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昨月来の多忙が終わって水木と東京市内まで出たのだけれども。
水曜は営業で最後に映画。「まー、あれだろうな」と思っていた『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』は「まー、そんなもんだろう」といった中身。そういう映画だし、それを承知で見てきたのだがもう少し俗向けにつくってもいいのではないかと。まあ、それを含めて普段見ているものと違う映画やら本をみようといった心持ちで見に行ったのだけれども。
ただまあ、不倫のシーンに部屋になだれ込まれた兄が「彼女は社交界の花だぞ」というあたりはなかなか。「売り物、買い物だろ」「だから不倫じゃない」と言う理屈は大陸にもあったのだねと。
あと撮影は屋内と庭だけ。ごく一部で学校と教会と墓地がでてくるだけ。ただ衣装と髪型は凝っていた。今から見るとアゴヒゲは滑稽で厄介にしても、未来が無髪社会になれば頭髪も物珍しかろうといったあたりなのでなんともね。
映画の中身は「主人公が一人暮らしすればれば全部解決」かなと。当時の社会がそれを許すかはともかくはそういったものです
ただ、次のアルゼンチン映画は面白そうなものです。
・ 「その視線の先に」(沢田教一写真展)
翌日最初に行ったのは沢田教一の写真展「その視線の先に」へ。日本橋高島屋でやっている展覧会。性質上、それほど混んでいるとは考えなかったが、平日12時には結構に混んでいて、1時間チョイあとに出るとチケットが長蛇で早めにきてよかったと。
上部分は「安全への逃避」があるけど、著作権的にどうかと思ってオミットしました。展示会に見に行ってください。
インドシナ半島以前の部分も結構面白いもので、青森の風景がカラーで採られている。昔のカラーはダルい感じなのに、ピントや構図に加え、発色も粒子性(解像度)もカリッとしている。昼間なら80年代90年代と大差はない。三沢で写真屋さんやってたのでスーパーセイバー(後ろにB-47)の写真もある。似たようなヒコーキ写真も相当あるのではないかね。
本筋のインドシナをみると、いい写真ほど「ちょっとピンぼけ」が多い。決定的瞬間、極短期間の一瞬を撮影したのがいい写真だからそうなる。そして、それを求めて激戦区を選んで行くし戦闘で前に前にでるから、キャパも沢田も一ノ瀬もみんな死んでしまう。MGへの給弾にが上手くいかなくて米兵が「アレ、アレ、アレ」ってのはまったくそんな写真。喜八の映画で軽機にマガジンを斜めに入れようとして入らなくてしかも力まかせに押しまくるから固着してパニクる初年兵のそれ。
先に写真集でも気づいたことだが、テト攻勢のフエ占拠と奪回での有名な写真はすべて沢田の撮影。王宮の塀沿で低い姿勢をとる米軍ほかの写真はそれ。亡くならずに75年のサイゴン解放に居合わせたらスゲー写真を撮ったんじゃないかねと
最後が奥さんのベトナム訪問(2016)の映像。写真集に関係した人と話したとき拙い沢田さん知識から「七つ年上の」といったら「いや11上」と訂正された。つまり25年生まれで90でベトナムを訪れたことになる。
その構造自体がよくできている。ご主人を全力で支えた奥さんとして知られているが、年齢も90だともう行けるかわからない、だから最後の機会だと行った。そこでご主人の写真が特出されて展示されているのを見て満足する。それは当然の話だが、展示の最後として非常によろしくできているものです。その旨はどこにも出てこないし健康だからそれはないでしょうけど「ベトナムに行って死んでも構わない」といった判断もあるのでしょうね。
ちなみに統一ベトナム繁栄の象徴で高島屋がでてくる。近代化されたビル群がでてくるけど、1カットまるまるのビル映像では一階に高島屋が入っている。生誕80周年記念の段階で高島屋が社会事業として協力してくれたから、それなら入れましょうといったものでしょう。
