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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2018.08
27
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Category : 未分類
 犀角独歩は仏教固有ではない。

 馬場紀寿『初期仏教』で驚いた中身だ。コミケ後も忙しくてなかなか神保町に出られなかった。だがようやく一段落して東方書店に納品した際に東京堂と高岡書店と明倫館と文房堂に行ってきた。その際に東京堂で買った岩波新書の新刊にそうあった。

 馬場によれば「おそらく当時のインド社会に広まっていたものが仏教に取り込まれ」(p.74)たとしている。『至彼岸』『犀角』といった韻文仏典は仏教オリジンではない。他の研究者も主張するように苦行者文学から取り入れた中身である。例えば仏教特有の語句がない。またマハーバーラタやジャイナ教とも共通している。また、当初は結集仏典としての権威はないこともその証拠としている。

 そして中村元のアプローチについての誤りを指摘している。中村は散文仏典の元は犀角のような韻文仏典である。そのように考えて韻文に仏教の基本的な姿を求めた。だが、馬場は上のような論拠を挙げ誤りを指摘した。
かつて中村元らの仏教学者が想定していた、韻文仏教から散文仏教(三蔵)へ発展したという単線的な図式が成り立たないことを意味する。韻文仏典に散文仏典(三蔵)の起源を見出すことには、方法論的な問題があるのである。
馬場紀寿『初期仏教』(岩波書店,2018)p.71


 岩波文庫の中村元を賞翫していた身とすればショックである。生きる指針とは大げさだが、その内容に感銘を受けていた。またブッダもそう言っているというのは一種自身につながったからだ。

 もちろん、だからといって『犀角』の価値が下がるわけでもない。『犀角』を読んでよい話と感銘を受けたことも、それが正しい道であると考えたことも別段損なわれるわけでもないからだ。

 ただ、疑い部角はなった。ショックを受けた上でサーリプッタとモッガラーナの回心の部分の記述を読むと、今まで言われていたことを勝手に疑う心持ちになる。
サーリプッタとモッガラーナは二五〇人を伴ってブッダの下へやってきて、弟子となった。二人は解脱し、ブッダは彼らが自らの弟子の中で賢者の双璧となることを予言する
馬場(2018)p.94

この部分、なんとなくだが「ブッダは彼らが自らの弟子の中で賢者の双璧となることを予言する」と伝えたヤツはサーリプッタとモッガラーナの弟子ではないかと。自分の結脈の優位性を誇るために「ブッダはそういった」と後世に主張したのではないかとね。



 犀角独歩の件は、『乱』を見たあとで「流石は黒沢明、ドラマツルギースゲー」と思ったあとで、『リア王』を知るようなものかねえ。ただ、高校生のときに買った新潮のリア王は読みにくくて最後まで読まなかった、読んでもあんま感銘を受けなかったと思う。30年前の記憶でも道化師のモノローグの部分がどうもぶった切られる感じがした。同時期の佐藤春夫訳のちくま文庫の『千夜一夜』は何回も読んだのだが。
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