Category : 有職故実
今年も8月15日。終戦の日が来ました。例年通りにTBSラジオで、今年96歳になる秋山ちえ子の『かわいそうなしゃち』の朗読が始まりました。
戦争中に起きた動物の出征。お国のために水族館から出征したシャチのおはなしは、昭和時代に小学校教育を受けた人ならみんな知っている内容です。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。
敵の潜水艦を沈めるために調教されたにシャチ。秘匿名称はオルカ金物。生物爆雷として潜行中の潜水艦に体当たりするように条件付けをされたシャチ、ジョーイのお話です。
体当たり用の爆雷を取り付けられたジョーイですが、戦局が悪化し外地での運用が不可能になります。御役御免で除隊したはずのジョーイは、江ノ島にある水族館に戻り、毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。
ですが戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も飛び立っていました。そして内地でも、水中でも、体当たりで敵を沈めようとする体当たりの潜水艇が準備されていたのです。
ジョーイは、特攻隊の人の潜水艦を襲ってしまうかもしれません。だから、軍隊からシャチを殺しなさいという命令が出てしまったのです。
水族館では、ジョーイに毒薬を注射しようとしますが針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。大好きな魚に毒の入れて与えようとしても、知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。
飼育員のおじさんたちは、命令違反を承知でジョーイを外海に逃がそうとしますが、水族館で育ったジョーイは外海で生きていけず帰ってきてしまうのです。
それでもジョーイは褒めてもらいたくて芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。それを見ていたみんなは、銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。餓死させるしかないだろうと決めました。
しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。流線型の体は脂肪が減って痩せ馬がでてしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、飼育員の長谷川さんを見つけると芸をみせようとするのです。
ジョーイを子供のように思う飼育員の長谷川さんは辛くなって、辛くなって、ついに食料のサバやイワシを、ジョーイに分けてしまいました。限られた燃料を使って、汚穢船を転用した支援船で網を引いて手に入れた皆の食べ物です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせる長谷川さんに他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、配属された海軍の将校さんも何も言わずに、見守っていました。中には涙を流している人もいました。
みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けば魚を食べるだろう。」
でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島まで出てしまったら、水中特攻部隊の若い人を殺してしまうかもしれません」
戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそば、相模湾の近くにある三浦半島でまで用意されいたのです。そして、毎日、敵の軍艦に体当りする訓練をしていたのです。
そして、特攻隊の人の乗る、体当たりで敵を沈める潜水艇は、あまりにも小さすぎて、爆雷をつけていないジョーイであってもぶつかれば沈んでしまうかもしれないのというのです。
飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の兵隊さんが、自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。特攻隊の兵隊さんたちは水族館の側に寄宿しており、上陸日にはジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。
学徒出陣してきた分隊士さんの中には、学生時代に研究で水族館に通っていた人もいました。若い下士官を連れた将校さんは、彼らをジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。若い下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、ジョーイに貴重品になった特別配給の飴を食べさせようとしたりしているのも見ていました。
そして、その兵隊さんたちの潜水艇は安全なものではなく、ちょっとした不具合で沈んだままになってしまう。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。
長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない合成の理研酒をまわし飲むだけでした。
