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司馬遼太郎さんの本はほとんど読んだことはない。職業軍人さんは大好きなんだがねえ、どうもお歯が合わない。昔、基地隊の副長(ヘリパイの2佐、頭髪は無いが悪い人ではなかった)に文書を持ってった時に「オマエも、もうチョット文章考えろ、昔のいい本を読め、司馬遼太郎とか」と言われたのだがね。
その司馬遼太郎さんの評で面白いものを見つけた。「アレは一人の英雄が世界を変えるお伽話である」というもの。大まじめに好きな本に挙げる商売人は多いが、むしろガンダムの方がリアルの社会を活写しているのではないかというもの。
やや古い『新潮45』に掲載された太田啓之さんの「ガンダムか司馬遼太郎か」がそれだ。富野さんのガンダムと司馬さんを比較し、前者を現実主義、後者を単純な英雄史観としている。そして、司馬さんとその読者にナルシズムを見つけ
太田さんが指摘した観点から見ると、どちらがお伽話であるかは瞭然としてしまう。富野さんによるガンダムは、舞台は荒唐無稽であるが、人間の振る舞いやその影響力については、脚色的に強調されるものはあるものの、リアルがある。対して、司馬さんの作品については、現実の時代や人物を使っているものの、各個人が歴史に果たした影響力については過度に脚色され、あるいは作者や読者の願望が投影されており、単純なヒーロー物とも言える。
それぞれの読者が挙げる理想の上司や管理職を言わせてみれば、より明快になるだろう。
司馬さんの読者が坂本龍馬や高杉晋作を挙げたとしても、それは作品中で描かれる英雄への同化願望に過ぎない。英雄としての活躍を夢想するものであり、実務での活躍を描くものでもない。
対して、ガンダムのファンが戯れ口にせよ、ラル(結構、転職時のインタビュー等では多いらしい)やドズルを挙げ、そのように振る舞えることができれば、現実社会でもそれなりの役に立つだろう。ラルやドズルは想像されたキャラクターではあるものの、語り継がれた現実の戦争体験を反映した将校の振る舞いである。その立ち居振る舞いは、管理職として役に立たないわけでもないためだ。
世間には司馬さんを避ける人も少なくもない。
その司馬さんを避ける心持ちとは、熱心な読者が、司馬作品の登場人物に自分を同化させたいという感情に対する気持ち悪さがあるのではないか。司馬さんご本人のナルシズムはともかく、その読者にあるナルシズムに対する忌避感なのだろう。
※ そう言われて「その本見せてみろ」と言われた時に、時間待ちで持っていたのが、徂徠の『政談』か『答門書』で困った顔をされたことがあった。確か、岩波思想体系のコピーを自分で線装したもの。
※※ 太田啓之「ガンダムか司馬遼太郎か」『新潮45』2013年3月号(新潮社,2013)pp.204-209.
その司馬遼太郎さんの評で面白いものを見つけた。「アレは一人の英雄が世界を変えるお伽話である」というもの。大まじめに好きな本に挙げる商売人は多いが、むしろガンダムの方がリアルの社会を活写しているのではないかというもの。
やや古い『新潮45』に掲載された太田啓之さんの「ガンダムか司馬遼太郎か」がそれだ。富野さんのガンダムと司馬さんを比較し、前者を現実主義、後者を単純な英雄史観としている。そして、司馬さんとその読者にナルシズムを見つけ
自ら司馬氏の想像した人物になぞらえるなどしているのを目にすると、ファーストガンダムのシャアのように『坊やだからさ』と皮肉っぽくつぶやきたくもなるし、一抹の怪しさを感じてしまうと断じている。
大田,p.209
太田さんが指摘した観点から見ると、どちらがお伽話であるかは瞭然としてしまう。富野さんによるガンダムは、舞台は荒唐無稽であるが、人間の振る舞いやその影響力については、脚色的に強調されるものはあるものの、リアルがある。対して、司馬さんの作品については、現実の時代や人物を使っているものの、各個人が歴史に果たした影響力については過度に脚色され、あるいは作者や読者の願望が投影されており、単純なヒーロー物とも言える。
それぞれの読者が挙げる理想の上司や管理職を言わせてみれば、より明快になるだろう。
司馬さんの読者が坂本龍馬や高杉晋作を挙げたとしても、それは作品中で描かれる英雄への同化願望に過ぎない。英雄としての活躍を夢想するものであり、実務での活躍を描くものでもない。
対して、ガンダムのファンが戯れ口にせよ、ラル(結構、転職時のインタビュー等では多いらしい)やドズルを挙げ、そのように振る舞えることができれば、現実社会でもそれなりの役に立つだろう。ラルやドズルは想像されたキャラクターではあるものの、語り継がれた現実の戦争体験を反映した将校の振る舞いである。その立ち居振る舞いは、管理職として役に立たないわけでもないためだ。
世間には司馬さんを避ける人も少なくもない。
その司馬さんを避ける心持ちとは、熱心な読者が、司馬作品の登場人物に自分を同化させたいという感情に対する気持ち悪さがあるのではないか。司馬さんご本人のナルシズムはともかく、その読者にあるナルシズムに対する忌避感なのだろう。
※ そう言われて「その本見せてみろ」と言われた時に、時間待ちで持っていたのが、徂徠の『政談』か『答門書』で困った顔をされたことがあった。確か、岩波思想体系のコピーを自分で線装したもの。
※※ 太田啓之「ガンダムか司馬遼太郎か」『新潮45』2013年3月号(新潮社,2013)pp.204-209.
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