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お理工さんにとって科学とは自然科学でしかない。そもそも社会科学や人文科学の視点はない。そして自然科学サイドの意見は「科学的事実」であり、それが正解だと思いこんでいる。
そこには発言者への批判的評価はない。原子力やHPVワクチンで金を貰っているような連中の意見でも専門家の意見だから科学的事実であると信じ込む。だからトンチンカンな主張となる。
わこ @wako3999さんの意見はだいたいそうだ。(自然)科学の専門家が安全だと言ったら安全なんだ、といった信仰的確信がある。「専門家の科学的見地」はマスコミの「記者の『不安を伝えたいという結論』によって軽視される」や「メディアの仕事は(自然)科学的事実に基づき「不安を払拭する」ことの筈だと強く思う。」はその発露である。
■ フクシマまで「原子力は安全」と言ってたヤツラの太鼓判
だが、そこには足りない部分が多い。提示したツィートに出てくる不安というキーワードと、それを否定するための安全にしても理解は単純にすぎる。
評価をするためには詰めなければならない要素も大きい。安全とはなにか。専門家の判断は何を基準としているか。隠された危険性はないか。予防的な保安は必要ではないか。そのような問題である
そもそも従来の経緯をすっ飛ばしている。原子力事故も薬害も、専門家が常に科学的に安全と太鼓判を推しながら実際には事故を引き起こした例は多いからだ。原子力屋や医薬品メーカーは安全神話を振りまきながらなにかあると無責任を決め込んでいた。
かれらのいうことが信用できるか? ということだ。もちろんこれは反語表現である。
■ 批判的評価がないよね
言い換えれば組織や発言者についての評価がない。これはあまりにも脳天気である。
わこ(土曜/東シ37a) @wako3999さんを始めとするお理工さんは科学者のいうことは全く疑わない。
そこには批判的評価がない。批判的思考や史料批判といってもよい。「コイツが人前でいうことは全部真に受けていいのか?」といった疑問を持たないのは、相当にオヒトヨシである。
わかり易い例でいえば、菊地真や野尻抱介の原子力記事を信じるのはマヌケということだ。彼らは原子力ヨイショで現実的利益を得ている。だから原子力への悪口は書かない。
これは松浦晋也や大貫剛の航空宇宙記事も同じ。航空宇宙大好きで全肯定記事を求めるコドモ相手に記事を書いている。だから航空宇宙分野の取り組みは批判できない。どうみても事業化できないホリエモンロケットに将来があるようなことを言い出す。
あるいはHPVワクチンはもっと露骨である。薬剤としての評価も許可も利益相反にあふれている。製薬会社から金もらっているヤツのいうことを全部真に受けて信じるのはマヌケでしかない。
■ ジョン・マドックス賞受賞ってモンドセレクションとどー違うのかね
その上で、わこ@wako3999さんの主張を読むと味わい深い。
まあ、メディアの仕事は「科学的事実」だけの意見に「社会的には受容できないよね」と否定するのもはいっていると強く思うね。ワクチン報道もそう。利益相反やメーカーの利益、費用対効果を明示するが仕事である。それを見ないで、薬剤メーカが金出して作ったジョン・マドックス賞受賞だから安全とかいい出すのは、モンドセレクションを信じるくらいに馬鹿じゃないのと正直思いますね。いやほんと馬鹿じゃないのと思い出し怒りをするくらいに。
まー、ほかにも費用対効果の観点がないとかいっぱいあるけどね。社会の全ては自然科学じゃ決まらない。だが、世界が広くないのでその理解には到達しないのだろう。
そこには発言者への批判的評価はない。原子力やHPVワクチンで金を貰っているような連中の意見でも専門家の意見だから科学的事実であると信じ込む。だからトンチンカンな主張となる。
わこ @wako3999さんの意見はだいたいそうだ。(自然)科学の専門家が安全だと言ったら安全なんだ、といった信仰的確信がある。「専門家の科学的見地」はマスコミの「記者の『不安を伝えたいという結論』によって軽視される」や「メディアの仕事は(自然)科学的事実に基づき「不安を払拭する」ことの筈だと強く思う。」はその発露である。
わこ(土曜/東シ37a) @wako3999
