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マンガ雑誌を買わなくなってから相当経つ。41だから対象層としては当然といえば当然なのだが、とはいえ大衆アサ芸を読むわけでもなく、マンガの単行本は見る。NDLの帰りには大抵は高岡書店まで歩いて冷やかす。
永田町から岩波の店頭寄って、高岡行ってマンガ見て、明倫館で出物を探して、東京堂経由で飯田橋まで歩くのは、パターンみたいなものだ。
大学生時分からそうしている。NDLもエントランスが磁気で、Iの字が出ることから行っていた。家を出て、大学に行かずに永田町に行ってNDL入って、神保町経由で飯田橋(定期が川越から飯田橋経由で早稲田)まで歩いてそのまま家に帰るとかもしていた。逆に大学に行くときは、護国寺か江戸川橋から歩いた。だから高田馬場をあまり知らない。
ただ、神保町で買うものの嗜好は変わった。
むかしは雑誌は『諸君』を買っていたが、今では『世界』だから変わるものだ。ただし『正論』を小馬鹿にしていたのは変わらない。
雑誌は買うものではなく、届くものになった。毎回届くには『東亜』、『外交』、『民族学』、『鏡報』、『明報』、『新華月報』、『人民中国』、『プロシーディングス』、『陸戦研究』、『クーリエ・ジャポン』、あと『海幹校戦略研究』だが、むかしはアフタヌーンの類を含めて雑誌は本屋で買っていた。
読み物・小説の類は買わなくなった。読んでも大体は回顧談の類。最近だと岩波の『徳川制度』か。
どっちかというと、明治大正昭和の古新聞を眺めるようになった。普通に実話の方が面白いものでもある。あとは、特別展の図録の類を古書店で拾って読むとか、そういった方向にシフトしている。
マンガの嗜好も相当に変わった。当節コレは面白いから買うというものは、よつばと!、高杉さん、銀のニーナくらいか。みんな独身男のところに女の子が来て、その微妙な関係の話だ。女のところに男の子では単なる擬似親子になるからだめなのだろう。あとは親父の愛人と暮らす俺みたいなやつかね。
学生時分から、女の子とメカと鉄砲みたいな奴はお歯が合わなかったし、絵空事にしても物語中のリアリズムがないのも駄目だったから、怪力乱神も目が拒絶した。TVマンガでも、女の子とメカと鉄砲である艦これの類は全く駄目。
当節は、その手のマンガばかりになった、だから、高岡にいっても冷やかすだけになることが多い。
だが、行かないと行かないで何か物足りない。習性いだからしょうがないが、東京市内にでるととりあえず神保町には行く。50になっても60になっても行くんじゃないのかね。「なんとなく」で。
そこでいつも思うのが、いつかはビックになって新世界菜館か揚子江菜館で飯食ってやるぞと思っていたが、別に金がないわけでもないのに入らないのも不思議。咸享酒店で飯食っているから、値段的には同じといえば同じなのだが、あの二つは入り難いものだ。
飯話も際限ない。学部生時分に行って、今行かないのか江戸川橋の「みつぼ」。早稲田や高田馬場とは違い、江戸川橋は学生を舐める雰囲気はないのが良かった。今行けない理由は単純で、駅まで車で行くから飲めない。平成5年くらいは串が80円だった。
今は居職なので、兵隊づとめのように帰りに飲みに行こうということもない。だから、池袋の「おもろ」も「サイゴン」も、麹町の「パウケ」も行きたいけどいけない。行ってもいいけど、酒飲むだけでは腰が重い。何かで出る用事があって、しかも誰か相手がいないとねえ。
とはいえ、家で同じモノばかり食っていても面白く無いので、市内に出た時には無理に最近食いにいっていない飯屋、あるいは新しい店に行こうとはしている。そこで、久しぶりに池袋のカイラクでオバケ餃子食おうと思ったら、オシャレになっていて驚いた。アレはいつからあった店だったかは思い出せないが、学部生の時ににあったかどうかだと思う。ちなみに飯田橋駅北口、神楽河岸の2kg餃子は食ったことはない。