それから3週間たった夏の暑い日、長崎に原爆が落ちた4日後、ジョーイはプールで沈み、窒息してしまいました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいたそうです。
いまでもジョーイが死んだ8月15日には、鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
『かわいそうなしゃち』でした。
それではみなさん、ごきげんよう。
2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。
参考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(1987.7 早川書房)
秋山ちえ子 朗読「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ、2012.8)
戦争中に起きた動物の出征。お国のために水族館から出征したシャチのおはなしは、昭和時代に小学校教育を受けた人ならみんな知っている内容です。毎年、あの暑い夏の一日の記念日に、秋山ちえ子は戦争を語り継ぐため、相模湾、江ノ島での悲劇を朗読をします。
敵の潜水艦を沈めるために調教されたにシャチ。秘匿名称はオルカ金物。生物爆雷として潜行中の潜水艦に体当たりするように条件付けをされたシャチ、ジョーイのお話です。
体当たり用の爆雷を取り付けられたジョーイですが、戦局が悪化し外地での運用が不可能になります。御役御免で除隊したはずのジョーイは、江ノ島にある水族館に戻り、毎日近くの海で遊んでは帰ってくるといったように、ノンビリ過ごしていました。
ですが戦争は内地まで近づいてしまいました。すでに特攻隊は何遍も飛び立っていました。そして内地でも、水中でも、体当たりで敵を沈めようとする体当たりの潜水艇が準備されていたのです。
ジョーイは、特攻隊の人の潜水艦を襲ってしまうかもしれません。だから、軍隊からシャチを殺しなさいという命令が出てしまったのです。
水族館では、ジョーイに毒薬を注射しようとしますが針は海獣の厚い皮を通さずポキリと折れてしまいます。大好きな魚に毒の入れて与えようとしても、知能の高いジョーイはそれを見抜いてしまいます。
飼育員のおじさんたちは、命令違反を承知でジョーイを外海に逃がそうとしますが、水族館で育ったジョーイは外海で生きていけず帰ってきてしまうのです。
それでもジョーイは褒めてもらいたくて芸をします。飛び上がって回転したり、上半身を水上に突き出してみたり、逆立ちをして尻尾を立ててみたり。飼育員さんを鼻先に乗せようとしたりして、ほめてもらおうとするのです。それを見ていたみんなは、銃殺や干上げて殺すことはとてもできない。餓死させるしかないだろうと決めました。
しかし、そんなことを知るジョーイではありません。よい芸を見せれば今まで育ててくれた人間が餌をくれるものと信じています。芸をすれば体力が奪われてしまうというのに。そして、ジョーイはどんどん弱っていってしまいました。流線型の体は脂肪が減って痩せ馬がでてしまいました。ほとんど衰弱して、ただ浮かぶだけになってしまいますが、飼育員の長谷川さんを見つけると芸をみせようとするのです。
ジョーイを子供のように思う飼育員の長谷川さんは辛くなって、辛くなって、ついに食料のサバやイワシを、ジョーイに分けてしまいました。限られた燃料を使って、汚穢船を転用した支援船で網を引いて手に入れた皆の食べ物です。「ジョーイ、腹が減ったろう、おいしいか、おいしいか」と食べさせる長谷川さんに他の飼育員のおじさんたちは何もいえませんでした。所長も、大学の人も、配属された海軍の将校さんも何も言わずに、見守っていました。中には涙を流している人もいました。
みんなその晩に話し合いをしました。「ジョーイを殺すことなんかできない」「心を鬼にしてプールからジョーイを追い出そう。銛でついてもいい、音でいじめてもいい、普通のシャチとは違う体になってしまったけれども、外に出れば、お腹が空けば魚を食べるだろう。」
でも、海軍の人は申し訳なさそうに口を開きました。「ジョーイが三浦半島まで出てしまったら、水中特攻部隊の若い人を殺してしまうかもしれません」
戦争は過酷でした。特攻隊は東京のすぐそば、相模湾の近くにある三浦半島でまで用意されいたのです。そして、毎日、敵の軍艦に体当りする訓練をしていたのです。
そして、特攻隊の人の乗る、体当たりで敵を沈める潜水艇は、あまりにも小さすぎて、爆雷をつけていないジョーイであってもぶつかれば沈んでしまうかもしれないのというのです。
飼育員のみんなも黙ってしまいました。実は戦争がどうなっているか、軍隊の方針がどうであるのかということは誰の頭にもありませんでした。でも、みんなは特攻隊の兵隊さんが、自分の子供のような年齢の兵隊さんの身の上を思うとなんともいえませんでした。特攻隊の兵隊さんたちは水族館の側に寄宿しており、上陸日にはジョーイの芸を楽しみに見に来ていたくらいですからなおさらです。
学徒出陣してきた分隊士さんの中には、学生時代に研究で水族館に通っていた人もいました。若い下士官を連れた将校さんは、彼らをジョーイの鼻先に乗せてやれるように懇願しました。若い下士官も軍服を着ながらジョーイの鼻や背に乗って無邪気に喜んで、ジョーイに貴重品になった特別配給の飴を食べさせようとしたりしているのも見ていました。
そして、その兵隊さんたちの潜水艇は安全なものではなく、ちょっとした不具合で沈んだままになってしまう。そのまま殉職してしまうことも知っていました。みんなは、もう若い人が、訓練で死ぬのはやりきれないです。
