Category : 有職故実
沖縄で戦死した島田叡知事のドラマをやるという。TBSの「土曜ワイド ラジオ東京」で特に周知していたが、いいドラマとなるのだろう。宣伝を見ると、外見は本人写真よりも美化しているように見えるhttp://www.tbs.co.jp/ikiro2013/が、そういうものであることは仕方もないものだ。
島田知事は沖縄戦を前に死ぬために送り込まれた戦前最後の地方長官で、前任者の下で低下した民意を暢達した。返還前の沖縄でも尊敬された人物である。戦後、沖縄が日本軍部には厳しい感情を持ったものの、日本政府への極端な反発に至らなかったことには、島田知事の業績が大きく影響しているだろう。
内務省、元兵庫県知事の金井元彦は、『大霞』で島田知事について次のように顕彰している。
内務省は、沖縄戦の準備として、疎開等できるだけのことをしようとしていた。エースとして島田知事を送り込んだこともそうだが、疎開でも相当に熱心であった。疎開は、防空法に基づく民防空の一部として、内務省防空総本部が管掌していた。沖縄県民42万のうち、招集する壮丁5万を除き、残り37万を沖縄から九州、台湾に疎開させる計画であった。輸送は沖縄への軍需輸送の戻り船を利用する予定であった。
疎開そのものは、成功したとは言いがたい。記録は失われたが、推計で10万人、九州に8万、台湾に2万にとどまったと言われている。これは、「敵侵攻正面は台湾であり沖縄ではない」というデマや、老人の「死ぬなら先祖の地で死にたい」といった言説、対馬丸被雷沈没の噂によるものといわれている。また、島田知事の前任知事が、内務省方針に対して消極的であったためとも言われている。
だが、戦後の沖縄で日本政府への信頼が極端に失墜しなかった原因としては、内務省ほかの施策と、それを実行した島田知事の采配は大きく影響している。
また、戦後の日本も沖縄には可能な限り篤くしていた。沖縄を「本土決戦の時間稼ぎ」として、捨石として使ったことへの申し訳なさ、そして「やる」といった本土決戦をやらなかったやましさがあった。返還前からの援助については池宮城秀正さんの「琉球列島における復帰運動の高揚と 日本政府援助」に詳しい。
しかし、時代は降って沖縄を見捨てたことを知らず、申し訳なさや、やましさをを感じなくなった世代が増えた。歴史的経緯から行われていた沖縄援助に異を唱えたり、安全保障上の面倒を全部押し付けていることを当然と言い出す元気な人が増えた。
それでは、沖縄独立論が強くなるのも仕方もない。今は政治的に無視してもいい水準である。だが、差別的な取り扱いから、沖縄人のナショナリズムは刺激されている。諸外国での独立運動の初期段階に近い。歴史を知らない元気な人は、基地収益がないと経済でやっていけない、米軍基地がなければ中国に飲み込まれるような言説で独立論を馬鹿にしている。だが、経済的不利益があっても独立する国は独立する。実感できない中国の脅威よりも、体感レベルにある米軍基地問題や日本政府の基地押し付けに強く反発するには人の情である。
沖縄には、再びケアをすべき時期ではないのか。とりあえず、オスプレイを一時でも下げさせ、海兵隊に国外に引越すように調整すれば、しばらくは凌げる。とりあえずの弥縫策でもしなければ、沖縄人のナショナリズムが高揚し、日沖関係がおかしくなる。そうなると今以上に面倒になる。利益不利益での下世話な話にしても、沖縄においた自衛隊や米海空軍基地の維持運用に差し支える。そうなると、中国とのゲームでも困るだろう。
島田知事の顕彰は今以上にすべきではないのか。沖縄に対して日本政府がケアをしていたことを強調し、内地に対しては沖縄に負った歴史的負債を認識する。その意味で、ドラマを放映するのは、結構な話である。元気の良い人は、大田司令官を顕彰するが、後世格別のは無視する傾向にある。しかし、戦争で頑張った人は兵隊だけではない。沖縄戦で頑張ったのは、大田さんも牛島さんにも同じだが、最高の業績を挙げたのは兵隊ではなく、地方長官としての島田知事にあることを示すべきである。
島田知事は沖縄戦を前に死ぬために送り込まれた戦前最後の地方長官で、前任者の下で低下した民意を暢達した。返還前の沖縄でも尊敬された人物である。戦後、沖縄が日本軍部には厳しい感情を持ったものの、日本政府への極端な反発に至らなかったことには、島田知事の業績が大きく影響しているだろう。
内務省、元兵庫県知事の金井元彦は、『大霞』で島田知事について次のように顕彰している。
沖縄に赴任してからの活躍ぶりについては、いまここで詳しく書くまでもないだろう。爆撃によって分散していた役所を1ヵ所に集めて、まず非常体制を確立し、逆に老幼婦女子の疎開を積極的に進めた。底をついていた食料確保のため、赴任早々みずから命がけで台湾に飛び、約一ヵ月がかりでこの話をまとめた。また、在庫の酒、タバコを全て分配して娯楽を解放、陽気な村祭りもすすめた等々、当時の沖縄の極度に緊張した情勢を想像するだけでも、これらの行政措置の一つ一つが容易でなかったことが分かる。
『続 内務省外史』(地方財政協会,1987.11)pp.505-506.