その点、高岡は明瞭で、昭和60年前にはあった。小学生の時分に、少年サンデーグラフィックスを買った記憶は未だに消えていないものだよ。
まあアレだ、原稿を書いていて、行き詰まって現実逃避なのだが、それも文章を書くといったあたりで、酒のんで二日酔いで酒のんで紛らわすみたいな話だ。酒が弱いゆえに、二日酔いはしたことないけど
永田町から岩波の店頭寄って、高岡行ってマンガ見て、明倫館で出物を探して、東京堂経由で飯田橋まで歩くのは、パターンみたいなものだ。
大学生時分からそうしている。NDLもエントランスが磁気で、Iの字が出ることから行っていた。家を出て、大学に行かずに永田町に行ってNDL入って、神保町経由で飯田橋(定期が川越から飯田橋経由で早稲田)まで歩いてそのまま家に帰るとかもしていた。逆に大学に行くときは、護国寺か江戸川橋から歩いた。だから高田馬場をあまり知らない。
ただ、神保町で買うものの嗜好は変わった。
むかしは雑誌は『諸君』を買っていたが、今では『世界』だから変わるものだ。ただし『正論』を小馬鹿にしていたのは変わらない。
雑誌は買うものではなく、届くものになった。毎回届くには『東亜』、『外交』、『民族学』、『鏡報』、『明報』、『新華月報』、『人民中国』、『プロシーディングス』、『陸戦研究』、『クーリエ・ジャポン』、あと『海幹校戦略研究』だが、むかしはアフタヌーンの類を含めて雑誌は本屋で買っていた。
読み物・小説の類は買わなくなった。読んでも大体は回顧談の類。最近だと岩波の『徳川制度』か。
どっちかというと、明治大正昭和の古新聞を眺めるようになった。普通に実話の方が面白いものでもある。あとは、特別展の図録の類を古書店で拾って読むとか、そういった方向にシフトしている。
マンガの嗜好も相当に変わった。当節コレは面白いから買うというものは、よつばと!、高杉さん、銀のニーナくらいか。みんな独身男のところに女の子が来て、その微妙な関係の話だ。女のところに男の子では単なる擬似親子になるからだめなのだろう。あとは親父の愛人と暮らす俺みたいなやつかね。
学生時分から、女の子とメカと鉄砲みたいな奴はお歯が合わなかったし、絵空事にしても物語中のリアリズムがないのも駄目だったから、怪力乱神も目が拒絶した。TVマンガでも、女の子とメカと鉄砲である艦これの類は全く駄目。
当節は、その手のマンガばかりになった、だから、高岡にいっても冷やかすだけになることが多い。
だが、行かないと行かないで何か物足りない。習性いだからしょうがないが、東京市内にでるととりあえず神保町には行く。50になっても60になっても行くんじゃないのかね。「なんとなく」で。
そこでいつも思うのが、いつかはビックになって新世界菜館か揚子江菜館で飯食ってやるぞと思っていたが、別に金がないわけでもないのに入らないのも不思議。咸享酒店で飯食っているから、値段的には同じといえば同じなのだが、あの二つは入り難いものだ。
飯話も際限ない。学部生時分に行って、今行かないのか江戸川橋の「みつぼ」。早稲田や高田馬場とは違い、江戸川橋は学生を舐める雰囲気はないのが良かった。今行けない理由は単純で、駅まで車で行くから飲めない。平成5年くらいは串が80円だった。
今は居職なので、兵隊づとめのように帰りに飲みに行こうということもない。だから、池袋の「おもろ」も「サイゴン」も、麹町の「パウケ」も行きたいけどいけない。行ってもいいけど、酒飲むだけでは腰が重い。何かで出る用事があって、しかも誰か相手がいないとねえ。
とはいえ、家で同じモノばかり食っていても面白く無いので、市内に出た時には無理に最近食いにいっていない飯屋、あるいは新しい店に行こうとはしている。そこで、久しぶりに池袋のカイラクでオバケ餃子食おうと思ったら、オシャレになっていて驚いた。アレはいつからあった店だったかは思い出せないが、学部生の時ににあったかどうかだと思う。ちなみに飯田橋駅北口、神楽河岸の2kg餃子は食ったことはない。
