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「家の中で裸になっていて、尻もちをついたらたまたまそこに単一電池が立っていて」みたいな言い訳をしている。
件のみかんポスターの件だ。
■ 自分たちを騙そうとしている
ラブライフのキャラの股間線はエロスの強調を目的としている。
それは本人たちも心中では分かっている。スカートを短く描くのもそうだ。尻のラインの強調もそうだ。献血ポスターの媚びる構図もそうだ。
だがそれを認めたくはない。
だから「陰をつけてるだけ」(みやび)や「性的に見るほうが性的なのだ」といったいいわけを考える。「エロ表現と言われるのが理解できない」「作者は、エロを意図していない」「エロに過剰反応しすぎ」(みやび)はそれだ。まずは「馬鹿といったほうが馬鹿なんだ」と同じ程度の中身である。
それでなにより自分たちを騙そうとしている。自分の主張ではない。若い女の子の意見だといって客観性を装おうとしている。そのうえで「股間線は性の強調ではない」といいだしている。またはそれを「フェミニストさん達は、エロに過剰反応」(みやび)と「不当なフェミの攻撃である」と「エロス強調は陰謀である。意図ある難癖である」と信じ込もうとしている。
■ 自分たちの好きなものが批判されるのに耐えられない
なぜそのようなことをするのか?
先に述べたとおりに趣味者としての水準が低いからだ。自分たちの好きなものが批判されるのに耐えられないからだ。自分たちの好きなものが社会に受け入れられなかった。その事実に向き合いたくないためだ。
だから攻撃と受け取る。股間線批判は萌の全否定であり自分たちの存在否定であると信じこんでいるのである。自分たちが大好きなラブライフやその他の萌えマンガ、アニメ、ゲームが攻撃されている。そのように受け取るのである。
そこには2つをわける分別はない。ラブライフの股間線表現は路上に出すべき表現ではない。家の中や仲間内で楽しむものである。裏庭に咲く花なら半裸にしようが全裸にしようが生やそうが何も言わない。だが、衆人環視の往来に張り出すものではない。またそれを不快とする批判はでてきて当然である。そのような分別がない。
「性的に見るほうが性的なのだ」は、まずは趣味者としてのグレードが低いのだ。
■ 農協も権利者も、したり顔もどうかしている
そもそも農協や権利者もどうかしている。みかんを売るための広告である。そこにスカートが透けて見えるような絵柄を出すとどうなるかを理解できていない。同じ絵を使い回すにしても本来なら影を消す。その上で尻の線もごまかす手配は必要だった。
さらにいえば、したり顔もどうかしている。「ラブライフの愛好者は攻撃的であり手を出すと不味いタイトルだ。そんなのにも文句をいったフェミは愚かである」 そのような言い方をする連中だ。
連中は厄介だから誤った性的表現を批判してはならないとは何事だろうか?
そもそも、攻撃的であり手を出すと不味いほどの力を持っているのだろうか?
