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勝手に敵を悪魔化させた結果なのだろう。戦前戦中の情報閉塞の環境した敵対者は鬼畜である。そのような話をしているうちに「敵は悪魔である」と信じるように至った。
最近の言葉で言えばエコーチェンバーの結果か。まずは競合者や交渉相手に過ぎない中国や韓国を「敵」と言う言論空間にどっぷりつかっているうちに本当に敵だと思いこむ、宿敵と信じるアレと似たようなものだ。
■ コミケ医者の世界認識
「オタクは根絶やしにされる」も同じ伝ではないか。これは例のコミケ医者のCALCIさんが提示している情勢判断である。
まずは被害妄想としか言いようもない。
現にオタク表現は性描写も含めて許されている。刑法の範囲内であれば禁止はない。これは18禁ほかのジャンルの隆盛でも自明である。
そこで「提示する場所を考えろ」と言われた程度で「オタクを根絶やしにするまで続きます。ナチの思想と同根です。」(CALCI)と反応するのはどうかしている。
そもそも「場所をわきまえろ」のどこが「ナチの思想と同根です。」(CALCI)なのだろうか?
さらにいえばCALCIさんは具体的にどのような「ナチの思想」と「同根」といっているのだろうか?
ちなみにCALCIさんの従来発言をみても「ナチの思想」について肯定否定を問わずなにもない。その点では「とりあえずはナチの思想っていっておけばいい」といった手軽さしか感じられない。
■ オタク差別
なお、「とりあえずは○○といっておけばよい」といった付和雷同は他にもある。
「かつてのオタク差別」はそれである。CALCIさんほかの「かつて差別されていた」そのものが胡乱なのだ。マック女子高生のような河原文書言動に付和雷同している形にしかみえないためだ。
90年代にオタクは差別されていたか?
別にされてもいない。コミケは普通に開催されていた。高岡も通常通り営業されていた。OVAの発売が妨害されることもなかった。
もちろん「何が面白いのか?」くらいは言われた。あるいは「つまらない」程度の批評もあった。
だが、それは差別ではない。オタクだからといって公的・社会的に不利益な扱いは受けていない。またオタク関連商品を法的規制する話もなかったからだ。当時、高岡ほかで売っていて事件化した「ミニーズクラブ」も従来刑法の範囲内で取り締まりをうけたに過ぎない。
■ 「自分の好きなものが好意的に扱われないのは差別」なんだろうね
そもそも、「かつてのオタク差別」の中身もどうしようもないものだ。「自分が好きなものが好意的に扱われなかった」といった鬱屈しかないからだ。
そんなことで傷ついて差別云々を言い出すあたりもどうしようもない。内容的にはホヤが大好きな男が宴会でホヤ嫌いの男にあたって傷つくようなものでしかない。九十年代当時に20歳も超えた大人なら「ああそうですか」で「世界にはホヤを嫌う没理非漢もいる」と受容するだけの話だ。
逆にいえば、「当時はオタク差別が」とい言い出しすあたりは精神的に未熟だったことの表明ではないのかね。それを言い出す五十代六十代は当時二十歳、三十歳である。だがその体に精神が追いついていなかったということだ。
そして、それは今もそのままである様子である。献血ポスターほかで「自分の好きなものが批評された」だけでオッサンのオタク連が怒り出しているからだ。本来なら五十男や六十男はそのあたりの分別ついているはずである。だが献血ポスターで「表現の自由」とかいっているボンクラは分別あるようには見えない。**
* 逆説的ながらその影響力は外務省による海外発言収集による情勢判断にも窺える。『米英戦後研究』?の43年ころのやつに「大西洋憲章とカサブランカ宣言からすれば日本人絶滅はない」といった判断がなされている。
** オタクでも分別グレードが高ければ献血ポスター批評には「ごもっとも」という。オタクセクターではセーフでも一般社会では問題視されることがあると知っている。また公的機関の宣伝である以上、誰からも許容される内容である必要があることも知っているからだ。批判を全肯定しなくとも「俺は別段いいとは思うけど赤十字実施に批判があるなら下げるのは当然だよね」や「批判する人の気持もわかるよね」くらいの判断はできる。そしてそれはオタクでも多数派である。***
*** そいや、オタクの表現の自由戦士にはオタク表現でもBLほかの腐表現には否定的な言説していた人が多いんじゃないかな。いまではオタク表現の自由とやらでかつてのやおいへの嫌悪感を隠しているようだけどね。昔そういっていた連中がいるんだよね。そしてあいちトリエンナーレ等の政治面での表現の自由にはいまでも無関心である。
最近の言葉で言えばエコーチェンバーの結果か。まずは競合者や交渉相手に過ぎない中国や韓国を「敵」と言う言論空間にどっぷりつかっているうちに本当に敵だと思いこむ、宿敵と信じるアレと似たようなものだ。
■ コミケ医者の世界認識
「オタクは根絶やしにされる」も同じ伝ではないか。これは例のコミケ医者のCALCIさんが提示している情勢判断である。
Calci@Calcijp
いえ、オタクを根絶やしにするまで続きます。ナチの思想と同根です。🍊@hakatamentarako
表現を規制しろと言ってる人たちは、なにも環境をすべて清くしろと言ってるわけでなく、表現する場所を制限したり、公共の場に出さないでってことでは?なにもエロを排除しろなんていってない、エロを表現する場所を規制しろということ。漫画の人は間違った性教育を受けてるだけで、規制関係ない、、、
https://twitter.com/Calcijp/status/1198046629456039937
まずは被害妄想としか言いようもない。
現にオタク表現は性描写も含めて許されている。刑法の範囲内であれば禁止はない。これは18禁ほかのジャンルの隆盛でも自明である。
そこで「提示する場所を考えろ」と言われた程度で「オタクを根絶やしにするまで続きます。ナチの思想と同根です。」(CALCI)と反応するのはどうかしている。
そもそも「場所をわきまえろ」のどこが「ナチの思想と同根です。」(CALCI)なのだろうか?
