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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2016.11
06
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05:49
Category : 未分類
 桜井よしこさんは日本はアジア諸国のリーダーを目指す前提で書かれている。想定読者層も日本はアジア諸国のリーダーを目指すべきといった人に向いてかかれたものなのだろう。30年前のジャパン・アズ・ナンバーワンの時代の残滓であり、センスが古い。

 「欧米流の合理的戦略論だけでなくアジアの曖昧路線を理解する重要性」は、そのような脳天気な認識に溢れており、面白い読み物となっている。

■ 味方認定するとドゥテルテも褒める桜井さん

 まず、桜井さんはフィリピンのドゥテルテ大統領を評価している。「日本が大好きだ」だけで日本の味方認定したためだろう。安っぽいものだ。
大統領は南シナ海問題を持ち出し「日本とフィリピンは同じような状況にある」「われわれは常に日本の側に立つ」と、それぞれ2回、繰り返したという。

明らかに安倍首相はドゥテルテ大統領の心を開いたのだ。財界人との会合で「日本が大好きだ」と大統領は繰り返した。

ドゥテルテ大統領に、「日本に感謝している」と言わしめたのは、フィリピン独自の感じ方を日本側が受け止め得ているからであろう。押し付けるのではなく、語り合うことで、フィリピンに日本と同一の方向性を共有させることに成功したのが今回の例ではないか


 フィリピンからみればチョロいものだ。フィリピンの大統領が援助を貰える日本を訪問して日本を褒めた。それを指して「フィリピンに日本と同一の方向性を共有させることに成功した」(桜井)というのは、まず脳天気なものだ。


■ アセアン海洋国の態度を理解できない桜井さん

 それを受けてアジア的曖昧さ言い出すのは、まずは桜井さんの不見識さを示すものでしかない。

米国の影響力が相対的に弱まる中、日本は米国の合理的戦略論とともに、アジア流の曖昧路線を理解することが大事である。欧米流の理屈だけでは対処できないことを肝に銘じ、各国独自の歴史や文明、価値観を心に刻むことである。


 単に発言主張に一貫性がないだけの話を曖昧路線といいだすのは持ち上げたものだ。世論に乗っかるだけのポピュリズム大統領は深慮があって曖昧にしているわけではない。その場しのぎに過ぎない。

 しかもそれをアジア的で理解不能と言い出している。このあたりは他国の立場の理解も怪しいことが窺われる。

白とも黒ともはっきりしない曖昧な立場は、理屈では説明できない。フィリピンを含むアジア諸国の主張はこのようによく分からないことが多い。


 中国問題でのアセアン海洋国の態度は普通に理屈で説明できる。安全保障で不安を抱えているが、経済的には中国の協調を維持したいだけの話だ。日本は中国とのバランサーで引き込みたいが、アレな日本の対中政策に巻き込まれると中国との経済的関係を損なう。だから、日本の歓心をひきつつ中国を否定しない言動をとっているだけだ。


■ いまだにアジアの盟主気取りの桜井さん

 なかでも、最も時代錯誤な状況認識が「アジアのリーダー」である。桜井さんは最後に
常識では理解し難い現象が世界中で続発するとき、「日本人」とひとくくりにされる私たち日本民族の、実は非常な多様性に満ちた歴史を思い出して、1つの価値で決めつけることへの自戒とするのだ。そうしてこそ、アジアの「曖昧さ」も理解でき、したがってアジア諸国のリーダーともなり得るのである。

と述べている。

「常識では理解し難い現象が世界中で続発するとき、「日本人」とひとくくりにされる私たち日本民族の、実は非常な多様性に満ちた歴史を思い出して、1つの価値で決めつけることへの自戒とするのだ。」(桜井)とは何をいっているのか分からない。何を主語として「自戒とする」のかは不明である。

 だが「アジア諸国のリーダーともなり得るのである。」(桜井)の主語は前文の「私たち日本民族」か「日本人」かどちらかである。

 だが、いまどき日本がアジアでリーダーの地位に立てるのだろうか? それを考えればよい。そんな見込みはないし、それによる利益もない。老大国日本の消耗を早めるだけに終わる。

 それを訴える桜井さんも相当に時代錯誤でしかない。まずは60年代70年代の英国で大英帝国復興を訴える老人のようなものだ。そして、その主張を得とする桜井読者もまた、かつてのジャパン・アズ・ナンバーワンで時代が止まった御仁だということだ。いまだにマレーシアのマハティールがルックイーストとかいいだすつもりなのだろう。既にテイクオフしたマレーシアに日本がデカイ顔をできたのは00年、せめて05年くらいまでの話なのに。

 著者と読者はともに年を取るという。桜井さんもそろそろ後期高齢者となる。ご老人には長生きしてもらいたものだが、中にはさっさと仏壇の中に引っ越してほしい方もいるなあと思ったものだ。





■ 追 記 

やっぱ文章としてどうかしてる
・ 「常識では理解し難い現象が世界中で続発するとき、『日本人』とひとくくりにされる私たち日本民族の、実は非常な多様性に満ちた歴史を思い出して、1つの価値で決めつけることへの自戒とするのだ。」(桜井)
の修飾節を抜くと
・ 「常識では理解し難い現象が世界中で続発するとき、1つの価値で決めつけることへの自戒とするのだ。」
となるが。そっから骨格部分を抜き出しても
・ 「理解し難いとき、決めつけることへの自戒とするのだ。」
としかならない

本文の文脈から言いたいことが
「理解しがたい事態が起きたときには、理解できるように視点を切り替えるべきだ。一つの視点に拘泥するのではなく、多視点でみるように心がけなければならない。理解できないといった認識そのものが固定した観点への執着であり、視野の狭窄を示すものだ。自戒すべきだ」かね。

まあ、『月刊日本』の小林節さんの記事によると対談にアシスタントがきて対談を作る。そこでも「桜井が『こう言ってくれ』と言っているから総主張してくれ」が実情とのことだから。アルバイトさんあたりのヤッツケ仕事なんだろうね。桜井さんのチェックが甘いし、いざとなれば「日本が大好きだ」といえば許してくれるから手抜きしても大丈夫だと思ってるんじゃないかな。
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