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須賀原さんはカルト小学校疑惑について、カルト幼稚園とカルト政権を擁護している。「財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけ」(須賀原洋行)と述べている。無理筋な擁護に努めているあたり、カルトから貰っているのか、あるいは政府から貰っているのか、その双方なのかと疑われるものだ。

■ 「財務省の売却は正当」(須賀原)
カルトと政権の癒着と、その結果としての国有地の横流しについて見たくないのだろう。
須賀原さんは現実を否認しようとしている。例えば「財務省佐川理財局長の答弁は論理的で具体的で法令に則った手続きをやってたことがわかる。」(須賀原洋行)、「財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけ」(須賀原洋行)の下りはそうだ。
須賀原さんにとて、カルトと政権の失策は認めたいくない。だから、その事実を存在しないものとして扱いたいわけだ。介護施設で脱糞した年寄りが「誰かがワシのおむつにウンコを入れた」と怒るようなものでしかない。
■ 才能の涸渇
なぜ、須賀原さんはそのようなことをするのか? 最近の須賀原さんのネトウヨ化、カルト化はなぜ起きたのか?
おそらく、自己肯定できる数少ない分野だからだろう。
須賀原さんの才能は20年前に涸渇している。これはNDL-OPACで単行本の刊行間隔を見れば明瞭だ。2000年ころに『モーニング』の『きわめてエノキダ』、『アフタヌーン』に掲載してた『よしえサン』が終わってから鳴かず飛ばずである。2005年から2010年はほぼ空白である。そして13年ころから、どうでもいい酒マンガを書いている。
つまり、本人にとっての社会的肯定感が失われている。「漫画家でございます」といって、「漫画家さんですか」と評価してくれることはなくなっている。昔の漫画家さんですよねで終わる時節となっている。
その肯定感を埋め合わせるのが、ネトウヨ分野でのネトウヨ発言によるネトウヨからの肯定なのだろう。有象無象のネトウヨの中では「もと一世風靡」は通用する。すぎやまこういちがヨイショされているのと同じものだ。
ツイッターで1万人が見ていてくれることで、寂しさを紛らわせている。そういうわけだ。
だが、その空間にどっぷり浸かれば染まる。支持者であるネトウヨにあわせ、関心を買う発言をしているうちに、ネトウヨ感覚に脳髄を支配される。その結果がカルト政権擁護である。
■ そのうち青林堂に連載する(大預言)
これはチバレイと全く同じ構造だ。
かつてチヤホヤされたチバレイは、そのチヤホヤを忘れられない。老化により容貌でのチヤホヤがなくなっても、チヤホヤを求めて彷徨い続ける。そしてネトウヨ世界に行き着きネトウヨに媚を売る卒塔婆小町である。
同じように、須賀原さんもチヤホヤを求めてネトウヨ世界に入り込み、ネトウヨからチヤホヤを集めようと躍起になっている。
本人は切実かもしれないが、その内実はゲラゲラでしかない。鵜飼と同じと、やがて悲しいと同情するものもあるかもしれない。
だが、結果において自由な行為である。「財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけ」(須賀原洋行)とは、その精華として存分に見下せばよい発言である。

■ 「財務省の売却は正当」(須賀原)
カルトと政権の癒着と、その結果としての国有地の横流しについて見たくないのだろう。
須賀原さんは現実を否認しようとしている。例えば「財務省佐川理財局長の答弁は論理的で具体的で法令に則った手続きをやってたことがわかる。」(須賀原洋行)、「財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけ」(須賀原洋行)の下りはそうだ。
須賀原洋行@tebasakitoriri
国会中継。財務省佐川理財局長の答弁は論理的で具体的で法令に則った手続きをやってたことがわかる。
それに対して民進党の福島伸亮議員「なんか怪しい」
自民党席から野次が飛ぶと大声で「あやしいじゃないか!」
https://twitter.com/tebasakitoriri/status/834932716764180481
須賀原洋行@tebasakitoriri
国会。共産党も同じ質問してるけど、埋設物をろくに撤去せずに小学校を建てようとしている森友学園を国会に呼んで追及する事案じゃないかな。財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけで、ここを攻めても「あとは先方のやる事」以外の答弁は出ないだろう。
https://twitter.com/tebasakitoriri/status/834954517326155776
須賀原さんにとて、カルトと政権の失策は認めたいくない。だから、その事実を存在しないものとして扱いたいわけだ。介護施設で脱糞した年寄りが「誰かがワシのおむつにウンコを入れた」と怒るようなものでしかない。
■ 才能の涸渇
なぜ、須賀原さんはそのようなことをするのか? 最近の須賀原さんのネトウヨ化、カルト化はなぜ起きたのか?
おそらく、自己肯定できる数少ない分野だからだろう。
須賀原さんの才能は20年前に涸渇している。これはNDL-OPACで単行本の刊行間隔を見れば明瞭だ。2000年ころに『モーニング』の『きわめてエノキダ』、『アフタヌーン』に掲載してた『よしえサン』が終わってから鳴かず飛ばずである。2005年から2010年はほぼ空白である。そして13年ころから、どうでもいい酒マンガを書いている。
つまり、本人にとっての社会的肯定感が失われている。「漫画家でございます」といって、「漫画家さんですか」と評価してくれることはなくなっている。昔の漫画家さんですよねで終わる時節となっている。
その肯定感を埋め合わせるのが、ネトウヨ分野でのネトウヨ発言によるネトウヨからの肯定なのだろう。有象無象のネトウヨの中では「もと一世風靡」は通用する。すぎやまこういちがヨイショされているのと同じものだ。
ツイッターで1万人が見ていてくれることで、寂しさを紛らわせている。そういうわけだ。
だが、その空間にどっぷり浸かれば染まる。支持者であるネトウヨにあわせ、関心を買う発言をしているうちに、ネトウヨ感覚に脳髄を支配される。その結果がカルト政権擁護である。
■ そのうち青林堂に連載する(大預言)
これはチバレイと全く同じ構造だ。
かつてチヤホヤされたチバレイは、そのチヤホヤを忘れられない。老化により容貌でのチヤホヤがなくなっても、チヤホヤを求めて彷徨い続ける。そしてネトウヨ世界に行き着きネトウヨに媚を売る卒塔婆小町である。
同じように、須賀原さんもチヤホヤを求めてネトウヨ世界に入り込み、ネトウヨからチヤホヤを集めようと躍起になっている。
本人は切実かもしれないが、その内実はゲラゲラでしかない。鵜飼と同じと、やがて悲しいと同情するものもあるかもしれない。
だが、結果において自由な行為である。「財務省は不良な土地をうまいこと売りさばいただけ」(須賀原洋行)とは、その精華として存分に見下せばよい発言である。
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