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マルクス生誕200年記念『マルクス・エンゲルス』はキチンと面白い映画でした。アレな芸術映画とかルポ映画とは異なるドラマづくりができています。
映画はかの森林窃盗のシーンから始まります。森林から折れた枝を集める貧民のシーン。彼らは活きた樹木の枝を折ろうとはしない。それはしてはならないと考えている。つつましやかな柴刈りです。だが、それは法的には意味はない。いずれもおなじ森林窃盗である。そこから始まります。
時代背景は資本家による搾取が最高潮に達した時代です。その中でマルクスとエンゲルスの主張、それまでにいたらなくとも農民や職人の保護を訴えたプルードンの主張に違和感はありません。
その点で八〇年九〇年代的な「マルクスは間違っていた」は誤りでしょう。これらは後の自由主義-市場経済万能感の中で経済成長に劣る社会主義陣営を揶揄する言い方です。でも当時の状況、人間が人間として扱われない。経営者はなんでもあり。労働法は存在しない。そんな「あゝ野麦峠」的な「人間の顔がない資本主義」においてはマルクス他の主張は自然です。その労働者保護、労の対等化の部分は、今ではどの政治的スタンスでも否定できません。
さらにいえばマルクス・レーニン主義批判との差異もある。マルクス主義はマルクス・レーニン主義は同じ思想であるかといったものです。経済観としての労働者重視、資本家批判であるマルクス主義と、一党独裁のレーニズムは本来別個でしょう。
いずれにせよ、当時の労働側運動でのヘゲモニーのとりあいの映画でした。博愛主義や後にマルクス主義者に「空想的社会主義」として扱われる人々と、マルクスの争いを描くものです。まあ、マルクス派による空想的社会主義って表現自体が小乗仏教なみのdisだなあと思いますけどね。
そして不穏なシーンです。マルクスがエンゲレスから送金もらった途端にロブスター買ってくるところとか、女中さんにやけに優しげなところとか、エンゲルスの奥さんが妹が彼の子供を生みたいといっているとか。何かを暗示しています。まーそいったところです。
あと、エンディングがこの種の映画としては型破り、マルクス以降の世界の変化を資本主義/社会主義陣営での事件、被抑圧民族解放の映像のフラッシュバックをライク・ア・ローリング・ストーンで流す。マルクス・エンゲルスの思想のそのとおりになったわけではないですが、彼らは世界を変えたわけです。
おまけは俳優オリヴィエ・グルメですね。既述のピエール・ジョゼフ・プルードン役をしたのですが同期のW、今海幕施設課に勤務している機関幹部と顔芸がそっくりでそれが気にかかりました。
参考までにいえば、岩波ホールにしては混んでいます。月曜日16時00分からの回ですが、15時30分にチケットを買ったときの入場番号が31でした。上映開始のときには100人程度も集まっています。平日昼間なのに「アリンコのような労働なんてクソだ」という古代ギリシアでのセミのタイプ自由市民が集ったようです。
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上を書いて投稿したあとシャワー浴びながらふと思いついたのだけれども。
日本でのマルクス否定は経済的不効率と統制型の社会システム批判を理由とされる。
でも、マルクス主義はどっちかというと社会思想であって経済理論ではない、さらにそれを実現するための具体的システム設計を欠いている。現状批判としての「搾取するだけの資本家いらない」に過ぎない。
そして、後の経済理論化や中央統制システムはロシア革命以降のレーニズムによる。
つまり、マルクス自体は悪くないんじゃね?といえるのではないか。人間的にはあれっぽくてクズいと思うけど。
さらにいえば、マルクス主義と対比される資本主義や自由主義にしても別に矛盾しないではないか。ケインズも景気回復による労働者を含む国民生活救済と言った点でマルクスの問題意識や主張に重なる部分はある。ハイエクの自由主義とも国家による強制や抑圧への非難といった面では同じだ。
ある意味、社会思想史としては「マルクスからケインズへ」、「マルクスからハイエクへ」に発展した図式もできるのではないかと。
そして一番クソなのが、経済が一番拡大するからといったヘンテコ理解での新自由主義礼賛ではないかと。あれは個人の行動に政府は手を突っ込むなといったハイエク的な「社会かくあるべし」として評価すべきであって、「最も経済規模が拡大する方法だから新自由主義は正しい」(レーガン)といった80年的理解はいびつであるしそもそも正しいとは限らない。しかもイデアリズムとしての社会かくあるべしが全く抜けている点で唾棄すべきだとね。
もっとクソなのは、経済が一番拡大するからレッセフェールと言いながら、自分たちの仲間の利益のために年金の金を株相場に突っ込むとか、政府の力で宰相のオトモダチの学校に土地をあげるみたいな自己矛盾のアレね、「お爺ちゃんは少なくとも馬鹿と言われたことはないミクス」だと思うけどね
