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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2017.07
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Category : 未分類
 松浦晋也さんは、フクシマ補完の高濃度トリチウム水は海洋投棄が合理的と主張している。これは東京新聞のツイートを受けての発言である。
東京新聞 原発取材班‏ @kochigen2017
東京電力の川村会長が、福島第一原発で大量(7/6現在、77万7000トン)に貯蔵しているトリチウム汚染水を海に捨てる考えを、共同通信などのグループインタビューで示しました。タンクがひっ迫しているのは分かりますが、”他の原発も捨てているから、ウチもいい”のでしょうか。
https://twitter.com/kochigen2017/status/885619380129746946

松浦晋也‏ @ShinyaMatsuura
「”他の原発も捨てているから、ウチもいい”のでしょうか。」って、小学生の言い分か。あまりに情緒的。繰り返す、トリチウムは自然界で大量に生成消滅しており、濃縮することもない。しかもその崩壊から出る放射線は微弱。だから、放出(東京新聞の書き方なら「海に捨てる」)が、最も合理的。
https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/886043913886117888



■ どの観点から「合理的」(松浦)なのだろうか

 この合理的とは何だろうか? 

 松浦さんは「合理的」とする理由として、自然界で大量発生すること、影響が微弱であると述べている。

 だが、それは事故を起こした電力会社の経営にとって合理的であるにすぎない。

 そして、それは幾つもの不合理を生むものだ。電力会社の事故責任を免除する不合理、外部不経済を認める不合理、汚染物質処理のルールに背く不合理だ。


■ 事故責任を免除する不合理

 トリチウム水の放出は、事故責任追求の面で不合理である。

 原因があって結果がある。原発事故の責任は東電にある。当然だが、これは刑事法上の責任だけでなく、民事上の責任も伴う。原発による被害の責任は東電が負うということだ。

 その観点からすれば、汚染水の海洋投棄は「その責任を免責しろ」というものだ。汚染水が発生した原因は東電にある。そしてその投棄によって損害を被るといった主張がある。この構造の中で、その汚染水の処理に困ったから、投棄をするというのは責任を逃れるものだ。

 さらにいえば、損害は現地漁民の風評被害にとどまるものではない。海はつながっている。その他の漁業者や、海を利用する人々にも影響する。

 それを東電経営上の都合といった観点だけをもって「合理的」(松浦)と主張するのは誤りだということだ。

 電力会社は「日本の原発は安全である、何かあっても責任持って対処する」と明言していた。それならば、東電が倒れるまで対処させるのが筋だということだ。

 この点で海洋投棄は合理的ではない。


■ 外部不経済を認める不合理

 第二の不合理は外部負経済を勧めている点だ。

 汚染水の海洋投棄は本来の処理コストを、企業外部に負わせる側面を持つ。この場合は、東電が負うべき負担を漁民のコストに回すことであり、あるいは日本国に負わせる、世界に負わせるものだ。

 これは責任を逃れることだけではなく、他者に転嫁するものでもある。

 日本に及ぶといった言い方は大げさではない。海洋投棄の負担は国家としての日本にもかかる。日本の評判を落とし、外交的不利に追い込むものでもあるからだ。

 これは事故当時を思い出せば良い。当時であってもロシアと韓国は汚染水の海洋投棄に抗議している。

 その海洋投棄を今日行えば、日本は世界中の批難を浴びるだろう。当時は緊急時であったため配慮があった。米国や中国は抗議しなかった。だが、今は状況が違う。その実施は批難の対象となる。なぜなら単に「水を貯めると金がかかる。だから放射性廃棄物を海洋投棄するのだ」といった構造であるからだ。

 この点でも海洋投棄は合理的ではない。


■ 廃棄物処理のルールに背く不合理

 第三の不合理は、廃棄物処理のルールに背くことだ。

 松浦さんは「トリチウムは自然界で大量に生成消滅しており、濃縮することもない。しかもその崩壊から出る放射線は微弱。だから、放出(東京新聞の書き方なら「海に捨てる」)が、最も合理的。」と述べている。

 その理屈でいうなら、企業による硫黄酸化物の廃棄も「合理的」(松浦)となるだろう。火山等、自然界で大量に発生しているし、希釈されるので影響は微弱だからだ。

 これはNOXやPM2.5、CO2にも言えるものだ。

 だが、今日それは許されるのだろうか?

 さらにいえば、海洋投棄や放射性廃棄物ルールにも背いてもいる。

 かつては放射性廃棄物は海洋投棄されていた。深海に捨てれば影響は微弱だからだ。

 しかし、今日では許されない。何でもかんでも安易に海洋投棄をした結果、いくつもの海が汚染せれた結果だ。だからロンドン条約により投棄は包括的に禁止されている。できるのは船舶の油水処理水、浄化槽処理水だけだ。だから不発弾の海洋投棄も行っていない。

 このルールの中で、放射能汚染水の投棄はどうみても合理的ではない。その中身がトリチウムであっても放射性廃棄物である。自然界で大量に生成されるものであっても、天然モノではない以上、廃棄物となるからだ。


■ お理工さんは原子力とロケットとヒコーキに甘い

 つまりは東電の企業経営にとって「合理的」(松浦)でしかないということだ。

 その背景には何があるか? 科学技術への無思慮な崇拝である。サイエンス・ライターやらSF作家やらメカミリマニア、まとめてお理工さんは巨大科学と自己同一化をする。
 一言でいえばカルト理系だ。興味の対象を崇拝対象とし、宗教的肯定に至る。当然ながら批判的視点はないし、それに許さない。

 これは原発だけではない。宇宙開発や航空開発もそうだ。ただその政策を肯定し、産業を擁護する。そして批判的に主張に対して宗教的反駁を試みる。さらにいえば、ニセ科学批判もその延長にある。

 宇宙開発は原発以上にキモチワルイ。商業的成功や経済的回収が見込めない日本の宇宙開発について全く批判しない。それどころではなく、夢見心地の戯言を言う。貧乏になった日本でそれに金を注ぎ込めとも言う。

 航空開発も同じだ。特に武器はナショナリズムとくっついて世界一であるように言う。F-2ヨイショはいい例だ。成功したF-16の外形を持ってきて、外国製エンジンをつけて傑作国産機とは何事だということだ。


■ カミオカンデに流し込めばイイんじゃね?

 彼らに冷水をブッかける一番いい方法な何だろうか?

 カミオカンデを廃止して保管場所にすることだ。それにより汚染水の海洋投棄の合理性とやらを否定し、しかも巨大科学への憧憬を踏みにじることができるからだ。

 理論物理学なぞやめても何も起きない。しかも金ばかりかかる巨大実験施設である。その維持は貧乏になりつつある日本がやることではない。

 もちろんやりたいやつはやればよい。紙と鉛筆でもできるだろうし、同盟国アメリカや欧州にいってもよい。自分の才覚を中国やインドに売り込み、金主になってもらってもよいだろう。

 国家としての教育研究であれば、その金を高校無償化なり大学奨学金にあてればよい。そっちのほうがよほど日本の競争力を底上げするものとなる。巨大科学のバルブ操作係を100人要請するよりは、1万人の学生をバイト時間を減らして勉強させたほうがよい。

 あるいは社会科学、人文科学を含む他の科学分野にぶっこんだほうがよい。ノーベル物理学賞を一人つくれるかどうかの予算で、社会・人文の文系科学なら1000人は養えるだろうよ。
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