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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2019.03
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Category : 未分類
 1942年の米海軍作戦も敵進我進で説明できるのではないか?

 アーネスト・キングは大戦初期、太平洋方面においてフリート・イン・ビーイングとゲール・デ・クルースの併用を進めた。

 まずは大西洋からのスイングにより主力空母を日本同数の6隻とした。それにより日本側に決戦を難しくさせようとした。そのうえで空母や潜水艦を積極活用した。

 しかもそれを積極的に運用した。日本優勢の状況下において、防勢に陥りがちなニミッツに襲撃的な作戦の実施を求め続けた。空母を用いた外縁地域の急襲やドーリットル空襲、潜水艦による日本沿岸での襲撃やマキンの襲撃である。

 これは英仏戦争における仏作戦とよく比較される。1690年の英仏戦争や1777年のアメリカ独立戦争での仏海軍のそれだ。フリート・イン・ビーングで制海権を確保する。同時にゲール・デ・クルースにより自国艦隊を圧倒できる戦力を集中させない。ふるまいはそれに似ているといわれている。

 たが、それよりも似る作戦方針がある。同時期の八路軍の作戦だ。1941年から43年にかけて共産党軍は有名な敵進我退から劉伯承の敵進我進にシフトした。これとキングの方針は似ている。状況認識や決心も同じだ。ともに日本軍は戦線拡大により分散を極めたとする状況判断も、その薄くなった警戒線を突破し内側に入り込むべきといった判断だからだ。

 もちろん、そこには異同もある。米軍は一過性の攻撃を行い退いた。対して八路軍は敵後方にとどまり可能なら解放区を作る方針である。

 しかし、さらにその先にある根本的な発想をみるとやはり同じだ。決戦を回避しつつ同時に状況を有利にすべきといった発想である。なによりも決戦を追求して勝利を収める発想の裏返しである。まずは戦闘に勝って戦争に勝つのではなく、戦争に負けない、勝つ構図を作る発想の差である。

 なによりもアクティブである。その点で仏海軍の例よりも八路軍のほうが近いだろう。
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