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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2013.08
27
CM:1
TB:0
19:13
Category : 未分類
 産経が利用者に「土曜授業は必要か」と尋ねて意味があるのだろうか? 産経の読者利用者は、昔の教育に戻れという頭を持っている。そこで土曜授業が必要であるかアンケートを取っても意味はない。

 バイブルベルトの教会で、進化論に賛成か反対かを尋ねるようなものである。そこで進化論は正しくない、教えるべきではないという結果を得ても何の意味もない。

 産経ニュースにあった記事は、そのように無意味なものだ。「テーマ『学校週6日制』 賛成76%、教員増も必要65%」という記事があるが、賛成多数を誇ってもまったく意味はない。競馬競輪競艇オートの会場でアンケートを取って、公営ギャンブル維持に賛成76%、配当増加も必要65%と何が変わるのだろうか。

 そもそも、土曜に授業をやってどうなるというのか。土曜授業の中身は国語数学英語理科社会ではない。土曜にやるのは体験学習や総合的な学習、補助的な学習に留まるという。、やる意味があるかどうか怪しい。

 平日授業にある相当な無駄時間を省かずに、コマ数だけを増やしても意味はない。行事やその予行演習、何の意味があるかわからない道徳の時間、ほかにも音楽や体育では無駄に時間を費やしている。運動会はともかく、その予行練習や、そこでやるための組体操ダンスの練習に何の意味があるのか。その

 平日に無駄遣いしている時間を省略し、国語以下の授業をやれば、土曜授業はなくとも済んでしまう話にすぎない。なぜそういう無駄なことをしたがるのかが怪訝である。

 
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2013.08
27
CM:2
TB:0
12:00
Category : 有職故実
 昭和20年夏、農村も荒廃しており、日本農業は崩壊の寸前であった。食料事情が極端に悪化しており、農村でも飯米不足が重大問題となっている。

 中でも、象徴的な事件は秋田県雄勝郡山田村(現湯沢町)で発生した。内務省にとって重篤な事例であり、衝撃を受けたものであった。米が足りなくなった農家が、向かいの家から米を少量盗み、放火する事件が発生したのである。

 内務省警保局保安課が接受した特高秘発第六七八号文書がある。昭和20年9月20日、秋田県知事久安博忠から、内務大臣山崎厳に宛てられた「飯米窮乏ヲ繞[めぐ]ル放火事件発生検挙二関スル件」と題されている。

 文書によると、事件は昭和20年8月15日夜に発生している。若妻と子供しかいない応召軍人の小作農家に入り込み、米3俵を盗み、その証拠隠滅のために放火したとある。

 内務省にとって深刻なのは、農村社会が崩壊する兆しがあったことである。ついに米農家が米にこまり、女子供しかいない向かいの家に盗みに入った。これは飢餓が都市部だけではなく農村に及び、それにより近所づきあいが瓦解する予兆である。

 この時期、農村も、ついに飯米不足に陥っている。

 まず、米が取れない。徴兵による労働力不足や、生産や輸送混乱による肥料不足があった。当時、窒素原料は火薬製造に回され、肥料製造は圧迫し、その肥料も決戦用に多数造成された飛行場での芝土育成に優先されていた。農村に配布する分も、船舶輸送や鉄道網の混乱麻痺や、トラックによる小口輸送能力不足により、上手く行っていない。

 収穫した米も、強制供出制度により、僅かな自留分しか残らない。被疑者は田地2町2反、畑地3反を持つ中農であったが、19年米穀年度で生産56石から48石を割当られ、調整して37石6斗を供出されている。残りは18石4斗あるが、現金化や困っている他農家への配給もあったため、最終的に手許に残ったのは7石2斗に過ぎない。

 当時は大家族であり、また2町持ちともなると、農繁期には多く食べないと体が持たない。そのため、1日5升を消費していたところ、ついに8月15日には2斗だけしかなくなったのである。

 このため、中農が、小作に盗みに入るという事態が発生した。しかも、盗まれた小作農家は、旦那を海兵団に取られ、若妻が田畑と家と守り、子供三人をどうにか食わせている、生存の限界にある家である。盗みに入るにしても逡巡する家だ。そこに入るということは、人情も枯れたということである。

 農村が疲弊状態にあり、その崩壊が近いことを予感させる事件である。このため、通常の道府県警察局長から内務省警保局長への経路ではなく、特に秋田県知事(当時は内務省隷下)は内務大臣に報告することとしたようにみえる。

 昭和20年は食糧不足で本土決戦は行えなかった。具体的に終戦を巡る会議では、農林省は食糧問題で戦争遂行の不可を述べている。

 しかも米穀20年度は、労働力と肥料不足の極もあり、戦時下最悪の大不作である。おそらく、20年秋、終戦なしに九州と関東で本土決戦を行おうとしても、食糧問題とそれによる地方情勢不安により決戦は困難である。それどころか、米国が上陸戦をしてくれないと日本政府は国内治安維持に困窮する。昭和21年春には食料が尽きる。その場合には、戦争どころではない政治的混乱が発生しただろう。