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浜口和久さんが、パラオは日本を慕っていると主張している。だが、それはお世辞を真に受けたものではないのか。
浜口さんは「パラオに生きる日本の心(勇気)」※で、パラオには親日感情がある、最も親しい国は日本であると述べている。
これらは日本人向けのリップサービスを真に受けたものだ。パラオ人は、日本人が来れば日本人を褒める。アメリカ人が来ればアメリカ人を褒める。無論、日本人を褒めるときにはアメリカ人を悪者にし、アメリカ人を褒めるときには日本人を悪者にする。
話者の国籍に合わせ、パラオ人がリップサービスをしている件は、三田収さんが指摘している。三田さんの「想起された植民地政策」は、パラオ人と日本支配に対する意識について、調査報告である。その中で三田さんはリサーチャーの国籍と聞き取り調査の結果について言及している。日本人による聞き取り調査では日本人の歓心を買うように話を合わせ、日本支配を賞賛し後の米国支配を悪く言う。米国人による調査では、米国支配を賞賛し以前の日本支配を差別的で暴力的であったと言う。要はそういうことである。
もちろん、これはパラオ人に限った話ではない。日本支配がそれなりに成功した地域は、みな同じである。植民地支配に失敗しなかった台湾、南洋庁、樺太庁も、占領地経営でそれなりに成功したインドネシアも同じである。日本人が来れば日本人を褒め、それ以前の支配者や以降の支配者を悪しざまに言う。
目の前の人に合わせて、持ち上げて話すのは、日本人もそうだし、米国人も中国人も英国人もそうである。また、その人を持ち上げるため、別の人を多少は悪しざまにいうのも、何人でも変わらない。それは人付き合いの如才といったもので、避難するような話ではない。
しかし、それを本気に取ってしまうのは、問題がある。浜口さんは、パラオ人が日本人に向けた言説を真に受けて、親日であるとしている。パラオには「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」とか「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」と述べている。だが、それらは日本人向けのリップサービスに過ぎない。
「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」のは、パラオが未発達であったことによるもので、日本への思慕ではない。近代化や国民国家化に必要な技術語や、抽象概念を表す言葉が未発達であったこと、文明文化の移入元が日本であっただけのことだ。
「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」も、本当かどうか怪しい話である。発端は、むしろ日本側民族結社による要望であるようにしか見えない。そのあたりのドロドロはググれば直ぐに出てくる話である。
パラオ人は、日本人を嫌っていないし、仲良くやるつもりがある程度の話にすぎない。その程度の相手を、度を越して親日であると見ると、いずれ何かで対立した時、今度は過度に幻滅するだろう。
どこぞの宰相が「メキシコは親日的」と述べた時にも書いたのだが。いずれにせよ思い込み、片思いの類である。思い込み、片想いが「裏切られた」ときには、こんどは憎悪する。その時には親日的といっていたことはキレイに忘れて、反日的だからと言い出すことになるだろう。
※ 浜口和久「パラオに生きる日本の心(勇気)」『Net IB news』(データ・マックス、2013.8.27)http://www.data-max.co.jp/2013/08/27/post_16455_hmg_01.html
※※ 三田収「想起された植民地政策」『国立民族学博物館研究報告』2008-33-1(国立民族学博物館,2008)pp.81-133.
浜口さんは「パラオに生きる日本の心(勇気)」※で、パラオには親日感情がある、最も親しい国は日本であると述べている。
[パラオは]実に約400年間に渡り、外国の統治下に置かれていたのである。ところが、その400年間のうち、日本統治時代が一番良かったと、現地の人たちは回顧している。
[パラオが親日であることは]日本が実施した日本流の教育成果と、在留邦人が現地の人たちとよい関係を構築したからだとも言われている
[パラオの親日は]ぺリリュー島を守るために、群がり来るアメリカ軍を相手に玉砕するまで戦った日本軍の勇猛果敢な戦闘ぶりへの敬愛の念からだと言われている。
これらは日本人向けのリップサービスを真に受けたものだ。パラオ人は、日本人が来れば日本人を褒める。アメリカ人が来ればアメリカ人を褒める。無論、日本人を褒めるときにはアメリカ人を悪者にし、アメリカ人を褒めるときには日本人を悪者にする。
話者の国籍に合わせ、パラオ人がリップサービスをしている件は、三田収さんが指摘している。三田さんの「想起された植民地政策」は、パラオ人と日本支配に対する意識について、調査報告である。その中で三田さんはリサーチャーの国籍と聞き取り調査の結果について言及している。日本人による聞き取り調査では日本人の歓心を買うように話を合わせ、日本支配を賞賛し後の米国支配を悪く言う。米国人による調査では、米国支配を賞賛し以前の日本支配を差別的で暴力的であったと言う。要はそういうことである。
もちろん、これはパラオ人に限った話ではない。日本支配がそれなりに成功した地域は、みな同じである。植民地支配に失敗しなかった台湾、南洋庁、樺太庁も、占領地経営でそれなりに成功したインドネシアも同じである。日本人が来れば日本人を褒め、それ以前の支配者や以降の支配者を悪しざまに言う。
目の前の人に合わせて、持ち上げて話すのは、日本人もそうだし、米国人も中国人も英国人もそうである。また、その人を持ち上げるため、別の人を多少は悪しざまにいうのも、何人でも変わらない。それは人付き合いの如才といったもので、避難するような話ではない。
しかし、それを本気に取ってしまうのは、問題がある。浜口さんは、パラオ人が日本人に向けた言説を真に受けて、親日であるとしている。パラオには「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」とか「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」と述べている。だが、それらは日本人向けのリップサービスに過ぎない。
「日本語や日本の文化・風俗が色濃く残っている」のは、パラオが未発達であったことによるもので、日本への思慕ではない。近代化や国民国家化に必要な技術語や、抽象概念を表す言葉が未発達であったこと、文明文化の移入元が日本であっただけのことだ。
「『ペリリュー神社』を再建し、戦死者1万名もあわせ合祀せよと要望した」も、本当かどうか怪しい話である。発端は、むしろ日本側民族結社による要望であるようにしか見えない。そのあたりのドロドロはググれば直ぐに出てくる話である。
パラオ人は、日本人を嫌っていないし、仲良くやるつもりがある程度の話にすぎない。その程度の相手を、度を越して親日であると見ると、いずれ何かで対立した時、今度は過度に幻滅するだろう。
どこぞの宰相が「メキシコは親日的」と述べた時にも書いたのだが。いずれにせよ思い込み、片思いの類である。思い込み、片想いが「裏切られた」ときには、こんどは憎悪する。その時には親日的といっていたことはキレイに忘れて、反日的だからと言い出すことになるだろう。
※ 浜口和久「パラオに生きる日本の心(勇気)」『Net IB news』(データ・マックス、2013.8.27)http://www.data-max.co.jp/2013/08/27/post_16455_hmg_01.html
※※ 三田収「想起された植民地政策」『国立民族学博物館研究報告』2008-33-1(国立民族学博物館,2008)pp.81-133.
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