映画はかの森林窃盗のシーンから始まります。森林から折れた枝を集める貧民のシーン。彼らは活きた樹木の枝を折ろうとはしない。それはしてはならないと考えている。つつましやかな柴刈りです。だが、それは法的には意味はない。いずれもおなじ森林窃盗である。そこから始まります。
時代背景は資本家による搾取が最高潮に達した時代です。その中でマルクスとエンゲルスの主張、それまでにいたらなくとも農民や職人の保護を訴えたプルードンの主張に違和感はありません。
その点で八〇年九〇年代的な「マルクスは間違っていた」は誤りでしょう。これらは後の自由主義-市場経済万能感の中で経済成長に劣る社会主義陣営を揶揄する言い方です。でも当時の状況、人間が人間として扱われない。経営者はなんでもあり。労働法は存在しない。そんな「あゝ野麦峠」的な「人間の顔がない資本主義」においてはマルクス他の主張は自然です。その労働者保護、労の対等化の部分は、今ではどの政治的スタンスでも否定できません。
さらにいえばマルクス・レーニン主義批判との差異もある。マルクス主義はマルクス・レーニン主義は同じ思想であるかといったものです。経済観としての労働者重視、資本家批判であるマルクス主義と、一党独裁のレーニズムは本来別個でしょう。
いずれにせよ、当時の労働側運動でのヘゲモニーのとりあいの映画でした。博愛主義や後にマルクス主義者に「空想的社会主義」として扱われる人々と、マルクスの争いを描くものです。まあ、マルクス派による空想的社会主義って表現自体が小乗仏教なみのdisだなあと思いますけどね。
そして不穏なシーンです。マルクスがエンゲレスから送金もらった途端にロブスター買ってくるところとか、女中さんにやけに優しげなところとか、エンゲルスの奥さんが妹が彼の子供を生みたいといっているとか。何かを暗示しています。まーそいったところです。
あと、エンディングがこの種の映画としては型破り、マルクス以降の世界の変化を資本主義/社会主義陣営での事件、被抑圧民族解放の映像のフラッシュバックをライク・ア・ローリング・ストーンで流す。マルクス・エンゲルスの思想のそのとおりになったわけではないですが、彼らは世界を変えたわけです。
おまけは俳優オリヴィエ・グルメですね。既述のピエール・ジョゼフ・プルードン役をしたのですが同期のW、今海幕施設課に勤務している機関幹部と顔芸がそっくりでそれが気にかかりました。
参考までにいえば、岩波ホールにしては混んでいます。月曜日16時00分からの回ですが、15時30分にチケットを買ったときの入場番号が31でした。上映開始のときには100人程度も集まっています。平日昼間なのに「アリンコのような労働なんてクソだ」という古代ギリシアでのセミのタイプ自由市民が集ったようです。
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上を書いて投稿したあとシャワー浴びながらふと思いついたのだけれども。
日本でのマルクス否定は経済的不効率と統制型の社会システム批判を理由とされる。
でも、マルクス主義はどっちかというと社会思想であって経済理論ではない、さらにそれを実現するための具体的システム設計を欠いている。現状批判としての「搾取するだけの資本家いらない」に過ぎない。
そして、後の経済理論化や中央統制システムはロシア革命以降のレーニズムによる。
つまり、マルクス自体は悪くないんじゃね?といえるのではないか。人間的にはあれっぽくてクズいと思うけど。
さらにいえば、マルクス主義と対比される資本主義や自由主義にしても別に矛盾しないではないか。ケインズも景気回復による労働者を含む国民生活救済と言った点でマルクスの問題意識や主張に重なる部分はある。ハイエクの自由主義とも国家による強制や抑圧への非難といった面では同じだ。
ある意味、社会思想史としては「マルクスからケインズへ」、「マルクスからハイエクへ」に発展した図式もできるのではないかと。
そして一番クソなのが、経済が一番拡大するからといったヘンテコ理解での新自由主義礼賛ではないかと。あれは個人の行動に政府は手を突っ込むなといったハイエク的な「社会かくあるべし」として評価すべきであって、「最も経済規模が拡大する方法だから新自由主義は正しい」(レーガン)といった80年的理解はいびつであるしそもそも正しいとは限らない。しかもイデアリズムとしての社会かくあるべしが全く抜けている点で唾棄すべきだとね。
もっとクソなのは、経済が一番拡大するからレッセフェールと言いながら、自分たちの仲間の利益のために年金の金を株相場に突っ込むとか、政府の力で宰相のオトモダチの学校に土地をあげるみたいな自己矛盾のアレね、「お爺ちゃんは少なくとも馬鹿と言われたことはないミクス」だと思うけどね
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