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米海兵隊は2軍だ。米陸軍は1軍の正規軍、海兵隊は2軍の植民地軍である。
どこぞで話をしているときに、海兵隊の特異性が話題となった。そこで思い出したのがアンダーソンが『想像の協同体』で近代軍隊を徴兵制による本国の1軍と、植民地軍の2軍に分けていたことだ。
それを当てはめると、米陸軍と海兵隊はキレイに説明できる。
米陸軍は1軍の本国軍である。将校は参謀や専門家的な無名性が強い実務家である。下士官・兵隊は大衆からの徴兵(今は停止しているが)を元にした制度で集められる。存在価値についての自己規定としては祖国や民主主義を防衛する発想であり、大陸本土の防衛と欧州派遣を担当する。戦いも塹壕での団結や耐久が強調される。
対して海兵隊は2軍の植民地軍の性格が強い。将校団は擬似貴族的であり、社交と栄光を名誉を重視する。下士官・兵隊は志願制であるが中身は宗教・民族的なマイノリティが多い。存在価値の自己規定は権益確保や米国支配を展示強調することにあり、中南米やアジアでの遠征や征服を担当する。戦い方も、個人的勇気や蛮勇が強調される。
海兵隊が嫌われる理由の一つは、この植民地軍な性格ではないのかね。沖縄でもエルドリッチ以下の幹部・将校の口の効きかた、振る舞いは植民地軍の傲岸無礼そのものとも言える。
その海兵隊手羽先である取り巻き日本人も、やはり日本の中での政治・宗教的マイノリティなのだろう。辺野古反対運動に対するアンチ・ヘイトを振る舞いをみてもそうだ。例の石垣市議のような政治的マイノリティと、フェンス・クリーンやら「海兵隊さんありがとう」の宗教的マイノリティが透けて見える。まあ、東インド会社軍の現地雇、ガンガ・ディンのたぐいだけどね。
オマケ
で、そこから更に連想したのが、一つの組織が二つに別れた時にも、実務家と個人的勇気に分かれるなというもの。昔、航空基地要員は一つの職域だったが、施設員と地上救難員にわかれた。そのとき、中身がガツンと変わったと全盛期に准尉さんに聞いたことがある。それまで等質だったものがアレヨアレヨで、性格が水と油に分かれたそうだ。(別に仲は悪くはない)
5つくらい年上の海曹なんかの話でも、3術校の学生隊、海曹士学生の3分隊なんかチグハグとね。80年代末期の話なのだろうが、31内務班(施設、写真:情報)は電気ポット(今から考えればたぶん保温)に水と◯◯を入れて、常時お湯割り◯◯を作っていて海曹、海士問わず適当に飲んでいてグデングデン、そのころ32(地上救難)は海曹課程が海士課程に「なってない」といって腕立てやらせているとかね。
90年代の幹部課程もMFOとABOで差が凄かったけどね。雨が降ったから「教場まで私有車で行くか、余り1名はトランクに入れよ」とか「課題の図版が濡れると困るから傘を差すか」(最近は真面目だからやらない)といっていたMFO。対して、大雨でも律儀にカッパ着て歩いて行くABO。
そのころ教官(既に定年)の注意も振るっていた。「(数代前の)◯◯◯長は雨降ると傘指していて、それを見ていた西側1-2階の幹部は困った顔をしていた、互いに嫌な思いしたくないだろうから、傘は西側から見えにくい所だけにしときなさいね」と言っていた。
ただまあ、施設とか写真は階級関係なしで個人請負なので、柔軟性を持たせて外から見えない所で適当にやらせないと持たない部分はある。そこは時間勤務で済むABとも違うからねえ。
どこぞで話をしているときに、海兵隊の特異性が話題となった。そこで思い出したのがアンダーソンが『想像の協同体』で近代軍隊を徴兵制による本国の1軍と、植民地軍の2軍に分けていたことだ。
それを当てはめると、米陸軍と海兵隊はキレイに説明できる。
米陸軍は1軍の本国軍である。将校は参謀や専門家的な無名性が強い実務家である。下士官・兵隊は大衆からの徴兵(今は停止しているが)を元にした制度で集められる。存在価値についての自己規定としては祖国や民主主義を防衛する発想であり、大陸本土の防衛と欧州派遣を担当する。戦いも塹壕での団結や耐久が強調される。
対して海兵隊は2軍の植民地軍の性格が強い。将校団は擬似貴族的であり、社交と栄光を名誉を重視する。下士官・兵隊は志願制であるが中身は宗教・民族的なマイノリティが多い。存在価値の自己規定は権益確保や米国支配を展示強調することにあり、中南米やアジアでの遠征や征服を担当する。戦い方も、個人的勇気や蛮勇が強調される。
海兵隊が嫌われる理由の一つは、この植民地軍な性格ではないのかね。沖縄でもエルドリッチ以下の幹部・将校の口の効きかた、振る舞いは植民地軍の傲岸無礼そのものとも言える。
その海兵隊手羽先である取り巻き日本人も、やはり日本の中での政治・宗教的マイノリティなのだろう。辺野古反対運動に対するアンチ・ヘイトを振る舞いをみてもそうだ。例の石垣市議のような政治的マイノリティと、フェンス・クリーンやら「海兵隊さんありがとう」の宗教的マイノリティが透けて見える。まあ、東インド会社軍の現地雇、ガンガ・ディンのたぐいだけどね。
オマケ
で、そこから更に連想したのが、一つの組織が二つに別れた時にも、実務家と個人的勇気に分かれるなというもの。昔、航空基地要員は一つの職域だったが、施設員と地上救難員にわかれた。そのとき、中身がガツンと変わったと全盛期に准尉さんに聞いたことがある。それまで等質だったものがアレヨアレヨで、性格が水と油に分かれたそうだ。(別に仲は悪くはない)
5つくらい年上の海曹なんかの話でも、3術校の学生隊、海曹士学生の3分隊なんかチグハグとね。80年代末期の話なのだろうが、31内務班(施設、写真:情報)は電気ポット(今から考えればたぶん保温)に水と◯◯を入れて、常時お湯割り◯◯を作っていて海曹、海士問わず適当に飲んでいてグデングデン、そのころ32(地上救難)は海曹課程が海士課程に「なってない」といって腕立てやらせているとかね。
90年代の幹部課程もMFOとABOで差が凄かったけどね。雨が降ったから「教場まで私有車で行くか、余り1名はトランクに入れよ」とか「課題の図版が濡れると困るから傘を差すか」(最近は真面目だからやらない)といっていたMFO。対して、大雨でも律儀にカッパ着て歩いて行くABO。
そのころ教官(既に定年)の注意も振るっていた。「(数代前の)◯◯◯長は雨降ると傘指していて、それを見ていた西側1-2階の幹部は困った顔をしていた、互いに嫌な思いしたくないだろうから、傘は西側から見えにくい所だけにしときなさいね」と言っていた。
ただまあ、施設とか写真は階級関係なしで個人請負なので、柔軟性を持たせて外から見えない所で適当にやらせないと持たない部分はある。そこは時間勤務で済むABとも違うからねえ。
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