興味深く読ませて頂いてます。福島を例に取りますが、記者さんの書きたい結論に沿った取材になるのは仕組みとして理解しつつも、取材を受けている筈の「放射線の専門家の科学的見地」が記者の「不安を伝えたいという結論」によって軽視される事が多発した事実は私の中で大きな不信感となっております
https://twitter.com/wako3999/status/1021668819914260481
わこ(土曜/東シ37a) @wako3999
メディアの仕事は科学的事実に基づき「不安を払拭する」ことの筈だと強く思う。ワクチン報道もそう。「気持ちに寄り添う」のは社会面や福祉でやれ。「事実に寄り添う」を科学記事でしないのは怠慢であり馬鹿じゃないのと正直思っとります。いやほんと馬鹿じゃないの。思い出し怒り。
https://twitter.com/wako3999/status/1021670948594900995
■ フクシマまで「原子力は安全」と言ってたヤツラの太鼓判
だが、そこには足りない部分が多い。提示したツィートに出てくる不安というキーワードと、それを否定するための安全にしても理解は単純にすぎる。
評価をするためには詰めなければならない要素も大きい。安全とはなにか。専門家の判断は何を基準としているか。隠された危険性はないか。予防的な保安は必要ではないか。そのような問題である
そもそも従来の経緯をすっ飛ばしている。原子力事故も薬害も、専門家が常に科学的に安全と太鼓判を推しながら実際には事故を引き起こした例は多いからだ。原子力屋や医薬品メーカーは安全神話を振りまきながらなにかあると無責任を決め込んでいた。
かれらのいうことが信用できるか? ということだ。もちろんこれは反語表現である。
■ 批判的評価がないよね
言い換えれば組織や発言者についての評価がない。これはあまりにも脳天気である。
わこ(土曜/東シ37a) @wako3999さんを始めとするお理工さんは科学者のいうことは全く疑わない。
そこには批判的評価がない。批判的思考や史料批判といってもよい。「コイツが人前でいうことは全部真に受けていいのか?」といった疑問を持たないのは、相当にオヒトヨシである。
わかり易い例でいえば、菊地真や野尻抱介の原子力記事を信じるのはマヌケということだ。彼らは原子力ヨイショで現実的利益を得ている。だから原子力への悪口は書かない。
これは松浦晋也や大貫剛の航空宇宙記事も同じ。航空宇宙大好きで全肯定記事を求めるコドモ相手に記事を書いている。だから航空宇宙分野の取り組みは批判できない。どうみても事業化できないホリエモンロケットに将来があるようなことを言い出す。
あるいはHPVワクチンはもっと露骨である。薬剤としての評価も許可も利益相反にあふれている。製薬会社から金もらっているヤツのいうことを全部真に受けて信じるのはマヌケでしかない。
■ ジョン・マドックス賞受賞ってモンドセレクションとどー違うのかね
その上で、わこ@wako3999さんの主張を読むと味わい深い。
わこ(土曜/東シ37a) @wako3999
メディアの仕事は科学的事実に基づき「不安を払拭する」ことの筈だと強く思う。ワクチン報道もそう。「気持ちに寄り添う」のは社会面や福祉でやれ。「事実に寄り添う」を科学記事でしないのは怠慢であり馬鹿じゃないのと正直思っとります。いやほんと馬鹿じゃないの。思い出し怒り。
https://twitter.com/wako3999/status/1021670948594900995
まあ、メディアの仕事は「科学的事実」だけの意見に「社会的には受容できないよね」と否定するのもはいっていると強く思うね。ワクチン報道もそう。利益相反やメーカーの利益、費用対効果を明示するが仕事である。それを見ないで、薬剤メーカが金出して作ったジョン・マドックス賞受賞だから安全とかいい出すのは、モンドセレクションを信じるくらいに馬鹿じゃないのと正直思いますね。いやほんと馬鹿じゃないのと思い出し怒りをするくらいに。
まー、ほかにも費用対効果の観点がないとかいっぱいあるけどね。社会の全ては自然科学じゃ決まらない。だが、世界が広くないのでその理解には到達しないのだろう。
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