情が高めるだけの結果に終わっている。

 現地住民だけではなく、神様も反発したという話がある。飯沼一省さんの「戦時中の神社行政」※※※ では、天照大神が嫌だといった話が紹介されている。戦争中、台湾神社と朝鮮神社に天照大神を合祀して台湾神宮、朝鮮神宮にするという話があった。合祀のために勅使と御神体が現地に向かった。だが、台湾神宮は、その日に航空機墜落で焼失した。朝鮮に向かった飛行機は、対馬海峡を渡る寸前に悪天候に遭って、福岡で宿泊する羽目になったという。飯沼さんは「天照大神がいやだとおっしゃったのでしょう」と〆ているが、そのとおりだろう。その土地の住民が、信仰する宗旨をまげて押し付けるものでもないと諭したものだろう。



※   鳥羽正雄「神社局の思い出」『内務省外史』(地方財務協会,1977)pp.77-81.
※※  「香港神社に大矛奉納」『朝日新聞』(朝日新聞、1942.12.17)p.3
※※※ 飯沼一省「戦時中の神社行政」『続内務省外史』(地方財務協会,1987.11)pp.187-188.
2013.08
13
CM:0
TB:0
12:00
Category : 未分類
 ジュニア防災検定とやらがあるのだが。金とって防災力とやらを検定して金儲けにしか見えない。

 趣旨には文句はない。「子どもたちが日ごろから防災と減災に深い関心を持ち、意識を高め、自分で考え判断し行動できる「防災力」を身につける」(一般財団法人防災検定協会)とある。ここには文句はない。

 しかし、そこに金儲けの雰囲気は窺われる。団体受験をさせて、一人頭2000-3000円取ろうというアイデアが垣間見える。「いずれは国家資格となる」と誘った怪訝な防災士と同じで、一種の防災ビジネスではないのかね。

 まず、ジュニア防災検定とやらは、個人で受けるものではない。検定の流れを見れば、自分からやりたいものではない。取得したジュニア防災資格とやらも、役に立つようなものでもない。

 検定の流れをみても、七面倒臭い。強制の団体受検を強制されでもしなければ受けない。テスト前に「家族と話し合え、その結果を提出しろ」や「自分の学校や地域の災害について調べて提出しろ」とある。そんな面倒な試験を個人で受ける奴はいない。いても関係者の倅だけだ。

 取得資格となるジュニア防災検定とやらも、とってどうなるものでもない。最初から「ジュニア」と子供向けを標榜している。この点、受けさせられる子供にしても、何の役に立たないこと位は理解する。それを持っていると言う方が恥ずかしい。通信空手の段位並みに、持っていることを隠す資格である。当然、受検、就職の役には立たない。また、漢字検定のような自己満足もない。

 まずは団体受検だけを狙った検定商法である。対象は「本校は防災教育に力を入れています」と言いたい学校向けの商売だろう。試験内容を見ても、防災検定そのものには何の価値も見出せるものではない。学校としては成果品として取得実績が欲しいだけの話だ。

 試験内容を見ても、ホームセンターで防災用品のチラシと大差はない。収納は重心を低くというのは、小学校高学年位なら言われなくとも分かる話である。そしてまた、実用を考えると原則どおり収納できないことも分かる。試験の趣旨なら、棚の下に本をいれろ、上にタオルをおけと言いたいのだろう。だが、普段使いの本を下に入れて、普段使わないタオルを上に仕舞うこともない。そもそも、本とタオルとプラ容器と調味料を同じ棚に置く奴はいない。

 まず、この問題では試験に検定力はない。試験当日、その場で正解を導出できる程度の内容である。そんな試験には意味がない。事前にこれ読んどけとパンフを送れば終わりである。

 こんな検定を受ける必要、あるいは強制受検させる必要はあるのだろうか。

 試験の流れである事前提出や、事後提出は、検定で落とさないための工夫かもしれない。せっかく受検したのに落としたのでは、特に団体受検を強制させた学校ほかに評判が悪くなる。次から受けてくれなくなる。だから、事前・事後の提出物で救済した形をとるための仕組みだろう。

