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神立尚紀さんが「ゼロ戦」に怒っている。面倒でも「零戦」と表記しろ、「レイ戦」と読めといった主張である。

だが、神立さんの主張は正しいのだろうか? 本当に「搭乗員の間では一般には「レイセン」、一部部隊で「ゼロセン」と呼ぶ人もいたが『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)と言い切れるのだろうか? 軍隊内の表記に「0戦」や「ゼロ戦」があり、そのような読みがあったらどうするのか?
というのも、手書きの時代の表記は適当だからだ。昔はパソコンもワープロもコピーもない。だから略字や略表記を使っていた。面倒な字を一々書いていられないからだ。
■ 筆記経済を無視した主張
実際に旧海軍の表記を見てもさほど厳密ではなく「『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)どころではないためだ。
特に画数の多い字は省略される。
例えば短艇の例はそれだ。旧海軍も海自も櫂漕型の短艇は普通にカッターで済ませている。書くのが面倒だからだ。普通に「カッター」と表記するし、あるいは「舟カ」といった略字も作っている。この字は『高松宮日記』に出てくる。
さらに空母機動部隊をKDB等と筆記する例もそれだ。特にこれは従来の英語略字から作られたものではない。自然発生的な表記も受容したものだ。
特に日常的に使う文字なら適当に略される。筆記上の経済性を追求するためだ。
台湾が良い例だ。正式名称が大字の「臺灣」なのに「台湾」と略字で書き、台湾人はそれでも面倒と手書きでは漢字の中にTWとも書く。
日本円や人民元も同じだ。金額を書くのにいちいち大字の「圓」なんて書いていられない。日本では崩して囗に人と書き、今ではさらに省略して「円」と書いている。中国は同じ発音の「元」ですませている。
この点からすれば「『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)漢字筆記の経済性を無視した相当に怪しい発言だということだ。特にメモや写し文書、細密字を書きにくいガリ版で「0戦」や「ゼロ戦」が出て来ることは充分に予想できるし、その場合、主張は容易にひっくり返ってしまう。
■ 日本語は読みの規範がテキトー
読みも同じだ。零をレイとだけ読ませるのには無理がある。「零落」といった例外を除けば、もともとが数字の「0」の意味に当てるために使われている字のためだ。難読訓同様にゼロと読んでも誤りではない。例えば「等」を「など」と読む人がいるのと同じことだ。
そもそも、日本語での漢字の訓みは固定していない。人名漢字がいい例だが、誰がどう読んでも文句は言えない言語である。だから日本語学習者は困っている。
さらに軍隊式の読みを国語で強制するのも無理がある。「零戦」を「レイセン」と読めと強要するのは、「一〇式戦車」を「ヒトマル式センシャ」と読めといっているようなものだ。軍隊内部は縛れてもシャバを縛れない。
その軍隊内部での表記も揺れる。「一三年式機関銃」は「じゅうさんねん式機関銃」でもある。正式名称「三十八年式小銃」は用途から三八式歩兵銃と常に略称略記され、さらに「サンハチ」ではなく「サンパチ」と常訓されている。
この点からしても「レイセン」と読め、「ゼロ戦」は許さないは乱暴な主張であるということだ。
■ ゼロ戦警察神立さん
では、なぜ神立さんはそのような主張をするのか?
権威を示したいのだろう。「オレは一人者であり正しい表記、発音を知っている」といったものだ。零戦で衣食しているうちに、零戦の権威となって、俺が正解と決めたレイ戦以外は許さないといったゼロ戦警察となった。そのあたりだろう。
だが、やっていることは「さいたま」警察と同じものだ。
これは「さいたま市」の「さ」の字は「ち」を裏返した二画が正しい、三画は誤りとするものだ。マヌケなことに住所表記の漢字部分では二画「さいたま市」、そのふりがなでは三画「さいたまし」と書くのが正しいといっている連中である。
これは教員に多い。他にも埼玉警察や薩摩警察もいる。埼玉の「埼」は山か立か、薩摩の「薩」は文か立かのゆれを許容せず、正しい表記を言い出してテストで◯☓をつける教員がそれだ。大きく見れば掛け算の順番警察と同じものだ。
その伝から言えば神立さんの主張も、まずは小学校教員が掛け算の順番で正邪を言い立てているのと同じようなものである。
そのような無意味な主張を崩すためにも、新聞等が普及しているゼロ戦を常用することはむしろ好ましいものでもあるだろう。

神立尚紀@koudachinaoki 2時間2時間前
零戦を「ゼロ戦」と表記するのはやめて欲しいですね。これは戦後の戦記漫画ブームの頃から広がったインチキ表記ですから。
先人たちの底力 知恵泉「ゼロ戦開発の光と影~世界に通用する技術を生むには~」
https://twitter.com/koudachinaoki/status/805621784162598913
神立尚紀 @koudachinaoki
朝日新聞の表記は「零戦」で、漢字に「ゼロセン」とルビが振られている。搭乗員の間では一般には「レイセン」、一部部隊で「ゼロセン」と呼ぶ人もいたが「ゼロ戦」との表記はしていません。そこまで言わないといけませんか?私は「ゼロ戦」の表記について言っている。無用な揚げ足取りはやめてね。
https://twitter.com/koudachinaoki/status/805644321332432900
だが、神立さんの主張は正しいのだろうか? 本当に「搭乗員の間では一般には「レイセン」、一部部隊で「ゼロセン」と呼ぶ人もいたが『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)と言い切れるのだろうか? 軍隊内の表記に「0戦」や「ゼロ戦」があり、そのような読みがあったらどうするのか?
