Category : ミリタリー
空自大湊のレーダ換装をやったことがある。防衛施設局(当時)にいた時なのだが、空自連絡官が空席で、海自連絡官の己が代行していた。家庭の事情で出張が制限される陸自の一部も肩代わりしていたので、陸海空全部に三沢米軍まで合わせて担当した時期がある。そこで42警のガメラレーダ換装事業の取っ掛かりに顔を出していた。
予算がついて最初にやるのは、現地確認とヒアリングである。記憶は曖昧だが、ヒアリングは42警の庁舎山麓側でやったはずである。さすがに海自ではやらないだろう。このあたりについては、何かある度に海自大湊の監督官事務所に行って、打ち合わせしていたので混乱している。空自の仕事はガメラレーダと体育館改修だった。
そのヒアリングで出た話なのだが、施設局側から「レーダを、釜伏山ではなく、市街地に置けないか」という話が出た。仮置きするレーダか、ガメラレーダかは忘れたが「山の上にレーダを置くと高くつく、経済性の理由から低い土地に置けないか」というもの。言い出したのは建築あたりの補佐だったと思う。
レーダは高い位置に置かなければ、覆域が狭くなる。それを空自と己で説明するが、聞き入れない。「置いたほうが経済的に安くなる、できないなら置けない理由を示した文書を出してくれ」という。説明していた電磁波の見通し距離なんかどうでもいいわけで、要は会計検査に耐えられる資料をよこせというもの。「そんなのなくとも、その時に説明するよ」といっても全くダメ。
仕方がないので、話をまとめて空自に出させることにして、終わったあとで文書のあらましとポンチ絵を教えた。互いに「まあ、余計な仕事だよ」と言い合うのだが、施設局にはそういう変なリクエストが多かった。
逆に、空自側がアレだったこともある。施設局にサイトの司令が来たのだが、珍しく常装で「担当の海連絡官ですと」言うと、初見なのに「記念章もないのか」とか「パイロットでも護衛艦でもないんだな」と言う。まあ、嫌いなので、賞詞(当時職務で5級×2、4級×2位、あと人買4級があったはず)をもらっても記念章は請求しなかった。マークにも徽章もない。傍から見れば無印1尉だった。
まあ「なんつー口の聞き方だ」と思いながらも、施設局の局長以下に案内したのだけどね。帰ったあとで同室にいた、海と空担当の第三計調係長と、空最先任者で同道していた通信の2空尉も、己が言う前にボロクソ言っていた。2空尉曰く「戦闘機パイロットは人の気持がわからない、あんな態度だと部隊でもダメだろ」とのこと。
チームプレイが前提の海のパイロットじゃああいうのはいないので、そんなものかと思ったし、その程度の人間かと大して腹も立たなかった。だが、半分は好意でやっている空自連絡官業務でそこまで言われるのも癪なもの。計調係長に話して、その司令の基地の庁費そのほかを全部すっこ抜いて、不断世話になっている空自の別の基地や海自に回したよ。係長も2空尉もそれがいいねえと賛同してくれた。
まあ、空自のレーダーサイトなんて管轄には大滝根、加茂、山田、大湊しかないからその一つなんだけどね。時期と人とで辿れるのでそこは言うもんじゃないだろう。
※ なんつーか、大の男が勲章欲しさに小細工しているのを見て、ああいうものはつけるもんじゃないと思ってからズーッとそうしていた。3級賞詞の防衛記念章欲しさに色々やる上司を結構見たからねえ。分隊士や、分隊士なしの分隊長だと、賞詞もらっても記念章の請求を上げないことは簡単にできる。(「着用することができる」だしね)
で、結局、つけた記念章は赤×1個にしていた。赤いキツネは勤続10年でだれでも貰えるやつだが、三佐の階級章とそれだけをつけていると破壊力も強い。せっかくだからと、紙やすりで表面削って、漂白剤掛けてとイジメて、さらに夏の階級章と一緒に、暇があれば直射日光の当たる所においておいたよ。
