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『はたらくくるま』の増刷とりやめは妥当である。
幼児向けの絵本に戦車を乗せれば抗議は来る。その理由もわけがわからない内容でもない。本質は人を殺すための武器である。それを掲載するのは道徳的に正しくないというのは由ない話ではない。
対応も不思議ではない。講談社は増刷しないと約束したがそれもおかしな話ではない。なにより『はたらくのりもの』への戦車の掲載は必須ではない。そもそも志のある本でもない。絵画の構図や抽象化に労苦を費やした本当の絵本ではない。手軽に作れる写真本だからだ。
それを言論弾圧というほうがどうかしている。講談社は左翼の抗議に応じて言論を枉げるのか。表現の自由、出版の自由を侵害している。そのような主張がなされているがいずれも無理くりなものだ。
■ アクロバティック擁護
その上でアクロバティックな擁護まで出てきている。「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)がそれである。
その主張はむしろ「いったいどんな論理なのだろう。論理じゃなくただの感情?」(須賀原)と言われるべき内容である。。
自衛隊武器は戦闘勝利つまり殺人を第一に作られる。その効率を競う機械である。
そこには確かにやましさや不道徳はある。基本的に戦闘や支配にしか使えない道具だからだ。殺傷や抑圧は少なくとも善ではない。
だから通例では「防衛のため」「平和のため」と言い換えられる。
それは身内の欺瞞である。もちろん世間に欺瞞は必要であり現実に欺瞞に溢れている。だが欺瞞であることに違いはない。
しかし、それをさらに進めて「感謝しないのはおかしい」「称賛しないのはおかしい」まで行くとどうかしている。それが「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)だ。
■ 核兵器ヨイショに近いよね
その発想や主張はかつての核兵器ヨイショを想起させる。
冷戦時代には核は必須といった主張があった。「世界の安定は核によって保たれている」「核兵器抜きの安全保障/国際政治はありえない」といった中身だ。
それはそれでリアルだっただろう。当時はみんなそう考えていた。それゆえに現実世界もそのように動いていた。社会は核兵器は必須として動いていたためだ。
だが、当時でも「核兵器は素晴らしい」「核廃絶運動は通敵行為」までいくとアレとして扱われていた。必要悪を善と言い換える嘘だからだ。欺瞞の範囲を超えているからだ。
須賀原さんの戦車擁護もその類である。「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)は必要悪を善と言い換える嘘だからだ。
さらにいえば「大陸で戦っている兵隊さんは」のモメンタムも窺える。日華事変以降、市電が九段坂に差し掛かった際に「英霊に黙祷」の類である。パーマネントはやめましょうの類である。英語はすべて追放しましょうの類である。
なによりも本人はそれを言って得意である。敵である左翼を批判したつもりで満足している様子が窺える。だが、その主張は論理にもとづいてはいない。まずは「論理じゃなくただの感情?」(須賀原)である。
■ (オマケ) 「床屋さんの捕虜処分」(主演:フランキー堺)も支持するのかね
なんつーかね。ミャンマーとかスリランカとかタイとかの「仏法に帰依しない異教徒は人間ではない。殺しても不殺傷とは矛盾しない」とか「それが救済である」に近いアクロバティックだよね。
まー、星野くんの二塁打の支持にもそれが窺えるけどね。
「私は貝になりたい」でもそういうのかもね。
とかね
幼児向けの絵本に戦車を乗せれば抗議は来る。その理由もわけがわからない内容でもない。本質は人を殺すための武器である。それを掲載するのは道徳的に正しくないというのは由ない話ではない。
対応も不思議ではない。講談社は増刷しないと約束したがそれもおかしな話ではない。なにより『はたらくのりもの』への戦車の掲載は必須ではない。そもそも志のある本でもない。絵画の構図や抽象化に労苦を費やした本当の絵本ではない。手軽に作れる写真本だからだ。
それを言論弾圧というほうがどうかしている。講談社は左翼の抗議に応じて言論を枉げるのか。表現の自由、出版の自由を侵害している。そのような主張がなされているがいずれも無理くりなものだ。
■ アクロバティック擁護
その上でアクロバティックな擁護まで出てきている。「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)がそれである。
須賀原洋行@tebasakitoriri
おかしいのは、声を上げた人たちのほうでは。国民の生命、財産、人権を守るために働く車を図鑑に載せちゃいけないなんて、いったいどんな論理なのだろう。論理じゃなくただの感情?感情で表現をつぶすとは......新日本婦人の会 京都府本部@NJWAkyoto
幼児向け「はたらくくるま」図鑑に戦車 不適切との指摘
今後増刷しないと発表
(link: https://www.asahi.com/articles/ASM7S6W6SM7SUCVL022.html?ref=line_digest) asahi.com/articles/ASM7S…
おかしいことは「おかしい!」とみんなで声をあげれば変わる!