内務省は、沖縄戦の準備として、疎開等できるだけのことをしようとしていた。エースとして島田知事を送り込んだこともそうだが、疎開でも相当に熱心であった。疎開は、防空法に基づく民防空の一部として、内務省防空総本部が管掌していた。沖縄県民42万のうち、招集する壮丁5万を除き、残り37万を沖縄から九州、台湾に疎開させる計画であった。輸送は沖縄への軍需輸送の戻り船を利用する予定であった。
疎開そのものは、成功したとは言いがたい。記録は失われたが、推計で10万人、九州に8万、台湾に2万にとどまったと言われている。これは、「敵侵攻正面は台湾であり沖縄ではない」というデマや、老人の「死ぬなら先祖の地で死にたい」といった言説、対馬丸被雷沈没の噂によるものといわれている。また、島田知事の前任知事が、内務省方針に対して消極的であったためとも言われている。
だが、戦後の沖縄で日本政府への信頼が極端に失墜しなかった原因としては、内務省ほかの施策と、それを実行した島田知事の采配は大きく影響している。
また、戦後の日本も沖縄には可能な限り篤くしていた。沖縄を「本土決戦の時間稼ぎ」として、捨石として使ったことへの申し訳なさ、そして「やる」といった本土決戦をやらなかったやましさがあった。返還前からの援助については池宮城秀正さんの「琉球列島における復帰運動の高揚と 日本政府援助」に詳しい。
しかし、時代は降って沖縄を見捨てたことを知らず、申し訳なさや、やましさをを感じなくなった世代が増えた。歴史的経緯から行われていた沖縄援助に異を唱えたり、安全保障上の面倒を全部押し付けていることを当然と言い出す元気な人が増えた。
それでは、沖縄独立論が強くなるのも仕方もない。今は政治的に無視してもいい水準である。だが、差別的な取り扱いから、沖縄人のナショナリズムは刺激されている。諸外国での独立運動の初期段階に近い。歴史を知らない元気な人は、基地収益がないと経済でやっていけない、米軍基地がなければ中国に飲み込まれるような言説で独立論を馬鹿にしている。だが、経済的不利益があっても独立する国は独立する。実感できない中国の脅威よりも、体感レベルにある米軍基地問題や日本政府の基地押し付けに強く反発するには人の情である。
沖縄には、再びケアをすべき時期ではないのか。とりあえず、オスプレイを一時でも下げさせ、海兵隊に国外に引越すように調整すれば、しばらくは凌げる。とりあえずの弥縫策でもしなければ、沖縄人のナショナリズムが高揚し、日沖関係がおかしくなる。そうなると今以上に面倒になる。利益不利益での下世話な話にしても、沖縄においた自衛隊や米海空軍基地の維持運用に差し支える。そうなると、中国とのゲームでも困るだろう。
島田知事の顕彰は今以上にすべきではないのか。沖縄に対して日本政府がケアをしていたことを強調し、内地に対しては沖縄に負った歴史的負債を認識する。その意味で、ドラマを放映するのは、結構な話である。元気の良い人は、大田司令官を顕彰するが、後世格別のは無視する傾向にある。しかし、戦争で頑張った人は兵隊だけではない。沖縄戦で頑張ったのは、大田さんも牛島さんにも同じだが、最高の業績を挙げたのは兵隊ではなく、地方長官としての島田知事にあることを示すべきである。