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TVマンガ「すべからず」集になるのではないかね。
『艦これ』第三話だが、如月ちゃんが沈みそうになっても全然ハラハラしないし、沈んでも「ふーん」で終わりなのは何事かね。
まず「全然ハラハラしない戦闘だけど、死ぬんだよ」っていうのもね。
そもそも戦闘が相当おかしい。戦闘描写は別にどうでもいいけど、戦闘を描いてもハラハラ感を作れていないのは致命的ではないか。
本来なら、主人公のピンチに「初雪ちゃん危ない、初雪ちゃん後ろ」がないといけない。ピンチに、視聴者も「逃げて、逃げて」という共感した感情を想起させるものだが、それが全く出来ていない。
この点、武器描写と人物描写のリアリティ・レベルが全く合致してない。具体的には、武器をリアルに描いているのに、人物に襲いかかる危険性を全く描けていないあたりである。
たしかに、飛行機とか魚雷とか砲弾の形態や、その動作はリアルにしようとして描いている。
しかし、肉体は全くリアルに描いていない。骨折流血どころか、たんこぶぷっくりレベルもない。危険だよ、危ないよと思わせるには、当たって流血とか、手足が吹き飛んで泣き叫ぶとか、頸から血がシューとか、生きながら焼かれて黒焦げみたいな情景が必用だが、それがない。
武器のリアル描写に合わせるなら、肉体もリアルにして平仄を合わせるべきだが、それをやっていないのである。
だから、そこに「死があるんだよ、艦これはキャフフアニメじゃなよ」と絵を見せても、全然、死が重くなくて、そこで感情移入できない。
そもそも、如月ちゃんって、この段階でモブでしょ。モブだと死んでも大した感情もでてこないものです。結局は、養鶏場にいる個体識別できない鶏を〆る程度の話だからです。
如月ちゃんの死によって、主人公以下、そして視聴者にショックを与えようとするなら、如月ちゃんもっと大事なものにしてから、壊さないといけない。それこそ、第一話から大事に育てて、心根優しくて、主人公とも心の交歓をする。如月ちゃんの「生」に価値をつけてやらなければいけない。
三話あったんだから、「生」のシーンなんていくらでもできるでしょ。ピアノ見つけて女学校の吹奏楽部の思い出で演奏させるとか、平和になったらまたやると演劇の練習させるとかね。第三話だけでも、病院船をやっている如月ちゃんのおッ母さん千種丸さんが、出撃のあと入れ違いに、貴重品のおはぎを持って面会に来て待っているとかどうとでもね。
大事にして、特別にして、聖別してから、重大な死を持ってくるのが常道なのに、それをやらないから、ただ如月〆ましたにしかならないわけです。
そもそも、このTVマンガ、死を描きたいみたいだけど、それなら、それこそ「生」を描くべきじゃないのとは思うよ。それこそ男を出してでもね。ホストに入れあげてダマされるけど、最後には、まず間違いなく帰ってこれない作戦の見送りに来るとかね。夕立ちゃんが家には大学生の兄ちゃんがいて、非モテでゲームに入れあげているけど一度会ってみないとか。赤城ちゃんが、ウチのニートの弟をオマエにやるよとかさ。
そもそも、なんで雑にこんな低レベルの企画立てて、最低レベルの成果品を放送するのかね。まあ、投資家を呼んで資金を集めて角川グループ受注分で寺社を潤して、アニメ化でそれ以外の展開メディアにも最後に売上チャンスを与えるのが目的だったのではないか。残存価値を全部絞とるための精算行為にしかみえないものだよ。
・・・あとはなんで「沖56km」とか言わせるのかねなんだろね。「ホニャララ島、北東30マイル」だし、大破炎上したことわかれば捜索は不要だし、捜索が必要なら被害状況不明じゃないの。メカ関係の形態だけの描写だけは稠密にしようとしているけど、軍隊周りの描写も相当に粗雑。兵隊取られたことない連中が想像で作った噴飯兵営モノというところで、トータル・イクリプスを思い出してならないよ
