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ビール券は通称B券とよばれる。 練習艦隊終わって、マークの扱いが艦艇幹部(だったか)の扱いのままで八戸に初任幹部で到着したとき一番最初にやった仕事が、部隊が業者からもらったB券を金券屋で換金すること。ちなみに業者からのB券は全盛期にはあった(00年代以降は現地部隊にはまずなくなった)もの。それを勤務時間中に私服でマネーロンタリングというわけだ。
アレ、お中元に百貨店から客先まで実物を届けるのがバカバカしいから生まれたものらしい。 『麒麟麦酒の歴史 続戦後篇』(麒麟麦酒,1985.3.1)にはそうかいてあった。
昭和44年、「アサヒビール本生ギフト券」が嚆矢であり、さらに銀行決済方式となって人口に膾炙したらしい。てっきりビール会社との取引で相殺したり、あるいは図書券のように割り引かれたりするもんだと思っていたけれども、酒屋さん(あるいは卸)は銀行に渡せばそのまま現金化できた様子。
『麒麟麦酒の歴史』 他にも「P箱」も出ていた。瓶ビールを差し込むプラスチックのケース。あれは昭和40年12月から導入されたもの。当初は2ダース入りだったが、重いので20本入りが標準となった。塗装屋なんかだと、あれを屋上からブランコのようにぶら下げてボースンチェア(モンキーチェア)にして腰掛けて壁を塗装していたりする。労安法上どうなのかはしらない。
このP箱輸送に最適化されたのが国鉄型のパレットだったと記憶しているが、その旨のメモも実物の本も見当たらないのでハッキリとはいい切れない。確か成山堂の『現代の鉄道貨物輸送』だったと思う。
アレ、お中元に百貨店から客先まで実物を届けるのがバカバカしいから生まれたものらしい。 『麒麟麦酒の歴史 続戦後篇』(麒麟麦酒,1985.3.1)にはそうかいてあった。
昭和44年、「アサヒビール本生ギフト券」が嚆矢であり、さらに銀行決済方式となって人口に膾炙したらしい。てっきりビール会社との取引で相殺したり、あるいは図書券のように割り引かれたりするもんだと思っていたけれども、酒屋さん(あるいは卸)は銀行に渡せばそのまま現金化できた様子。
『麒麟麦酒の歴史』 他にも「P箱」も出ていた。瓶ビールを差し込むプラスチックのケース。あれは昭和40年12月から導入されたもの。当初は2ダース入りだったが、重いので20本入りが標準となった。塗装屋なんかだと、あれを屋上からブランコのようにぶら下げてボースンチェア(モンキーチェア)にして腰掛けて壁を塗装していたりする。労安法上どうなのかはしらない。
このP箱輸送に最適化されたのが国鉄型のパレットだったと記憶しているが、その旨のメモも実物の本も見当たらないのでハッキリとはいい切れない。確か成山堂の『現代の鉄道貨物輸送』だったと思う。
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