 沿革を見ると、座間市や日大佐野中学が参加しているとの由である。座間市の小中学生や佐野中学の生徒さんが気の毒でならないものであるよ。
2013.08
13
CM:0
TB:0
11:59
Category : 未分類
 映画化するアレのスピンオフにしか見えないのだがね。

 40年前の話なのでそれはない。発見した。正しくは「なんてったって18歳」の一話なんだがね。昭和47年の7月4日のテレビ・ラジオ欄で見っけた。TBSテレビの19時からやっている。

 ほかにも「巨泉のガッツボウル」もあるが、これは東京12チャンネルのボーリングもの。10ch、NETの「荒野の素浪人」は七人の侍が荒野の七人になって、そこから日本に戻ってきたのだろう。8ch「忍法かげろう斬り」の「ぎやまん地獄の美女」は、仕入れたギヤマンが売れないので体をうる話なのではないかと邪推。なんせ夜10時だからねえ。

 18時は子供向け時間帯。TBSが「帰ってきたウルトラマン」を、12チャンネルが「おそ松くん」をやっている。他局も、再放送だが子供向け。4chはタイガーマスクの再放送、8chはスペクトルマンの再放送、10chは「魔法のマコちゃん」の再放送。見事に食い合い。一番子供の多い48年生まれの影響受けた昭和55年よりも凄いもの。

 あとは、12chの「マンガのくに」が分からないねえ。昔からテレビ欄で気になるのだけどね。

1800-1815 おそ松くん
1815-1827 怪盗プライド
1827-1845 キッド・ボックス
1845-1900 マンガのくに


 くだらない話だと、映画『ブラックエース』の広告なんだが。
「またひとり・・・・・・殺しのベテランがソーセージにされて帰ってきた」って、読んで見る分にはギャグにしか見えないのだけどねえ。

 あれだよな、公儀隠密、幕府御庭番が始末されて、幕府に髑髏杯やら、大腿骨の笛やら、胆嚢から作った薬を送りつけるようなものかね。
2013.08
12
CM:2
TB:0
12:00
Category : ミリタリー
 先島諸島に自衛隊を置くのは悪いことではない。使い道も思いつかない陸兵を北海道に置いておくよりは、よほど役には立つ。だが。先島に沿岸監視部隊を作った分、北海道の部隊をキチンと減らすのだろうか。

 NHK NEWSWEBでは「防衛省は、南西諸島の防衛を強化するため、沖縄県与那国町に、およそ100人の陸上自衛隊員による「沿岸監視部隊」を平成27年度末までに配備する計画」であり「[防衛省によると]町長選挙で、計画を推進する現職が当選したことは計画の実現に向けた前向きな動き」としている。(「防衛省 自衛隊配備に理解得る努力を」http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130812/k10013707561000.html)

 それ自体は悪い話ではない。日本が中国としているゲームで、東シナ海にコマを貼ることは、日本にとって有利となる。

 だが、北海道にある同種部隊を廃止するという話を聞かない。同種の沿岸監視隊は、北海道に稚内と釧路に2つある。普通なら、どうでもいい北海道の監視隊を南西諸島に移動させるか、南西諸島で新編して、北海道を一つ廃止するのが、行政組織のスクラップ・アンド・ビルドの原則である。

 自衛隊はスクラップ・アンド・ビルトを嫌い、不要な部隊でも存置させようとする。指揮官ポストを増やしたいので、新設につながらない北海道にある監視隊を移動させる話はしない。ポストが減るのはもっと嫌がるので、廃止の話は口にもしない。

 しかし、稚内や釧路にこの手の部隊を置いても、すでに意味はない。冷戦終結以降、ロシア極東部は死に体である。経済的にも軍事的にもそうであって、千金を費やしてまで綿密に監視する対象でもない。

 南西諸島に監視隊を置くなら、役割を終えている稚内や釧路のどちらか、あるいは両方廃止すべきである。しかし、防衛省は絶対口にしないし、それを問題にする論者もいない。こうして、無駄な部隊が増えていくというわけだ。

