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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
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2014.01
13
CM:0
TB:0
20:38
Category : 未分類
 「がれき専用列車、最終便が到着 都の受け入れ処理」の記事に限ったものではないのだけれども。

 がれき=瓦礫って、燃えないもんじゃないのかね。「大火事のあとには瓦礫しか残らなかった」みたいな言い方が本来で、焼却場で燃えるものは、瓦礫じゃなくて木材や可燃性建材の類ではないかと思うのだけども。災害で家屋が倒壊したあとに残るもの=がれき、ってような風潮になったわけだ。瓦礫の本義はともかく、家屋の成れの果てという意味なのだろう。

 ある意味で、缶と似ているかもしれない。缶はもともと甕の一種で、瀬戸物の容器なのだが、CANに引きづられて金属製の缶になった。最初は知恵物が「罐」(やかんのカン)をCANに当て字したのだが、書くのがメンドイので缶とした。ちなみに、缶には「カン」のよみは本来はない。今の中国語でfou3であり、日本語では中国古代音に引っ張られた「ほとぎ」(一応「音読み」なのかね?)である。しかし、今、缶といえばカンとしか読まない。本義から離れて、自販機で飲料を売るときの容器しか思い出さないようなものか。
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2014.01
13
CM:5
TB:0
19:10
Category : 未分類
 防災は言い出せばカネになるのだが、その中身は精査されない。特に消防が言い出すそれは無駄が多い。前にも書いたが、緩降機やら非常用シュータは全く役に立たない。防災センターの教育もピントが外れている。そもそも消防による指導は確固たる法的根拠を持たないものが多い。結局、消防関連は巨大な利権団体に成り下がっているわけだ。

 火災用の緩降機や非常用シュータを使った例があるのだろうか? 緩降機とは、ヒモをゆっくり繰り出す機械で、ベルトで体を縛ってゆっくり降りるものだ。(これ) 非常用シュータは、小中学校の避難訓練で展示した、火災脱出用のトンネル袋である。(これがわかりやすい)両者とも、実際の火災で使ったという話も、有効だったという話も聞かない。

 そもそも、建築基準法サイドでの防火対策が充実している。このため、火災時脱出用のはしごの類は全く存在価値を失っている。例えば、非常脱出設備を要求されるような建築物では、階段そのものは不燃であることが要求されている。建物の大きさによっては二方向以上の避難経路が要求され、どの部屋からも40m以内に階段にたどり着けるようになっている。そもそも、建築部分は不燃あるいは難燃である。非常用脱出器具を使う前に、通常の経路で避難したほうが速い。

 防災センター要員教育等も、ピントがズレている。ビルごとに必要になる防災センター勤務員は、消防で教育を受けることになっている。東京なら秋葉原(あと立川と池袋)の消防署で教育を受けるのだが、これが噴飯である。

 己も当時は3佐くんだりで実務なんかやらんのだが、予算消化で行ったのだが酷いものだった。だれでも知っている基本的な事を教える部分はまだいい。ただ、電気火災や油火災への対応やら、実際の防火訓練の指導法は?が多い。小規模な油なら水で消える。消火器使用法も、どうでもいいことばかりを教えて指揮を取ることを教えない、というか教えられない。その後に大規模震災対処やNBC防護の話は、まあ担当者として聞けばどうしようもない内容だった。空調停止とか全く教えない。そもそも化学兵器と生物兵器の区別がついていない。

 一番ひどいのは、消防検査をはじめとする、行政指導である。建築での建築確認(対官庁では「計画通知」になる)や完成検査は、いろいろ言われるが納得できないことはない。建築主事の主張はあやふやではない。根拠法規を明確に示し、それに対して抗弁もできる。しかし、消防指導は、人によっていうことが変わる。根拠法規を示せといっても示せず、通例だという。その先に公文で尋ねると折れるか切れるかのどちらかである。だいたい、消防は来ないくせに文句を言う。硫黄島でも消防は散々言う。「じゃあ火事になったら来てくれるのか」というと黙るらしいが。

 消防とその周辺は、碌なものではないということだ。

 だいたい、家が燃えなくなっているので消防には仕事が無い。50年60年の昔は茅葺き屋根や、南京下見のような木造外壁があり、障子や襖といった造作は燃えやすく、その上、屋内で木炭や石炭を使っていた。だから火事も多かった。しかし、屋根が瓦葺となり、外壁もガリバニや窯系素材で不燃になった。屋内も天井材は不燃になり、カーテンやソファーも難燃である。そもそも屋内では火を使わなくなった。IHではまず火事は起きない。ガスも出火時にはバルブが締まる。

 消防は暇なものだから、予防消防で暇つぶしをして余計なことを言う。あるいは、天下りで余計な規制を作ることに汲々としている。家庭用火災報知機はその最たるものだ。まず、今の一般家庭からは出火しない。仮に出火しても、住んでいれば気づく。火災報知機があっても住んでいなければ気づかない。そんなものを1ヶ1万円也で強制するのが、今の消防である。

 消防はある意味、警察よりも性質が悪い。消防には、警察に対するルサンチマンが強い。戦前には消防は警察の一部であったが、警察官ではなかった。しかし、刀を吊ろうとかマヌケなことばかりやっていた。警察のように活躍したい、デカイ顔がしたいという願望がある。それが噴き出て迷惑を掛けるのが、上で述べた非常脱出設備であり、防災センター教育であり、消防指導である。あまり真面目に取り合わない方がよい。