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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2014.03
08
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Category : 未分類
 最初に不審船が来たのは、八戸で機力除雪隊の直長をやっていた。除雪隊も2年目の終わりで、3直制の1直長だったが、実態は3直全部の面倒を見る感じだった。

 前日の午後、2空だか4空だかの副長に「理由は言えないが、明日は念入りに除雪してくれ」と言われたよ。何のことかわからないが、しかも「所属の八戸航空基地隊司令にも、司令からよく言っとくから」とのこと。

 管制隊からなら「規則通りにしかやらね」「(除雪開始条件になっている)雪の厚さはオレが計測する」なんだが、飛行隊の副長から、何気なリクエストなら無視はできない。「明日はスペシャルでやっときます」と返答した。

 もちろん、何かあるんだろうなとは思いながら、聞いても教えてくれるわけでもなし、そもそも知る必要もない話なのは分かりきっている。待機所にいる直の先任に、明日の朝は念入りにやるよとだけ言って伝えといた。

 しばらくすると厚生隊の給養班長が来る。向こうは定年間近の幹部予定者出身で、同じく予定者の営繕班長や先任海曹とはツーカーで遊びに来るのだが、己に用があることはほとんど無い。もちろん、同じ基地隊で、色々関係※ もあるが、何かあるとお互い様ではある。でも、己に用事なんて今までなかったことだった。

 で、開口一番に「なにか変わったことがなかったか」と言われた。給食の食数が一気に跳ね上がったとのこと。こっちも「明日は、依頼でスペシャル対応になりました」というと、航空加給食のアイスだかプリンの類をくれた。

 翌日の海警行動の準備だったわけだ。少なくとも何かあるとは思ったので、除雪隊の直先任のところに行って「なんかあるから、直交代まで本気でやってください。人数が足りないとか、事故とかなしでね」※※ と言っといた。直先任も「そうしましょうか」といって、メシや風呂も早めにさせますかと納得していた。多分、どっかから聞いたのだろう。

 その晩に雪掻きしたかどうかは覚えていない。多分、掻くほどの雪は降らなかったのではないかと思う。ただ、翌朝の融氷剤はスペシャルで撒いた。水で2-3倍希釈なんだが、管制隊が始終撒けと煩いので、普段はもっと希釈していた。それを原液でしっかり散布した。

 そして翌日、ニュースで工作船云々をやっているのを見て、ようやく何をやっていたかが分かった。今調べると、海警行動が出たのはさらにその日の深夜となっている。だが、日中にP-3Cに対潜爆弾§ 積んで出て行った記憶がある。整備隊が帽振れしていた覚えがある。昼間に「八戸の捕虜収容所を作る」みたいな話を海幕(だったか)にされた記憶や、防空警衛隊主導で陸八戸に己達も泥縄で射撃訓練(これは中止)とかいった話もあった。このあたり、正直言って、今思い出しても混乱している。

 あと覚えているのは、後の東奥日報だが陸奥新報だかの新聞に、新潟で15日(記憶による、事件のまとめを見ると多分18日だろう)だかから、県警が警備していたのを解除したような記事があった。「警察-公安系は先に情報を掴んでいたのね」と思ったよ。



※  実際に、除雪隊とは一種共生関係にあった。給養班駐車場や荷降ろし場所の除雪を好意で除雪隊がやっている関係で、除雪員にタダ飯をくれたりする。毛ガニやウニが給食ででる時には、己も「食ってけ」と言われたりしていた。どちらも食数あまりの残飯喫食という名目だが、もちろんサラの飯が出てくる。

※※ 今から思えば、命令口調って使ったことはなかった。儀仗隊の指揮官や当直士官での号令以外は、大抵は「~してください」「~お願いしますね」だし、○○海曹じゃなくて○○さんと呼んでいた。「そんなことやっても無駄っすよ」と文句言われても「そこはそうだけど、まあ命令だということで」と命令していた。緊急事態じゃないとそんなものだよ。

§  最初の海警行動の時、武整隊の曹士が対潜爆弾に落書きしていたところを、普段は温厚で「何でもやれ」の先任幹部がやめさせたという話を、3術校で後に聞いた。なにかの拍子で不発弾として北朝鮮に回収された時に、面白半分で戦争していると宣伝に使われたらどうするかという話だったそうだ。
   そういえば、対潜爆弾のケース(というか、保管用の枠)も、整備部隊ではスツールやテレビ台によく転用されていた。
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