さらにいえばCALCIさんは具体的にどのような「ナチの思想」と「同根」といっているのだろうか?
ちなみにCALCIさんの従来発言をみても「ナチの思想」について肯定否定を問わずなにもない。その点では「とりあえずはナチの思想っていっておけばいい」といった手軽さしか感じられない。
■ オタク差別
なお、「とりあえずは○○といっておけばよい」といった付和雷同は他にもある。
「かつてのオタク差別」はそれである。CALCIさんほかの「かつて差別されていた」そのものが胡乱なのだ。マック女子高生のような河原文書言動に付和雷同している形にしかみえないためだ。
90年代にオタクは差別されていたか?
別にされてもいない。コミケは普通に開催されていた。高岡も通常通り営業されていた。OVAの発売が妨害されることもなかった。
もちろん「何が面白いのか?」くらいは言われた。あるいは「つまらない」程度の批評もあった。
だが、それは差別ではない。オタクだからといって公的・社会的に不利益な扱いは受けていない。またオタク関連商品を法的規制する話もなかったからだ。当時、高岡ほかで売っていて事件化した「ミニーズクラブ」も従来刑法の範囲内で取り締まりをうけたに過ぎない。
■ 「自分の好きなものが好意的に扱われないのは差別」なんだろうね
そもそも、「かつてのオタク差別」の中身もどうしようもないものだ。「自分が好きなものが好意的に扱われなかった」といった鬱屈しかないからだ。
そんなことで傷ついて差別云々を言い出すあたりもどうしようもない。内容的にはホヤが大好きな男が宴会でホヤ嫌いの男にあたって傷つくようなものでしかない。九十年代当時に20歳も超えた大人なら「ああそうですか」で「世界にはホヤを嫌う没理非漢もいる」と受容するだけの話だ。
逆にいえば、「当時はオタク差別が」とい言い出しすあたりは精神的に未熟だったことの表明ではないのかね。それを言い出す五十代六十代は当時二十歳、三十歳である。だがその体に精神が追いついていなかったということだ。
そして、それは今もそのままである様子である。献血ポスターほかで「自分の好きなものが批評された」だけでオッサンのオタク連が怒り出しているからだ。本来なら五十男や六十男はそのあたりの分別ついているはずである。だが献血ポスターで「表現の自由」とかいっているボンクラは分別あるようには見えない。**
* 逆説的ながらその影響力は外務省による海外発言収集による情勢判断にも窺える。『米英戦後研究』?の43年ころのやつに「大西洋憲章とカサブランカ宣言からすれば日本人絶滅はない」といった判断がなされている。
** オタクでも分別グレードが高ければ献血ポスター批評には「ごもっとも」という。オタクセクターではセーフでも一般社会では問題視されることがあると知っている。また公的機関の宣伝である以上、誰からも許容される内容である必要があることも知っているからだ。批判を全肯定しなくとも「俺は別段いいとは思うけど赤十字実施に批判があるなら下げるのは当然だよね」や「批判する人の気持もわかるよね」くらいの判断はできる。そしてそれはオタクでも多数派である。***
*** そいや、オタクの表現の自由戦士にはオタク表現でもBLほかの腐表現には否定的な言説していた人が多いんじゃないかな。いまではオタク表現の自由とやらでかつてのやおいへの嫌悪感を隠しているようだけどね。昔そういっていた連中がいるんだよね。そしてあいちトリエンナーレ等の政治面での表現の自由にはいまでも無関心である。
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