https://twitter.com/NJWAkyoto/status/1154181398451769344
https://twitter.com/tebasakitoriri/status/1154339416166420480
その主張はむしろ「いったいどんな論理なのだろう。論理じゃなくただの感情?」(須賀原)と言われるべき内容である。。
自衛隊武器は戦闘勝利つまり殺人を第一に作られる。その効率を競う機械である。
そこには確かにやましさや不道徳はある。基本的に戦闘や支配にしか使えない道具だからだ。殺傷や抑圧は少なくとも善ではない。
だから通例では「防衛のため」「平和のため」と言い換えられる。
それは身内の欺瞞である。もちろん世間に欺瞞は必要であり現実に欺瞞に溢れている。だが欺瞞であることに違いはない。
しかし、それをさらに進めて「感謝しないのはおかしい」「称賛しないのはおかしい」まで行くとどうかしている。それが「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)だ。
■ 核兵器ヨイショに近いよね
その発想や主張はかつての核兵器ヨイショを想起させる。
冷戦時代には核は必須といった主張があった。「世界の安定は核によって保たれている」「核兵器抜きの安全保障/国際政治はありえない」といった中身だ。
それはそれでリアルだっただろう。当時はみんなそう考えていた。それゆえに現実世界もそのように動いていた。社会は核兵器は必須として動いていたためだ。
だが、当時でも「核兵器は素晴らしい」「核廃絶運動は通敵行為」までいくとアレとして扱われていた。必要悪を善と言い換える嘘だからだ。欺瞞の範囲を超えているからだ。
須賀原さんの戦車擁護もその類である。「国民の生命、財産、人権を守るために働く車」(須賀原)は必要悪を善と言い換える嘘だからだ。
さらにいえば「大陸で戦っている兵隊さんは」のモメンタムも窺える。日華事変以降、市電が九段坂に差し掛かった際に「英霊に黙祷」の類である。パーマネントはやめましょうの類である。英語はすべて追放しましょうの類である。
なによりも本人はそれを言って得意である。敵である左翼を批判したつもりで満足している様子が窺える。だが、その主張は論理にもとづいてはいない。まずは「論理じゃなくただの感情?」(須賀原)である。
■ (オマケ) 「床屋さんの捕虜処分」(主演:フランキー堺)も支持するのかね
なんつーかね。ミャンマーとかスリランカとかタイとかの「仏法に帰依しない異教徒は人間ではない。殺しても不殺傷とは矛盾しない」とか「それが救済である」に近いアクロバティックだよね。
まー、星野くんの二塁打の支持にもそれが窺えるけどね。
須賀原洋行@tebasakitoriri
筆者の寺脇さんは野球の知識がほとんどないのだろう。バントのサインを無視して二塁打が出たからOKなんて、戦地でじっと待機の命令が出てるのに「俺は連射に自信がある。敵を一気に全員殺せる自信がある」と飛び出して行く無謀な兵士そのもの。たまたま出た結果を優先してたら、いずれ全体が崩壊する
https://twitter.com/tebasakitoriri/status/1154460037600825344
「私は貝になりたい」でもそういうのかもね。
連合国は皇軍の精神を知らないのだろう。日本軍隊では命令は絶対。国際法で捕虜虐待は禁止されているから命令拒否なんてあってはならないこと。それを認めていたら軍隊は規律を失いいずれ戦地住民を虐待する。
とかね
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