Category : ミリタリー
日本海軍も、対潜戦でスネルの法則を活用している。
スネルの法則とは、媒質中で波が曲がる原理を示した法則である。対潜戦では、ソーナー運用でスネルの法則が死活的な意味を持つ。海中には温度勾配があるため、それぞれの深さでは音速が変化する。このため、音波は曲がる。これにより、水上艦から潜水艦をソーナー探知できる距離が決まってしまうといった問題がある。
日本海軍も、ソーナー探知とスネルの法則にある関係は知っていた。LogだのSinだのを使う公式もあった。
だが、肝心の海中温度勾配を手軽に調べる方法が無かった。今の護衛艦の類であればXBTという使い捨て温度計や、古い機材ならBTという回収型温度計で測定できる。だが、当時にはそれがない。
仕方がないので、海軍は海図上で温度勾配と聴音距離を係数化を示した。その図表は日本海軍の水路部が仮製している。『水中聴音用図表』がそれだ。昭和20年2月の図表は、太平洋全域について、夏季と冬季の係数α(日本海軍呼称)が示されている。
基本的に浅い海や、直射光が差し込む海は、夏はαは高い。つまり、聴音距離は短くなる。(シャドーゾーンが広がるという言い方もある)これは、海面上部が温められた結果である。海面上層部が温められ、海底方向まで直線的な水温勾配となると最悪で、音波は真下方向しか進まず、聴音できなくなる。ちなみに、黄海やハワイ付近のαは異様に高く探知距離は短い。
対して、冬はどこもαは低い。長距離探知が可能となっている。冬季の気候で海面が冷やされると、海面上層部では水深に従って海水温は上がる。この上層部が終わると、こんどは水深にしたがって海水温は落ちる。この状況では音波の曲がりが都合がよいので、比較的に長距離でのソーナー探知が可能になる。ちなみに冬季はどこでもαは低いが、黒潮のせいか、紀州沖が相当に高くなっている。紀州沖では潜水艦探知は難しかったことが伺える。
探知距離についての説明は、次のようなものだった。夏の小笠原のαは50、大東島のαは10になっている。表より、α50でのデシベル変化を900mで実用範囲の-69db、α10でみると2000mで-69dbになっている。小笠原付近では、敵潜水艦を900m、大東島では2000mで探知できる見込みといったものだ。
ただし、この図表による探知距離判断は不完全なものである。まず春秋の状況や、午後効果や天候変化に対して無力である。春と秋の海面状況は、そのときにならなければわからない。そもそも、毎日の変化もある。午後になると日射の結果、表面が暖かくなり、探知距離は縮まる。
結局は、参考程度のデータにしかならなかったのだろう。もちろん、夏と冬の数値を眺めて、最大と最小でこんなものかと把握するにはいいかもしれない。だが、当時のソーナーの品質や機差から、アレッという距離まで役立たないといったこともあり得る。
ただ、できたのが遅すぎた。昭和20年2月には太平洋-南シナ海方面では船団もほとんど動けなくなっている。そこでこういったものを作られても、いまさらなんだっだろう。
スネルの法則とは、媒質中で波が曲がる原理を示した法則である。対潜戦では、ソーナー運用でスネルの法則が死活的な意味を持つ。海中には温度勾配があるため、それぞれの深さでは音速が変化する。このため、音波は曲がる。これにより、水上艦から潜水艦をソーナー探知できる距離が決まってしまうといった問題がある。
日本海軍も、ソーナー探知とスネルの法則にある関係は知っていた。LogだのSinだのを使う公式もあった。
だが、肝心の海中温度勾配を手軽に調べる方法が無かった。今の護衛艦の類であればXBTという使い捨て温度計や、古い機材ならBTという回収型温度計で測定できる。だが、当時にはそれがない。
仕方がないので、海軍は海図上で温度勾配と聴音距離を係数化を示した。その図表は日本海軍の水路部が仮製している。『水中聴音用図表』がそれだ。昭和20年2月の図表は、太平洋全域について、夏季と冬季の係数α(日本海軍呼称)が示されている。
基本的に浅い海や、直射光が差し込む海は、夏はαは高い。つまり、聴音距離は短くなる。(シャドーゾーンが広がるという言い方もある)これは、海面上部が温められた結果である。海面上層部が温められ、海底方向まで直線的な水温勾配となると最悪で、音波は真下方向しか進まず、聴音できなくなる。ちなみに、黄海やハワイ付近のαは異様に高く探知距離は短い。
対して、冬はどこもαは低い。長距離探知が可能となっている。冬季の気候で海面が冷やされると、海面上層部では水深に従って海水温は上がる。この上層部が終わると、こんどは水深にしたがって海水温は落ちる。この状況では音波の曲がりが都合がよいので、比較的に長距離でのソーナー探知が可能になる。ちなみに冬季はどこでもαは低いが、黒潮のせいか、紀州沖が相当に高くなっている。紀州沖では潜水艦探知は難しかったことが伺える。
探知距離についての説明は、次のようなものだった。夏の小笠原のαは50、大東島のαは10になっている。表より、α50でのデシベル変化を900mで実用範囲の-69db、α10でみると2000mで-69dbになっている。小笠原付近では、敵潜水艦を900m、大東島では2000mで探知できる見込みといったものだ。
ただし、この図表による探知距離判断は不完全なものである。まず春秋の状況や、午後効果や天候変化に対して無力である。春と秋の海面状況は、そのときにならなければわからない。そもそも、毎日の変化もある。午後になると日射の結果、表面が暖かくなり、探知距離は縮まる。
結局は、参考程度のデータにしかならなかったのだろう。もちろん、夏と冬の数値を眺めて、最大と最小でこんなものかと把握するにはいいかもしれない。だが、当時のソーナーの品質や機差から、アレッという距離まで役立たないといったこともあり得る。
ただ、できたのが遅すぎた。昭和20年2月には太平洋-南シナ海方面では船団もほとんど動けなくなっている。そこでこういったものを作られても、いまさらなんだっだろう。
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