 区々たる部隊の話はともかく、そのあたりを一気に絞るのが防衛大綱であり、装備の上限を示す別表になる。

 しかし今の政権だと、対外強硬策と、何も考えずに支持者へのリップ・サービスから、自衛隊の中にあるムダすら減らすことはできない。年末に新しい防衛大綱ができるというが、まずは甘々である。北海道の沿岸監視隊のような、無駄な部隊も残置されることになるわけだ。
2013.08
12
CM:2
TB:0
11:59
Category : コミケ
 昨日、有明まで来ていただいて、どうもありがとうございました。連荘、三連荘で3日目に行く方はお疲れさまです。

 アレほどクソ暑いのは、晴海以来なかったことです。20年くらいまえの、新館2階への行列並みの暑さでした。まあ、2-3年前の夏も、人が集まりすぎて暑くて、ぶつかる他人の汗でヌルヌルしたものですが、椅子に座っていても耐え難く茫とするのは晴海以来のことでした。

 なんにしても、コミケ前に時間を作れたので新刊4種は作りすぎましたね。本誌とUSMが集中して作れたのですが、リアンダーと神棚本はどっちかに集中すればよかったと思います。ただねえ、寸前は精神的にオカしくなっているので、そのあたりの判断ができないのがアレですけど。

 とりあえず、次は本土決戦用飛行場の本でも作ろうかと思います。とはいえ、半年も先の話なんかわかったものでもないのですけど。
 
2013.08
11
CM:0
TB:0
12:00
Category : 映画
 国立国会で『Kihachiフォービートのアルチザン : 岡本喜八全作品集』を眺めて気づいたこと。
 この本、喜八のそれぞれの映画について、当時の映画評がついている。まあ毀誉褒貶は当然あるのだけれども、産経の評が抜きん出て的外れに見える。

 その産経映画評について、当日の産経新聞(1965.9.16 夕刊4面)『スクリーン』欄を複写してきたよ。

 まず、話の取っ掛かりからしてアレ。

「主人公はバカな上官をぶんなぐって前線に追われた武勲の曹長である。彼は皮肉にも自分が戦線に追い出した十数名の少年軍楽兵と行動」(産経)
→ これは逆の話。保護したかった「少年兵を前線に出す」という話で小杉曹長(三船敏郎)は上官を殴打して、少年兵の後を追っている。

「よりによって転属先が銃殺される弟の部隊という偶然さも不自然」(産経)
→ これは理屈。そもそも映画の筋に、現実社会での不自然って言ってもしょうがない。また、映画の中では、この点でリアリティに不自然を感じることもない。無理に批判してもしょうがない。

「見習士官は部下の八路軍逃亡を何故か報告せず…本人の気持ちも不可解」(産経)
も、劇中で逃亡した部下を庇ったためと説明されている

「少年兵全員に女の味を教えた慰安婦に、曹長が自分の金鵄(きんし)勲章を与えるところなどふざけた皮肉味もある。」(産経)
→ このシーンを「皮肉」ととらえるのは難しいのではないか。だって、いつも一緒だった女に生前の形見分けをしている、ちょっといい話でしょう。多分、産経的には「金鵄勲章なんて重要なものを慰安婦に渡すのか、ありえん」という怒りなのではないかね。だけれども、小杉曹長というキャラクターからすれば、金鵄勲章を、慰安婦のお春さんに渡すしかない。
    
「部隊が決死隊に終戦をしらせず置き去りにするデタラメさ』(産経)
→ ヤキバ攻略隊とは通信途絶の状況だから仕方ないのではないかね。それに、佐久間大尉は「非合理的だけれども、俺が」って感じで伝えに行っている。まずは事実誤認でしょう。

 でね、一番気になったのが、産経の映画評のこの部分。

「喜劇、悲劇、風刺劇、冒険活劇、反戦劇…なんともつかない。背景とオープンセットに感心するだけ」(産経)
→ これだと、カテゴリーに合致した劇がいい劇だとでもいいたいと主張していることにならないのかねえ