『艦これ』第三話だが、如月ちゃんが沈みそうになっても全然ハラハラしないし、沈んでも「ふーん」で終わりなのは何事かね。
まず「全然ハラハラしない戦闘だけど、死ぬんだよ」っていうのもね。
そもそも戦闘が相当おかしい。戦闘描写は別にどうでもいいけど、戦闘を描いてもハラハラ感を作れていないのは致命的ではないか。
本来なら、主人公のピンチに「初雪ちゃん危ない、初雪ちゃん後ろ」がないといけない。ピンチに、視聴者も「逃げて、逃げて」という共感した感情を想起させるものだが、それが全く出来ていない。
この点、武器描写と人物描写のリアリティ・レベルが全く合致してない。具体的には、武器をリアルに描いているのに、人物に襲いかかる危険性を全く描けていないあたりである。
たしかに、飛行機とか魚雷とか砲弾の形態や、その動作はリアルにしようとして描いている。
しかし、肉体は全くリアルに描いていない。骨折流血どころか、たんこぶぷっくりレベルもない。危険だよ、危ないよと思わせるには、当たって流血とか、手足が吹き飛んで泣き叫ぶとか、頸から血がシューとか、生きながら焼かれて黒焦げみたいな情景が必用だが、それがない。
武器のリアル描写に合わせるなら、肉体もリアルにして平仄を合わせるべきだが、それをやっていないのである。
だから、そこに「死があるんだよ、艦これはキャフフアニメじゃなよ」と絵を見せても、全然、死が重くなくて、そこで感情移入できない。
そもそも、如月ちゃんって、この段階でモブでしょ。モブだと死んでも大した感情もでてこないものです。結局は、養鶏場にいる個体識別できない鶏を〆る程度の話だからです。
如月ちゃんの死によって、主人公以下、そして視聴者にショックを与えようとするなら、如月ちゃんもっと大事なものにしてから、壊さないといけない。それこそ、第一話から大事に育てて、心根優しくて、主人公とも心の交歓をする。如月ちゃんの「生」に価値をつけてやらなければいけない。
三話あったんだから、「生」のシーンなんていくらでもできるでしょ。ピアノ見つけて女学校の吹奏楽部の思い出で演奏させるとか、平和になったらまたやると演劇の練習させるとかね。第三話だけでも、病院船をやっている如月ちゃんのおッ母さん千種丸さんが、出撃のあと入れ違いに、貴重品のおはぎを持って面会に来て待っているとかどうとでもね。
大事にして、特別にして、聖別してから、重大な死を持ってくるのが常道なのに、それをやらないから、ただ如月〆ましたにしかならないわけです。
そもそも、このTVマンガ、死を描きたいみたいだけど、それなら、それこそ「生」を描くべきじゃないのとは思うよ。それこそ男を出してでもね。ホストに入れあげてダマされるけど、最後には、まず間違いなく帰ってこれない作戦の見送りに来るとかね。夕立ちゃんが家には大学生の兄ちゃんがいて、非モテでゲームに入れあげているけど一度会ってみないとか。赤城ちゃんが、ウチのニートの弟をオマエにやるよとかさ。
そもそも、なんで雑にこんな低レベルの企画立てて、最低レベルの成果品を放送するのかね。まあ、投資家を呼んで資金を集めて角川グループ受注分で寺社を潤して、アニメ化でそれ以外の展開メディアにも最後に売上チャンスを与えるのが目的だったのではないか。残存価値を全部絞とるための精算行為にしかみえないものだよ。
・・・あとはなんで「沖56km」とか言わせるのかねなんだろね。「ホニャララ島、北東30マイル」だし、大破炎上したことわかれば捜索は不要だし、捜索が必要なら被害状況不明じゃないの。メカ関係の形態だけの描写だけは稠密にしようとしているけど、軍隊周りの描写も相当に粗雑。兵隊取られたことない連中が想像で作った噴飯兵営モノというところで、トータル・イクリプスを思い出してならないよ
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