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ooi@n_mさんは「東北の農民は獣肉魚肉をフンダンに食べていた」という。ooi@n_mさんの発言を総括するとそうなる。
これは瀬川深さんによるヴィーガニズムに関連する発言に反論をなしたものだ。反ヴィーガニズムに対しかつての日本もほぼ菜食のみに依存していたことを指摘している。
■ 「江戸の長屋では毎日お寿司と天麩羅が食べられていた」みたいな話だよね
それにooi@n_mさんは次のように述べている。
毎日「山菜、きのこ、すし漬」(ooi@n_m)「かすべの煮つけ、川魚・どじょう・つぶ
」(ooi@n_m)「野山のけだもの、うさぎと鶏、うさぎ汁"」(ooi@n_m)を食べていたと主張しているわけだ。
まずは「江戸の町民は毎日お寿司を食べていた」ような話である。もちろん社会階層次第では毎日贅沢な食事はしていただろう。だが、当時大多数の市民にはそのような余裕はない。
■ 「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」(瀬川)の「専ら」も理解できないらしい
もちろんそのようなことはない。当時の日本の食事は瀬川さんのいう「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」だからだ。特に経済的発展が遅れた内陸部ではそうなる。
まず経済条件から肉類は常食できない。だから「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」となる。
当時は100%の白米飯を食えない階層も多い。麦やら粟やら稗やらが混ぜられる。そのような経済状態では海産物を日常的に食べられない。それよりは白米を、あるいは麦ほかの増量を目指す。メザシや身欠きにしてもたまのごちそうでしかない。それを常食できると考えるほうがオカシイ。
だいたい商店がない。その状況では「山菜、きのこ、すし漬」(ooi@n_m)「かすべの煮つけ、川魚・どじょう・つぶ」(ooi@n_m)「野山のけだもの、うさぎと鶏、うさぎ汁"」(ooi@n_m)を日常的に入手できない。
さらに採取する暇もない。生業でカツカツだからだ。生きるために畑仕事や山仕事で手一杯である。そこで「家庭消費的な漁労や狩猟をすればいいだろ」と主張するのは相当にズレている。重労働と低賃金で飢餓線上にいる杣人に「お腹が空いたならイワナをとればよい」というようなものだ。
そもそも調理の手間から嫌がる。生業が忙しいので「かすべの煮つけ」といった面倒な食事はしない。それはハレのときのみだ。
■ 東北に溜め池があると考える(ooi@n_m)
さらにズレているのは溜め池である。ooi@n_mさっmは東北に食料供給に足りる溜池があると考えている。
溜め池は基本的にほぼ西国限りである。人口稠密であり稲作農業かつ水不足の地域に作られる。
つまり東北にはほとんどない。人口密度は低く稲作依存度も西国ほどではなく水は余っている。資本の蓄積も遅いので投資もない。つまり溜め池そのものがほとんど作られていない。
その点で「溜め池を干しあげればいいのです」というのは、何もわかっていないということだ。*
そもそも趣味の漁労と生活のための漁業を混同している。
漁労は経済的時間的余裕がいる。「仕掛け[を]かける」には仕掛けを買う必要がある。また取れるかとれないかわからない仕掛けを掛けて廻る時間がいる。つまりある程度余裕がある経済状態でなければならない。川漁師を除けばそうだ。
実際に川で漁労ができるのは自作農程度の経済的余裕がいる。簗やらウケやらウナギ押さえを買うだけの金が必要だ。それらは今のように安価な資材ではない。竹細工や鍛冶屋といった職人手作りである。** 簡単には買えない。
総括すれば、ooi@n_mさんによる瀬川深さんへの反論はことごとくピント外れということだ。
* 田んぼで魚を養殖するのもまずは関東-越後がほぼ限界である。新潟のメダカ佃煮や関東の金魚養殖までは聞くが以北ではほぼ聞かなくなる。
** 1年くらい前の季刊民族学に有明海の趣味ウナギ漁業の連載があったが、昭和30年ころでも資材は職人手作りであり今のように簡単に手に入るものではなかった。
これは瀬川深さんによるヴィーガニズムに関連する発言に反論をなしたものだ。反ヴィーガニズムに対しかつての日本もほぼ菜食のみに依存していたことを指摘している。
瀬川深@segawashin
何度か書いてるが俺の祖父は岩手山麓の山の中で前近代的な生活を送ってた最後の世代で、聞けば若いころの食など米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。魚釣りに行くだの山に野禽取りに行くだのなんて、手間暇と得られる成果考えれば優雅な博打、良く言っても余技でしかないんだよなあ。
https://twitter.com/segawashin/status/1136473604567183360
■ 「江戸の長屋では毎日お寿司と天麩羅が食べられていた」みたいな話だよね
それにooi@n_mさんは次のように述べている。
ooi@n_m@JDSDE214
岩手山麓在住の祖父の食生活はどうだったか、ってなんか逆張りの人がグダグダ言うてたけど、その辺りの食生活だと