その点、高岡は明瞭で、昭和60年前にはあった。小学生の時分に、少年サンデーグラフィックスを買った記憶は未だに消えていないものだよ。
まあアレだ、原稿を書いていて、行き詰まって現実逃避なのだが、それも文章を書くといったあたりで、酒のんで二日酔いで酒のんで紛らわすみたいな話だ。酒が弱いゆえに、二日酔いはしたことないけど
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神崎の蘭子さんは己だと思ったよ。無駄にMarsルモグラフつかっているのだが、中高生の己もそうだった。ステッドラーの方が高級だと思って使っていた。しかも青紙の鍛造切り出し、日に一度は砥を当てたヤツで削っていたけど、歳取ると鉛筆はみんな同じですね。
子供の頃の、昭和五〇年代のノーブランド鉛筆は酷かった。黒鉛は滑らかではなくガリガリ、軸材も低級品で、またカッターで削るから刃先が逃げる。
中学校に上がるころ、伯父から貰ったステッドラーにした時には驚いた。軸材の木目の通りがいいし、芯もいい感じでそれからズッとドイツ鉛筆。大学でもステッドラー製図ペン、Marsマティック(ロットリングの類)と舶来信仰だった。しかも定規もテンプレもステッドラーで、製図なんかで「この0.5ミリの線、右に0.3ミリズレている」とかやっていたよ。別にサークルでアニメも作っていたり、同人のパースとかもそっちでね。
でもま、兵隊取られて学校に行ってからは、なんでも良くなった。今の事務用シャーペンでも事務用定規でも精度は十分にあるので、製図は全然困らない。普通に芯先をクルクル回して線引けば、製図はそれでいい。あんまり道具にはこだわらないし、いつの間にかCADになるとねえ。
この歳になると、建築土木系の垂直水平の字を書くよりも、手紙差し出しとかで柔柔な字を書く方に努力するようになる。児玉幸多さんの字引見ながら、仮名のたぐいを如何に崩すかとなる。そうなると、プラチナの安万年筆プレッピとか、あかしやの筆ペンを使うようになると、まずステッドラーは使わない。
メモ書きもも、安シャーペンでいい。そのうち気に入ったものパイロットのカルノをとりあえず120本買っといてある。芯は2Bならなんでも同じ。野帳のレベルブックに走り書きだからそれで充分。
まあ、ドイツ製の文具を使うこともなくなったものだ。
子供の頃の、昭和五〇年代のノーブランド鉛筆は酷かった。黒鉛は滑らかではなくガリガリ、軸材も低級品で、またカッターで削るから刃先が逃げる。
中学校に上がるころ、伯父から貰ったステッドラーにした時には驚いた。軸材の木目の通りがいいし、芯もいい感じでそれからズッとドイツ鉛筆。大学でもステッドラー製図ペン、Marsマティック(ロットリングの類)と舶来信仰だった。しかも定規もテンプレもステッドラーで、製図なんかで「この0.5ミリの線、右に0.3ミリズレている」とかやっていたよ。別にサークルでアニメも作っていたり、同人のパースとかもそっちでね。
でもま、兵隊取られて学校に行ってからは、なんでも良くなった。今の事務用シャーペンでも事務用定規でも精度は十分にあるので、製図は全然困らない。普通に芯先をクルクル回して線引けば、製図はそれでいい。あんまり道具にはこだわらないし、いつの間にかCADになるとねえ。
この歳になると、建築土木系の垂直水平の字を書くよりも、手紙差し出しとかで柔柔な字を書く方に努力するようになる。児玉幸多さんの字引見ながら、仮名のたぐいを如何に崩すかとなる。そうなると、プラチナの安万年筆プレッピとか、あかしやの筆ペンを使うようになると、まずステッドラーは使わない。
メモ書きもも、安シャーペンでいい。そのうち気に入ったものパイロットのカルノをとりあえず120本買っといてある。芯は2Bならなんでも同じ。野帳のレベルブックに走り書きだからそれで充分。
まあ、ドイツ製の文具を使うこともなくなったものだ。