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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2019.04
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Category : 未分類
 新元号が令和に決まった。 今上天皇の 御退位により 皇太子殿下が5月1日に 御即位される。その際に平成が令和に改元されることとなる。

 だが、令和の年数は平成の治を超えない。新憲法下において 御退位の先例が生まれ慣例となるためだ。天皇制は定年制となる。結果、 皇太子殿下が百歳を超える 御長寿を全うされても相当以前に 御退位される。つまり令和の治世は定年制により終わる。70歳定年なら最短12年、85歳定年なら最長27年となる。

 これは何を意味するだろうか?

 元号は今後、実用性を喪失する。定年制により次の次の元号、ポスト令和はさらに短く、おそらく5年で終わる。つまり令和とポスト令和の2代の 御治世は合計して最短16年、最長31年となる。頻繁な改元対応を避けるため元号利用は儀礼場面を除けば使われ難くなる。そう予想できる。

小さく_生前御退位の定年年齢と元号の期間

 
■ 令和は最長27年

 「令和は何年続くだろうか?」

 従前であれば不敬の発言である。明治憲法により 天皇は終身現役が定められた。定年や予備役は存在しなかった。そのため元号期間の予測は 崩御の予想となるため口にはできない問題であった。

 だが、今回の 今上御退位により状況は変化した。次の元号についての議論や予想は禁忌ではなくなった。当然、その期限を予想することもタブーではない。

 その前提に立って予想すれば、令和は最短12年から最長27年である。 皇太子殿下もおそらく定年制度の前例は踏まれる。その定年年齢を70歳とすれば令和は12年、85歳とすれば27年となる。

 令和の 御治世は平成の 御治世を超えない。そう予測できるのである。

 
■ 定年年齢の引き下げは必至

 その上でポスト令和を予測すると5年となる。まずは 文仁親王殿下は 皇太子殿下の5歳年下でいらっしゃる。そして同一年齢での 御定年となればポスト令和は5年だ。また宮廷は前例主義で動くため一番ありうる年数である。

 この計算では令和とポスト令和は32年となる。85歳定年制を前提とすればそうなる。

 ただし、定年年齢の引き下げにより短縮される可能性は高い。

  御定年年齢の引下議論は必至だ。85歳定年はあまりに過酷だ。 御退位後を楽しんでいただくためには80歳定年とすべきだ。あるいは75歳、70歳とすべきといった話は必ず出てくる。

  今上の85歳定年を維持する必要もない。なにより 悠仁親王殿下がいらっしゃる。無理に 治世を長引かせる必要もない。その点で 御退位は差し支えない。

  また制度上のハードルも低い。宮廷は前例主義で動くとは述べた。だが、 御歴代の事例を拝見すればより若年での 御退位例も多い。また他国王室の例も宮廷でいう勘例となりうる。

 
■ 令和と、ポスト令和は16~31年

 それからすれば令和と、ポスト令和は極めて短くなる。 今上天皇の 御定年が85歳、 皇太子殿下の 御定年を80歳と仮定すれば令和は22年だ。そして、 文仁親王殿下の 御定年も80歳ならポスト令和は5年となる。その場合の合計期間は暦年で26年である。

 この年数予想26年は 悠仁親王殿下の 御即位年齢との相性もよい。令和とポスト令和が22年であれば 悠仁親王殿下は39歳で 御即位される。 明治大帝は14歳、 昭和帝は25歳と比べて若年ということはなく、 今上の55歳 皇太子殿下の59歳よりもお若く公務が 御負担となるお年でもない。

 実際には合計はさらに短くなる。定年年齢はさらに下る可能性は高い。オランダの ベアトリクス女王の例に倣えば75歳定年である。その際には合計22年となる。70歳定年もありえない話ではない。その場合は合計16年だが 悠仁親王殿下の 登極は29歳であり違和感はない 御年齢だ。

 
■ 元号利用は儀礼に限定されるようになる

 いずれにせよ今後20年から30年の間に改元は2回ある。令和とポスト令和の合計は最短16年最長でも31年が限りとなるからだ。

 その結果、どうなるか。世間では元号をなるべく使わない選択がなされる。国民の 皇室へ敬慕や天皇制の支持にかかわらずそうなる。

 実際に兆しは見えている。今回の改元により表示はともかくシステム内部での元号利用は完全になくなった。また書類も西暦ベースが進んでいる。公的な免許証ほかも西暦が付され始めている。今後はそれがさらに進む。

 なによりも元号は年数計算がしづらい。元年は0年ではなく数えで1年、しかも1月1日始まりでもない。さらに複数年号をまたぐ必要性も増える。当然ながらそれは避けられる。

 また、改元や新元号が予想不可能な点も要因となる。今回は改元1ヶ月前まで次期元号は公表されなかった。本来なら昨年中に発表しても差し支えもない内容だ。だが、意図してそうされたのだ。

 その点からすれば保守派の振る舞いは元号殺しであった。次元号の秘匿が「天皇制の威厳を保つために必要」と時代遅れの主張があった。そしてその影響により将来の元号利用が低調となったのだ。しかも 今上は 御退位の理由として皇位継承に伴う国民生活の混乱回避を挙げられていた。その 大御心にも背く主張である。この点も保守派による次元号秘匿は没理非漢の振る舞いであった。

 

 * なお、本記事は従来は不敬であった元号期間の予測を行うものである。もちろん今回の 生前 御退位により予測は不敬ではなくなっている。だが、従前感覚から 皇室への敬意を欠くものと誤解される虞れがある。その疑いを避けるため意図して闕字として一文字を下げた。
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