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小池都知事は決断できない病ではないか?
オリンピック施設移転はグズグズで終わり、豊洲も宙ぶらりんとなっている。
その中で病院移転を「現時点で白紙」としたといわれている。産経「小池都知事、大ナタ再び!舛添氏の肝いり…都立広尾病院移転計画『現時点で白紙』」がそれだ。
おそらく、これも決められずにグズグズとなるのだろう。決断すると批判をうけ、それにより支持を失うことを恐れるためだ。
■ 判断できない病ではないか?
小池都知事は問題提起はできても判断はできない。そのように見える。
本来、知事の仕事は決断にある。右行くか左行くかだけを決めるのがその立場だ。中身をゴチャゴチャするのは下僚の役割である。
調整のやり方もバルブの開け閉め程度のものだ。ある施策については促進か拒否か、つまりは蛇口を開くか絞るかである。方向性も漠然と示す程度である。
だが、知事はそれができていない。
発言をみてもそこには方向性を示すものはない。「都民ファースト」等の誰の耳にも心地よく聞こえ、そして中身のない漠然としたものだ。ではどの方向に進むのか?は示されていない。
結局は「良さげ」なことを言っているだけだ。「良いこと」を言っているのではない「良いことっぽいこと」を言っているだけである。
■ 批判を恐れている
おそらくは批判を恐れた結果である。
何かを決めれば、反対も生まれる。分かりやすいのが豊洲移転決定・中止だ。
極端な話、決定も中止もどっちでも良い話だ。豊洲に移転すれば魚河岸としての機能は死ぬが築地は再開発できる。移転を中止すれば豊洲の始末に金がかかるが、手続きの正当性を守ったことになるし魚河岸は生き残る。
だが、それを決めることで反対を受ける、批判されることが怖い。だから時間の経過を待ち、他人が決めるのを待とうとしている。それまでは「都民で意見が一致しない」とでもいうのだろう。決心しないいいわけである。
もともと自分は「良さげ」な発言だけでノシ上がってきたことは承知している。つまりはその人気も、世論と敵対しないことだけ、迎合することだけで達成されたものだ。
改革姿勢も、よく見ると「都民の敵」を口撃することだけだ。舛添前知事の政策を批判し、都議会のドンを批判し、そろそろ仏壇の慎太郎知事石原を責めているだけでしかない。
つまりは都民に対立できない。都民の嫌がること、不興を買うことはできない。
結果、都民で意見が分かれることは何も決定できない。片方に与するとモウ片方の支持を失うことを恐れるためだ。
■ 信念がない
そこに自分の信じた道を進む信念はない。
その点で保守の女政治家でも稲田防衛相とは異なる。稲田大臣はアレ思想だが理想、野望を持っている。自分が批判されてもそれは正しいので進む信念がある。
藪の中を進む犀の角のようなものだ。どのような抵抗があっても、叩かれても前に進む。その方向が宗教右派のアレ方向で迷惑だが躊躇ない。
これは社民党の福島みずほ副代表も同じ。節に殉ずる信念がある。歴史的役割を終え、滅びる社民党に残り続け、原理主義で地に足がつかないといわれながらも理想主義を貫いている。
対して小池知事にはその覚悟がない。まずは格が違うということだ。人気や実務能力、政治的才覚といったものは勝りながらも何もできない理由はこのようなものだ。
オリンピック施設移転はグズグズで終わり、豊洲も宙ぶらりんとなっている。
その中で病院移転を「現時点で白紙」としたといわれている。産経「小池都知事、大ナタ再び!舛添氏の肝いり…都立広尾病院移転計画『現時点で白紙』」がそれだ。
おそらく、これも決められずにグズグズとなるのだろう。決断すると批判をうけ、それにより支持を失うことを恐れるためだ。
■ 判断できない病ではないか?
小池都知事は問題提起はできても判断はできない。そのように見える。
本来、知事の仕事は決断にある。右行くか左行くかだけを決めるのがその立場だ。中身をゴチャゴチャするのは下僚の役割である。
調整のやり方もバルブの開け閉め程度のものだ。ある施策については促進か拒否か、つまりは蛇口を開くか絞るかである。方向性も漠然と示す程度である。
だが、知事はそれができていない。
発言をみてもそこには方向性を示すものはない。「都民ファースト」等の誰の耳にも心地よく聞こえ、そして中身のない漠然としたものだ。ではどの方向に進むのか?は示されていない。
結局は「良さげ」なことを言っているだけだ。「良いこと」を言っているのではない「良いことっぽいこと」を言っているだけである。
■ 批判を恐れている
おそらくは批判を恐れた結果である。
何かを決めれば、反対も生まれる。分かりやすいのが豊洲移転決定・中止だ。
極端な話、決定も中止もどっちでも良い話だ。豊洲に移転すれば魚河岸としての機能は死ぬが築地は再開発できる。移転を中止すれば豊洲の始末に金がかかるが、手続きの正当性を守ったことになるし魚河岸は生き残る。
だが、それを決めることで反対を受ける、批判されることが怖い。だから時間の経過を待ち、他人が決めるのを待とうとしている。それまでは「都民で意見が一致しない」とでもいうのだろう。決心しないいいわけである。
もともと自分は「良さげ」な発言だけでノシ上がってきたことは承知している。つまりはその人気も、世論と敵対しないことだけ、迎合することだけで達成されたものだ。
改革姿勢も、よく見ると「都民の敵」を口撃することだけだ。舛添前知事の政策を批判し、都議会のドンを批判し、そろそろ仏壇の慎太郎知事石原を責めているだけでしかない。
つまりは都民に対立できない。都民の嫌がること、不興を買うことはできない。
結果、都民で意見が分かれることは何も決定できない。片方に与するとモウ片方の支持を失うことを恐れるためだ。
■ 信念がない
そこに自分の信じた道を進む信念はない。
その点で保守の女政治家でも稲田防衛相とは異なる。稲田大臣はアレ思想だが理想、野望を持っている。自分が批判されてもそれは正しいので進む信念がある。
藪の中を進む犀の角のようなものだ。どのような抵抗があっても、叩かれても前に進む。その方向が宗教右派のアレ方向で迷惑だが躊躇ない。
これは社民党の福島みずほ副代表も同じ。節に殉ずる信念がある。歴史的役割を終え、滅びる社民党に残り続け、原理主義で地に足がつかないといわれながらも理想主義を貫いている。
対して小池知事にはその覚悟がない。まずは格が違うということだ。人気や実務能力、政治的才覚といったものは勝りながらも何もできない理由はこのようなものだ。
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