https://www.tohoku-bunko.jp/details/00096.html …
この辺りがそのものずばりの食生活に付いての記録ですな。
https://twitter.com/JDSDE214/status/1136934781550116865
ooi@n_m@JDSDE214
元の話から言えば、岩手山麓の山の中で生活してたというわけで。
"「奥羽山系の食」=山菜、きのこ、すし漬の宝庫" か "県央・紫波での基本食とその食べ方"辺りを当たれば分かりやすい話です。
https://twitter.com/JDSDE214/status/1136959491545546753
ooi@n_m@JDSDE214
"◎買って食べる魚と川でとる魚
買って食べる海の魚、かすべの煮つけ、川魚・どじょう・つぶ
◎山の動物たちと小家畜
野山のけだもの、うさぎと鶏、うさぎ汁"
とかにもあるように、タンパク源も獲ってるわけで、余技もヘッタクレも無いんですね、ましてや、海の魚も食べている。
https://twitter.com/JDSDE214/status/1136959493529452548
毎日「山菜、きのこ、すし漬」(ooi@n_m)「かすべの煮つけ、川魚・どじょう・つぶ
」(ooi@n_m)「野山のけだもの、うさぎと鶏、うさぎ汁"」(ooi@n_m)を食べていたと主張しているわけだ。
まずは「江戸の町民は毎日お寿司を食べていた」ような話である。もちろん社会階層次第では毎日贅沢な食事はしていただろう。だが、当時大多数の市民にはそのような余裕はない。
■ 「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」(瀬川)の「専ら」も理解できないらしい
もちろんそのようなことはない。当時の日本の食事は瀬川さんのいう「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」だからだ。特に経済的発展が遅れた内陸部ではそうなる。
まず経済条件から肉類は常食できない。だから「米・麦・大豆・雑穀が専らですよ。」となる。
当時は100%の白米飯を食えない階層も多い。麦やら粟やら稗やらが混ぜられる。そのような経済状態では海産物を日常的に食べられない。それよりは白米を、あるいは麦ほかの増量を目指す。メザシや身欠きにしてもたまのごちそうでしかない。それを常食できると考えるほうがオカシイ。
だいたい商店がない。その状況では「山菜、きのこ、すし漬」(ooi@n_m)「かすべの煮つけ、川魚・どじょう・つぶ」(ooi@n_m)「野山のけだもの、うさぎと鶏、うさぎ汁"」(ooi@n_m)を日常的に入手できない。
さらに採取する暇もない。生業でカツカツだからだ。生きるために畑仕事や山仕事で手一杯である。そこで「家庭消費的な漁労や狩猟をすればいいだろ」と主張するのは相当にズレている。重労働と低賃金で飢餓線上にいる杣人に「お腹が空いたならイワナをとればよい」というようなものだ。
そもそも調理の手間から嫌がる。生業が忙しいので「かすべの煮つけ」といった面倒な食事はしない。それはハレのときのみだ。
■ 東北に溜め池があると考える(ooi@n_m)
さらにズレているのは溜め池である。ooi@n_mさっmは東北に食料供給に足りる溜池があると考えている。
ooi@n_m@JDSDE214
そんな、ウチは釣りなんかしてないよ!と言うのは貴方きちんと話を聞いてないでしょう、と言う話で、川の魚を捕るのに釣りなんかしません、仕掛けかけるなり、溜め池やらで養殖して年に1回干したりして一網打尽とか当たり前の話です、主体が菜食でもある程度のタンパク源取るのは当たり前の話です。
https://twitter.com/JDSDE214/status/1136959495228121088
溜め池は基本的にほぼ西国限りである。人口稠密であり稲作農業かつ水不足の地域に作られる。
つまり東北にはほとんどない。人口密度は低く稲作依存度も西国ほどではなく水は余っている。資本の蓄積も遅いので投資もない。つまり溜め池そのものがほとんど作られていない。
その点で「溜め池を干しあげればいいのです」というのは、何もわかっていないということだ。*
そもそも趣味の漁労と生活のための漁業を混同している。
漁労は経済的時間的余裕がいる。「仕掛け[を]かける」には仕掛けを買う必要がある。また取れるかとれないかわからない仕掛けを掛けて廻る時間がいる。つまりある程度余裕がある経済状態でなければならない。川漁師を除けばそうだ。
実際に川で漁労ができるのは自作農程度の経済的余裕がいる。簗やらウケやらウナギ押さえを買うだけの金が必要だ。それらは今のように安価な資材ではない。竹細工や鍛冶屋といった職人手作りである。** 簡単には買えない。
総括すれば、ooi@n_mさんによる瀬川深さんへの反論はことごとくピント外れということだ。
* 田んぼで魚を養殖するのもまずは関東-越後がほぼ限界である。新潟のメダカ佃煮や関東の金魚養殖までは聞くが以北ではほぼ聞かなくなる。
** 1年くらい前の季刊民族学に有明海の趣味ウナギ漁業の連載があったが、昭和30年ころでも資材は職人手作りであり今のように簡単に手に入るものではなかった。
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