長谷川さんが口を開きました。「もう、ジョーイには何の餌もやらない」みんなは、下をうつむいて何も離しませんでした。ただただ、長谷川さんを囲んで味のしない合成の理研酒をまわし飲むだけでした。
それから3週間たった夏の暑い日、長崎に原爆が落ちた4日後、ジョーイはプールで沈み、窒息してしまいました。せめて綺麗な体で埋めてあげようと、一端引き上げて爆雷取付具や安全尖外しを取り除き、ガスが堪って膨れたお腹を開いたとき、本当は風呂桶のように大きなジョーイの胃袋は湯たんぽの大きさまでしぼんでいたそうです。
いまでもジョーイが死んだ8月15日には、鎌倉建長寺で慰霊祭が行われるそうです。
『かわいそうなしゃち』でした。
それではみなさん、ごきげんよう。
2009年夏『瀛報』(ようほう)29号のまえがきから、一部修正。
参考
谷甲州「ジョーイ・オルカ」『星の墓標』(1987.7 早川書房)
秋山ちえ子 朗読「かわいそうなぞう」『大沢悠里のゆうゆうワイド』(TBSラジオ、2012.8)
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Category : 未分類
靖国神社は「雨の九段坂」みたいに年老いたおっ母さんが息子に会いに来る場所でしょう。あそこに行けば、倅に会える。あるいは、一度も見たことのない父に会える。だから、日本人は靖国神社を大事な場所だと思っている。
そこに、妙ちくりんな政治的主張で参拝するのはおかしな話ではないのかね。「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」とは、妙に抽象的な理由にみえるんだよねえ。わざわざそう言って、静謐にすべき場所でありながら、知っていて喧騒を起こすのはどんなものかね。
戦死者を政治利用している風も見える。「戦争で死んだ人を忘れない」でいいはずが「祖国のために進んで命を捨てた人に感謝する」というのは、一種の政治利用ではないのかね。中の人からすれば、「人の名前を使うのは止めてくれ」だろうよ。だいたい、靖国社に入っている人は、徴兵ほかで引っ張られた人が多い。神様の数でみれば、人の嫌がる軍隊に引っ張られて神様になってしまった人が大多数になっている。
さらに、神がかり右派のいう、正しい日本のあり方から外れて云々、英霊は何のために命を落としたのか云々みたいな言論もね。本人たちが何も喋れないのをいいことに、好き勝手言っているだけにしか見えない。
今となっては、オリジンの招魂社部分と分離したほうがいいのではないのかね。靖国神社は、もともとは、維新の大業に準じた人を顕彰する神社、革命戦士の墓だった。その招魂社ならば、多分に、自らすすんで思想に命を擲った人を基準にしてもいいだろう。政治利用されても別意はないだろう。しかし、今の靖国神社では、中にいる神様の9割9分は明治維新以降の戦死者である。そして、その大多数は引っ張られた人たちである、その人達からすれば、政治利用は止めてくれだろう。明治維新での革命戦士は、250万柱の内8000柱程度しかない。残りの、ほとんどノンポリの250万の神様のために、政治活動をしていた8000の神様に引っ越してもらうのは悪い話ではないと思うよ。
政治主張は、引っ越した先の招魂社なり、維新革命戦士の墓で好きなだけやってもらえばいい。靖国社は静かになる。「あそこに行けば、一度も見たことのない父に会える」といった、一番大事にしなければならない人たちのことを考えれば、そうしたほうがいいのではないのかね。
そこに、妙ちくりんな政治的主張で参拝するのはおかしな話ではないのかね。「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前」とは、妙に抽象的な理由にみえるんだよねえ。わざわざそう言って、静謐にすべき場所でありながら、知っていて喧騒を起こすのはどんなものかね。
戦死者を政治利用している風も見える。「戦争で死んだ人を忘れない」でいいはずが「祖国のために進んで命を捨てた人に感謝する」というのは、一種の政治利用ではないのかね。中の人からすれば、「人の名前を使うのは止めてくれ」だろうよ。だいたい、靖国社に入っている人は、徴兵ほかで引っ張られた人が多い。神様の数でみれば、人の嫌がる軍隊に引っ張られて神様になってしまった人が大多数になっている。
さらに、神がかり右派のいう、正しい日本のあり方から外れて云々、英霊は何のために命を落としたのか云々みたいな言論もね。本人たちが何も喋れないのをいいことに、好き勝手言っているだけにしか見えない。
今となっては、オリジンの招魂社部分と分離したほうがいいのではないのかね。靖国神社は、もともとは、維新の大業に準じた人を顕彰する神社、革命戦士の墓だった。その招魂社ならば、多分に、自らすすんで思想に命を擲った人を基準にしてもいいだろう。政治利用されても別意はないだろう。しかし、今の靖国神社では、中にいる神様の9割9分は明治維新以降の戦死者である。そして、その大多数は引っ張られた人たちである、その人達からすれば、政治利用は止めてくれだろう。明治維新での革命戦士は、250万柱の内8000柱程度しかない。残りの、ほとんどノンポリの250万の神様のために、政治活動をしていた8000の神様に引っ越してもらうのは悪い話ではないと思うよ。
政治主張は、引っ越した先の招魂社なり、維新革命戦士の墓で好きなだけやってもらえばいい。靖国社は静かになる。「あそこに行けば、一度も見たことのない父に会える」といった、一番大事にしなければならない人たちのことを考えれば、そうしたほうがいいのではないのかね。