 そもそも、最初に
「三船に俳優としての偉大さを発揮させるのは黒澤明(監督)以外にありえない」(産経)
という結論ありきだからね。黒澤と言っておけば映画評としては安パイみたいな、単に権威があるものに乗っかっているだけだろうという感じがプンプンするのですよ。

 ほかの映画評、朝日読売毎日やキネ旬なんかの評にも、『血と砂』への批判はあるよ。タイピシャルな「戦争賛美」とか「冒険劇のように」なんて評もある。でもキチンと批評点は示している。また、産経以外は映画としての『血と砂』が面白いことは肯定している。

 対して産経新聞の評は、自分たちの軍隊に対する思い入れ「尊敬すべき日本軍隊」と違うものに拒否反応を示しているだけにしか見えない。日本軍隊の名誉を守るために批判点を探しているようにしか見えないわけです。

 かねがね、甘い新聞とは思っていたけれども、50年前からそうだったわけだ。まあ、「自分の職場に好意的だから産経新聞をとろう」なんて職業人のお里も知れているけどね。
2013.08
10
CM:0
TB:0
12:00
Category : コミケ
頑張った結果、新刊が4種類ができました

2013sumer新刊出来

本 誌 中国海軍本
別 誌 リアンダー級とノックス級
パンフ 潜水艦発射対艦ミサイル本
パンフ 職場の神棚本

明日、11日(日曜日)Q-06b、隅田金属ぼるじひ社(於:有明国際展示場)です
よろしければ、どうぞ
2013.08
10
CM:0
TB:0
11:59
Category : 昭和の新聞
 ついどり漁って知ってる?

 中欧の四手網漁なんだがね。身長を超える高さをもつ袋状の網を河川におろして、魚が落ち着いたら引き揚げる。農村で貴重なタンパク質、鯉やフナを狙う大物漁である。男子が払底した戦時ドイツでは、たくましく働く女が代わって漁をしていた…

 そういう記事だと思ったんだけどね。昭和16年7月の朝日新聞「女のツイドりさま男」…何のことはない、「男まさり ドイツの女」って記事。写真で大きな漁網を整備している女の写真を見ていて、頭で勝手に「ついどり漁」を捏造してしまったよ。「女のついどり漁のサマが堂に入っている」みたいな記事だとカン違いした。

 高校の時の、リーダーの教科書で”Sandpiper”という題名があり、渚の挿絵があった。「アレだ、波打ち際の金物やらガラスやらが砂に研磨される、それを見てサンドペーパーを発明する話だろ」とカン違いしたことを思い出したよ。なんだか、愛別離苦の話みたいな、まあ文学的な作品で、どーも高尚に過ぎてお歯が合わなかった。「サンドペーパー作って大儲けウハウハ、でもWW1後の不況で倒産、呑んだくれの挙句に酒の密造を始めたら、禁酒法でふたたびウハウハ」みたいな話の方が好きなんだけどねえ。

 つーか、あの高校、生徒や教師のやる気に較べて教科書が難しすぎた。生徒からすれば、自称四年制高校、普通科3年卒業後、代々木か駿河台の高等科1年を経て大学に入るつもりだから、高校の授業はやる気はない。二年生あたりから、予備校の授業優先だったしねえ。教える方も「教科書書くのに忙しい、メンドイから半年自習、分からなければ聞きに来い」だった。

 己のリーダーでの勘違いと言えば、「種まく人」と「鋸びく人」を間違えたことがあった。話の文意が通ってしまい矛盾しないので全く気づかなかった。先生も最初はSOWとSAWを混同して、「ここだけどっちともわからんよなあ」といっていたが、帰国子女(県立のくせに男子校だから男)が、SAWだから違うと言って一件落着だった。





コミケ作業中(11日 日曜日 Q-06b)なので、昔のMIXI日記から転載、まあ、平凡社選書クラシックスみたいな感じか。