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首相が街頭に出られないのは、首相本人に問題があるからだ。
乳母日傘で甘やかされて生きてきたので厳しい状況には耐えられない。議会運営ができなくなるとお腹が痛くなる。それで政権を放り出す。その程度のカスだ。
その強がりも巨大な内弁慶だ。街頭で勝てないとニコニコ等のネトウヨ御用達メディアに映る。昨日でもそうだし、12年の選挙でも党首討論の条件にニコニコでの実施を要求してきた。その程度の御仁だ。
■ 梓弓さんの責任転嫁
だが、その責任転嫁を図る意見がある。
首相が街頭に出られない理由を抗議とヤジに帰する主張だ。
■ 民主主義の起源
だが、その主張こそ思慮に足りないものだ。
民主主義の起源である街頭抗議をもって「民主主義の敵」(梓弓)と主張しているからだ。民主主義的行動をさして反民主主義とは何事だろうか?
民主主義は街頭活動で専制政治を倒して出現してきた。宮廷や身分制議会で勝てても、街頭で勝てないから民主主義に移行したのである。
これは現代でも変わらない。チャウシスク体制を倒し民主主義にたのはどこか? 連帯はどのようにして統一労働者党と戦ったか? そういったことだ。
専横と汚職を繰り返す政権を街頭で批判する。それは民主主義のおこりそのものである。それを「有権者の権利を奪う民主主義の敵」(梓弓)というのは、むしろ民主主義に反するものだ。
端的に言えば、梓弓さんは「香港の雨傘革命や台湾のひまわり運動は『民主主義の敵』」と主張しているようなものだ。むしろ自分が「民主主義の敵」(梓弓)と自覚すべきである。
■ 街頭演説では抗議とヤジも自由
また、首相の演説が保護を受けると考えている点も間違っている。
また街頭の自由演説において、演説者の演説は一方的保護を受けない。出入り自由な場所での演説は実施は抗議とヤジの存在を前提としている。
街頭演説は自由往来で行われる。聞くも自由、聞かぬも自由だ。
さらにいえば、抗議もヤジも自由だ。これは選挙期間であってもなくても同じだ。
なぜなら演説を聞く前提ではないからだ。管理権が生まれるようなクローズされた会場ではない。演説側だけが一方的に保護される行為ではない。
街頭演説は性質上、抗議やデモを含む。それが民主主義体制である。
だが、それを理解せず保護されるべきと考える発想は甘い。その意味で梓弓さんの民主主義理解は甘い。おしるこ民主主義といったものだ。
■ 選挙期間に入っていない
さらにいえば公職選挙法でも首相の演説は公的に保護されない。
なぜなら選挙期間は始まってもいない。公示は10日である。それまでは選挙の候補者はあくまでも自称予定者に留まる。公的に保護する必要はない。
その意味でも首相の演説は保護される必要はない。極端な話、強力で演説を妨害しても、選挙の自由妨害にはならない。別の法律に引っかかるかどうかでしかない。
梓弓さんの主張はそれを理解していない。「演説の妨害は話を聞いて判断の材料にしたい有権者の権利を奪う民主主義の敵そのもの。」(梓弓)はそれ自体が誤りであるということだ。
つまり、抗議への批判は二重の意味で誤っているということだ。
乳母日傘で甘やかされて生きてきたので厳しい状況には耐えられない。議会運営ができなくなるとお腹が痛くなる。それで政権を放り出す。その程度のカスだ。
その強がりも巨大な内弁慶だ。街頭で勝てないとニコニコ等のネトウヨ御用達メディアに映る。昨日でもそうだし、12年の選挙でも党首討論の条件にニコニコでの実施を要求してきた。その程度の御仁だ。
■ 梓弓さんの責任転嫁
だが、その責任転嫁を図る意見がある。
梓弓 @Ma_R8
バカサヨクどもは安倍総理を攻撃した気になって喜んでいるが、演説の妨害は話を聞いて判断の材料にしたい有権者の権利を奪う民主主義の敵そのもの。しわすみ @s_w_s_m
安倍首相へのやじにピリピリ=演説場所、急きょ変更-自民 https://www.jiji.com/jc/article?k=2017100601268&g=pol …
この弁護士大先生の仰る通り、「総理がどういうこと言うのか聞きたい市民」のために演説妨害に対策打つのは当然だよなぁ?
https://twitter.com/katepanda2/status/916181278789058560 …
https://twitter.com/Ma_R8/status/916284733499117568
首相が街頭に出られない理由を抗議とヤジに帰する主張だ。
■ 民主主義の起源
だが、その主張こそ思慮に足りないものだ。
民主主義の起源である街頭抗議をもって「民主主義の敵」(梓弓)と主張しているからだ。民主主義的行動をさして反民主主義とは何事だろうか?
民主主義は街頭活動で専制政治を倒して出現してきた。宮廷や身分制議会で勝てても、街頭で勝てないから民主主義に移行したのである。
これは現代でも変わらない。チャウシスク体制を倒し民主主義にたのはどこか? 連帯はどのようにして統一労働者党と戦ったか? そういったことだ。
専横と汚職を繰り返す政権を街頭で批判する。それは民主主義のおこりそのものである。それを「有権者の権利を奪う民主主義の敵」(梓弓)というのは、むしろ民主主義に反するものだ。
端的に言えば、梓弓さんは「香港の雨傘革命や台湾のひまわり運動は『民主主義の敵』」と主張しているようなものだ。むしろ自分が「民主主義の敵」(梓弓)と自覚すべきである。
■ 街頭演説では抗議とヤジも自由
また、首相の演説が保護を受けると考えている点も間違っている。
また街頭の自由演説において、演説者の演説は一方的保護を受けない。出入り自由な場所での演説は実施は抗議とヤジの存在を前提としている。
街頭演説は自由往来で行われる。聞くも自由、聞かぬも自由だ。
さらにいえば、抗議もヤジも自由だ。これは選挙期間であってもなくても同じだ。
なぜなら演説を聞く前提ではないからだ。管理権が生まれるようなクローズされた会場ではない。演説側だけが一方的に保護される行為ではない。
街頭演説は性質上、抗議やデモを含む。それが民主主義体制である。
だが、それを理解せず保護されるべきと考える発想は甘い。その意味で梓弓さんの民主主義理解は甘い。おしるこ民主主義といったものだ。
■ 選挙期間に入っていない
さらにいえば公職選挙法でも首相の演説は公的に保護されない。
なぜなら選挙期間は始まってもいない。公示は10日である。それまでは選挙の候補者はあくまでも自称予定者に留まる。公的に保護する必要はない。
その意味でも首相の演説は保護される必要はない。極端な話、強力で演説を妨害しても、選挙の自由妨害にはならない。別の法律に引っかかるかどうかでしかない。
梓弓さんの主張はそれを理解していない。「演説の妨害は話を聞いて判断の材料にしたい有権者の権利を奪う民主主義の敵そのもの。」(梓弓)はそれ自体が誤りであるということだ。
つまり、抗議への批判は二重の意味で誤っているということだ。
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