沢田教一作品展「その視線の先に」はオススメです。今日なら18時前くらいの夕刻、土日いくなら午前中か、あるいは月曜に行くのが一番でしょう。
水曜は営業で最後に映画。「まー、あれだろうな」と思っていた『静かなる情熱 エミリ・ディキンスン』は「まー、そんなもんだろう」といった中身。そういう映画だし、それを承知で見てきたのだがもう少し俗向けにつくってもいいのではないかと。まあ、それを含めて普段見ているものと違う映画やら本をみようといった心持ちで見に行ったのだけれども。
ただまあ、不倫のシーンに部屋になだれ込まれた兄が「彼女は社交界の花だぞ」というあたりはなかなか。「売り物、買い物だろ」「だから不倫じゃない」と言う理屈は大陸にもあったのだねと。
あと撮影は屋内と庭だけ。ごく一部で学校と教会と墓地がでてくるだけ。ただ衣装と髪型は凝っていた。今から見るとアゴヒゲは滑稽で厄介にしても、未来が無髪社会になれば頭髪も物珍しかろうといったあたりなのでなんともね。
映画の中身は「主人公が一人暮らしすればれば全部解決」かなと。当時の社会がそれを許すかはともかくはそういったものです
ただ、次のアルゼンチン映画は面白そうなものです。
・ 「その視線の先に」(沢田教一写真展)
翌日最初に行ったのは沢田教一の写真展「その視線の先に」へ。日本橋高島屋でやっている展覧会。性質上、それほど混んでいるとは考えなかったが、平日12時には結構に混んでいて、1時間チョイあとに出るとチケットが長蛇で早めにきてよかったと。

インドシナ半島以前の部分も結構面白いもので、青森の風景がカラーで採られている。昔のカラーはダルい感じなのに、ピントや構図に加え、発色も粒子性(解像度)もカリッとしている。昼間なら80年代90年代と大差はない。三沢で写真屋さんやってたのでスーパーセイバー(後ろにB-47)の写真もある。似たようなヒコーキ写真も相当あるのではないかね。
本筋のインドシナをみると、いい写真ほど「ちょっとピンぼけ」が多い。決定的瞬間、極短期間の一瞬を撮影したのがいい写真だからそうなる。そして、それを求めて激戦区を選んで行くし戦闘で前に前にでるから、キャパも沢田も一ノ瀬もみんな死んでしまう。MGへの給弾にが上手くいかなくて米兵が「アレ、アレ、アレ」ってのはまったくそんな写真。喜八の映画で軽機にマガジンを斜めに入れようとして入らなくてしかも力まかせに押しまくるから固着してパニクる初年兵のそれ。
先に写真集でも気づいたことだが、テト攻勢のフエ占拠と奪回での有名な写真はすべて沢田の撮影。王宮の塀沿で低い姿勢をとる米軍ほかの写真はそれ。亡くならずに75年のサイゴン解放に居合わせたらスゲー写真を撮ったんじゃないかねと
最後が奥さんのベトナム訪問(2016)の映像。写真集に関係した人と話したとき拙い沢田さん知識から「七つ年上の」といったら「いや11上」と訂正された。つまり25年生まれで90でベトナムを訪れたことになる。
その構造自体がよくできている。ご主人を全力で支えた奥さんとして知られているが、年齢も90だともう行けるかわからない、だから最後の機会だと行った。そこでご主人の写真が特出されて展示されているのを見て満足する。それは当然の話だが、展示の最後として非常によろしくできているものです。その旨はどこにも出てこないし健康だからそれはないでしょうけど「ベトナムに行って死んでも構わない」といった判断もあるのでしょうね。
ちなみに統一ベトナム繁栄の象徴で高島屋がでてくる。近代化されたビル群がでてくるけど、1カットまるまるのビル映像では一階に高島屋が入っている。生誕80周年記念の段階で高島屋が社会事業として協力してくれたから、それなら入れましょうといったものでしょう。
沢田教一作品展「その視線の先に」はオススメです。今日なら18時前くらいの夕刻、土日いくなら午前中か、あるいは月曜に行くのが一番でしょう。
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