ラブライフ愛好家は衆寡を頼んで押しているつもりだろう。それはネットの上では優勢であると信じている様子からも窺える。
だが、世論はみかんポスター批判側に傾いている。なぜなら擁護は身内でしか通用しない中身であり説得力がないからだ。「シワの形で」や「光線との偶然の一致」や「性的に見るほうが性的なのだ」はまったくそれである。
やはり言っていることは「たまたま裸で過ごしていて、たまたま尻もちをついたら、たまたま下にビール瓶があって」でしかないのだ。*
全く説得力がない。これは農協がポスターを引っ込めたことで明らかである。性的強調であり外に出すものではないことが理解されたからだ。
* 「シャワー浴びていて指輪を外そうとしたら落としてしまって、それがスポッとハマってしまって」が一番好き。
件のみかんポスターの件だ。
みやびmama@miyabi39mama
ラブライブのゲームをプレイしている若い女の子に
今回のポスター撤去問題について聞いてみたら
あれは、陰をつけてるだけ
エロ表現と言われるのが理解できないと言ってた
立体的にみせる表現方法の一つで、作者は、エロを意図していない
フェミニストさん達は、エロに過剰反応しすぎじゃないかな
https://twitter.com/miyabi39mama/status/1230608853546360832
■ 自分たちを騙そうとしている
ラブライフのキャラの股間線はエロスの強調を目的としている。
それは本人たちも心中では分かっている。スカートを短く描くのもそうだ。尻のラインの強調もそうだ。献血ポスターの媚びる構図もそうだ。
だがそれを認めたくはない。
だから「陰をつけてるだけ」(みやび)や「性的に見るほうが性的なのだ」といったいいわけを考える。「エロ表現と言われるのが理解できない」「作者は、エロを意図していない」「エロに過剰反応しすぎ」(みやび)はそれだ。まずは「馬鹿といったほうが馬鹿なんだ」と同じ程度の中身である。
それでなにより自分たちを騙そうとしている。自分の主張ではない。若い女の子の意見だといって客観性を装おうとしている。そのうえで「股間線は性の強調ではない」といいだしている。またはそれを「フェミニストさん達は、エロに過剰反応」(みやび)と「不当なフェミの攻撃である」と「エロス強調は陰謀である。意図ある難癖である」と信じ込もうとしている。
■ 自分たちの好きなものが批判されるのに耐えられない
なぜそのようなことをするのか?
先に述べたとおりに趣味者としての水準が低いからだ。自分たちの好きなものが批判されるのに耐えられないからだ。自分たちの好きなものが社会に受け入れられなかった。その事実に向き合いたくないためだ。
だから攻撃と受け取る。股間線批判は萌の全否定であり自分たちの存在否定であると信じこんでいるのである。自分たちが大好きなラブライフやその他の萌えマンガ、アニメ、ゲームが攻撃されている。そのように受け取るのである。
そこには2つをわける分別はない。ラブライフの股間線表現は路上に出すべき表現ではない。家の中や仲間内で楽しむものである。裏庭に咲く花なら半裸にしようが全裸にしようが生やそうが何も言わない。だが、衆人環視の往来に張り出すものではない。またそれを不快とする批判はでてきて当然である。そのような分別がない。
「性的に見るほうが性的なのだ」は、まずは趣味者としてのグレードが低いのだ。
■ 農協も権利者も、したり顔もどうかしている
そもそも農協や権利者もどうかしている。みかんを売るための広告である。そこにスカートが透けて見えるような絵柄を出すとどうなるかを理解できていない。同じ絵を使い回すにしても本来なら影を消す。その上で尻の線もごまかす手配は必要だった。
さらにいえば、したり顔もどうかしている。「ラブライフの愛好者は攻撃的であり手を出すと不味いタイトルだ。そんなのにも文句をいったフェミは愚かである」 そのような言い方をする連中だ。
連中は厄介だから誤った性的表現を批判してはならないとは何事だろうか?
そもそも、攻撃的であり手を出すと不味いほどの力を持っているのだろうか?
ラブライフ愛好家は衆寡を頼んで押しているつもりだろう。それはネットの上では優勢であると信じている様子からも窺える。
だが、世論はみかんポスター批判側に傾いている。なぜなら擁護は身内でしか通用しない中身であり説得力がないからだ。「シワの形で」や「光線との偶然の一致」や「性的に見るほうが性的なのだ」はまったくそれである。
やはり言っていることは「たまたま裸で過ごしていて、たまたま尻もちをついたら、たまたま下にビール瓶があって」でしかないのだ。*
全く説得力がない。これは農協がポスターを引っ込めたことで明らかである。性的強調であり外に出すものではないことが理解されたからだ。
* 「シャワー浴びていて指輪を外そうとしたら落としてしまって、それがスポッとハマってしまって」が一番好き。
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