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大学生の時分『アメリカ職人の仕事史』に感心したことがある。神保町で平台に乗った本を帰りの汽車で読みつくしてさらに翌日読み返すような面白さであった。
だが、後に古典としてロルトの『工作機械の歴史』を読むと興ざめした。感心した部分の多くはロルトが提示していた例であったためだ。もちろん、主張の根幹や焦点は異なっており、別の例も多く上げられている。マコーミックの刈入れ機械や木製歯車製の一〇ドル時計も確かあった。だが、一番おもしろいと思った銃器互換性や銃床倣い旋盤といった部分がロルト由来であることにがっかり来たものだ。
■ 引き写しの本もある
もっと酷いものだと、元の本をほぼ引き写した本に当たることもある。
例えば、小磯国昭について調べた時だ。あまりにアレなので題名まで覚えている。『怒り宰相小磯国昭』を閲覧したところ、本人の自伝『葛山鴻爪』にソックリ、少なくとも構造や事実関係の記述はそのままであったためだ。
また、比較的最近に出た掃海関係の市販本をみて「『航路啓開史』の文体を変えただけじゃないか」といったこともあった。ちなみに去年増補版がでているがいい面の皮だとおもったものだ。
『アメリカ職人の仕事史』はともかく、後二者のような本を出すヤツの気が知れないものだ。書いた本人の発見や主張はどこにもない。さらにオリジナルを読んだ読者には馬鹿にされるためだ。
読者はオリジナルの本を読んだことがないと信じられるのか不思議なものである。
■ 同人にも多い
同人にも多い。調べましたといって古い本や洋書の記述をそのままパクる例がそれだ。例えば、軍事史としてチュートニック・オーダーの同人をつくるとしよう。その中身の逐一が『北の十字軍』の引き写しであったとすればどうなるだろうか?
その場合、大空のさむらい他のゼロ戦戦記をまとめたお涙頂戴を自分で傑作といって恥じないハゲに似た図々しさを感じるだろう。馬鹿にされてしかるべきだろう。
引き写し元の本が増やしても意味もない。著者の新しい発見や主張がなければ結局はコピペだからだ。酷いのになると二種類の本から引き写した結果、一ヶ所では五インチ砲と書いてありながら片方は一二.七センチ砲と書いて気づかない例がある。両者は違う大砲だとでも思ったのだろう。
さらに創作が交じると愉快なものとなる。塩野七生あたりを読んで参考文献として古代ローマ軍事史でございに近いものとなれば爆笑だ。例えば、仮に例示したドイツ・カソリシズムの東方進出であれば、ジェームズ・ミッチェナーの『ポーランド』での歴史記述やエイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』でのチュード湖の戦いを真似るようなものであるためだ。
だが、後に古典としてロルトの『工作機械の歴史』を読むと興ざめした。感心した部分の多くはロルトが提示していた例であったためだ。もちろん、主張の根幹や焦点は異なっており、別の例も多く上げられている。マコーミックの刈入れ機械や木製歯車製の一〇ドル時計も確かあった。だが、一番おもしろいと思った銃器互換性や銃床倣い旋盤といった部分がロルト由来であることにがっかり来たものだ。
■ 引き写しの本もある
もっと酷いものだと、元の本をほぼ引き写した本に当たることもある。
例えば、小磯国昭について調べた時だ。あまりにアレなので題名まで覚えている。『怒り宰相小磯国昭』を閲覧したところ、本人の自伝『葛山鴻爪』にソックリ、少なくとも構造や事実関係の記述はそのままであったためだ。
また、比較的最近に出た掃海関係の市販本をみて「『航路啓開史』の文体を変えただけじゃないか」といったこともあった。ちなみに去年増補版がでているがいい面の皮だとおもったものだ。
『アメリカ職人の仕事史』はともかく、後二者のような本を出すヤツの気が知れないものだ。書いた本人の発見や主張はどこにもない。さらにオリジナルを読んだ読者には馬鹿にされるためだ。
読者はオリジナルの本を読んだことがないと信じられるのか不思議なものである。
■ 同人にも多い
同人にも多い。調べましたといって古い本や洋書の記述をそのままパクる例がそれだ。例えば、軍事史としてチュートニック・オーダーの同人をつくるとしよう。その中身の逐一が『北の十字軍』の引き写しであったとすればどうなるだろうか?
その場合、大空のさむらい他のゼロ戦戦記をまとめたお涙頂戴を自分で傑作といって恥じないハゲに似た図々しさを感じるだろう。馬鹿にされてしかるべきだろう。
引き写し元の本が増やしても意味もない。著者の新しい発見や主張がなければ結局はコピペだからだ。酷いのになると二種類の本から引き写した結果、一ヶ所では五インチ砲と書いてありながら片方は一二.七センチ砲と書いて気づかない例がある。両者は違う大砲だとでも思ったのだろう。
さらに創作が交じると愉快なものとなる。塩野七生あたりを読んで参考文献として古代ローマ軍事史でございに近いものとなれば爆笑だ。例えば、仮に例示したドイツ・カソリシズムの東方進出であれば、ジェームズ・ミッチェナーの『ポーランド』での歴史記述やエイゼンシュテインの『アレクサンドル・ネフスキー』でのチュード湖の戦いを真似るようなものであるためだ。
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