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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2014.04
29
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Category : 未分類
 最初の上海事変で日本軍の前に立ちふさがったのが十九路軍。ヘルメットではなく、竹の笠に墨で「十九路軍」と書いてある程度の、地方軍隊に近い組織なのだが、それでも第一次上海事変で日本軍と四つに組み合い、崩れることはなかった。

 その装備も相当に貧弱。十九路軍は60師、61師、78師で編制されるが、1ヶ師には機関銃20-24、砲は6-10門、迫撃砲は10-20門しか保有していない。

 完全装備状態となっても、軽機が1連(中隊)に3丁、重機が1営(大隊)に1門、軽迫が1団(連隊)に4門、砲は1師に砲兵1営4門、山砲1営4門しかない。通信手段は営以上に有線、無線は旅と師の間にしかない。

 しかし、十九路軍はナショナリズムを武器に日本軍と戦った。なんだかんだ言って日本軍を2ヶ月以上拘束し、久留米の旅団長を戦死させている。また、中国人民も、日本軍に対して積極的なサボタージュをしている。日本軍にトラック運転手として徴発された胡阿毛は、愛国行動として弾薬トラックごと呉淞江に沈んでいる。

 丘国珍『十九路軍興亡史』には、そのあたりも細かく書いてあるとのことである。伝聞なのは、1969年『アジア経済』での書評欄で読んだものなので、現物には当たっていないため。

 なんにせよ、ナショナリズム高揚期の中国をまともに戦争をにしたのが、日本最大の失敗だったと言えるだろう。特にナショナリズムが高揚していた長江デルタでは、民衆も挙って抗日に参加している。二回目の上海事変でも、日本は華北のようにはいかず大苦戦した。負け戦以降でも、八百壮士のように抗戦する民国軍には民衆は惜しみない支援をしている。

 そのようなナショナリズム高揚についても、「支那は支那なり」と甘く見て、戦争を吹っかけて、最終的に無条件降伏に至ったのが戦前日本なのだろう。

 まあ、米海兵隊あたりが大陸にチョッカイ掛けると、同じことになるんじゃないのかね。海兵隊はいつものごとく存在意義がアレになりかけているけど、その辺りを払拭するために中国と喧嘩したがるかもしれないが、大陸に入ると大火傷するんじゃないかと思っているよ。
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