まあ、職業軍人に対する反抗というか、軍隊機構に対する反発というか、非国民の自衛官とか反軍自衛官(その割には自隊警備とか大好きだから散々やった)だったからねえ。
予算がついて最初にやるのは、現地確認とヒアリングである。記憶は曖昧だが、ヒアリングは42警の庁舎山麓側でやったはずである。さすがに海自ではやらないだろう。このあたりについては、何かある度に海自大湊の監督官事務所に行って、打ち合わせしていたので混乱している。空自の仕事はガメラレーダと体育館改修だった。
そのヒアリングで出た話なのだが、施設局側から「レーダを、釜伏山ではなく、市街地に置けないか」という話が出た。仮置きするレーダか、ガメラレーダかは忘れたが「山の上にレーダを置くと高くつく、経済性の理由から低い土地に置けないか」というもの。言い出したのは建築あたりの補佐だったと思う。
レーダは高い位置に置かなければ、覆域が狭くなる。それを空自と己で説明するが、聞き入れない。「置いたほうが経済的に安くなる、できないなら置けない理由を示した文書を出してくれ」という。説明していた電磁波の見通し距離なんかどうでもいいわけで、要は会計検査に耐えられる資料をよこせというもの。「そんなのなくとも、その時に説明するよ」といっても全くダメ。
仕方がないので、話をまとめて空自に出させることにして、終わったあとで文書のあらましとポンチ絵を教えた。互いに「まあ、余計な仕事だよ」と言い合うのだが、施設局にはそういう変なリクエストが多かった。
逆に、空自側がアレだったこともある。施設局にサイトの司令が来たのだが、珍しく常装で「担当の海連絡官ですと」言うと、初見なのに「記念章もないのか」とか「パイロットでも護衛艦でもないんだな」と言う。まあ、嫌いなので、賞詞(当時職務で5級×2、4級×2位、あと人買4級があったはず)をもらっても記念章は請求しなかった。マークにも徽章もない。傍から見れば無印1尉だった。
まあ「なんつー口の聞き方だ」と思いながらも、施設局の局長以下に案内したのだけどね。帰ったあとで同室にいた、海と空担当の第三計調係長と、空最先任者で同道していた通信の2空尉も、己が言う前にボロクソ言っていた。2空尉曰く「戦闘機パイロットは人の気持がわからない、あんな態度だと部隊でもダメだろ」とのこと。
チームプレイが前提の海のパイロットじゃああいうのはいないので、そんなものかと思ったし、その程度の人間かと大して腹も立たなかった。だが、半分は好意でやっている空自連絡官業務でそこまで言われるのも癪なもの。計調係長に話して、その司令の基地の庁費そのほかを全部すっこ抜いて、不断世話になっている空自の別の基地や海自に回したよ。係長も2空尉もそれがいいねえと賛同してくれた。
まあ、空自のレーダーサイトなんて管轄には大滝根、加茂、山田、大湊しかないからその一つなんだけどね。時期と人とで辿れるのでそこは言うもんじゃないだろう。
※ なんつーか、大の男が勲章欲しさに小細工しているのを見て、ああいうものはつけるもんじゃないと思ってからズーッとそうしていた。3級賞詞の防衛記念章欲しさに色々やる上司を結構見たからねえ。分隊士や、分隊士なしの分隊長だと、賞詞もらっても記念章の請求を上げないことは簡単にできる。(「着用することができる」だしね)
で、結局、つけた記念章は赤×1個にしていた。赤いキツネは勤続10年でだれでも貰えるやつだが、三佐の階級章とそれだけをつけていると破壊力も強い。せっかくだからと、紙やすりで表面削って、漂白剤掛けてとイジメて、さらに夏の階級章と一緒に、暇があれば直射日光の当たる所においておいたよ。
まあ、職業軍人に対する反抗というか、軍隊機構に対する反発というか、非国民の自衛官とか反軍自衛官(その割には自隊警備とか大好きだから散々やった)だったからねえ。
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