というのも、手書きの時代の表記は適当だからだ。昔はパソコンもワープロもコピーもない。だから略字や略表記を使っていた。面倒な字を一々書いていられないからだ。
■ 筆記経済を無視した主張
実際に旧海軍の表記を見てもさほど厳密ではなく「『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)どころではないためだ。
特に画数の多い字は省略される。
例えば短艇の例はそれだ。旧海軍も海自も櫂漕型の短艇は普通にカッターで済ませている。書くのが面倒だからだ。普通に「カッター」と表記するし、あるいは「舟カ」といった略字も作っている。この字は『高松宮日記』に出てくる。
さらに空母機動部隊をKDB等と筆記する例もそれだ。特にこれは従来の英語略字から作られたものではない。自然発生的な表記も受容したものだ。
特に日常的に使う文字なら適当に略される。筆記上の経済性を追求するためだ。
台湾が良い例だ。正式名称が大字の「臺灣」なのに「台湾」と略字で書き、台湾人はそれでも面倒と手書きでは漢字の中にTWとも書く。
日本円や人民元も同じだ。金額を書くのにいちいち大字の「圓」なんて書いていられない。日本では崩して囗に人と書き、今ではさらに省略して「円」と書いている。中国は同じ発音の「元」ですませている。
この点からすれば「『ゼロ戦』との表記はしていません。」(神立)漢字筆記の経済性を無視した相当に怪しい発言だということだ。特にメモや写し文書、細密字を書きにくいガリ版で「0戦」や「ゼロ戦」が出て来ることは充分に予想できるし、その場合、主張は容易にひっくり返ってしまう。
■ 日本語は読みの規範がテキトー
読みも同じだ。零をレイとだけ読ませるのには無理がある。「零落」といった例外を除けば、もともとが数字の「0」の意味に当てるために使われている字のためだ。難読訓同様にゼロと読んでも誤りではない。例えば「等」を「など」と読む人がいるのと同じことだ。
そもそも、日本語での漢字の訓みは固定していない。人名漢字がいい例だが、誰がどう読んでも文句は言えない言語である。だから日本語学習者は困っている。
さらに軍隊式の読みを国語で強制するのも無理がある。「零戦」を「レイセン」と読めと強要するのは、「一〇式戦車」を「ヒトマル式センシャ」と読めといっているようなものだ。軍隊内部は縛れてもシャバを縛れない。
その軍隊内部での表記も揺れる。「一三年式機関銃」は「じゅうさんねん式機関銃」でもある。正式名称「三十八年式小銃」は用途から三八式歩兵銃と常に略称略記され、さらに「サンハチ」ではなく「サンパチ」と常訓されている。
この点からしても「レイセン」と読め、「ゼロ戦」は許さないは乱暴な主張であるということだ。
■ ゼロ戦警察神立さん
では、なぜ神立さんはそのような主張をするのか?
権威を示したいのだろう。「オレは一人者であり正しい表記、発音を知っている」といったものだ。零戦で衣食しているうちに、零戦の権威となって、俺が正解と決めたレイ戦以外は許さないといったゼロ戦警察となった。そのあたりだろう。
だが、やっていることは「さいたま」警察と同じものだ。
これは「さいたま市」の「さ」の字は「ち」を裏返した二画が正しい、三画は誤りとするものだ。マヌケなことに住所表記の漢字部分では二画「さいたま市」、そのふりがなでは三画「さいたまし」と書くのが正しいといっている連中である。
これは教員に多い。他にも埼玉警察や薩摩警察もいる。埼玉の「埼」は山か立か、薩摩の「薩」は文か立かのゆれを許容せず、正しい表記を言い出してテストで◯☓をつける教員がそれだ。大きく見れば掛け算の順番警察と同じものだ。
その伝から言えば神立さんの主張も、まずは小学校教員が掛け算の順番で正邪を言い立てているのと同じようなものである。
そのような無意味な主張を崩すためにも、新聞等が普及しているゼロ戦を常用することはむしろ好ましいものでもあるだろう。
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