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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

プロフィール

文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

→ サークルMS「隅田金属」
→ 新刊・既刊等はこちら

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2017.08
26
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06:08
Category : 未分類
 学校教育は画一に斉一に実施しなければならない。そうしなければ人手はいくらあっても足りないからだ。そのため馬鹿みたいな単純化で分解してステップ・バイ・ステップで行う。水準も頭のわるい子に合わせる。実施もフィード・フォワードだ。そうでもしなければ20人30人をまとめて教育できないからだ。

 そこに一人ひとりに懇切丁寧な対応を求めるのは間違っている。それは家庭教師の仕事である。

 そこに「応用を効かせろ」というのは無理な話だ。松浦晋也さんの主張はそのようなものだ。


■ ショートカットを認めろ

 話の経緯はつぎのようなものだ。

すど‏ @ysmemoirs 8月3日
「1本85円の鉛筆を144本と,1冊144円のノートを15冊買います。合計はいくらでしょう」という数値設定の問題,かけ算の順序的にすごく面白そうじゃありません?
https://twitter.com/ysmemoirs/status/892950988633423873


返信先: @ysmemoirsさん
例えば「あなたが小学校の先生だとして,この数値設定の特徴に気づき,暗算で144×100=14400円と計算できる子を育てたいですか,育てたくないですか」的な問いを初等科数学科教育法の授業で教員志望の大学生に投げてみたらどうかしら。
https://twitter.com/ysmemoirs/status/892953673625501697


生天目あかり‏ @nabata_me 8月4日
これに関しては明確に答えられます。「NO」です。
理想は頭の中で最適化された計算を「確かめ算(検算)」として行い、表記上はそれぞれ別の掛け算から合算する方式を記入する。
そして「144×100のようなずるをした?」という問いに「いいえ」と答えられるようになるまでが「教育」です。
https://twitter.com/nabata_me/status/893500432504442880


松浦晋也‏ @ShinyaMatsuura 8月23日
こういう人がいることに衝撃を覚える。これは私の知る教育でもないし、数学でもない。算数でもない。なにか算数や教育に似た、泥船のようなものだ。応用が効かず、すぐに沈む。
https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/900328450501754880


松浦晋也‏ @ShinyaMatsuura 8月23日
ああそうか。これは従順な人材をつくる奴婢訓だ。
https://twitter.com/ShinyaMatsuura/status/900330162889211904



■ それが学校教育

 注目すべき点は「これは私の知る教育でもない」(松浦)点だ。松浦さんが受けた教育がそれであるにもかかわらずそれを言い出すことは奇妙である。なぜなら日本の小中学校教育は全部それだし、世界的にも大差はない。安価に教育を提供する手法だからだ。

 それに「応用が効かず」と文句をつけてもしかたもない。基本動作をやっている時にできる子が応用動作を持ち出しても面倒くさいし、下手をすると教室が混乱する。式の変形もできないのに100×144でいいと思い込む子が出たら厄介だ。

 逆にそれを認めろというのは無理難題だ。子供が面倒だと藤原の「藤」や権利の「権」を略字で書いたり、andをet、firstを1stと書いたらどうするかといったものだ。個人成果品の夏休みの書き取りドリルなら見て見ぬふりをされるが教室では許されない。

 たまたま算数と数学は成果品が同じ文字、数字になるだけの話だ。やってることは同じだ。 

 あくまでも実施上の都合が先に立ったものだ。もともと正解もない「漢字の書き順」と同じで、大量教育の便法としてそうしているだけだ。

 その前提に立たず「数学的に正しい」を振り回すのはどうかしている。松浦さんほかのスタンスからすれば「数学的に正しい子供を罰するな」なのだろう。だが、その答えは数学としては正しいが、教育実施上での負荷なので認める訳にはいかない。科学や数学的に「正しい」ことだけを評価軸とし、実施負担への理解ができない点も、理系カルト的雰囲気を感じるものだ。


■ 小中学校教育に高望みしすぎ

 もちろん掛け算の順番やら漢字のトメ・ハライのようにすっ飛ばした方がいい部分もある。

 だが、教室教育としての効率を担保する単能化そのものまで「なにか算数や教育に似た、泥船のようなものだ。応用が効かず、すぐに沈む。」(松浦)と言い出すのは妥当を欠いている。教育やその中での算数なんてそんなものだ。

 そもそも小中学校の先生に応用を効かせられるだろうか? あまり頭もよろしくないのも多いし、まず機転も効かない。負荷がかかっている状況では、とうていそこまでの応用は効かせられない。希望してもいない下士官助教が熱意もない兵隊を教える状況のようなものだ。そこで応用動作やその後の発展をフォローするのは無理だ。

 必要なものは、馬鹿でも小学生になら教えられるマニュアルである。そしてその中身は単純から複雑にステップ・バイ・ステップで進む形であり、できる子にはあまりにも緩慢で馬鹿馬鹿しいもので、授業中に机の引き出しの中に文庫本を置いといて読んで億程度のカリキュラムである。
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