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隅田金属日誌(墨田金属日誌)

隅田金属ぼるじひ社(コミケ:情報評論系/ミリタリ関係)の紹介用

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文谷数重

Author:文谷数重
 零細サークルの隅田金属です。メカミリっぽいけど、メカミリではない、でもまあミリタリー風味といったところでしょうか。
 ちなみに、コミケでは「情報評論系」です

連絡先:q_montagne@pop02.odn.ne.jp

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2010.09
26
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23:04
Category : 旧ソ連
 70年代、ソ連は代理戦争であるベトナム戦争に勝利した。また、ソ連は極東方面の海軍力を強化した
 対して、米国はベトナム戦争で疲弊しきっていた。日本も、オイルショックにより経済成長は停滞していた。
 ソ連が強くなり、米国は弱くなり、日本の成長も止まる。そう見えたのだろう。だから日本ではソ連脅威論が台頭した

 しかし、その実態はどうか。文革により弱体化していた新中国もあわせて、日米中は相互に接近し、新しい対ソ封じ込め体制を作ってしまった。東アジアが日米・新中国・ソ連の3すくみ構造であれば、ソ連は対日米、対中で強く出ることができたかもしれない。それが、日米中が対ソ連ブロックとして連携してしまったため、ソ連は比較劣勢になってしまった。

 70年代は、ソ連は極東部では比較劣位の立場に転落してしまったとも言えるだろう。
 たしかに70年代、ソ連はスーパー・パワーとしての存在を演出しようとしていた。その宣伝、例えばオケアン演習やインド洋プレゼンスも一定の効果を上げていた。
 だが、その「成長の印象」が日米中の同盟関係を招いてしまったとも言えるだろう。実態からすれば、当時であってもソ連極東部は経済の限界を超えていた。軍事力にしても張子の虎に過ぎず、それを宣伝でカバーしていたわけだ。
 一種の騙しで凌いでいたのが、日米中が弱くなったため、薬が効きすぎて日米中を接近させ、対ソ連ブロックを作り出させてしまったのだろう。

 実際のところ、70年代ソ連の極東対米戦の目標は
・ オホーツク海に米海軍の進入を許さない
 だっただろう。

 しかし、実際に可能な行動としては
・ ウラジオ以東は守りきれない。
 ・ ペトロ以下の重要港湾は、敵中で孤立するのは仕方がない
 ・ ウラジオ付近で抵抗する
 あたりじゃなかったのだろうか。もちろん、日本人が北進するのもパッケージなんだろうけれどもね。(北方領土や樺太のソ連軍は、日本の北進対処用だろう)

 それに、70年後半からの米中接近を加味すると。対米戦と同時に、中国との戦争を考慮するとなると、さらに収集はつかなくなってしまうだろう。
 最悪で
・ イルクーツクまで踏み込まれないようにする
 あたりまで悪化したんじゃないだろうかね。

 まあ、70年代の日中、米中の接近はソ連にとってはエライことだったというわけだ。
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Comment

非公開コメント

とりあえず、反論以前の問題なのですが、軍管区制、極東軍管区の師団のカゴテリーとか調べてみましょう。

その上で米ソの当事のドクトリンを調べてみましょうか

No title

歴史は繰り返すって訳ではありませんが、時代を現在に、ソ連を中国に、中国をインドやASEANに…なったりして。

Re: タイトルなし

 それ以前に、ソ連極東部の絶望的な経済状況、交通や運輸を調べたら如何ですか?日ソ国交正常化以降の沿岸貿易の額と品目とかね。
 「ドクトリン」とか、そういった言葉に酔う前に、現実を知るべきでしょうね。

> とりあえず、反論以前の問題なのですが、軍管区制、極東軍管区の師団のカゴテリーとか調べてみましょう。
>
> その上で米ソの当事のドクトリンを調べてみましょうか

Re: No title

> 歴史は繰り返すって訳ではありませんが、時代を現在に、ソ連を中国に、中国をインドやASEANに…なったりして。

 実はインド、中国とも関係改善をしていますからね。日本に対しては、対中国包囲網に乗っかるような素振りを見せているような感じですけど、リップサービスなんじゃないでしょうか。